異形の郷に降る雨は

志ノ原新

文字の大きさ
83 / 84
九.異形の郷に降る雨は

4

しおりを挟む
 スマホが震えた。手袋を外して画面の受話器マークをスライドさせると権現さんの声がした。
「おつかれさまです。こちらおにぎりもサイドも完売しました」
 Q市で営業をしていた二号車の権現さんだ。このバスより小型な販売車を英太とふたりで切り盛りしている。
「おつかれさまでした。気をつけて帰ってきてください」
 権現さんは火の元のチェックなども抜かりがないし、ほんとうにしっかりしていて安心できる。南部さんも英太には過ぎた嫁だといつも言っている。
 このまま三号車、四号車と増やしてビジネスを拡大し、ゆくゆくは多雨野に社屋を構えたい。若葉が大学を卒業する前に準備を整え、手伝ってもらうのが理想だ。そして多雨野の若者が働ける場所になれたのなら、他に何も言うことはない。
「雨が気持ちええなぁ」
 薄霧のように、目に見えぬほど細かく柔らかな雨が降りつづく。
「多雨野らしい雨です」
「ウチ、ここの雨は好きやで」
「私もです」
 周囲の緑は色鮮やかで、山々は静けさに満ちている。まるで雨のなかに眠っているかのようだ。遠野物語に描かれた世界の多くは失われてしまった。だが、この多雨野には河童も、経立も、天狗も、神隠しも、マヨイガも、座敷わらしも、ゴンゲンサマも、オクナイサマも、なにもかもが存在している――山の神だけはいまどこをふらついているのかわからないが。多雨野の雨はすべてを受け入れてくれる。
 追加のおにぎりを店先に運ぶと、二十人以上の行列ができていた。一番後ろに仏頂面さげたコータローの姿があった。目が合うとヤツはふいと横を向いて、手だけを振って返してくる。テンプレのツンデレだ。
「毎度ありがとうございます」
 軽やかな声に、ふと我が家に妹がきた日のことが思い出された。
 居間で寝転んでいた父が不意に顔をあげ、「お、きたようだ」と呟いた。外を見てこいと言われ、玄関を開けた。綿のような雪が降っていた。家のまえで、かわいらしい揺りかごのなかで赤子がおぎゃあおぎゃあと泣いていた。背中から「お前の妹だ」と父の声が聞こえた。
 わけがわからぬ私はただ戸惑った。赤子が泣きながら小さな手を指し延ばす。私はすこし躊躇い、その手を両手で包んだ。握れば潰れてしまいそうな頼りなき存在。それでいて小さな掌は驚くほど温かく、柔らかかった。まるで私のほうが包み込まれているような錯覚があった。赤子はぴたりと泣き止み、私を見て笑った。この世のすべてがとろけるような笑顔だった――。
「あ、お兄ちゃん、あの車ってそうじゃない」
 若葉の声に誘われ、我がオクナイサマも車の外にでてきた。
「お、ほんまや。きたきた」
「あらあらまあまあ」
「お兄ちゃんも手を振ってよ」
「ああ」こちらへ向かってくるテレビ局の車に手を振った。
 今日は『教えてケローッ』の撮影だ。八重樫アナから取材の申し込みを受けたときは思わず腰が浮いたものだ。事業の成功をはじめて実感できた瞬間だったかもしれない。
「あ、天狗おるやん」
 宮内さんが小声で袖を引く。たしかに少し離れた杉の天辺に天狗がいる。
「あいつ、山の神と多雨野をつなぐ役やねん」
「そうなんですか」
「ミズくんが多雨野に帰ってきた日からチェックしてたんやて。それからミズくんがやってきたことすべてを山の神に伝えてるみたい」
「ああ」
 そうか。あんたはすべてを押し付けて知らんふりをしていたわけではないのか。一応って程度だけど。
「ついでにもうひとつ。君が帰った日に晴れたのは山の神が竜神に頼んだかららしいで」
「それは知っています。腐っても神だからきっと強いんでしょうね」
「神様同士の場合はバトるんやなくて交渉で決まるらしいで。山の神は持てる力のすべてとそれこそ薄汚い手段を駆使したんやて。そらもう、脅したり宥めすかしたり、最終的にはエロい本も何冊か渡したらしいわ。竜神は熟女もんが好みなんやて」
 なんか、父親を見直しかけた自分を軽蔑した。あと竜神にも幻滅した。
「竜神が言うには、ミズくんはきっと一度外を見に出て力をつけたと確信できるまで帰らんやろう、って山の神が断言しとったらしいで。まあ、やっぱ親子やな」
「ふーん」
目を凝らして天狗を観察した。ファッションの細部まではわからぬが、黒地のTシャツに真っ赤な文字で一番とプリントしてある。
 肩をすくめた私の目に、車体に描かれたイラストが目に入った。ザッシーキが私に笑いかけている気がした。
なぜだろうか。いつもの不敵なザッシーキスマイルではなく、どこか優しげな微笑みにみえる。手に持っているのはホヤボールだけどな。
 柔かな雨音が多雨野を包んでいる。両手をかざして雨を手のひらに受けた。
 この郷に降る雨は、いつだって愛おしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブラックベリーの霊能学

