心を繋ぐ糸

越知 学

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心を繋ぐ糸

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 そのニュースは唐突に僕の目を引きつけた。
「本日未明、○○高校に在籍していた高橋友哉君16歳が、自室で首を吊った状態で発見されました。警察の調べによると死因は窒息死で、自殺であるとの見解で詳しい調査を進めています」
 その報道を聞いたとき、僕はその人がうらやましいと思った。
 ……深く息を吐く。なんて不謹慎な考えだ。自分の心を握りつぶしたい。
 死ぬことに抵抗があるわけではない。しかし、死ねずにいる。
 そんな馬鹿馬鹿しい状況にいる僕にとって、そのニュースは心の糸を絡ませていくように思えた。

 僕の学校生活は作り笑いから始まる。いつも通り当たり障りのない会話をする。
 基本自分からは話さない。いや、正確には話せない。
 相手の笑い声に合わせて自分も笑う。相手の話のタイミングを見計らって相づちを打つ。
 これが相手を不快にさせないようにと身につけた、自分なりのコミュニケーション。今までこのスキルのおかげで、努力しなくても周りに人が集まっていた。
 しかし、このスキルには問題があった。それは、一定以上の関係には至らないことだ。相手にとって僕は大勢の中の一人であり、一人の友人が僕でないといけない理由はどこにもない。
 そりゃそうだ。自分から壁を作っておいて、特別に思ってほしいなんて虫が良すぎる。
 ーー特別。
 誰かにとっての特別。
 僕にとって特別って何だろう。
 自分が分からないという感覚が、僕の壁をより一層手の届かない高さへとしていく。

 ある日、いつもと変わらない無機質な笑顔で話していると、隣の席から「宿題忘れちゃったから見してくれない?」という声が聞こえた。
 彼は山下君。同じクラスで隣の席ということもあり、最も早く知人になった人物だ。彼は僕が喋らなくても話をすぐに振ってくれる。僕にとってはありがたい存在である。
 「OK。分からないとこあったらいってね」
 皺一つないプリントを手渡しながら、テンプレートの返答をする。
 「ありがとう。相変わらず優しいね」
 その言葉は僕が普段最も投げかけられる言葉であり、その度に心の糸が絡まっていくような感覚に落ちる言葉である。
 優しいわけではない。ただ断れないだけ…。
 そんなことは言うはずもなく、僕は「おう」とだけ言い、そんな心を悟られないように、行くあてもなく廊下に向かった。

 その日のお昼、僕は山下君から昼食に誘われた。山下君は普段、昼休みのチャイムとともにすぐに教室から出てしまうので、その誘いには少し驚いた。
 素直にうれしい気持ちと、どこか緊張する気持ちが交差している僕は、軽くうなずいた。
 普段は一人飯の僕にとって、無造作に並べられた机がいつもより華やかに見えた。
「いただきます」
 それぞれその言葉を言い、合掌した後、僕は弁当を開け、彼はパンの袋をパリっと開けた。
 相変わらず彼は真っ先に話題を振ってくれたが、その声色はいつもより低く、恐る恐るとしたものだった。
「今日、宿題見せてくれたの何かまずかった?」
 ーー鋭い。
 僕が席を立つ時にわずかに見せた不穏な空気を察したらしい。
 必死にぼろが出ないように隠していたつもりだったが、もしかしたら気づく人は気づくのかもしれない。
 「いや?別に?そんな雰囲気出てた?」
 僕はそれを悟られないよう、必死に作った笑顔で言った。
「そう?それならいいけど…」
 彼はそれ以上は何もふれず、「ってかさー」といつもの声色で4限の授業の愚痴を言い始めた。僕もそれに合わせて、精一杯の明るい声で彼の言葉に反応した。

