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第二部 絆ぐ伝説

第二話二章 タラの居留地

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 島の名を『タラ』と言った。
 ロウワンがビーブに説明したとおり、北の大陸の内奥ないおうに位置する始祖国家パンゲアが、南洋の産物を効率よく手に入れるために居留きょりゅうとして開発した島のひとつである。
 居留きょりゅうとしての歴史はそれなりにあるのだが、島そのものが小さいために拠点の規模としては大きくない。歴史を通じてせいぜい二〇〇人程度が住み着いているだけである。
 島には小さな漁村と、やはり、小さな港とがひとつずつあるきりで、他にはなにもない。せいぜい、ヤシの実とヤシガニがとれる海岸が広がっているぐらいだ。漁村にも、港にも、わざわざ名前などつけられておらず、単に『タラの居留きょりゅう』と呼ばれている。どうせ、島にひとつきりしかないのだから名前をつける必要も、意味もないのだ。
 そのタラの居留きょりゅうはいま、海賊たちに襲われていた。男たちはちょうど季節毎の漁に出ており、島に不在。残っているのは女子どもと年寄りだけという、まさにその時期を狙っての襲撃だった。
 襲撃の手際はなかなかに見事なものだった。おそらく、前日のうちに近くにまで移動してきていて、手頃な無人の島の入り江にでも隠れて夜を明かしたのだろう。夜明けの光とともにガレー船を操って港に突撃してきた。
 ガレー船は何十本というかいをもつ手こぎの船だ。一応、遠洋航海用の帆をもってもいるが、それはあくまで補助動力。主動力となるのはかいをこぐ人間たちだ。
 当然、一日も二日もぶっ続けて動かすことなど出来ず、航海距離は短い。反面、風に関係なく動けるし、小回りが効くという利点がある。風の弱いときなら帆船はんせんよりも速く動ける。どこかの島の入り江に隠れていて、獲物が通りかかったら一気に接近して乗り移る……という海賊戦法にはうってつけ、と言うわけだ。
 このあたりのように、北の大陸にほど近く、大小様々な島が点在し、比較的、波も気候も穏やか……という海域にあってはまさに最強兵器と言っていい。
 そのため、このあたりを縄張りとする海賊はたいてい、ガレー船を使っている。より大きな獲物を求めて、より遠くの海へ乗り出す『冒険者でもある』海賊たちは、より本格的な帆船はんせんを使っているが。
 唯一の大型おおがた漁船ぎょせんは長期の漁に出ており、港に残っているのは日頃、近海で釣りをするためのちっぽけな漁船ぎょせんだけ。そんな状況では突撃してくるガレー船をどうこうするなど不可能だった。
 とは言え、仮に漁の時期ではなく、大型おおがた漁船ぎょせんと男たちが残っていても港に侵入することを防ぐことは出来なかっただろう。それぐらい、素早い突撃振りだった。
 港につけたあとの行動も迅速じんそくだった。カトラスと小銃とで武装した男たちがバラバラと降りてきて空に向けて小銃を何度か発砲。まずはその音で村民たちを脅しあげ、精神的に優位に立った。それから、いくつかの家に火をつけた。火をつけられた家の住人たちは大慌てで外に逃げ出した。そこを、待ち構えていた男たちに斬り捨てられた。
 これでもう、勝負は決した。
 機先を制され、脅しつけられた村民たちにはもはや、抵抗する気力はなかった。そもそも、男たちが漁に出ていて不在であり、女子どもと年寄りしかいない島には抵抗するだけの力もない。殺されないためには従うしかなかった。
 まったく、海賊による襲撃の手本として、教科書に載ってもいいような手際だった。
 男たちが漁に出ていて不在の時期を見計らってのことといい、襲撃の手際といい、おそらくはもう何年もの間、タラの島を観察し、襲撃の手順を組み立ててきたのだろう。
 頭が切れるし、計画性もある。行動も的確で迅速じんそく。なかなかに優れた海賊たちであるようだ。襲われる方にとっては災厄さいやく以外のなにものでもないが。
