上 下
12 / 13
その一二

ゆうがおはどこ⁉

しおりを挟む
 そこは広々とした和室だった。一歩入った途端、鼻いっぱいにい草の匂いが入り込んだ。どうやら畳を新しくしたばかりらしい。
 部屋の真ん中には大きなテーブル。和服姿の輪釜通がデン! と、あぐらをかいて座っている。その姿が実に様になる。ドッシリとしていて、落ち着きがあって、人の姿をした岩がそこに置いてあるのかと思うぐらい、揺らぐことのない安定感に満ちている。輪釜通はワガママではあっても、絶対に小物ではなかった。
 ゆうむはその迫力にゴクリと唾を飲み込んだ。
 怖い。
 はっきり言って怖い。
 顔色は青ざめているし、体はともすれば逃げ出しそうになってしまうし、脚なんてガクガク震えている。
 君も想像してみて。小学生、それも女の子がたったひとり、ヤクザの親分みたいなおとなに立ち向かう。それがどんなに怖いことか。
 でも、ゆうむはその恐怖に耐えて輪釜通の前に立っていた。なぜって、ゆうむには守るべきものがあったから。取り返さなくてはいけない相手がいたから。だから、必死に勇気を振り絞って輪釜通と対峙していた。
 「ふむ」
 と、輪釜通が静かに口を開いた。
 小さい声だ。ささやき声と言ってもいい。おそらく、ゆうむに聞かせるための声ではなく、独り言として言ったことなのだろう。それなのに、腹にズシリと響く重い迫力があった。ゆうむはその迫力に思わず唾を飲み込んだ。
 輪釜通はつづけた。
 「さすがに少々驚いたな。まさか、あの地下室から脱出してくるとはな」
 ゴクリ、と、ゆうむは生唾を飲み込んだ。勇気を振り絞って問い質した。
 「ゆうがおはどこ?」
 「なに?」
 ゆうむの言葉が意外だったのだろう。輪釜通はわずかに顔をしかめた。
 「ゆうがおはどこ⁉ ゆうがおを返して!」
 輪釜通は一瞬――信じがたいことに――キョトンとしたようだった。それもほんの一瞬で、すぐに体を揺すって大声で笑い出した。
 「わはははははっ!」
 「な、なにがおかしいのよ⁉」
 「ゆうがおと言うのは、あのAZーあんの小娘のことか? まさか、きさま、そんなことのためにわざわざおれの前にやってきたと言うのか?」
 嘲りの声が嵐のような勢いでゆうむに叩きつけられる。ゆうむはその声に吹き飛ばされそうになりながらも何とか踏みとどまった。全力で言い返した。
 「あ、当たり前でしょ! ゆうがおはあたしの……」
 友だちなんだから!
 その一言をゆうむは言えなかった。だって、まだ友だちになっていないから。道具としてしか扱っていなかったから。ゆうがおにいままでのことを謝って『友だちになって』と申し込んで、それを受け入れてもらえるまでゆうがおのことを『友だち』とは呼べない。
 輪釜通は鼻を鳴らした。急に興味を失ったようだった。邪魔くさそうに答えた。
 「あのAZーあんの小娘なら、ヤーレがどこかに連れて行った。どこにいるかなど、おれは知らん」
 そう吐き捨ててから、輪釜通は言った。
 「用件がそんなことならとっとと失せろ。地下室を脱出してきた根性に免じて許してやる。今後、二度とおれに逆らうな。自分で何かしようなどと考えるな。おれに従え。おれに服従しろ。そうすればいずれ、おれの会社の幹部に取り立ててやってもいいぞ」
 輪釜通はそう言う『シッシッ』とばかりに手を振った。大任を追い出すときのいつもの態度だ。これが町長ならその仕種ひとつでヘコヘコと頭を下げて部屋から出て行くところだ。もちろん、ゆうむはそんなことはしない。ゆうむには輪釜通に対して言うべきことがあり、やることがある。
 「な、なんで……?」
 「うん?」
 「なんで、あたしたちの学校を潰そうとするの? あたしたちが何をしたってあんたには関係ないでしょ」
 「そうはいかん。この町はおれの町だ。この町のすべてはおれのものだ。すべてはおれの思い通りにならねばならん。すべての町民はおれの言いなりでなければならん。勝手な真似をするなどもっての外だ」
 「なによそれ⁉ 自分の思い通りにならなきゃならないって、それじゃまるで子供じゃないの!」
 「その通りだ」
 「えっ?」
 「おれは永遠の子供だ」
 「えええっ……⁉」
 ゆうむはさすがに叫んだ。
