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16.サウィン祭⑥ - 友人
しおりを挟む『聖なる炎よ。萬の禍事罪穢を清め給え。我々に康寧を与え給え──』
古い時代の言葉でロデリックが祝詞を紡ぎ始める。それと同時に、杖から大きな炎が生まれ、彼を中心にして6つの篝火が灯された。
ロデリックの炎は澄んだ紫色だ。学園中に灯された篝火とは比較にならないくらい大きな炎がメラメラと燃え盛っている。
偉大なる魔法士の炎は美しかった。しかし底知れない恐ろしさを併せ持っていた。綺麗だと思うのに、同時に底冷えするような恐怖心を感じる。
そう思っていたのは俺だけではない。周囲にいた生徒も同様にロデリックの炎を目にして息を飲んでいた。魔法を扱う者なら本能的にわかる、自分との圧倒的な力量差。それを察して身体が勝手に戦慄してしまうのだ。
『──夏の終焉と冬の到来をここに祝おう。聖なる炎よ。願わくば我らと共に栄えあらんことを』
ロデリックの杖が天に向けられる。
すると6つの篝火がより一層大きさを増して徐々に天へと伸びていく。やがて地上を離れ炎は浮かび上がり、上へ上へとどこまでも昇っていった。そのまま空中で渦巻きながら1つの大きな炎となり、雲を突き抜け、月に至り、そしてその先へと向かう。
満月であることなどまるで関係ないように、儀式は何事もなく終わった。やはり148年前に行われたサウィン祭で生徒が消えたというのはただの作り話だったのだろうか。
炎が消えていった空をぼんやりと見上げる。
少しばかり雲が出ているが、晴れているので星空がよく見える。もう冬の星が出始めていて、天文学に関して浅学な俺でも判別できる星座がいくつかあった。
そしてなによりも目立つのが南中した満月である。
銀色に光る真ん丸の月を見て、俺はふと狼男であるトパーズのことを思い出した。そして思考を振り切るように小さく頭を振った。あの変わり者とは関わりたくない。もう二度と。
儀式が終わると見学していた生徒や職員は次々と寮へ戻っていく。何せもう日付は変わっているし、1日中サウィン祭を楽しんで皆疲れている。俺も同じく心身ともに疲弊していた。
さっさと寮に戻って眠ってしまいたい気持ちもあるが、この美しい星空をもう少し見つめていたい気持ちもある。いや、星空を見つめていたいというより、今は何も考えていたくないという方が正しいかもしれない。
無意識に俺はポケットにしまい込んでいた懐中時計を取り出し、冷え切った手で優しく握り込んだ。少しずつ懐中時計に体温が移っていくのが、またどうしようもなく俺を虚しい気持ちにさせた。
少し前にロデリックに告げられた言葉が、ぐるぐると頭の中を駆けずり回っている。
何を信じても、何に縋っても、どれだけ手を尽くしても、どうしようもならないことがある。ホワイトからの誘いもあってようやく前向きになり始めた矢先に、俺は己の無力さを思い知らされたのだ。
冬の始まりを告げる鐘がどこかで鳴っているのを聞きながら、しばらく夜風にあたっていた。
──✂︎──
寮に戻ったのは日付が変わってから2時間近く経過した頃だった。
とっくに眠っていると思っていたルベルは、意外にも起きて俺の帰寮を待っていた。ソファに横たわりながら、今にも寝てしまいそうな表情でこちらを見る。
「遅かったなー。探してもいないし、儀式終わって戻ってきたら寮にもいなかったから心配したぞ」
「……ああ、心配かけたな。お前はずっとトパーズと一緒にいたのか?」
「いや? ジェイがいなくなった後すぐに別れたよ。やっぱアイツちょっと怖いし、ジェイに嫌なことしたからな」
ルベルはわざとらしく腕を組んで頬を膨らませた。俺は怒ってるぞ、というアピールだ。
それを見てひどく安堵した。そんな自分に少しだけ呆れた。
今日はなんだか色々あったせいで感情が揺らぎがちになっている。もっと冷静に、もっといつも通りに振る舞わなければならない。
本でも読もうと思ったが、いざ開いてみると気が進まず、膝の上に置いたまま放置することになった。結局することが思いつかなくてソファに沈み込む。
「……キャンドル、売れたのか?」
「うん。全部売れた。マカもちゃんと買いに来たぜ。3本も買っていった」
マカの名前を聞いて、またしても彼が話していた言い伝えを思い出した。
