34 / 84
四.宮内さん再び
1
しおりを挟む
竜がひとたび宙を舞えば、雲が生じて嵐がくるというものだ。
だが、つねに空を舞っているのではない。ふだんは洞窟など人目につかぬ場所に潜み、身を横たえて翼を休めているものだ。
つまり働き過ぎはよくない。私とておなじだ。戦士とて剣を鞘に収め鎧を外すこともある――なにが言いたいかというと、休日の昼下がりに居間で横になりテレビを観る時間が素敵ということだ。
テレビの特番で、フランスのメドックマラソンなるものが取りあげられている。参加者は仮装してマラソンを走り、道中に設けられたポイントごとに地元のワインを飲んでツマミを喰らい、そしてまた走って、飲んで、走るそうだ。奇妙な格好をした酔っ払いが大量に蠢くという恐るべき行事だが、参加者はみなエンジョイしている。空や大地や景色や酒、さらには人生すらも愉しみながら、『いま』そこにある自由を満喫しているのだろう。
「変なマラソンだな」
「うん、変だねぇ」
若葉も頷き、皿の大学ポテトを楊枝で刺してひとつ頬張る。
「おいしいよね、これ」
「おいしいよな、これ」と私もひとつつまむ。
大学ポテトとは私の手作りスイーツだ。作り方はかんたんで、ざく切りにしたさつま芋を水にさらしてから油で揚げる。大学芋なら水と砂糖で作った飴にからめて黒胡麻をふって仕上げるが、大学ポテトはフライパンで少なめの飴と揚げた芋を炒り、バターを加えて焼き色と照りをつけ、最後にしょう油少々を垂らして仕上げる。べたつきが少なく、こんがりしたきつね色で外はサックリ、中はほっこりだ。味わいは大学芋とスイートポテトのいいとこどりといった感があるので大学ポテトと名づけた。
アツアツを頬張りながら、近頃ジロウに会っていないと気づいた。人相、いや河童相は厳ついが、あれで甘いものに目がないのだ。
ジロウの両親は、父が河童で母は人間だ。遠野物語を読み解けば、人と河童の子はむかしから居た。ずっと忌み嫌われる存在であり、捕らえられ殺されることもあったらしい。
だからジロウは身を隠す。隠せと親に教わった。母の血故か、ジロウは十分間程度なら人の姿に変化できる。頭の皿も隠れて水かきも消えるが、たったそれだけの能力で人間の社会に紛れることはできない。
テレビに映るご陽気なランナーたちとは違い、ジロウには自由な『いま』など一度として存在しなかった。つねに人目から逃れて生きてきた。
はじめて出逢ったのは私が小学生の頃だ。河原で水切りをして遊んでいたとき、投げた石が水中にいたジロウの皿を偶然直撃した。そして「ぐぇ」と呻いて「誰じゃぁ」と憤怒の河童が川面から顔をだしたのだ。
「やかましい、おまえこそ誰じゃあ」
すでに大物の片鱗が表れていた私は河童などに動じない。むしろ河童以上の怒りが湧いていた。皿に当たって沈んだのは芸術的なほど形のよい石であったからだ。私史上最高の石で、投げた感触からも凄まじい記録がでるという確信があったのだ。それをへんてこりんな頭に邪魔されたのだから怒りも当然だ。
ジロウはいきなり我に返ると、「いままで誰にもみつからなかったのに」と顔面蒼白になった。赤ら顔だがそのときばかりは青かった。
「泣いてんじゃねぇ。石返せ」
「……おめぇ、俺が怖くねえのか」
「怖えわけあるか。河童ぐらい居て当然だろが。それより石返せ」
「変わりもんだな、おめぇ。おっ母に聞いてた人間とは違う」
「おまえ、親や仲間もいるのか」
「親は死んだ、河童の仲間もいねぇ」ジロウは目を伏せ、嘴を戦慄かせた。
「ならば遊び相手になってやるから子分になれ」
「はあ? わけわからん。子分にはおめぇがなれ」
「生意気だな。遊びにきてやらんぞ」
「寂しいのは、もう嫌だ」
私はふんと鼻を鳴らした。
「とりあえず友達になってやる。遊びにもきてやろう。でも大きくなったらおまえが子分だぞ」
「考えておいてやる」とジロウが目元を拭って、笑った――。
「ふむ」
しぶしぶ起きあがった私は、大学ポテトをタッパーに詰めた。まったくもって面倒くさい。
妹は鼻歌交じりでノートに色鉛筆を走らせていた。イラストを描くことが好きなのだが、その絵はいつも私の眼を釘付けにする。
