鏡の世界に囚われて

鏡上 怜

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3rd.恋心は罪の味

出会いは傲慢に

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 流行りのバンドの、まだ流行りじゃなかった頃の歌がゆったりと流れる喫茶店。
 残業終わり、まだ1時間以上残っている家路を凌ぐために、熱くて濃い味のコーヒーはいつしか私の必需品になっていた。これを飲めば、たちまち目がしゃきっとしてくる……ような気がする。

 まぁ、カフェインが効いてくるまでには当たり前だけどタイムラグがあるから、それまでの覚醒感はただの錯覚なんだけどね。私、ちょっとやばいか?

 なんてちょっとバカみたいなことを考えて1人で笑って、虚しくなってやめる。

「ふぅ……」

 代わりに出てくるのは、ため息くらいだ。
 とりあえず会社での仕事は終わった。
 肥えたおっさん上司のご指導セクハラは当たり前として、先輩が楽しげに話すつまらない話に相槌を打ったり、同期たちとそんなあれこれに対する不満を吐き合って――でも後で告げ口されるかも、なんて可能性を考えて言えるところと言えないところの線引きを意識しまくりな会話をしたりして。
 そんな合間に行われる仕事は、とりあえず終わらせた。

 じゃあ、次は家での仕事か。
 簡単に言えば親の介護。世間様が感心するふりだけしてくれて、あとは全く手伝ってくれない――というかそもそも感心するふりですらこちらも踏み込まれたくない仕事。
 仕事、なんて思うこと自体不謹慎とか言われそうだけどね。
 でも正直、あんなの賃金が出ないだけでただの仕事だといっていいと思う。体が不自由で精神も不安定なところが多い親を楽にしてあげたくて、という当初の気持ちが容易く歪んでしまいそうなほどに。

 虚しい。

 毎日、家と会社の往復ばかり。しかも、気持ちの休まる時はほとんどない。
 まるで、私自身の意思なんて誰にも必要とされてなくて、ただ動く体だけあればそれでいい……とでも言われてるみたいな感じ。

 急に寂しくなって、虚しくて。

 流れている歌がサビに入るところで何だか気持ちが抑えられなくなって、慌てて店を出てから少し泣いた。もちろん、周りの目もあるから声は出さずに、なるべく人目につかないように。

 そんなときに、ふと目に付いた。
 歩道橋の上からボーッとした顔で線路を見下ろしている人影が。
 普段だったら関わり合いにならないその人影に構おうと思ったのは、きっと気持ちのバランスがおかしかったからで。
「ねぇ、何してんの?」
 尋ねて振り返った少し幼い顔を見て装ったのは、ちょっと余裕のある大人像だった。

「よかったら、話でも聞こうか?」

 見つめ返してくる視線を、まともに見つめ返す勇気もないくせに。
 そうやって私は彼と出会った。
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