満月の晩に行われたサウィン祭と、消えた一人の生徒。
そもそもそんな言い伝えは信じていないし、例え真実だとしても今年の儀式は恙なく行われたので心配することは何もない。
そのはずだ。
「そういや部屋に置く用に1本取っておいたんだ。今灯してもいいか?」
「好きにしろ」
ルベルは窓枠に1本の蜜蝋のキャンドルを置いた。
魔法で小さな火を灯すと、仄かな甘い香りが部屋に漂い始める。
蜜蝋には古代から清浄作用があると言われている。
恐らくその所以は蜜蝋が高い抗菌性を持つからだが、蜜蜂が花の蜜から作った自然な物質であるという点も関係しているのだろう。
一般的に魔法士は自然を好み、科学を嫌う。魔法というものがそもそも自然エネルギーや自然の中に棲む精霊から生まれたという考えが主流なので、本能的に自然に近しいものを好むようにできているのかもしれない。
日付もとうに変わった時間帯だが、考え事をしているうちに妙に目が冴えてきてしまった。儀式の前に仮眠をとったこともあって、まだしばらく眠れそうにない。
早寝早起きを習慣にしているルベルはどうなんだとふと窓側を見ると、そこには真剣な表情をしたルベルが窓枠に寄りかかってこちらを見ていた。不意に目が合って、なんとなく逸らせない。
数秒見つめ合ってから、先に口を開いたのはルベルだった。
「ジェイって不器用だよな」
「……なんだよ急に」
ルベルは窓の外に広がる星空を見上げながら話し始めた。
「スキンシップとか苦手だろ? 世間話くらいなら平気だけど深入りされるのは嫌いで、あと気まぐれで天邪鬼」
「よくわかってるじゃねえか」
いきなり何を言い出すのかと思いきや、ルベルは俺について語り出した。
思うところはありつつ思い当たる節があるので、それほど強く言い返したりはしなかった。それに、ルベルの本当に言いたいことはまた別にあると察したからだ。
蜜蝋の柔らかな香りが部屋に満ちていく。
「でもさー、ジェイって世話焼きな方だよな。年下とか困ってる奴とか放っておけないタイプ。それに意外と繊細で寂しがり屋。俺はそう思ってる。お前はいい奴だよ」
「…………」
「だからさ、ジェイがなんか思い詰めてんなら、俺は一緒に背負ってやりたいんだ。そしたら少しはジェイの気持ちが軽くなるんじゃねーかな、と思ってさ」
少しばかり沈黙が流れる。
普段は沈黙を苦としない俺たちだが、今日ばかりはなんだか気まずいような感じがした。
ルベルは、俺が大きな隠し事をしていることに気付いている。
俺があまりにも疲れた顔をしているので、耐えきれず声をかけてきたに違いない。隠しきれない自分を不甲斐なく思う。
大きな隠し事──それはルクスのことであり、自分自身のことでもある。
2年以上共同生活を続けていれば、お互いの触れてはいけないラインというものがわかってくる。
ルベルは今、あえてその境界線に足を踏み入れようとしているのだと思う。
直接隠し事を打ち明けてくれ、とは言わないのが彼の優しさだ。きっと隠したままでいても責めたりしない。
ルベルならきっと言葉通り一緒に背負ってくれる。苦しみを分かち合って、一緒に苦しんでくれる。
俺はそれを十分に理解していた。
理解しているからこそ、無関係の者に話すべきではないと理性が必死に訴えていた。俺を悩ませている本質は俺自身ではなく弟のルクスに関わることで、加えてかなりデリケートな内容だ。絶対に第三者であるルベルに言うべきではない。頭ではそうわかっている。
でも、澄んだエメラルドグリーンの瞳があまりにも優しく自分を見つめるから。
気付いた時にはもう止められなかった。これは、俺がルベルに初めて見せた弱みでもあった。
「少しだけ真面目な話をしていいか」
「おう」
身体をソファに沈み込ませたまま、目元を腕で隠す。
「ルクスは今、体調不良で休学扱いになっているが……実は、天使の祝福を受けたんだ。そしてその対価が命に関わることだと、大魔女に予言を受けた」
「! ルクスが……?」
「ロデリックの死眠りの魔法でなんとか進行を妨げているが、それもいつまで効力があるかわからない」
「ロデリックって、……学長だよな?」
「ああ。父親がロデリックと親しいから、その繋がりでな」
ルクスのことを聞いて、ルベルは暫くの間黙っていた。
言葉を失っていたと言い換えても間違いではなかった。
