夜に滲むはきみのまぼろし

浦見晴

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14.サウィン祭④ - 愛の蜜

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 まずい、これは、かなりまずい。
 俺は己が食べたクッキーの効能をいち早く察していた。
 少しずつ身体が熱くなっていく感覚と、気を抜けば思考を乗っ取られそうになる酩酊感。悪質なイタズラ魔法が仕込まれている。俺が特に嫌っているタイプの魔法。

 口元を押さえながら勢いよく立ち上がる。そのままカフェを出ようと足を踏み出した途端に、ガクンと身体が傾いた。

「おや、どこへ行くんだい? スタンリーくん」

 トパーズの大きな手が俺の手首をがっちりと掴んでいた。狼男は人の形をとっている時でも身体能力は人間族より遥かに高い。大型の獣人族には劣るが、それでも俺よりはよっぽどフィジカルが強い。
 軽く引っ張られるだけでそのままトパーズの隣に吸い込まれるように座ってしまい、古傷だらけの手が首にそっと当てられる。それを振り払う余裕もない。

「少し体温が上がっているね。それに脈も早くなっている。変身魔法ではなさそうだが……もしかしてまだ十分に効果が出ていないのかな?」
「ちょ、ちょっと落ち着けよトパーズ! ジェイ、体調悪いのか?」

 ルベルは口元を押さえたまま俯く俺を心配そうに見ながら、どうすればよいのかとオロオロする。
 対するトパーズは、興奮したように息を荒くして俺を観察していた。俺がこれからどうなるのか気になって仕方ないのだ。クッキーに仕込まれた魔法薬が効き始めるのを今か今かと待っている。
 しかし何とかクッキーを飲み込まないようにしていた俺についに痺れを切らして、トパーズは俺の顔を掴んで上を向かせた。そして無理やり嚥下させる。

「教えてくれスタンリーくん! 君は何を〝引いた〟んだい!?」

 ああ、駄目だ、駄目なのに。
 クッキーを飲み込むと同時に、ふわりと花が咲くように俺の肉体から何か見えないものが溢れ出すような感覚。
 努力むなしく、マジカルクッキーに仕込まれていた魔法薬がついに本領を発揮し始めたのだ。

 すると、周囲に座っていた生徒が弾かれたようにこちらに注目した。
 同じくジェイの隣に座っていたトパーズが勢いよく立ち上がり、その拍子にガタンと大きな音を立てて椅子が倒れる。

「す、素晴らしい、この匂い……! 間違いない! 愛の蜜だ!! やはり君は持っているよ、スタンリーくん!」

 愛の蜜──ラグニアという花の蜜のことを一般的にそう呼ぶ。
 ラグニアはロストルム南部の一部地域にのみ咲く小さな花だ。咲く期間は8月から9月にかけての約1ヶ月間だけ。さらに標高が高い山岳地帯にのみ群生するので、採取のためには本格的な登山が必要である。
 当然花の蜜は1年間で僅かな量しか採れない。しかしその蜜の効力はたった一滴でも凄まじく、そして何よりも蜜の効能が問題だった。

 それというのも、ラグニアの蜜には、フェロモンの分泌を活性化させる成分が含まれているのだ。
 一般的にフェロモンは、動物のメスがオスを誘引したり、性的な興奮を誘発させるために分泌する。
 ここで問題なのが、遺伝的に魔力を持つ種族──魔族も同様にフェロモンを持つことである。
 つまり俺は今、発情を誘発させるフェロモンを周囲に撒き散らしている状態にある。

 人間はフェロモン腺もフェロモン受容器もないからフェロモンを分泌しないし、それを知覚することすらできない。
 しかし今は魔法薬によって強制的にフェロモンを引き出されている。人間である俺が。
 そんなことあるのか?
 あるから、こうなっているんだろうが。

 特殊な状況でフェロモンを分泌しているせいか、頭と身体がだんだん熱を帯びてくる。
 その熱の奥にある性的な衝動に流されてしまわないよう、俺は必死に自分を保とうと思考を巡らせていた。

 ここでさらに不都合なことがある。
 ラグニアの蜜はその効力が強すぎるために、大抵は香水などにごく微量の蜜を混ぜて使用することが多い。
 ところが俺は蜜入りのジャムクッキーをそのまま食べてしまった。経口摂取したことにより、従来よりも強く効果が出ていることは明らかだった。
 そして真横にいたトパーズや近くに座っていた魔族の生徒にとって、そのフェロモンは劇薬も同然だった。カフェ内が徐々にざわつき始める。

「あっ! ジェイ!」
「スタンリーくんッ!?」

 堪らず立ち上がり、カフェを飛び出す。
 このまま留まっていてはいつ誰に何をされるかわからない。何よりもトパーズから一刻も早く離れる必要があった。
 しかしカフェを出たところで、イベント中の学園内には普段よりも多くの生徒がそこら中にひしめいている。

 魔法でなんとかならないかと考えを巡らせるも、魔法薬のせいで魔力を上手くコントロールできなくなっているのか、先程から魔法を使おうとしているのになぜか発動しない。
 本来なら目眩しの魔法を使ってこの状況を切り抜けていたところだが、魔法が使えなくては俺はただのひ弱な人間だ。魔族に敵う訳がない。

