人々は、その海賊をただ〝鬼〟と呼んだ

藍条森也

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第二話

月に向かって飛べ

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 「完成したら見に来るぜ。おめえ、よ」
 その背に大刀たいとうを背負い、ニヤリと野太い笑みを浮かべる巨漢の男。その男のことをラルカは一日たりと忘れたことはなかった。
 ――あの言葉があったから、ここまでつづけて来られたのかも知れない。
 そんな思いがある。
 かのの見上げる先。そこには恐ろしく大きな大砲があった。その大きさの前には軍のもつ最大最強の大砲でさえ小人こびとぞく玩具おもちゃにしか見えない。
 それほどに巨大な大砲。
 しかし、その砲口は地上のどの部分にも向いていなかった。その大砲の見つめる先。
 それは、ただひとつ。
 空に輝く白銀の月……。
 
 ローラシア大公国。
 ゴンドワナ商王国と並び、始祖国家パンゲアから分離独立した二大国家のひとつ。そのローラシア大公国の人里離れた山のなか。常識を越えた巨大大砲はそこにあった。
 「……ついに完成したぞ」
 その異様なまでに大きな大砲を見上げながら、万感の思いを込めてラルカは呟く。その表情は誇りに満ち、拳はこの事業に懸けた決意の固さを物語るかのようにギュッと握りしめられている。
 ラルカは月に取り憑かれた男だった。
 月に行きたい。
 月に行く最初の人間になりたい。
 ほんの子どもの頃からそう言っていた。
 子どもの頃のことであればまわりも大目に見る。子どもらしい空想だと微笑ましく思う。しかし、一〇代を過ぎてもなおそんなことばかり言っているとあっては見る目もかわる。
 「あいつはおかしい」
 「夢みたいなことばかり言っている、ろくでなし」
 ラルカを見るまわりの目はさげすみの視線にかわっていた。
 「お前ももういい歳なんだ。馬鹿みたいなことばかり言ってないでまともに働け」
 親からもそう言われた。
 ラルカは向きになって反論した。
 「馬鹿なことなんかじゃない! 月には行ける、きっと、行く方法があるはずなんだ!」
 「仮に、行くことができるとしてだ。月になんぞ行ってなんの得があるんだ?」
 「わからないのかい⁉ 月に行くんだよ、月に! 人間の手でそんなことを成し遂げるなんてすごいじゃないか!」
 「もういい! いつまでも夢を食って暮らしてろ。だが、もう、養ってやる気はない。家は弟に継がせる。お前は家を出て勝手に生きていけ」
 そう言って家からは追い出された。別に構わなかった。ラルカにとっては『月に行く』という目的を追うことさえ出来ればどこにいても同じことだった。
 それからは、あちこちの店の下働きや、様々な半端仕事をして生活費を稼ぎながら、その合間に月に行く研究をつづけた。いや、ちがう。その逆だ。月に行く研究の合間に半端仕事を請け負い、小金を稼いできたのだ。
 と言っても、ただでさえ乏しい稼ぎの大半を研究のために費やしてしまうので腹はいつもペコペコ、服もボロボロだったけれど。
 当然、結婚なぞ夢のまた夢。彼女も出来ず、友だちもなく、親からも見捨てられた。それでも、ラルカはただひとり、月に行くための研究をつづけた。そして、ついに、そのための方法を見つけた。
 「そうだ! 大砲があるじゃないか」
 大砲は砲弾を飛ばす。金属の塊を高く、遠くへと飛ばすことが出来る。
 だったら、メチャクチャに大きい大砲を作れば?
 途方もなく大きい大砲を作れば、月までだって砲弾を届かせることが出来るはずじゃないか!
 砲弾の中身をくりぬき、空洞にして、そのなかに乗り込めば……月に行けるじゃないか!