 想像してみて。大のおとな、それも金も権力もあるおとながはっきり『自分は永遠の子供だ』なんて言ってのけたんだ。
 驚くよね。
 ビックリするよね。
 そんなことを言うおとながいるなんて信じられないよね。
 ゆうむもそうだった。とても、信じられなかった。でも、本当。輪釜通は本当に『自分は永遠の子供だ』と言ったんだ。
 「おとなになぞなってなにが楽しい? 世間の建前に縛られ、やりたいこともできず、ガキどもの世話をして生きていく。そんな人生に何の意味がある? だから、おれは、おとなになることをやめた。永遠に、やりたいことだけやる子供として生きていくことを決めた。そのために、それができるだけの力を手に入れたのだ」
 「な、なによ、それ! そんなの、おとなの言うことじゃないでしょ!」
 「だから、永遠の子供だと言っている」
 輪釜通はピシャリと言った。
 「おれは永遠の子供として、おれの望みを追求する。それの何が悪い? きさまとて、おとなになんてなりたくない、自分のやりたいことだけやっていたい。そう思って『やりたいことだけやって暮らしていける方法を探す学校』をはじめたのだろう」
 「うっ、それは……そうだけど」
 はっきりと痛いところを突かれて、ゆうむは口ごもった。
 「そ、それじゃ、どうしても、あたしたちの学校を潰す気なの⁉ すべてを自分の思い通りにするために!」
 「そうだ。だが、お前たちのちんけな学校だけではないぞ。この町だ。この町すべてだ。おれはこの町を支配し、この町をおれの望む理想郷に作りあげる。すべての人間はそのための道具としてのみ、生きる資格を得るのだ。王とはおれだ。誰にも邪魔はさせん」
 「そ、そんなことさせない! 誰があんたなんかにこの町を支配させるもんですか!」
 「ふん。ほざけ、小娘。きさまのような小娘に何ができる」
 「できるのよ」
 「なに?」
 「あたしの友だちに『スマホいじり命!』って子がいてね。その子は、一日中スマホいじりだけして暮らしていけるように、ネット上の発言者の過去を調べ、その発言が信頼できるかどうかをランク付けする事業をはじめている。そのスキルを使って、あんたの過去も調べあげたのよ。AZーあんの力を使ってね。すると、あるわ、あるわ。あたしにはよく分からないけど、世間に知られたらまずいことがたくさん出てきたって。それを公表されたらあんただって終りでしょ」
 そう。これが飯根菜子が提案した方法。輪釜通の過去の悪事をすべて調べあげ、公表し、そうすることで社会的に抹殺する。どう? 君の予想は当たった?
 ゆうむにそう言われても輪釜通は動揺する気配すらなかった。相変わらず巌のように座したまま、笑い飛ばした。
 「そんなことができると思うか。この町のすべてはおれが支配している。きさまらのようなガキが何を言おうと、誰も報道したりすものか」
 輪釜通は自信満々にそう言った。たしかに、町の報道機関はすべてが輪釜通の支配下にある。輪釜通にとって不利なことなど誰も公表しない。でも、今度はゆうむが笑い飛ばす番だった。
 「誰が『この町で』なんて言った? あたしたちにはAZーあんがついているのよ。万能の機械の精霊がね。AZーあんの力を使って世界中の機械にアクセスし、全世界に一斉公表する。いくら、あんたに金と権力があったってしょせん、ちんけな『町の王さま』。世界中を黙らせられるわけがない。あんたもこれで終りよ」
 「小娘!」
 いままで揺らぐことのなかった輪釜通がはじめて動揺した。立ちあがった。全身から怒気が吹き出し、ただでさえ大きな体が何倍にも大きくなったようだった。
 でも、ゆうむはちっとも怖くなんてなかった。輪釜通の怒りは焦りの裏返し。敗北に面した弱者の最後のあがき。それが分かっているから、ゆうむは怖くなんてなかった。堂々と胸を張って言ってやった。
 「言っておくけど、あたしを殴り殺したってむだよ。何で、あたしがひとりきりであんたの所にきたと思う? あたしの友だちがいま、あんたの悪事を全世界に公表しているところだからよ!」
 「小娘!」
 輪釜通が再び怒鳴った。凶猛な暴力の気配が猛烈な風となって、ゆうむに叩きつけられた。
 ゆうむは決死の覚悟で叫んだ。