 とにかく早足でカフェが入っている中央棟から外に出よう画策する。寮、図書館、あるいは植物園。一人になれそうな場所ならどこでもよかった。
 しかし現実はそう甘くない。廊下には数多くの生徒が行き交っていて、出口まで辿り着く間にフェロモンを知覚した生徒に捕まらない自信がなかった。背後からはトパーズとルベルが追いかけてきたのか自分を呼ぶ声がする。
 いよいよ立ち続けるのも難しくなってきて、後ろによろめいた時だった。

「スタンリー?」
「っ、あ、………」

 俺の背を支えながら声をかけたのは、厳格・堅物で有名な教授ホワイト・エディーンだった。

 甘やかな匂いを纏った俺を見てホワイトは眉根を寄せた。
 それと同時に、瞬時に非常事態であることを悟ったらしいホワイトは、俺の背を押しながらそのまま近くの教室に向かった。小声で聞こえてきた呪文の詠唱。扉を開けて、気付いた時にはホワイトの研究室にいた。

 ホワイトは扉繋ぎの魔法を使ったのだ。
 扉という媒介を通じて、空間と空間を繋ぐ高度な魔法である。A級魔法士昇格試験の課題魔法の一つだが、これほどスムーズに扉繋ぎの魔法を使える者はそう多くないだろう。

 室内のソファに導かれたが、座っていることができずにくたりと横向きに倒れ込む。そして熱い身体を抑え込むように身を縮めた。
 歯を噛み締めて目を強く瞑る俺の近くに膝をつき、ホワイトはいつもと変わらない冷たい声色で俺に声をかける。

「状況を話すのも難しいか?」
「ッいや、……」

 杖を振ってさりげなくホワイトが中和の魔法を試みるが、魔法と魔法薬では仕様が異なるためになかなか症状を緩和することができない。発熱と、それに伴う頭痛で今にも頭が割れそうだ。
 俺は譫言を言うみたいに辿々しい口調でなんとか状況を説明した。

「メレルにもらったクッキーを食べたら、身体がおかしくなった……ッ俺だけじゃなくて周りも、なんか変に……」
「メレルが毎年やっているアレか。なら効果はそう長くあるまい。ここで休んでいくといい」
「……一昨年は、っ効果が2時間くらい続いて、……」
「………」

 ホワイトは呆れて言葉を失った。
 「メレルめ…」という独り言からして、俺に呆れたのではなくメレルに呆れたのだ。

 ホワイトは一旦部屋を出ていった。
 それから向かったのは隣の研究室だ。ホワイトの隣室は、オズワルド・シベリウスの部屋である。

「な、なん、なんですか一体!? ノックと同時に入ってこないでくださいよ! わ、わ私は今日一日ひ、人に会う予定なんてないんだ!!」
「来い」
「ヤ……イヤッ! ヤダッ!! ど、どこに連れて行くんですか!? イヤーーッ!! 私をこ、こ、殺すつもりですか!?」

 壁越しに聞こえてくる大声。
 なぜ教員職に就いているのかわからないが、こと魔法薬関連においてはこの男を頼るのが最適解。誰もがそう思うだろう。俺もそう思う。

 ホワイトは喚くオズワルドを問答無用で自室に連れてきた。
 そしてソファに力なく横たわる俺のもとへ引きずって、ようやく掴んでいた襟首を離す。

「な、ど、どうしたんですか、この匂い!? 」
「メレルの魔法薬入りクッキーを食べて妙なことになっている。恐らくラグニアだろうが、貴様の知見も借りたい」
「えぇ? は? ど、ど、どゆこと……?」

 ホワイトはマーメイドの血を引いているが、その血はかなり薄れているため五感が特別優れているというわけではないらしい。嗅覚も人間よりは鋭いものの他の魔族よりはいくらか鈍い。だから大して対策を取らなくても平気で立っていられる。

 対するオズワルドは純血の妖精族であり、目や耳、そして鼻の感覚が他の種族よりも優れている。当然ホワイトよりもフェロモンの影響を受けやすい。
 オズワルドは慌てて鼻をだぼついた白衣の袖で覆いながら、さらに嗅覚を麻痺させる魔法を自身にかけた。フェロモン受容体を麻痺させた訳ではないので完全にフェロモンが効かなくなったわけではないが、匂いを遮断するだけでも効果はかなり抑えられる。
 レアな魔法を見られるいい機会だというのにろくに目も開けられない。五感を麻痺させる魔法なんて結構レアだぞ。なのに、何をしているんだ俺は。

「し、失礼しますよ……」
 
 横たわる俺の傍らに膝をついて、オズワルドが恐る恐る視診と触診を始める。
 そう、あれだけ騒いでおいてなお原因がラグニアの蜜であるという確証はまだない。もしかしたら類似した他の素材が使われている可能性もある。
 ふと、オズワルドは自身にかけた魔法を一瞬だけ解いて俺の首元に鼻を寄せた。そして強烈なフェロモンを直に知覚した途端、顔を真っ赤にしたオズワルドは弾かれたように飛び上がってホワイトの足元まで転がってきた。

「ワッ!!! ワ、ワァァ……ワ……ッ」
「何をしている」
「し、仕方ないでしょう!? ちゃんと嗅いでみないとよくわからないんだから……!」

 性フェロモンの分泌を促す成分を持つ植物はラグニア以外にもある。ラグニアとそれ以外を区別する最も簡単な方法は、フェロモンが濃い部分の匂いを嗅ぎ分けることだ。ラグニアの蜜が原因でフェロモンを発しているのであれば、甘い匂いの中に微かにローレルに似た匂いがする。
 ただ、区別する方法自体は簡単とはいえ、オズワルドのように鼻のいい種族でないとその匂いを嗅ぎ分けるのは不可能である。獣人族のように野生動物に近い特性を持つ者であれぼ、もっと簡単に嗅ぎ分けることができる。
 いずれにせよ、ホワイトにはできない芸当だった。だからオズワルドを引っ張ってきたのだろう。

 オズワルドは慌てて麻痺魔法をかけ直し、それからわなわなと身体を震わせて口を開く。

「メ、メレルの奴……蠱惑の妙薬なんていう面倒なものをつ、つ、作りやがって……!」
「貴様でも今すぐ解毒薬を調合するのは不可能か?」
「そ、そんっ、そんな訳ないでしょうが!! 私を馬鹿にしているのか!!? 秒で作ってやりますよ!!」

 顔を青くしたり赤くしたりしながら、オズワルドは自室に戻っていった。

 オズワルドはコミュニケーション能力こそ絶望的なものの、魔法薬の調合の手際とクオリティだけは右に出る者がいないほどの実力者だ。優れた五感と器用な手先でどんな魔法薬でも短時間で生成することができる。そして薬草学を中心に現代医療にも精通している。

 それから15分ほど経っただろうか。
 俺をなんとか楽にしてやれないかとホワイトが試行錯誤していた頃、オズワルドが慌ただしい足取りで研究室に入ってくる。ろくにノックをしないのはお互い様らしい。

「ほら、で、できましたよ! これでいいんでしょ、これで……」
「ご苦労。感謝する」

 オズワルドから解毒薬の入った試験管を受け取ったホワイトが、力なく横たわる俺の上半身を起こして抱き込むようにして支える。
 されるがまま、力の入っていない身体をその腕に任せる。案外逞しい腕だった。ホワイトとて魔族だ。人間とは基礎身体能力が違うので、体重を任せてもそれほど負担ではないらしかった。

「スタンリー、口を開けなさい」

 半ば意識朦朧としている俺の口をこじ開けて、ホワイトは解毒薬を口内に流し込んでくる。
 熱い舌の上に、さらに熱いどろりとした液体が広がる。その苦味に思わず戻しそうになるが、なんとかすべて飲み込んだ。
 熱に浮かされた頭と身体はまだそのままだが、その奥にあった性を匂わせる感覚は消えたような気がする。
 数十秒もしないうちにフェロモンの分泌もかなり落ち着いたようで、ホワイトが試しに知覚を遮断する魔法を解いてみても問題なかった。オズワルドは相変わらず鼻と口を覆って、さらに嗅覚を麻痺させる魔法を継続させていた。

「……悪いが、もう少しだけ、ここで休んでいってもいいか」
「構わない。私は所用があるので留守にする。鍵のことは気にしなくていいから、好きなだけ居ればいい」
「ありがとう。心遣い感謝する」

 崩れた姿勢のまま、ホワイトに礼を言った。
 彼に見つけてもらわなければ、今頃どうなっていたかもわからない。彼は自分の秘密を知る数少ない人物でもあるし、スカラー制度を受けるために支援を尽くしてくれる人でもある。また一つホワイトに借りができた。
 距離をとって部屋の隅に立っていたオズワルドにも視線をやって、俺はふと声をかけた。

「オズワルドもありがとう」
「えっ、あっ、いや……わ、私は別に……」

 オズワルドがいなければ、この苦しみは下手したら2時間か、あるいはそれ以上続いていたかもしれない。日頃材料集めなどの些細な手伝いはしているが、何か恩返しをしなければ。
 やがてホワイトはオズワルドの首根っこを掴んで部屋を出ていった。所用があるというのは嘘ではないのだろうが、俺を一人にしてやりたかったのだろう。なんとなくそう思えた。

 二人が出て行った後、大きな溜息を吐きながらまたずるずると革張りのソファに沈み込む。
 トパーズはどうでもいいとして、ルベルに何も言わずに出てきてしまった。カフェで騒ぎを起こしかけたから、ニコールにも迷惑をかけたかもしれない。
 元凶はトパーズ(とメレル)であるが、自分の不注意もよくなかった。そのせいでホワイトとオズワルドに手を煩わせた。

 成長したいのに、自分一人で何でもできるようになりたいのに、俺は結局周囲に迷惑をかけてばかりだ。自分に嫌気が差す。
 本日何度目かの溜息。革張りのソファに体温がすっかり移った頃、ようやくラグニアの蜜による頭と身体の熱が冷めたのだった。


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