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真実と嘘
悪辣教師へお仕置きを
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明朝、アルテミスの忙しい一日が始まった。午前中は語学の授業でフェルミア王国の公用語と、東方の諸国の古文字を学び、算術、地理の授業を終え、合間に昼食をとったあとは休む間もなく次の授業の時間となった。教師たちはカリストの推薦ということもあり優秀であったが、はじめは離宮に隔離されていた十三番目の皇子に対し、明らかに軽んじたような態度であった。しかし、ひとたび授業を始めると、乾いた海綿のようにすぐさま知識を吸収していくアルテミスに、一同はそろって舌を巻いていた。
貴族たちが重んじる文学や詩を学ぶ教養学を担当するヴァレリー伯爵夫人も同様で、谷底を走る小さな山鼠さえ見逃さない猛禽のような鋭い目つきのご婦人であったが、アルテミスが教えた通りの完璧な発音で古典叙情詩の一節を暗誦するのを見て、石像のように深く刻まれていた眉間のしわがほんの少し和らいだ。
しかし、続く帝国史学の教師であるローデリク男爵の授業は、こうはいかなかった。ボサボサ髪を整えもせず仏頂面で現れたこの男は、アルテミスの挨拶に気のない返事をし、分厚い教本を開くと平坦な声で読み上げ始めた。
これが授業と言えるのかどうか、こちらを見もせず淡々と朗読し続ける男爵に、アルテミスはなんとかついていこうと懸命にペンを走らせた。しばらくして喉が疲れたのか男爵は読むのをやめ、今度は質問し始めた。
「アルテミス皇子、四代目皇帝ジークハルトが行った重税政策で国民は困窮し、反乱寸前にまで追い込まれましたが、集められた財貨は何に使われたか、ご存知ですか?」
「えっと……わかりません」
困った顔でうつむくアルテミスに、男爵は猫が獲物をいたぶるような残酷な薄笑いを浮かべた。
「わからない?おかしいな、簡単な問題なんですがね。それではジークハルト帝の貨幣改鋳令についてですが、これは市場にどのような影響を与えたと評価されていますか?」
「えっと……」
聞かれたことの意味の半分もわからず、哀れなアルテミスはがっくりと肩を落とした。
「あの、ぼく……わかりません」
それもそのはず、アルテミスが問われているのは、皇国の最高学府の博士ですら解釈が分かれる問いだ。しかし男爵はわざとらしく大きなため息をつき、肩をすくめてみせた。
「はぁ……こんなこともわからないとは、お話になりませんな!いやはや、謝らなくて結構!最高の学びを受けるに値する人物というのは限られているのです。しかし、この私に余計な時間をとらせたことは、カリスト様にはお詫びしていただかなくてはなりませんな?」
「いまの退屈な朗読劇がお前の言う最高の学びというものか?まったく浅学すぎて話にならんのはそちらの方だ」
「えっ?ディアウッドせんせい?」
「なんだ、貴様はっ!?」
実のところ、暇を持て余していた私は少し前からアルテミスの授業を冷やかしに来ていたのだが、聞き慣れた名前を耳にして黙っていられなくなっていた。杖の一振りでビロード張りの肘掛け椅子を取り出すと、アルテミスの傍に座り、ローデリク男爵が得意げに広げていた教本を覗き込む。
「そもそもジークハルトの税政策の解釈から間違っている。あれは貴族の間でのみ流通する嗜好品の酒類と香料にのみ税を課したもので、商人には交易の関税を一定期間免除することで補填している。国民の生活にはまったく影響を与えてなどいない」
ジークハルトは金儲けを得意としたが、その本質は未来を見通す力にあった。奴は将来起こりうる事象を逆算し、ありとあらゆる可能性を念慮し施策を行なった。竜のあくびが砂漠に嵐を呼び起こすとは奴の口癖だが、財政王と呼ばれるほど財の運用と富の采配を得意とした男が国民を困窮させることなど、思い出す限り一度としてなかった。