 以来、ラルカは大砲の研究に没頭した。
 ただでさえわずかな、下働きで得た駄賃の大半を注ぎ込み、大砲作りの勉強をした。
 まわりの人間たちはそんなラルカを見て『イエダエ』と呼んだ。
 子どもを養う甲斐性もなく、家を絶やしてしまう親不孝者のろくでなし。
 そう言う意味である。
 ある日、その『イエダエ』ラルカは町の食堂で夕食をとっていた。夕食と言ってもパンとスープだけの粗末なもの。それも、パンは古くて固くなり、普通ならば捨ててしまうようなもの。スープも料理に使った空の鍋に水を入れて煮立たせ、わずかばかりの味をつけただけのもの。
 もちろん、まともなメニューなどではなく、店主の厚意で格安の値段で恵んでもらったものである。稼ぎが乏しい上になけなしの金の大半を研究に注ぎ込んでしまうラルカにとっては、こんなものしか食べることは出来ない。他には山に生えている野草やら、木の実をとって食べることで日々を過ごしていた。
 ラルカがすっかり固くなったパンをスープに浸し、なんとか噛み砕いて食べていると、顔見知りの連中がよってきた。
 「よう、イエダエ」
 ニヤニヤと笑いながら、露骨に見下す表情でそう声をかけてきた。
 いつものことだ。この頃になるともうほとんど『イエダエ』こそがラルカの名前のようになっていた。
 「あいかわらず残飯なんぞあさってやがるのか」
 ラルカは無視した。いちいち反応していては相手を喜ばせるだけだと言うことは経験上わかっている。無視していればそのうち飽きてどこかに行くだろう。いままでずっとそうだった……。
 しかし、このときは少々ちがった。相手の虫の居所が悪いかなにかしたのかも知れない。いつも以上にしつこくからんできた。
 「おい、なんか言ったらどうなんだよ、このイエダエ野郎!」
 「へっ。『月に行く』なんてバカなことばっかり抜かしてやがるから、とうとう耳までバカになっちまったんだろうよ」
 ギッ、と、ラルカは相手を睨んだ。自分のことをなんと言われようとかまわない。しかし、『月に行く』という生涯の目的を汚されることだけは許せなかった。
 「月に行くのは馬鹿なことなんかじゃない!」
 叫んだ。
 睨みつけた。
 その勢いに男たちは一瞬、呆気あっけにとられた。しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐに怒りにかわった。
 ろくでなしのイエダエ。
 まともに仕事もせず、残飯を巡ってもらって生きているクズ。
 自分たちの下にいて、自分たちに服従しているべき最下層の生き物。
 そんな相手が自分たちに反論した。睨みつけ、叫んだのだ。
 許せなかった。
 許すわけにいかなかった。
 こんな無礼者には世の中の秩序というものを叩き込んでやらなければならない!
 男たちはラルカを取り囲んだ。胸ぐらをつかんだ。殴りつけようとした。そのとき――。
 男たちの後ろでのっそりと大きな影が動いた。
 ほんの一瞬だった。なにが起きたのかわからないうちに男たちは食堂の床に倒れていた。呆気あっけにとられるラルカの前。そこにいたのだ。背中に大刀たいとうを担いだ巨大な男が。
 「月に行く、だって?」
 「あ、ああ……」
 「どうやって行くんだ?」
 「た、大砲で……」
 「大砲?」
 「そうだ。大きな、とにかく大きな大砲を作って、砲弾に乗り込んで月に行くんだ」
 「そんなでけえ大砲、作れるもんなのか?」
 「作る! 絶対、作ってみせる!」
 ニヤリ、と、男は笑って見せた。
 ――おもしれえ。
 そう思っているのが一目でわかる顔だった。
 そして、男はその笑みを浮かべたまま言ったのだ。
 「完成したら見に来るぜ。おめえ、よ」