不思議と言えば魔訶不思議、味があると言えば濃厚すぎるほど味の濃いイラストが白いノートの上で産声をあげつづけている。素晴らしき画才、容赦なく前衛的、たぶんアート、うんぬんかんぬん。嗚呼、妹よ、妹よ――。
兄の口からなにも言えない。日本語には思いやりという素敵な言葉が存在する。
「お兄ちゃん、どこ行くの」
「ああ」と頭をかく。河原と言いかけたが思い直して「子分のところ」と答えた。
さて、久しぶりに相撲でもとってくるか。
だが、つねに空を舞っているのではない。ふだんは洞窟など人目につかぬ場所に潜み、身を横たえて翼を休めているものだ。
つまり働き過ぎはよくない。私とておなじだ。戦士とて剣を鞘に収め鎧を外すこともある――なにが言いたいかというと、休日の昼下がりに居間で横になりテレビを観る時間が素敵ということだ。
テレビの特番で、フランスのメドックマラソンなるものが取りあげられている。参加者は仮装してマラソンを走り、道中に設けられたポイントごとに地元のワインを飲んでツマミを喰らい、そしてまた走って、飲んで、走るそうだ。奇妙な格好をした酔っ払いが大量に蠢くという恐るべき行事だが、参加者はみなエンジョイしている。空や大地や景色や酒、さらには人生すらも愉しみながら、『いま』そこにある自由を満喫しているのだろう。
「変なマラソンだな」
「うん、変だねぇ」
若葉も頷き、皿の大学ポテトを楊枝で刺してひとつ頬張る。
「おいしいよね、これ」
「おいしいよな、これ」と私もひとつつまむ。
大学ポテトとは私の手作りスイーツだ。作り方はかんたんで、ざく切りにしたさつま芋を水にさらしてから油で揚げる。大学芋なら水と砂糖で作った飴にからめて黒胡麻をふって仕上げるが、大学ポテトはフライパンで少なめの飴と揚げた芋を炒り、バターを加えて焼き色と照りをつけ、最後にしょう油少々を垂らして仕上げる。べたつきが少なく、こんがりしたきつね色で外はサックリ、中はほっこりだ。味わいは大学芋とスイートポテトのいいとこどりといった感があるので大学ポテトと名づけた。
アツアツを頬張りながら、近頃ジロウに会っていないと気づいた。人相、いや河童相は厳ついが、あれで甘いものに目がないのだ。
ジロウの両親は、父が河童で母は人間だ。遠野物語を読み解けば、人と河童の子はむかしから居た。ずっと忌み嫌われる存在であり、捕らえられ殺されることもあったらしい。
だからジロウは身を隠す。隠せと親に教わった。母の血故か、ジロウは十分間程度なら人の姿に変化できる。頭の皿も隠れて水かきも消えるが、たったそれだけの能力で人間の社会に紛れることはできない。
テレビに映るご陽気なランナーたちとは違い、ジロウには自由な『いま』など一度として存在しなかった。つねに人目から逃れて生きてきた。
はじめて出逢ったのは私が小学生の頃だ。河原で水切りをして遊んでいたとき、投げた石が水中にいたジロウの皿を偶然直撃した。そして「ぐぇ」と呻いて「誰じゃぁ」と憤怒の河童が川面から顔をだしたのだ。
「やかましい、おまえこそ誰じゃあ」
すでに大物の片鱗が表れていた私は河童などに動じない。むしろ河童以上の怒りが湧いていた。皿に当たって沈んだのは芸術的なほど形のよい石であったからだ。私史上最高の石で、投げた感触からも凄まじい記録がでるという確信があったのだ。それをへんてこりんな頭に邪魔されたのだから怒りも当然だ。
ジロウはいきなり我に返ると、「いままで誰にもみつからなかったのに」と顔面蒼白になった。赤ら顔だがそのときばかりは青かった。
「泣いてんじゃねぇ。石返せ」
「……おめぇ、俺が怖くねえのか」
「怖えわけあるか。河童ぐらい居て当然だろが。それより石返せ」
「変わりもんだな、おめぇ。おっ母に聞いてた人間とは違う」
「おまえ、親や仲間もいるのか」
「親は死んだ、河童の仲間もいねぇ」ジロウは目を伏せ、嘴を戦慄かせた。
「ならば遊び相手になってやるから子分になれ」
「はあ? わけわからん。子分にはおめぇがなれ」
「生意気だな。遊びにきてやらんぞ」