急な貨幣改鋳についても、あれは当時の商人たちを悩ませた粗雑な偽貨の根絶と、当時の銅貨の原材料の一部が、流行病の薬の製造に必要だったからだ。
「どれどれ、ここの記載も間違っているな。ラインハルトの子供は四人だ。末の皇女はフェルミア王国に嫁いだが、東方諸国との外交で大きな功績を残したのは有名な話だ。それにエルデガルダは北方の戦場で敗走してなどしていない。それではロデイン山脈は今頃、帝国領から消えているはずだろう。なんだこの本は出鱈目ばかりではないか、一体どこの三流史家が書いたんだ?」
言うだけ言ってそのまま裏表紙をめくると、そこには『ローデリク・フォン=グレイン』と書いてあった。これはなんとも気まずい展開だ。アルテミスも困惑した様子でローデリク男爵の様子をうかがっている。
「し、失礼する……!!」
「あっ、ローデリクせんせい!」
顔を真っ赤にした男爵が飛び出していくのをアルテミスが止めようとするが、大きな音でドアが閉まるのが先だった。ローデリクは怒りのままに離宮を飛び出し、石畳を踏み鳴らしながら、行き場のない苛立ちを庭の植え込みに当たり散らした。
「この出来損ないの皇族もどきが!この私をコケにしたことを必ず後悔させてやる……!!アデル様のご命令じゃなければ誰があんなガキの相手などするものか……!」
どうやらローデリク男爵はアデル皇子の息のかかった者だったらしい。気の小さいローデリクは聞くに耐えない口汚い悪態を口の中でぶつぶつとつぶやいていたが、この離宮には、遠く離れた場所で針が落ちる音を聞き分けるほど耳の良いウサギがいた。
そして哀れなローデリク男爵は数日後、遠い山の上で錯乱状態で発見されることになる。ローデリクはなぜか突然アルテミス皇子の部屋にあった純銀の宝具がどうしても欲しくなり、衝動的に盗み出した。そして逃亡しているところを一頭の黒い灰竜にさらわれ、山頂に置き去りにされたという。
捜索していた憲兵たちはローデリクの語る不可解な状況に一様に首を傾げたが、男爵の賭博好きによって膨れ上がった借金と、違法な興奮薬の乱用が明らかとなり、単なる逃亡と自滅による事件として処理された。
貴族たちが重んじる文学や詩を学ぶ教養学を担当するヴァレリー伯爵夫人も同様で、谷底を走る小さな山鼠さえ見逃さない猛禽のような鋭い目つきのご婦人であったが、アルテミスが教えた通りの完璧な発音で古典叙情詩の一節を暗誦するのを見て、石像のように深く刻まれていた眉間のしわがほんの少し和らいだ。
しかし、続く帝国史学の教師であるローデリク男爵の授業は、こうはいかなかった。ボサボサ髪を整えもせず仏頂面で現れたこの男は、アルテミスの挨拶に気のない返事をし、分厚い教本を開くと平坦な声で読み上げ始めた。
これが授業と言えるのかどうか、こちらを見もせず淡々と朗読し続ける男爵に、アルテミスはなんとかついていこうと懸命にペンを走らせた。しばらくして喉が疲れたのか男爵は読むのをやめ、今度は質問し始めた。
「アルテミス皇子、四代目皇帝ジークハルトが行った重税政策で国民は困窮し、反乱寸前にまで追い込まれましたが、集められた財貨は何に使われたか、ご存知ですか?」
「えっと……わかりません」
困った顔でうつむくアルテミスに、男爵は猫が獲物をいたぶるような残酷な薄笑いを浮かべた。
「わからない?おかしいな、簡単な問題なんですがね。それではジークハルト帝の貨幣改鋳令についてですが、これは市場にどのような影響を与えたと評価されていますか?」
「えっと……」
聞かれたことの意味の半分もわからず、哀れなアルテミスはがっくりと肩を落とした。
「あの、ぼく……わかりません」