 たまに思う。僕はなんて生きづらい性格をしているのだと。
 課題に通常の3倍以上の時間がかかり、苦しみながら取り組む僕の姿を見て、親は優しく言ってくれた。
「完璧なんてないんだから、肩の力を抜いて6割ぐらいの気持ちでやったら?」
 だけどほどほどが分からない僕にはそれが分からない。常に100%を目指してきた僕にとって最低限というラインなんて分かるわけないじゃないか。
 ーーただ周りの期待に応えたいだけ。
 学校の先生は授業中にこんなことを言っていた。
「貧しい子どもがたくさんいる中、君たちは恵まれた環境にいる。そのことを考えれば学べる君たちは十分幸せだ」
 僕だって代われるものなら代わってあげたい。僕よりも命を大切にできる人に長く生きていてほしい。
 ーーそんな結論に至る自分が情けなく、憎い。
 ある情報番組の評論家はこういった。
「楽もあれば苦もある。人生はそのバランスで成り立っている」
 僕にも楽しいと思えることはある。しかし、苦しい部分が存在する限り、本当の癒しは得られている気がしない。
 ーー苦しいは楽しいを凌駕する。
 どの言葉も僕には響かない。
 届いてはいる。理解もできる。だが受け入れられない。
 そんな僕はおかしいのだろうか。
 誰にも聞けない。話せない。
 僕は自らが出した糸で縛り付けられ、身動きが取れないような気持ちになった。

 蝉の声がいっそう暑さを強めるような季節に、柄にもなく僕は昼休みを睡眠に費やした。それはここのところ夢ばかり見て、熟睡してないからだと思う。
 僕が起きたのはチャイムが鳴ったからではない。隣の山下君から体を揺さぶられたからだ。
 夢か現実か分からないような状態で目覚めた僕は、軽く彼にお礼を言った。
「……大丈夫?」
 彼は腫れものに触るかのような声で言った。
「昼の20分睡眠はいいらしいからね」
 僕は心配をかけまいと茶化すように笑って返す。
 少しの沈黙が過ぎた後、
「…今日の放課後、数学で教えてほしいことがあるんだけど、いい?」
 彼はどことなく申し訳なさそうに言った。
 5限までまだ時間はある。今ではダメなのかと少し疑問に思ったが、相手を不快にさせないように快く「いいよ」と僕は答えた。
「ありがとう」
 彼はどこか重苦しい雰囲気を漂わせながらぼそっと言った。