 上陸した十数人の海賊たちは両手にカトラスと小銃とをもって、村民たちに『命令』した。
 「島にいるもの全員、港の前に集まれ!」
 村民たちは素直に従った。ここで下手に抵抗したりしたら人死にが増えるだけだ。従っておくのが賢明というものだった。
 そして、海賊たちは港の前に集まった女子どもと年寄り相手に『紳士的に』交易を申し込んだ。この場合の『交易』とは要するに、『殺されたくなきゃ金をよこせ!』という意味である。
 「お前たちの生命はおれたちが握っている。相応の金を払えば買い戻しに応じてやる」
 というわけで、海賊の流儀にしてみれば充分に『紳士的な交易』なのだった。
 村長のコドフはすでに六〇を超えた老人だったが、人生経験の豊富からだろうか。『逆らってはいけない相手と状況』というものをよくわきまえており、すこぶる従順だった。すぐに村人たちに指示してありったけの食糧と財貨とを海賊たちの前に並べた。
 「こ、これが、この村でお出しできるすべてでございますぅ~。ど、どうか、これでご勘弁かんべんを……村のものたちだけはお許しください」
 コドフは一面に並べた食糧と財貨の前で這いつくばり、海賊たちに懇願こんがんした。情けないと言えば情けない姿。血気盛んな少年出てもあれば『そんな姿をさらすぐらいなら最後のひとりまで戦え!』と叫びたくなるような態度。しかし、相手はカトラスと小銃とで武装した屈強な男たち。こちらは、戦闘経験ひとつない女子どもと年寄りの群れ。抵抗すれば多くの村民が殺されるのは確実。それを思えば、村民たちを守るための適切な態度ではあった。
 海賊たちはしばらく差し出されたお宝を眺めていたが、あからさまな不満と失望の表情を浮かべた。
 「おいおい、せっかく、お前たちの生命の買い戻しに応じてやろうって言うんだ。それが、これっぽっちってことはねえだろう。お前たちの生命はそんなに安いのか?」
 「そ、そう言われましても、この小さな村ではこれ以上のものは……」
 「そんなわけねえだろう。この島は半年もの間、男たちが漁に出て、南洋の魚やらスパイスやらをたらふく持ち帰ってくるじゃねえか。それを売りさばいて荒稼ぎしてるんだろう? 隠されたお宝はもっとたんまりあるはずだろうよ」
 「い、いえ、本当に、これが精一杯でして……」
 「嘘はいけねえなあ。『嘘つきは泥棒のはじまり』って聞いたことねえか? 泥棒野郎は二度と盗みを働けねえように両手を切り落とすのがならわしだよなあ」
 海賊はニタニタと、いかにも残虐そうな笑みを浮かべた。ふたりの手下が進み出て、やはり残虐そうなニタニタ笑いを浮かべながら村長の枯れ枝のような腕を押さえつけた。
 「ひっ……!」
 コドフの顔が恐怖に歪んだ。小さな悲鳴がこぼれた。
 海賊は右手にもったカトラスの刀身を『とんとん』と左手の手のひらに当てながらコドフに近づいた。その表情はこれから行う残虐行為への楽しみに満ちていた。
 ぺろり、と、いかにも残虐趣味らしい様子で舌なめずりした。それから、カトラスを振りかざした。相手が恐怖を覚えるようにあえて大きく、ゆっくりと。そのカトラスをコドフの手首めがけて振りおろそうとした。その寸前――。
 「おじいちゃん!」
 村のなかからひとつの人影が飛び出してきた。コドフをかばうようにその上に覆い被さった。顔をあげ、キッ、と、海賊をにらみつける。その顔はまだ一五、六歳の少女のものだった。コドフの孫娘のトウナだった。
 突然の少女の乱入に驚いたのは海賊たちよりもむしろ、祖父であるコドフの方だった。慌てふためいて叫んだ。
 「ト、トウナ! なんで出てきた⁉ 倉庫のなかに隠れていろとあれほど……」
 祖父があわてるのも無理はない。トウナはこんなちっぽけな寒村かんそんにいるとは思えないぐらい美しく、人目を引く少女だった。こんな娘がひたすら快楽にきょうずることを望む海賊たちの目にとまったら……。
 しかし、本人は祖父の心配などよそに叫んだ。
