異形の郷に降る雨は

志ノ原新

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七.若葉のころ

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「とにかくおまえが余計なことを言うのが悪い」
 バイトのことについては以前から町中の大人に緘口令を敷いてある。それをバラしたとすれば、若葉がいつも立ち寄るコンビニの店長があやしいというのは当然の推理だ。
「いや、余計なことではないだろう」
 バカヤスが毅然として言いきった。なにやら生意気だ。
「そもそも若葉ちゃんから、兄貴が進学するときのことを訊いてきたんだ。兄妹だから知りたくなるのが人情だろう? もし俺が誤魔化しても他の誰かからきっと訊きだすと思ったんだ。特に年寄りたちは若葉ちゃんに甘いから絶対に口を割ったはずだ」
「む」
 なんだか理にかなったことを言いだしやがった。
「それにいま隠しとおせたとしても、若葉ちゃんが進学したあとで知ったらどうする? おめぇが自分で学費稼いで云々って話を知ったら最悪は休学を言い出すかもしれん。そういう娘だろうが」
「むーん」
「どっちにしろ、若葉ちゃんが大学へ進むまえに話しておかにゃあならんかったんだと思うぞ」
 バカヤスのくせに真っ当なことを言うから腹がたつ。だが赦そう。我が心の広さは琵琶湖をわずかに凌ぐほどだ。琵琶湖にいったことはないがきっとそんなものだろう。
「おまえのバイトのことを話したら、千秋ちゃんが横にいて、『お兄さん、スゴイね』って言ってた。そしたら若葉ちゃん、誇らし気っていうか嬉しそうにしてた」
「なあ…みんな、若葉が養子だってことは……」
「それは言わん。口が裂けたって言わん。それだけはみんなおんなじだ。若葉ちゃんが悲しい思いをするのは絶対に嫌だからな」
「そうか」
 最後のコーヒーをすする。雨はまだ止まないようだ。私はいつかこの雨を止ませなければならない。多雨野が晴れ渡るべき日がきっとくるからだ。
「しかし、真琴先生はすごいなあ。女手ひとつではおまえを育てるだけでも大変だったろうに、若葉ちゃんを養女にして子どもふたりになったんだから」
「父親のことはどう思う」
「ちち? えっと、どういう意味だ」
 質問自体が理解できない顔をしている。父親という言葉が葦原家とつながらないのだ。忘れているとか覚えていないという次元ではない。バカヤスたちの記憶のなかでは葦原家に父など存在していない。
「いや、なんでもない。しかし、おまえの家の親父さんはよく酒屋からコンビニへの転身を認めてくれたな」
「オヤジには頭があがんねえよ。借金もしたが、それ以外の金はほとんど親の世話になった。オヤジから受け継いだもののおかげでいまがある。その借りをちょっとずつ返している最中って感じだ。俺たちもいつか結婚して子どもができたら、子どもに多くのものを残してやれる親になりてえよな」
「そうだな」
 マヨイガシステムの前で私と自転車を降ろすと、バカヤスは何度かハンドルを切り返して走り去った。
「おかえり」
 いつのまにか宮内さんがいた。
「一本しかないから相合傘で帰ろか。傘持つんは背ぇ高い方に任せるわ」
 傘を受けとるときほんの少し手が触れた。
「郵便きてないか思うて、いま降りてきたところなんやわ。まあ、なかったんやけどな」
 そのわりには結構冷たい手だったように思う。よくみれば眼鏡も靴もずいぶん濡れている。
 天を裂くような雷鳴が響き、黒雲のなかに雷光がくっきりと筋を描いた。
「わ、あれ見て」
 宮内さんが指さす先にまた雷が奔った。その光がうねるなにかの影を浮かび上がらせた。
「あれ、竜やんな、絶対」
――竜。
手のひらに痛みが走った。無意識に強くこぶしを握り、爪をたててしまったのだ。
「ほんとうに竜でしょうか」
 また雲が雷を孕んで光り、影が浮かぶ。影は巨大な蛇のようであり、雲のなかを蠢いていた。
「ぜーったい、竜やて。やっぱ多雨野にもおるんや」
「そうですかねえ。見間違いじゃないですか」
「ウチが竜って言うたら竜なんや――」
 小さく腕を回したところ、たまたま互いの手の甲が触れた。宮内さんは「あっ」と小さく声を漏らし、口をつぐんだ。
また雷が鳴ったが、もう影は見えなかった。
なんだか私も口をつぐむ。雨はまだ止みそうにない。
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