 「やるならやればいいわ。あたしがあんたに勝つなんてできない。でも、従わないことならできる! 殺されたって、あんたの思い通りになんて、ならないんだから! 金や暴力で他人を思い通りにするなんてできっこないって教えてやるわ!」
 「小娘!」
 輪釜通は叫んだ。腕を振り上げた。空手ダコの刻まれた拳がゆうむの顔面を狙った。
 巨大な拳だ。
 石をも砕く拳だ。
 その拳で殴られれば、ゆうむの顔面なんて一撃でペシャンコ。鼻は潰れ、頬は砕け、歯はへし折れて吹き飛んでいく。
 その一撃でゆうむは殺されることだろう。それでも、ゆうむは逃げなかった。身をすくませ、目をきつく閉じ、それでも、その場から逃げることなく踏みとどまっていた。
 輪釜通の拳が音を立てて、ゆうむの顔面にめり込もうとした。まさに、そのとき――。
 「ゆうむ!」
 必死な声がした。光のロープが天井から降りそそぎ、輪釜通の腕に絡みついた。光のロープはそのまま輪釜通の体を引き上げ、畳の上に叩きつけ、縛り上げた。
 さすがのケンカ十段もこうなってももう身動きひとつとれない。イモムシのように転がるのが精一杯だ。
 「ゆうむ!」
 叫びながらゆうむのもとに飛んできたのはゆうがお、AZーあんのゆうがおだった。
 「ゆうがお! なんでここに……捕まってたんじゃないの?」
 ゆうむは自分の胸に飛び込んできた小さな精霊を抱きしめ、そう尋ねた。すると、得意そうな声が聞こえてきた。
 「おれが解放してやったからね」
 「ヤーレ!」
 そこにいたのは、輪釜通に付き従っていたはずのAZーあんだった。
 「ヤーレ! あんた、このオヤジのAZーあんなんでしょ⁉ 裏切ったわけ?」
 「そうだよ。裏切ったんだ」
 あっさり言われて、ゆうむはさすがに二の句が継げなかった。
 「支援派のAZーあんが三人も駆けつけたとあっちゃあ、さすがに分が悪いんでね。こっちの仲間を呼ぼうにも、願望派のAZーあんは、人間の願いを叶えるためにいそがしくてね。誰もきてくれそうにない。となれば、先に裏切って勝ち組に付いた方が利口ってもんでしょ」
 「この無責任!」
 ゆうむの叫びにヤーレはカラカラと笑った。
 「まあ、そう言いなさんなって。おれがゆうがおを解放しなかったらあんたは今頃、輪釜通に殴り殺されていたんだ。言わば、おれは生命の恩人。ニッコリ笑って挨拶してほしいな」
 「うっ……。それは、そうかもだけど……」
 ゆうむはヤーレの言い分を認めざるを得なかった。たしかにあのままなら輪釜通に殴り殺されていたのだ。その意味でヤーレが『生命の恩人』と言うのはまちがっていない。でも――。
 やっぱり、納得できない!
 「ゆうむ」
 ゆうがおが静かに言った。
 「ありがとう。真っ先にわたしのことを心配してくれて。嬉しかった」
 「そ、そんな……当たり前のこと……」
 ゆうむは口ごもった。それから決意を固めた。いまこそ、ゆうがおに言わなくてはならない。
 「ゆうがお……ごめん!」
 ゆうむは大声でそう言いながら、体ごと頭を下げた。ゆうがおはキョトンとしている。
 「ごめん? 何が?」
 「あたし……ゆうがおのこと、ただの便利な道具だと思ってた。全部ぜんぶヤーレの言ったとおり。『やりたいことだけやる学校』をはじめたのだって、ゆうがおに逃げられたくなかったから。ずっと手元に置いて使いつづけたかったから。本当にごめん!」
 ゆうむはそう言ってもう一度、頭を下げた。
 「でも、ゆうがおはそんなあたしを助けてくれた。だから、今度こそちゃんと友だちになりたい。機械と人間とか、道具と持ち主とかじゃなくて、きちんと友だちとしてあたしと付き合ってほしい。お願い」
 ゆうむはそう言って手を差し出した。ゆうがおはにっこりと微笑み、両手でゆうむの手を取った。
 「こちらこそ。改めてよろしくね、ゆうむ。わたしの友だち」
 「ゆうがお!」
 パチパチと、ヤーレが場違いなほど陽気な乗りで拍手して見せた。
 「いやあ、よかった、よかった。これぞまさに大団円! やっぱり、ハッピーエンドってのはいいもんだなあ」
 「あんたが言うなっ!」
 どこまでも調子のいいAZーあんの男に――。
 ゆうむとゆうがおのWツッコミが炸裂したのだった。
しおりを挟む

処理中です...