「寂しいのは、もう嫌だ」
私はふんと鼻を鳴らした。
「とりあえず友達になってやる。遊びにもきてやろう。でも大きくなったらおまえが子分だぞ」
「考えておいてやる」とジロウが目元を拭って、笑った――。
「ふむ」
しぶしぶ起きあがった私は、大学ポテトをタッパーに詰めた。まったくもって面倒くさい。
妹は鼻歌交じりでノートに色鉛筆を走らせていた。イラストを描くことが好きなのだが、その絵はいつも私の眼を釘付けにする。
不思議と言えば魔訶不思議、味があると言えば濃厚すぎるほど味の濃いイラストが白いノートの上で産声をあげつづけている。素晴らしき画才、容赦なく前衛的、たぶんアート、うんぬんかんぬん。嗚呼、妹よ、妹よ――。
兄の口からなにも言えない。日本語には思いやりという素敵な言葉が存在する。
「お兄ちゃん、どこ行くの」
「ああ」と頭をかく。河原と言いかけたが思い直して「子分のところ」と答えた。
さて、久しぶりに相撲でもとってくるか。
0
あなたにおすすめの小説
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ブラックベリーの霊能学
猫宮乾
キャラ文芸
新南津市には、古くから名門とされる霊能力者の一族がいる。それが、玲瓏院一族で、その次男である大学生の僕(紬)は、「さすがは名だたる天才だ。除霊も完璧」と言われている、というお話。※周囲には天才霊能力者と誤解されている大学生の日常。
魔法百貨堂 〜よろず魔法承ります〜
ノムラユーリ(野村勇輔)
キャラ文芸
どこにでもありそうな昔ながらの古本屋。
その店内を奥へ進むと、やがてバラの咲き乱れる小さな中庭に出る。
バラの間を縫うように舗装された小さな道の先には古い日本家屋が建っており、その軒先の看板には達筆でこう書かれていた。
『魔法百貨堂』
これは、魔女とお客さんの物語。
【エブリスタ様 ほっこりファンタジー特集 選出】
【テラーノベル様 第3回テノコン 優秀賞 受賞】
*連作短編集*
*魔法百貨堂①*
*イラスト:麻mia様*
ラヴェンナ・ヴァラディ ~語れる司書の物語~
ほか
キャラ文芸
中央ヨーロッパのとある小国にある、世界一美しい図書館には風変わりなサービスがある。その名は”宅配司書”。一人の女性司書が、世界各国どこへでもかけつける。地球上のどこかで待つ、たった一人のための本のプレゼン――ブックトークを届けるために。
「英語圏の本ならなんでも」
「舞台化に適した原作本」
「寂しいとき、寄り添ってくれる一冊」
彼女はどんな依頼にも、選りすぐりの数冊を選び、物語のように一冊一冊を結び繋いで、あなたに紹介してくれる。
アウトサイダーと言われる人々が示す生き方。天才が持つ傷。孤独がくれるギフト。
社会の王道からあぶれてしまった人々へ紡ぐ、本の紹介。
書物たちの世界は奥深く、時に人生のひみつにたどり着いてしまうかもしれない――。
人生が息苦しく感じたことのあるあなたへ贈る、ビブリオ・トラベル・ロマン。
煙草屋さんと小説家
男鹿七海
キャラ文芸
※プラトニックな関係のBL要素を含む日常ものです。
商店街の片隅にある小さな煙草屋を営む霧弥。日々の暮らしは静かで穏やかだが、幼馴染であり売れっ子作家の龍二が店を訪れるたびに、心の奥はざわめく。幼馴染としてでも、客としてでもない――その存在は、言葉にできないほど特別だ。
ある日、龍二の周囲に仕事仲間の女性が現れ、霧弥は初めて嫉妬を自覚する。自分の感情を否定しようとしても、触れた手の温もりや視線の距離が、心を正直にさせる。日常の中で少しずつ近づく二人の距離は、言葉ではなく、ささやかな仕草や沈黙に宿る。
そして夜――霧弥の小さな煙草屋で、龍二は初めて自分の想いを口にし、霧弥は返事として告白する。互いの手の温もりと目の奥の真剣さが、これまで言葉にできなかった気持ちを伝える瞬間。静かな日常の向こうに、確かな愛が芽吹く。
小さな煙草屋に灯る、柔らかく温かな恋の物語。
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる