トゥナの手作りの国

藍条森也

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二章

二つのはじまり(2)

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 こうしてキオはトゥナと一緒に野恵農場で暮らすことになった。プロの格闘家には敵わないとは言え、やはりロボット。一般人に比べればよほど力はある。
 女性であるトゥナにはひとつ六〇キロの米俵を運ぶのはキツかったが、キオなら簡単だった。体重一〇〇キロに達する出荷適期のブタを捕まえるのはトゥナには無理だったが、キオにはできた。その他、機材の運搬、柵の付け替え、畝の整備など、力仕事全般にキオはとても役立ってくれた。そのたびにトゥナは無邪気に喜んだ。
 「すごい、すごい。さすがロボット。頼りになるわ」
 拍手しながら屈託のない笑顔でそう言うトゥナに、キオは胸をドキドキさせた。こんなことは初めてだった。誰かの役に立って喜ばれるなんて。ずっとずっと役立たず呼ばわりされていたのに……。
 徐々に日は過ぎていき、キオが野恵農場にきてから一年がたった。
 キオもすっかり田畑や動物たちの世話に慣れ、頼もしいパートナーになっていた。とくに、医師としての役割を担ってくれたのは心強かった。ロボットであるだけに日々の動物たちの様子を常に記録し、比較することで、病気の兆候にいち早く気付けた。気付けば即座に検索して対処法を調べることができた。もちろん、そんなことは脳に機械を埋め込んで機能拡張した人間にもできることだ。しかし、完全天然ものであるトゥナにはできない。同じことをやろうと思えば、いちいち携帯端末を操作して手間と時間を掛けて調べなくてはならない。それをほとんど全自動でやってくれるキオの存在は本当にありがたいものだった。
 そんななかでキオが一番、驚いたのは給料が支払われたことだった。はじめて給料を渡されたとき、キオは目をパチクリさせて雇い主を見たものだ。
 「給料? おれに? 何で?」
 言われて今度はトゥナが目をパチクリさせた。
 「何でって当たり前でしょう。あなたはうちの従業員なんだから給料を支払うのが当然じゃない」
 「でも、おれはロボットだ」
 「だから何? ロボットだってお金は必要でしょう。とくにあなたは服も必要だし、趣味を楽しむにもお金はいるでしょう」
 「趣味なんてないし……」
 「じゃあ、作れば? せっかく心をもって生まれたのに、楽しみひとつないなんてもったいないわよ」
 言われてキオは支給された給料をマジマジと見つめた。受け取りはした――と言うか、強引に渡された――ものの結局、何に使えばいいのかわからず、そのまま貯金してある。
 人手が増えたこともあって一度は手放したウシやブタも再び飼うことができるようになった。少しずつだけと野恵農場は往年の賑わいを取り戻しつつあるように見えた。
 「さあ、今日も元気にがんばろう!」
 トゥナの朝は速い。日も昇らないうちから目を覚まし、眠気覚しに熱いシャワーを浴びて作業着に着替え、ハチミツ入りのミルクを飲んで気合いを入れる。掛け声とともに、庭であり、幼い頃からの遊び場であり、職場でもある畑へと乗り出していく。
 ウシやヒツジ、ブタ、ニワトリ……。農場の動物たちに食事を運び、作物の様子を見て、話しかけ、世話をする。そして、収穫。野菜は日に当たると栄養成分が壊れてしまうので日の出前に収穫して出荷する必要がある。自然細工師の工房があった頃は職人たちにいつでも自由に食べてもらい、かわりに家賃収入を得ることで暮らしていけた。しかし、工房が解散してしまったいまでは毎日まいにち収穫して出荷しないと収入にならない。
 手間はかかるけど、苦にはならない。トゥナは自分の育てた作物の味には自信があった。ひとりでも多くの人に食べてもらいたいと思っていた。自分の作った野菜を食べて『おいしい!』と言ってくれる人がいる。そう思うと夜明け前の収穫作業にも辛さなど感じなかった。
 明かりを付けて野菜たちの眠りを――植物だって眠るのだ――を妨げるわけには行かないので暗視ゴーグルを付けての作業である。その点、キオはやはり便利で、人工眼球に暗視ゴーグルの機能も付いているのでわざわざゴーグルを付ける必要はない。
 「やっぱり、ロボットは便利ね。うらやましいわ」
 「トゥナだって機能拡張すればいいじゃないか。ちょっと装置を埋め込むだけで暗視ゴーグルなんていらなくなる」
 「ん~、それはわかってるんだどね。やっぱり、おばあちゃんの影響かなあ。生体強化ってどうにも抵抗があって」
 「いまどき、めずらしい人だよな」
 「まあね。筋金入りのナチュラリストだったから」
 作物を一つひとつ手で触り、匂いを嗅ぎ、五感すべてを使って健康状態を確かめる。古い葉があればすぐに切り取り、若さと健康を保つ。病気に冒された葉があれば広まらないよう焼き捨てる。農薬も、バイオハッキングで作られた防除用生物も使わない。昔ながらの自然そのままの栽培法である。
 野恵農場の作物はどれも、祖母が自分の手で交配させ、長い年月を掛けて生み出してきた独自の品種だった。DNAを組み換えて作りあげた品種はひとつもない。
 『バイテクを使えばもっと早く、確実に、望む品種を作れるのに』
 トゥナがそう言うと、祖母は烈火のごとく怒ったものだった。
 『ふざけるんじゃないよ! 野菜ってのは積み木じゃないんだ! DNAを切り貼りすればいいものができるってもんじゃないんだよ。その土地、その土地の気候風土にもまれ、自然に適応して生まれた品種こそが最高なんだ』
 それが祖母の信条だった。トゥナもその信条を受け継ぎ、いまだに完全天然ものにこだわっている。
 キオがコソコソと畑を離れようとした。途端にトゥナの鋭い声がした。
 「ちょっと! どこ行くのよ。まだ作業の途中よ」
 「エネルギーの補充」
 「また? まだ働きはじめたばっかりじゃない」
 「もう、片方のエネルギーボンベが空なんだ」
 「ってことは、もう片方のエネルギーボンベは満タンってことでしょ。あと数時間は動けるじゃない。収穫を終わらせて、出荷して、帰ってきてから交換しても充分、間に合うわよ」
 「数時間しか、だ。おれはエネルギーが切れたら一歩も動けなくなるんだ。腹が減っても動ける人間とはちがう。エネルギー残量には常に気を使っておかないと……」
 トゥナはあまりにいじましいその言い分にため息をついた。エネルギー切れを起こして捨てられていた身。それを思えば気にするのはわかるけど、いまはもうそんな心配ないんだし、そこまで神経質にならなくてもいいじゃない……。
 「はいはい、わかったわよ。早くしてよね」
 「わかってるよ」
 言われてキオはそそくさとその場をはなれた。言われなくてもそうしていたけど。
 ロボットのエネルギーボンベの位置はタイプによって異なるがキオの場合、両足の太股部分に一本ずつセットしてある。自分で取り替えられるよう二本にわけられているのだ。二本共に満タンだった場合、行動内容にもよるが八時間から一二時間ほど活動できる。つまり、片方だけでも四時間から六時間ぐらいは動けるわけで、あわてて交換する必要はない。しかし、キオは片方が空になったらすぐに交換することにしている。動けなくなって放置されるのはもうゴメンだった。
 収穫した野菜を町のスーパーに運び、担当に手渡す。スーパーのなかには農場ごとに区画があり、委託販売することができる。収穫物を届け、前日の売り上げから手数料を引いた代金と売れ残りの作物を受け取る。売れ残りは農場の動物たちの食事となるので無駄になるわけではない。
 売れ行きはそこそこで安定している。贅沢ができると言うほどではないが、ひとりと一体が不自由なく暮らしていくには充分だ。
 もともと、水も食料もエネルギーも自給しているので生活費はほとんどかからない。かかる費用と言えば洋服代ぐらい。本を読んだり、映画を見たりはネットでいくらでも無料でできるので金はかからない。
 実は、いま一番、費用がかかっているのはキオのメンテナンス代だったりする。〝心を持つ〟ロボットは作りが繊細なので故障もしやすく、こまかいメンテナンスが欠かせないのだ。これもまた宇宙や深海といった過酷な環境での作業に向かない理由だった。
 とは言え、野恵農場でのキオの働きを考えれば充分に支払う価値のあるものだったし、メンテナンス代を支払ってもかつかつというわけでもない。年に一度や二度はちょっとしたバカンスを楽しめる程度の余裕はある。
 と言っても、従業員は自分を含めてふたりしかいないし、キオはエネルギー切ればかりを気にして遠出したがらないので、出かけたことなどなかったけど。
 「そろそろ、誰かを雇って交代で休めるようにした方がいいわよね」
 トゥナが言うとキオはあわてて反対した。
 「そんな必要ないだろう。人手はおれと君で充分、足りてるじゃないか」
 「でも、休みが取れないのはやっぱり、辛いでしょう?」
 農業で一番いいのは上司がいないこと。一番辛いのは休みが取れないこと。
 昔からそう言われている。その辛さをなくすために複数の農場を共同管理し、交代で休みを取るのが普通だ。
 「でも、君は野恵農場を賑やかな場所にしたいんだろう? だったら、余計な金は使わずに将来の資金として貯めておいたがいい」
 「まあ、それはそうなんだけどね」
 「そうだよ、そうしよう。人手が必要ならおれが働くからさ」
 「そう? じゃあ、とりあえずはふたりでがんばろうか」
 「ああ、そうだ。それがいい」
 作物の引き渡しを終えた後、ネットをチェックしてため息をつく。ずっと新しい店子を募集しているというのにいまだに誰も応募してこない。
 「やっぱり、競争が激しいからなあ。いまはどこもいい店子を集めようと必死だから。ただでさえ町から離れた森のなかの農場じゃ条件が悪いし。と言って、あんまり家賃を安くするとやっていけないし……」
 「無理に店子を入れる必要なんてないだろう。普通に作物を売って暮らしていけてるじゃないか」
 そう言われてトゥナはちょっとふくれっ面になった。
 「何よ、さっきと言ってることがちがうじゃない。『将来のために貯めておけ』なんて言ったくせに」
 「そ、そうだけど……」
 「ねえ、キオ。あなたは野恵農場をどんな場所にしたい? あたしとしてはいままで誰も見たことのないようなすごい場所にしたいんだけど」
 「おれは別に……。君の決めることだし」
 「やっぱり、漠然としすぎかなあ。もっとハッキリ、テーマを決めて、そのテーマに合った相手を探すべきよね。よし! もっとハッキリ、キッチリ、未来像を突き詰めよう! 野恵農場の未来を描くのよ!」
 トゥナはそう言って大きくガッツポーズをした。キオが不安そうな表情を浮かべていることには……気がつかなかった。
 農場に戻ってようやく朝食。絞りたてのミルクをなみなみとグラスに注ぎ、自慢の野菜を刻んでサラダを作る。そして、分厚く切ったブタの肉をフライパンでじゅうじゅう焼きあげる。朝からステーキ? そう思う人は多いがハードな農場の仕事をこなすにはこれぐらいの食事が必要なのだ。
 できたてのステーキを、ケーキを頬張る小さい女の子のような笑顔で口にする。
 「う~ん、おいしい」
 思わずほっぺたが落ちそうになる。やっぱり、自分で育てた肉は味わいがちがう。
 人工培養された肉をいくらでも食べられる時代だが、生きて動いていた動物の肉に対するファンはやはり根強く存在している。トゥナもそのひとりだった。それにはやはり、祖母の影響が大きい。
 『この世の生命はすべて、他の生命をいただいて生きているんだよ。そうすることでつながりあい、ひとつの生命が次の生命へと受け継がれていくんだ。それが自然の摂理ってものだよ』
 それが、祖母の信条だった。
 キオは食卓には着いていない。食事のときにはキオはいつも席を外す。もちろん、ロボットであるキオには人間の食料など必要ない。トゥナにしても相手が何も食べないのに自分だけパクつくのも気が引けるので、いない方が助かる。とは言え、ひとりきりの食事というのもやはり、寂しい。以前は祖母がいたし、お客さんと一緒に食べることも多かったのに……。
 「……早く、昔の賑わいを取り戻さなくっちゃね」
 そう思う。そこで、ふと思った。キオは食欲というものは感じないのだろうか? 確かに、ロボットならものを食べる必要はない。しかし、キオは〝心を持つ〟ロボットだ。人間と同じ心をもつなら食欲もあるのではないか。と言うより、ないとおかしい。しかし、キオはものは食べられない。食欲はあるのに食べられない。それはもしかして、ものすごく残酷なことではないだろうか?
 トゥナは思わず考え込んだ。そして、さらなる疑問に突き当たった。
 「そう言えば……キオって性欲はあるわけ?」
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