それもそのはず、アルテミスが問われているのは、皇国の最高学府の博士ですら解釈が分かれる問いだ。しかし男爵はわざとらしく大きなため息をつき、肩をすくめてみせた。
「はぁ……こんなこともわからないとは、お話になりませんな!いやはや、謝らなくて結構!最高の学びを受けるに値する人物というのは限られているのです。しかし、この私に余計な時間をとらせたことは、カリスト様にはお詫びしていただかなくてはなりませんな?」
「いまの退屈な朗読劇がお前の言う最高の学びというものか?まったく浅学すぎて話にならんのはそちらの方だ」
「えっ?ディアウッドせんせい?」
「なんだ、貴様はっ!?」
実のところ、暇を持て余していた私は少し前からアルテミスの授業を冷やかしに来ていたのだが、聞き慣れた名前を耳にして黙っていられなくなっていた。杖の一振りでビロード張りの肘掛け椅子を取り出すと、アルテミスの傍に座り、ローデリク男爵が得意げに広げていた教本を覗き込む。
「そもそもジークハルトの税政策の解釈から間違っている。あれは貴族の間でのみ流通する嗜好品の酒類と香料にのみ税を課したもので、商人には交易の関税を一定期間免除することで補填している。国民の生活にはまったく影響を与えてなどいない」
ジークハルトは金儲けを得意としたが、その本質は未来を見通す力にあった。奴は将来起こりうる事象を逆算し、ありとあらゆる可能性を念慮し施策を行なった。竜のあくびが砂漠に嵐を呼び起こすとは奴の口癖だが、財政王と呼ばれるほど財の運用と富の采配を得意とした男が国民を困窮させることなど、思い出す限り一度としてなかった。
急な貨幣改鋳についても、あれは当時の商人たちを悩ませた粗雑な偽貨の根絶と、当時の銅貨の原材料の一部が、流行病の薬の製造に必要だったからだ。
「どれどれ、ここの記載も間違っているな。ラインハルトの子供は四人だ。末の皇女はフェルミア王国に嫁いだが、東方諸国との外交で大きな功績を残したのは有名な話だ。それにエルデガルダは北方の戦場で敗走してなどしていない。それではロデイン山脈は今頃、帝国領から消えているはずだろう。なんだこの本は出鱈目ばかりではないか、一体どこの三流史家が書いたんだ?」
言うだけ言ってそのまま裏表紙をめくると、そこには『ローデリク・フォン=グレイン』と書いてあった。これはなんとも気まずい展開だ。アルテミスも困惑した様子でローデリク男爵の様子をうかがっている。
「し、失礼する……!!」
「あっ、ローデリクせんせい!」
顔を真っ赤にした男爵が飛び出していくのをアルテミスが止めようとするが、大きな音でドアが閉まるのが先だった。ローデリクは怒りのままに離宮を飛び出し、石畳を踏み鳴らしながら、行き場のない苛立ちを庭の植え込みに当たり散らした。
「この出来損ないの皇族もどきが!この私をコケにしたことを必ず後悔させてやる……!!アデル様のご命令じゃなければ誰があんなガキの相手などするものか……!」
どうやらローデリク男爵はアデル皇子の息のかかった者だったらしい。気の小さいローデリクは聞くに耐えない口汚い悪態を口の中でぶつぶつとつぶやいていたが、この離宮には、遠く離れた場所で針が落ちる音を聞き分けるほど耳の良いウサギがいた。
そして哀れなローデリク男爵は数日後、遠い山の上で錯乱状態で発見されることになる。ローデリクはなぜか突然アルテミス皇子の部屋にあった純銀の宝具がどうしても欲しくなり、衝動的に盗み出した。そして逃亡しているところを一頭の黒い灰竜にさらわれ、山頂に置き去りにされたという。
捜索していた憲兵たちはローデリクの語る不可解な状況に一様に首を傾げたが、男爵の賭博好きによって膨れ上がった借金と、違法な興奮薬の乱用が明らかとなり、単なる逃亡と自滅による事件として処理された。
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