精霊王に拾われた虐げられ皇子、追放されたけど人外たちに溺愛されながら育ちます

はんね

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精霊の裏切り

嘘つきの英雄譚

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 哀れなアルテミスが、理不尽と悪意を寄せ集めたような試練に立ち向かう前に、少しばかり昔話をしよう。
 アストラニア帝国がまだ名も形も持たなかった頃――私とニコラスが、ただの同志として剣を並べていた時代の話だ。
 遡ること幾千年前。疫病王ヴォラクが支配する黒夜城へ攻め込む、その前夜。死の山脈の麓で野営していた我々は、焚き火を囲みながら、決して楽観できぬ今後の戦況を見据えていた。
「正門から強行突破すれば、味方の犠牲は避けられん。しかし、包囲に時間をかければかけるほど、ヴォラクの眷属どもが集まり、戦は不利になるじゃろう」
 羊の頭をもつ老人――セリオスが、静かにスープの鍋をかき混ぜながら言うと、それに応じるように、明るい茶色の髪と空色の瞳をもつ青年、ニコラスが焚き火を見つめたまま口を開いた。
「ヴァルキラがグォルグの討伐を順調に進めているかどうかが鍵になるな。あれに背後から挟撃されれば、ひとたまりもない」
 当初は数多く集った精霊たちであったが、ヴォラクの放つ瘴気に歪められ、異様な力を得た眷属たちとの戦いで、すでに多くの同胞を失っていた。
 中でも疫獣グォルグは、瘴気によって異形へと変じた巨大な魔鰐で、多くの戦線を崩壊させてきた。
 グォルグの垂れ流す粘液は触れた地や岩を瞬時に腐食させ、咆哮とともに吐き出される腐毒の息は霧となって広がり、森を枯らし、歴戦の精霊たちですら悲鳴を上げる間もなく肉体を溶かされる。一度命を失えば生涯を終える人間と違い、精霊は時を経て再生する。しかし、それは数百年先のことだ。この戦の勝敗には、何の慰めにもならない。
 建国当時に著されたニコラスと私の英雄譚には、我々が何の支障もなく、順風満帆に勝利を収めたと記されているが、実際には、一手誤れば全滅しかねない、綱渡りの窮地に立たされることもしばしばあった。西の山岳地帯での戦闘では、大量の屍鬼に囲まれあわや全滅しかねない状況に追い込まれたこともあった。
 伝説というものは、完全無欠で、迷いも恐れも存在しないからこそ語り継がれる。血と失策と、選びきれなかった無数の可能性は削ぎ落とされ、都合のよい「英雄像」だけが残る。そうして整えられた物語だけが、後の世で“真実”と呼ばれることになるのだ。
「やはり、明日の出陣は見送り、もう一度機を待った方が良いのでは?」
 そう口にしたのは、くるりと巻いた山羊の角をもつ美貌の青年、フェインだった。彼は長い睫毛に縁取られた淡い琥珀色の瞳を何度も瞬かせ、外でうなり声をあげる瘴気混じりの風を、不安げに見つめた。
「蛮勇は勝てば英雄譚となるが、敗走すれば目も当てられない。いくら偉大なるバーティミアス様のお力があるとはいえ、多勢に無勢では……」
「しかし、花の精霊セレナはグォルグに喰われ、雷の精霊アルゴスは先の山岳戦で命を落とした。他にも、高潔な魂をもつ多くの同胞を失っている。これ以上待てば、状況はますます悪化するだけじゃ。彼らの犠牲を無駄にすることはできない」
 消えかけた焚き火の熾に、小さな火花の魔法を吹きかけながら、セリオスが静かに指摘すると、フェインは苦々しげに唇を歪めた。
「もちろん。セレナたちのことは残念に思うよ。美しい精霊を失うことは、世界の損失だ」
 深い沈黙が落ちるなか、黒く炭化した薪が音を立てて崩れる。その時、夜の闇を裂くように、一頭の雌獅子が焚き火の光の中へと姿を現した。黄金の毛並みは血と埃に汚れているが、その瞳は燃えるように輝いている。
「お待たせ!」
 獅子の姿をした少女ヴァルキラは、牙を見せて快活に笑った。
「グォルグは片付けたわよ。それから、嬉しい知らせがもうひとつ。ドラゴン族が共闘を申し出てきたの!北のバルド山脈と、活火山地帯に棲む灰竜たちが、こちらに向かっているわ!」
「それはすごい! バーティミアスがドラゴン族に打診してから、ずいぶん時間が経っていたはずだが……どうして急に心変わりしたんだ?」
 ヴォラクとの全面戦争にあたり、私は大陸に住まうドラゴン族、エルフ族、ドワーフ族の首長たちへと使者を送っていた。
 しかし彼らはもともと人間たちとの交流が乏しく、それぞれ険しい山岳地帯や深い森、地下の鉱脈など、ヴォラクの手が及びにくい不可侵の領域に暮らしている。大陸各地がヴォラクの眷属に蹂躙されても、結界を張って自らの領域を閉ざし、長らく蚊帳の外に身を置いていたのだ。
「ヴォラクが、族長たちの住まう縄張りを直接侵したのが原因みたい。虎の尾ならぬ、ドラゴンの尻尾を踏んだってところね」