 あれから、何年の時がたったのだろう。
 あの日以来、ラルカが寝床にしている猟師小屋にときおり、大金が置かれているようになった。
 ――あの大男か。
 それ以外に考えようがなかった。
 あの男が何者かなんて見当もつかない。それでも、言いたいことはわかった。
 ――この金で大砲を作れ。
 そう言っているのだ。
 なぜ、そんなことを言ってくるのか、こんな大金をどうやって手に入れたのか。
 それはわからない。
 ――こんな得体の知れない金を使っていいものか?
 そうは思った。
 しかし、この金があれば、もてる時間のすべてを研究につぎ込める。『月に行く』という生涯の目的を達成できる。
 「……言うじゃないか。『汚れた金で友だちを作れ』って。これがどんな方法で手に入れた金であっても『月に行く』という目的のために使われれば報われるさ」
 なにしろ、『月に行く』ことは人類史に残る偉業なんだから。
 ラルカはそう言って自分を納得させた。
 そして、その金で研究をつづけ、ついに完成させたのだ。『月に行く』ための大砲を。

 ガサッ。
 万感の思いを込めて大砲を見上げるラルカの耳に草を踏みしめる音がした。
 ――まさか⁉ あの男が……。
 あの男、大刀たいとうを背に担いだあの男が言葉通り、完成したこの大砲を見に来たのか?
 ――まさか。そんな都合のいいことがあるわけがない。
 一瞬、頭に浮かんだ思いに苦笑しながら、それでもかすかな期待を込めてラルカは振り返った。だが、そこで見たものは――。
 「軍⁉」
 そこにいたのはローラシア国軍の制服を身にまとった二〇人ばかりの軍人たちだった。
 「な、なんです、あなたたちは……」
 ただならぬその雰囲気にラルカは後ずさった。しかし、それは怯えたためではない。無意識のうちに大切な大砲を守ろうとしたのだ。
 そんなラルカに向かい、軍人たちの先頭に立つ男、将校の記章をつけた男が冷徹な口調で言った。
 「我々はローラシア国軍である」
 見ればわかることをわざわざ言ったのはむしろ、ラルカを見下す思いからだろう。『国軍』というおおざっぱな呼称だけで細かい所属も言わなければ、自分の名前すら名乗らない。そこに『我々はお前とはちがうのだ』という鼻持ちならない選民思想が透けて見えていた。
 男はつづけた。
 「我々はずっとお前を監視していた。前の大砲作りの経過をだ。そしていま、お前はこの巨大大砲を完成させた。この大砲は我々が接収せっしゅうする」
 「なっ……!」
 ラルカは言葉を失った。『ずっと監視していた』というのも驚きだったが、そんなことはどうでもよくなるぐらい『大砲を接収せっしゅうする』という言葉が頭に、いや、魂そのものに響いた。
 だが、将校の記章をつけた男は、それが絶対の決定事項であり、ラルカ本人はおろか、この世のいかなる存在にも拒否する権利などないのだと言わんばかりの態度だった。
 「この巨大大砲は来たるべき戦乱の世において我が国の切り札となり得る」
 「なんだって⁉」
 「よって、いますぐ解体して本部に運ぶ。同時に、お前も我が軍の研究部に配属された。今後、お前は祖国のために大砲の開発に尽力するのだ。これほど光栄なことはない。ありがたくたまわるがよい」
 「まってくれ! この大砲を戦争に使おうって言うのか⁉」
 「大砲は戦争に使うためのものだ」
 将校は世の絶対真理を告げるがごとく断言した。
 しかし、これはたしかに将校の側が正しいだろう。この世の誰が大砲を『戦争以外』の目的で使おうなどと考えるのか。そんなことを考える変人はそれこそ、この世にラルカただひとりだったろう。
 そのただひとりの変人は必死に反論した。
 「やめろ! この大砲は戦争のためのものじゃない! 人類のための、人類に新しい未来を開くためのものなんだ!」
 「いますぐ大砲を解体し、本部に運ぶために協力せよ。これは命令だ」
 「断る!」
 ラルカは叫んだ。両腕を大きく広げて大砲の前で立ちはだかった。
 怖い。
 恐ろしい。
 足元がガクガク震えている。
 たったひとりの、研究しか取り柄のない民間人が二〇人からの軍人相手に立ち向かおうというのだ。こんなに恐ろしいことはない。無謀の極みであることもわかりきっている。でも、それでも、この大砲を軍の手に渡すわけにはいかない。戦争のために使わせるわけにはいかない。絶対に。
 「させない! この大砲は人類の未来を切り開くためのものなんだ! 人類の未来を破壊するためのものじゃない。戦争なんかのためには絶対に使わせないぞ!」
 その叫びに――。
 将校は合図を送った。それはあまりにも微妙な動作で民間人であるラルカには合図を送ったことすらわからなかった。しかし、同じく訓練を受けてきた兵士たちにははっきりと伝わった。
 兵士のひとりが前に出た。剣を抜いた。ラルカの顔が恐怖に引きつる。兵士が剣を振りおろす。
 剣の腕には覚えがあったのだろう。兵士の振るった剣は見事にラルカの体を肩から脇腹にかけて斬り裂いていた。その太刀筋といい、力感といい、銃ではなく剣を使ったのも納得の技量だった。
 血がしぶいた。
 噴水のごとく吹きあがった。
 ラルカの表情が恐怖から驚愕きょうがくにかわった。
 ふらり、と、ラルカの体が前に出た。
 よろめくように。
 倒れるように。
 「させ……ない」
 すでに血の気の引いた顔でラルカはそう呟いた。
 「戦争なんかに……使わせない」
 言いながら兵士にしがみついた。大砲を守るためにラルカに出来る精一杯の抵抗だった。
 しがみつかれた兵士は気色悪そうにラルカの体を振り払った。ラルカの体は人形のように地面に倒れた。そして、それきり――。
 動くことはなかった。
 兵士がラルカの体に近づいた。しゃがみ込んだ。立ちあがった。将校を振り返り、敬礼した。
 「死亡を確認しました」
 「よし」
 将校は無表情にうなずいた。
 「よかったのですか、殺してしまって? このものは研究室に連れて行くはずだったのでは?」
 部下の質問に将校は答えた。
 「不服であるようなら殺せ。祖国を裏切り、他国に協力しないように。そう命令されている」
 「なるほど」
 部下も納得の完璧な理由だった。
 「大砲を本部に運ぶ! 解体をはじめよ!」
 将校が命令を下した。
 兵士たちが動き出そうとした。だが――。
 動けなかった。誰ひとり、動けなかった。いや、動けなくされたのだ。
 あたりの空気が急に冷え込んだ。空気そのものが重しとなってのしかかったように兵士たちは動けなくされていた。そして、兵士たちの後ろから『なにか』がやってきた。
 兵士たちは振り向いた。将校までも。振り向きたくなどない。しかし、振り向かずにはいられない。そういう仕種。
 振り向いた表情にジワジワと恐怖が広がった。
 ついには、情けないほどの泣き顔になった。
 〝鬼〟が一匹……やってきた。

