口づけは1度だけ…

鏡上 怜

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1.Before

森の奥深くには…

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 ――いやだ、離して!

 ――いいじゃないか、今更。

 ――怖い、怖いからやめて!

 ――何を言ってるんだい、そんなに抵抗したところで、お前はもうとっくに……


「やめて……っ!!!!」
「何を?」
「ひっ!?」
 毎夜見る悪夢にうなされながらティルが目を覚ますと、すぐ隣から若い女性の声が聞こえた。思わず跳ねるようにしてベッドの端に体を寄せたティルは、そこでようやく今自分のいるのが見慣れない場所であることに気付いた。
「えっと、ここは?」
 まず何を知ればいいのか。
 ともかく、今のティルにはわからないことだらけだった。
 ここがどこなのか、何故ここにいるのか、いつからいるのか、目の前にいる少女――恐らく自分より少し年上と思われる――が何者なのか、その全てが。

 しかしとりあえずティルが疑問に思ったのは、ということだった。
 辺りはとても静かで、仄暗い窓の外から聞こえてくるのは鳥や獣の声ばかり。そんな場所、ティルの暮らしていた辺りでは考えられなかった。

 あそこは、どこもかしこも騒々しい。
 それに何より……

「ここはね、“古き森”よ。他の呼び名とかあってもわからないんだけど……、わかる?」
 ティルが深くまで過去を思い出す前に、少女が軽やかな声で答えた。
 その途端、彼の顔が凍り付く。
「えっ、“古き森”って、ま、まさかそんな!」

 ”古き森”。
 ティルの暮らすこの国に古くから言い伝えられている、不可侵の森。農民たちの暮らす村にも、傭兵たちの集う片田舎の酒場にも、貴族たちの暮らす王都にさえも、様々な語り手を介して変わらず伝えられている、禁足地。
 曰く、その森には神聖なものが住まうため、穢してはならない。
 曰く、その森には巨大な怪物が住むため、起こしてはならない。
 曰く、その森には戦死者の怨念が住むため、行ってはならない。

 そしてもう1つ。

 曰く、その森には邪悪な魔女が住まうため、触れてはならない。

 ティルは驚きの声と共に、少女に尋ねた。

「もしかして、君――、あなたは、魔女なのですか?」
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