 約束の放課後。思えば誰かと放課後に約束をするのは初めてだ。
 彼は教室に誰もいないことを何度も確認し、僕に正面から向き合った。そして授業中に発言するような真面目な態度で語り始めた。
「実は俺、親友を自殺で亡くしているんだ……。俺にひと言もなく独りで……。
 高橋友哉っていうんだけどさ、高校が違くって……それでも連絡は取り合っていたんだ……。
 あの時、何も言ってなかったのに……。学校は楽しいって言ってたのに……。
 ーー俺、何もできなかった。本心ひとつ聞けやしなかった。あいつが一番苦しんでいるときに、傍にいてやることすらできなかった。
 ……もう、あんなのはこりごりなんだ。
 苦しい時に力になってやれない俺でいるのは嫌なんだ。
 ひとりで苦しんでいるときに独りじゃねえって言えない、言う機会すら掴み取れない自分はもう嫌なんだ。
 ーーもう誰も、自分の大切な人を取り零したくーー失くしたくないんだ」
 生きていてほしいんだ。
 と、彼は言った。
 ……彼は涙目になっていた。零れ落ちそうなそれを必死に堪えながら僕の目を見ていた。
 …なぜ今そんな話を?それに高橋友哉ってーー
 いつか僕がうらやましいと思った高校生。
 自ら死を選択した同世代。
 僕はそっと視線を地面に落とした。彼を直視できなかった。
 彼はひと呼吸あけた後、誰もいない教室であるにも関わらず、僕にしか聞こえない声で言った。
「……俺、聞いたんだ。君が寝言で『死にたい』と言ってたの。涙を流すわけでもなく『死にたい』って言ってたのを…」
 僕は唖然とした。今まで作り上げてきた砂の城が、一瞬で波に呑まれるような感覚を覚えた。
 彼は続けた。
「君の想いを聞かせてほしい」
 トットッ……。
 誰かが「壁」を登る音がした。
 僕は無意識に何かをごまかすような表情で彼に言った。
「実は僕、テストが死ぬほど嫌いでさ。ほら、来週期末試験があるだろ?それを考えると憂鬱でね……」
「…それが君の本心?」
 トットットットッ……。
 その音はゆっくりと着実に上方へ向かっている。
 本心?
 僕は確かに本当のことを言った。テストは僕を苦しめるものの一つだ。
 だけど、違う。もっとこう……深いところ。
「本心だよ?実は今日寝ていたのもそれが理由だよ」
 彼は何かを言いかけ、口を閉じた。
 しばらく沈黙が続いた。
 僕は何も言わなかった。否、言えなかった。ただ必死に相手の機嫌を伺うのみだ。
 先に静寂を破ったのは彼だった。先ほどよりもやわらかい口調で話を進める。
「俺は本当の意味で君を助けることはできないかもしれない。だけど……理解者にはなれる……と思う。もっと君を知りたい」
 パシッ。
 厚く高い壁に一つの影が現れた。
 知りたい?僕さえよく分かっていない僕を……?
 気づけば僕の表情から笑顔が消えていた。
 涙を見せるわけでもなく、ただ淡々と、考えるよりも先に僕は語り始めた。
「苦しいことはきっとみんなもしたくないと思っていて、それでも頑張って乗り越えようとしているのに自分はその頑張りの源がないから進めない。
 この先今の苦しいことよりももっときついことが絶対あって、今でさえ躓いている自分にそれを乗り越えられるとはとても思えない。
 頑張れない自分を客観的に見て何言ってんのって思うし、そんなの甘えだと思う」
 それは、今まで誰にも言えなかったこと。
「本当に自分は脆くて弱い。
 逃げてたってやらないといけないことは変わらないし、後々自分の首を絞めるだけだからやればいいのに、手につかない。
 目をそらしたときは、頑張れそうな気がするけど、いざ苦しいことを目の前にすると怖気づいてしまう。
 全部駄目だったら放り出せばいいと考えて、その場で頑張れる時もあるけど、それも通用しない時がある」
 それは、ずっと心の深くに閉じ込めていたこと。
「死にたいというよりは生きたくない。
 そんなことを考えている自分が許せない。
 こんなことを考えてる時間をもっと有効に使えよって思う。
 もう………生きたいと思えない」
 それは、自分でさえよくわかっていないこと。
 ーー彼は最後まで聞き終えると、少し安堵したような表情を見せた。
 静かな時間が流れる。
 その後、僕の目の奥を見るようにして言った。
「人の感情って何だろうね。人の心は目に見えないし、掴みどころはなく曖昧で、でも確かにそこに宿ってる。
 …俺も自分のことをすべて理解できてるとは思わない。
 きっと自分の心っていうのは誰かに投影して初めて、客観的に見つめることができるんだと思う。
 だから無理に自分だけで自分の心を見ようとする必要はない。
 俺は君が見た自分自身の心を言葉にしてくれてよかったと思うよ」
 ドスッ。
 今まで誰も踏み入れなかった領域に、彼はいた。
 心にがんじがらめに絡まっていた糸の結び目が、一本、また一本とほつれていく。
 ーーそうか。
 僕が求めていたもの。欲していたもの。
 それは肯定でも否定でもない。
 ただ、自分の考えや思いを誰かに聞いてほしかったんだ。
 それらの糸はやがて僕のかけがえのない想いとなり、心に真っ直ぐ繋がっていった。

 僕の壁は今も健在である。これからも厚く高い壁は僕の前に立ち塞がっているだろう。
 彼は僕の壁を壊したわけではない。乗り越えてきたのだ。
 …それはきっと容易なことではなかったと思う。
 気づける優しさ。
 亡くした先の後悔。
 一歩踏み出す勇気。
 ……僕は彼のその想いに応えたい。
 今はまだ無理でも…。
 いつの日か見てみたいと思う。
 僕の知らない向こう側の景色をーー
 彼が気づかせてくれた心とともに。
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