 あたりに強烈な血の匂いが満ちていた。
 二〇人からの軍人がひとり残らず、斬殺死体となってその場に転がっていた。
 その表情は恐怖を通り越して情けないほどの泣き顔のままだ。全員の股間がじっとりと濡れているのは血のせいではない。小便だ。全員が恐怖のあまり、斬られる前に小便を漏らしていたのだ。
 「どうでえ?」
 〝鬼〟は尋ねた。
 ラルカのもとにしゃがみ込んでいた少女は立ちあがった。一糸まとわぬ姿に首輪だけをつけたその少女は、静かに首を左右に振った。
 「……駄目。もう死んでいる。蘇生も出来ない」
 「そうか。そいつあ残念だったな。せっかく、こんなもんを作ったってのに、よ」
 そう言う声は、本当にラルカの身命を惜しんでいるように聞こえた。
 「惜しむぐらいならなぜ、斬られる前に助けてあげなかったの?」
 少女――〝詩姫うたひめ〟は尋ねた。
 〝鬼〟と〝詩姫うたひめ〟は、ラルカが斬られる前にすでにこの場にきていた。助けようと思えばラルカが斬られる前に助けることが出来たのだ。
 「てめえにとって大切なものなら生命を懸けて守る。その程度の根性もないやつなら助ける価値なぞねえ」
 〝鬼〟はさも当たり前のように言った。
 それが、〝鬼〟の本心であることを〝詩姫うたひめ〟は知っていた。
 もし、ラルカが自分の生命を惜しんで軍人たちに協力していれば、〝鬼〟はためらうことなく軍人たちごとラルカを斬っていた。殺していた。〝鬼〟とはそういう存在。そのことを〝詩姫うたひめ〟は知っていた。
 〝鬼〟はぽりぽりと頭を?いた。
 「……だがまあ、本当に死んじまったのは惜しいよなあ。いや、ほんとに」
 〝鬼〟は言いながらあたりをうろつきまわった。ラルカが寝床として使っていた猟師小屋に入った。そのなかには山と積まれた何千冊というノートがあった。
 「……ふむ」
 〝鬼〟はノートをパラパラとめくった。太い唇に『にいっ』と、笑みが浮いた。

 それから、〝鬼〟と〝詩姫うたひめ〟はその猟師小屋で過ごした。軍人たちの死体は獣が食うに任せたが、ラルカの遺体だけは小屋のなかに運び込んでいた。そして、三日。
 「よっしゃ。どうにかわかったぜ」
 〝鬼〟はためつすがめつしていたノートを閉じた。三日かけて山のようなノートを読みあさり、ようやく大砲の発射方法を理解したのだ。
 〝鬼〟はノートに書かれていたとおりにラルカの遺体を砲弾に乗せ、その砲弾を大砲に込めた。そして――。
 「行ってこいやあっ!」
 叫んだ。
 蹴った。
 大砲の尻を。
 その衝撃で大量の火薬に火が点いた。
 轟音を立てて砲弾が撃ち出された。あまりの衝撃に大砲はバラバラになって吹き飛んだ。しかし――。
 ラルカを乗せた大砲はたしかに飛んでいた。
 月に向かって。
 「へっ、まちがいねえ。はじめて月に行った人間だぜ。おめえが、よ」
                完
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