俺は数刻前、ロデリックに同様のことを伝えられた。
ルベルと同じく言葉は出なかったが、存外冷静に受け止めることができた自分は冷たい人間なのだろうか。
それともずっと前から覚悟はしていたからこそ、受け止めることができたのだろうか。
その答えは俺自身もわからない。
ロデリックは、予知能力を持つと言われている占い師ラナの協力を得て、つい先日ルクスの対価を突き止めたという。
占い師ラナはロデリックと同じくS級魔法士であり、大魔女と呼ばれる偉大な人物でもある。
──曰く、占いによってルクスに関する凶兆を二つ提示されたという。
一つは、ルクスが魔法界を揺るがすほどの異質な魔力を与えられたということ。
そしてもう一つは、ルクスが20歳までしか生きられないということ。
そこらの占い師ならまだしも、S級のお墨付きを与えられた予知視の能力を持つ大魔女の予言だ。
結果は覆しようのないものだということを示唆していた。それに、彼女の占いは外れたことがないことで有名だ。
数分後に式典が迫っているものだから、ロデリックの説明は至って簡潔だった。それゆえに鈍い反応しか返せなかったのかもしれない。
土の匂い。頬を掠めていく冬になりかけの冷たい風。俺の二の腕を慰めるように撫でるロデリックの手の感触が、もうすでに薄れてきている。
ともかくルクスは寿命──彼の残りの人生の大半を奪われたのだ。
これほど残酷なことがあるだろうか。俺の18年足らずの人生の中では、これ以上の仕打ちをまだ知らない。
ルクスについては、別に緘口令を敷かれている訳ではない。
暗黙の了解により、ごく僅かな関係者を除いてルクスのことを口外しないという取り決めがなんとなくあっただけだ。それを破ったとて罰される訳でもなければそも罪でもないのだが、俺は後ろめたい気持ちに苛まれていた。
ルベルに事情を話したのは、誰のためでもなく、言うなれば自分のためだ。
彼の優しさにつけ込んで、自分が楽になりたいからつい話してしまった。なんて軽率なのだろうと自己嫌悪の感情が生まれてくる。
そんな俺の気持ちを知っているのか知らないでいるのか、ルベルは眉を下げて笑みを浮かべた。慈愛すら感じる表情だった。
「なぁジェイ、話してくれてありがとな」
「……なんでお前が礼を言うんだよ」
「えー? いや、だって……そういう話するの結構勇気いるだろ? だから、ありがとな」
ふと窓の方を見ると、夜空に赤毛が溶けて混じっていた。ルベルの背後で不自然なほどの輝きを放つ満月が、その時ばかりは何故だか怖くて仕方なかった。
俺はほとんど無意識にルベルへと手を伸ばしかけた。月に拐われる。馬鹿馬鹿しいことだが、一瞬、そう思ったのだ。
すぐ我に返って姿勢を直す。星月を見ていたルベルはそれに気付かなかった。
本当はずっと誰かに話すことで楽になりたかったのかもしれない。一人で抱え込むということが、自分が思うよりもずっとストレスだったことに今更気付いた。
……いや、ルベルに気付かされた。
悔しいが、人の機微を感じ取るのはルベルの方が上手だ。やはり下に弟妹が多くいるからだろうか。俺にだってルクスという弟がいるが、ルベルのように振る舞うことはできそうになかった。
俺が思うよりもずっと、ルベルは人のことを見ている。
「……そろそろ窓閉めてくれ」
「あー、ごめん。寒かったよな」
それもあるけれど、もう満月を視界に入れたくなかったのが本音だった。
マカの話を信じている訳ではないが、なんだか不吉に思えてきたのだ。
俺は誰も失いたくないだけだ。大切な家族も、友人も、ただ無事でいてほしいだけなのにどうしてこうも上手くいかないのだろう。
やるせない思いを燻らせたままようやくベッドに沈み込む。
今日は疲れた。色々あったし、ルクスのことや、それをルベルに話したこと……とにかく疲れた。深夜の3時近くになってようやく眠気も出てきたことだし、さっさと寝てしまいたい。
毛布を頭から被ってその中で身体を丸くする。そろそろ毛布だけでは寒くなってきたから、部屋の暖房の準備をしなくてはならない。
俺はゆっくりと眠りに落ちた。傍らに置かれたディオスの懐中時計だけが、変わらず、変わろうともせず、ただただ時を刻んでいた。
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