猫宮乾
キャラ文芸
 新南津市には、古くから名門とされる霊能力者の一族がいる。それが、玲瓏院一族で、その次男である大学生の僕(紬)は、「さすがは名だたる天才だ。除霊も完璧」と言われている、というお話。※周囲には天才霊能力者と誤解されている大学生の日常。

魔法百貨堂 〜よろず魔法承ります〜

ノムラユーリ(野村勇輔)
キャラ文芸
どこにでもありそうな昔ながらの古本屋。 その店内を奥へ進むと、やがてバラの咲き乱れる小さな中庭に出る。 バラの間を縫うように舗装された小さな道の先には古い日本家屋が建っており、その軒先の看板には達筆でこう書かれていた。 『魔法百貨堂』 これは、魔女とお客さんの物語。 【エブリスタ様 ほっこりファンタジー特集 選出】 【テラーノベル様 第3回テノコン 優秀賞 受賞】 *連作短編集* *魔法百貨堂①* *イラスト:麻mia様*

ラヴェンナ・ヴァラディ ~語れる司書の物語~

ほか
キャラ文芸
中央ヨーロッパのとある小国にある、世界一美しい図書館には風変わりなサービスがある。その名は”宅配司書”。一人の女性司書が、世界各国どこへでもかけつける。地球上のどこかで待つ、たった一人のための本のプレゼン――ブックトークを届けるために。 「英語圏の本ならなんでも」 「舞台化に適した原作本」 「寂しいとき、寄り添ってくれる一冊」 彼女はどんな依頼にも、選りすぐりの数冊を選び、物語のように一冊一冊を結び繋いで、あなたに紹介してくれる。 アウトサイダーと言われる人々が示す生き方。天才が持つ傷。孤独がくれるギフト。 社会の王道からあぶれてしまった人々へ紡ぐ、本の紹介。 書物たちの世界は奥深く、時に人生のひみつにたどり着いてしまうかもしれない――。 人生が息苦しく感じたことのあるあなたへ贈る、ビブリオ・トラベル・ロマン。

煙草屋さんと小説家

男鹿七海
キャラ文芸
※プラトニックな関係のBL要素を含む日常ものです。 商店街の片隅にある小さな煙草屋を営む霧弥。日々の暮らしは静かで穏やかだが、幼馴染であり売れっ子作家の龍二が店を訪れるたびに、心の奥はざわめく。幼馴染としてでも、客としてでもない――その存在は、言葉にできないほど特別だ。 ある日、龍二の周囲に仕事仲間の女性が現れ、霧弥は初めて嫉妬を自覚する。自分の感情を否定しようとしても、触れた手の温もりや視線の距離が、心を正直にさせる。日常の中で少しずつ近づく二人の距離は、言葉ではなく、ささやかな仕草や沈黙に宿る。 そして夜――霧弥の小さな煙草屋で、龍二は初めて自分の想いを口にし、霧弥は返事として告白する。互いの手の温もりと目の奥の真剣さが、これまで言葉にできなかった気持ちを伝える瞬間。静かな日常の向こうに、確かな愛が芽吹く。 小さな煙草屋に灯る、柔らかく温かな恋の物語。

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

処理中です...