「それは……ありがたい話だ。できれば、バルド山脈で魔獣討伐に当たっている俺の仲間たちも、一緒に連れてきてもらえればいいんだが……」
 ニコラスと共に各地から集った傭兵たちは、北方で苦しむ人々を守るため、彼とは別行動で戦線を支えていた。だが、ヴァルキラは少し困ったように肩をすくめる。
「どうかしら。頼んでみるけど……彼らは、馬みたいに気軽に人を背中に乗せる連中じゃないわ」
「私からの要請だと言えばいい」
 さらりと口にした私の言葉に、フェインは顔色を失い、慌てて声を上げた。
「バーティミアス様! いけません!人間たちの都合のために、あなたが頭を下げるなど……!」
「フェイン! やめなさいよ!」
 フェインは精霊族以外のあらゆる種族を見下しており、とりわけニコラスを快く思っていなかった。理由は単純だ。私が彼を『特別扱い』しているからである。
 生きた人間は辿り着けぬとされる精霊の庭へ、ただひとりで踏み込み、常であれば物言わぬ植物へと姿を変えてやるところを、私が受け入れ、力を貸していることが気に入らないのだ。
 ニコラスも慣れたもので肩をすくめて苦笑し、気にするなと伝えるようにヴァルキラへ片目を閉じてみせた。
 その時、夜気を裂くように小さな黒い小鳥が舞い込んできた。小鳥はまっすぐ私のもとへ飛び、指先にそっととまると、艶やかな羽を整えながら賢そうな瞳でじっと私の顔を覗き込んだ。
『バーティミアス様、ユミルでございます』
 小さなくちばしがユミルの落ち着いた声で喋り出し、ニコラスが驚いたように息を呑んだ。その様子を見てフェインが嘲るように短く息を鳴らした。
 私は小鳥の背を指先で軽く撫でてやりながら静かに聞いた。
「首尾はどうだ、ユミル」
『先ほど正門の鍵を手に入れました。警備の者達は眠らせましたので、いつでも開門可能です』
「さすがね!」
 ヴァルキラが弾むように声を上げ、喜びの火花を散らす一方で、フェインは露骨に顔をしかめた。
「闇の精霊たちと仲間のふりをするなど、なんと下品な手口だ。しかし幻惑を生業とする月の精霊には、よく似合うやり方だな」
 小鳥はフェインのほうを振り向き、あからさまにうんざりした表情を浮かべた。
『……いたんですか、フェイン。あなたの方こそ、安全な場所からご高説を垂れることがお上手なことで』
「そうよ! ユミルは命をかけて奴らの懐に潜り込んでいるのよ!」
 ヴァルキラが牙を剥き出しにして低く唸り声を上げ周囲の空気が熱を帯びると、慌ててニコラスが一歩前に出て、両手を広げた。
「落ち着いてくれ、ヴァルキラ。今は内輪揉めをしている場合じゃない」
 ニコラスは小鳥へと視線を移した。
「ユミル、ドラゴン族と共闘することになった。そちらでは、何か異変は察知されているか?」
『えぇ。今、ヴォラクの眷属たちの間でもその話題でもちきりです。どうやら、南方の一派が制御を失い、各地で暴走を始めたようですね。彼らも決して一枚岩ではありません』
「そのようだな」
 もともと、精霊は誰かに隷属する存在ではない。
ヴォラクに従う者たちも、忠誠を誓っているわけではなく、ただその力に与ろうとする者、あるいは破壊に酔いしれたいだけの者にすぎない。
 精霊を従わせるには、等価の対価を差し出すか、あるいは契約によって縛るしかないのだ。
「ユミル。夜明けと同時に正門を開け。城の周囲に屯する連中を混乱させろ。我々はドラゴン族と合流し、正面から城へ突入する」
『かしこまりました、バーティミアス様』
 その返答と同時に、通信の魔法が解け、小鳥は羽音も残さず夜空へと飛び去った。
「あれが裏切っている可能性もありますよ」
 飛び去る小鳥を見やりながら、フェインが苦々しい顔で呟いた。
「ありえんな。ユミルは賢い。今、どちらにつくべきか、正しく見えているさ」
「つまり、我々が不利になれば、寝返る可能性もあると?」
 皮肉を含んだフェインの問いに、私はくつくつと笑った。
「そうはならないさ」
 そして、東の空が白み始めると同時に、咆哮とともに空を裂く影が現れた。翼を広げた竜たちが雲を押し分け、黒夜城へと向かって降下していく。正門が開いた瞬間、ユミルの幻惑魔法によって、警備兵たちは互いを敵と誤認し、殺し合いを始めた。
 飛び交う矢と悲鳴に敵襲を察知したヴォラクの眷属たちは、次々と悪霊や疫獣を召喚して迎え撃とうとしたが、炎を纏ったヴァルキラは押し寄せる悪霊たちを噛みちぎり、フェインとセリオスの率いる精霊たちもまた、結界と祝福の力で敵勢を次々と打ち破っていった。
 混沌とした戦場のただ中を、私とニコラスは突き進んだ。そして、ようやく辿り着いた玉座の間にて、我々は、ついに疫病王ヴォラクを討ち果たし、長き戦いに終止符を打ったのであった。
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