 「放っておけるわけないでしょ!」
 叫びながらもその目は海賊をにらみつづけている。
 そのいかにも気の強そうな表情に興味を引かれたらしい。海賊は『ニヤリ』と好色な笑みを浮かべた。
 「ほう。なかなかいい娘がいるじゃねえか。いいだろう。差し出してきた食糧と財貨、それに、この娘とで手を打ってやらあ」
 海賊はトウナの腕をとった。無理やり、引きずり立たせた。
 「お、おまちください……! ど、どうか、その娘だけは……」
 コドフは必死に立ちあがった。すがりつくようにして懇願こんがんした。その痩せ細った身を、海賊は邪魔くさそうに蹴り飛ばした。コドフの体は枯れ枝のように吹っ飛び、その場に転がった。
 「おう、引きあげだ!」
 海賊は叫んだ。手下たちが差し出された食糧と財貨とを運びはじめる。海賊自身はトウナの腕をつかんだまま引きずっていこうとする。
 「いや、はなして!」
 トウナは必死に抵抗した。海賊の手をふりほどこうと暴れまわった。もちろん、一五、六の少女の身で屈強な海の男相手に力でかなうはずがない。いくら暴れても引きずられて行ってしまう。
 それでも、トウナはあきらめなかった。両足を踏ん張り、爪を立て、かみつき、逃れようとする。その姿は『人間に捕えられるぐらいなら……!』と、覚悟を決めて暴れまわるヤマネコのようだった。
 その暴れっぷりに海賊はうんざりした表情を浮かべた。
 トウナはたしかに勇敢な少女だった。しかし、無謀であることは否定できなかった。相手はただの男ではない。殺し、殺されることを生業なりわいとする海賊。刺されたことも、斬られたことも、山ほどある。剣一本もったことのない小娘に引っかかれようが、かみつかれようが、そんなもの、文字通り、蚊に刺されたほどにしか感じない。ただ、ただ、うんざりするだけだ。
 「やれやれ。しつけの悪いヤマネコだ。ちょいとばかり身の程ってやつを知ってもらおうか」
 海賊はそう言ってカトラスを振りかざした。海賊の流儀としては本当に『ただのしつけ』。しかし、荒事あらごとと無縁な村民にとっては……。
 カトラスが舞った。
 血がしぶいた。
 悲鳴があがった。
 海賊の悲鳴が。
 カトラスを握ったままの海賊の腕が宙に飛び、港に転がった。
 「キキィッ!」
 トウナをかばうようにその前に立ち、怒りの形相で叫びをあげたのは一頭のサル。四本の手足でその場に踏ん張り、雄々しく立ちあげた長い尻尾の先にカトラスを握っている。
 そのカトラスの刀身は海賊の血でベッタリと濡れていた。尻尾に握られたカトラスの一撃が、海賊の腕を斬り飛ばしたのだ。
 「サ、サルだと⁉ なんだ、てめえ⁉」
 さすがの海賊たちが驚きの声をあげた。
 無理もない。いったい、どこの誰が尻尾にカトラスを握ったサルに襲われるなどと想像したりするだろう。いくら、海の怪異に慣れっこの海賊と言っても、そんな目に遭ったことはない。
 「そのサルの名前はビーブ。僕のきょうだいだ」
 海賊たちの驚きに応えたのは、まだ声変わり前の少年の声だった。
 海賊たちは一斉に声のした方を見た。珍妙なものを見る表情になった。しかし、海賊たち以上に驚いたのはトウナ本人だった。
 そこにいたのはまだほんの一三、四と思える子ども。しかも、大きすぎる船長服を着込み、背中にはズッシリと重そうな大刀たいとうを背負い、両手にカトラスをもっている。幼さを残すあどけない顔立ちといい、大きすぎてすそを引きずっている服といい、まるで、学芸会に出演している児童のようだ。
 ――あんな子どもがいったい、なんのつもり?
 トウナはそう思わずにはいられなかった。
 その子ども、ロウワンはもちろん、海賊たちから島の人々を救うつもりだった。
 村から火の手があがっているのを見たロウワンは島の逆側からそっと上陸し、様子をうかがっていた。海賊たちがトウナに気を取られた隙にビーブに急襲をかけてもらい、その間に海賊たちの裏側に回り込んだのだ。
 ロウワンは海賊たちに告げた。
 「その荷はこの村のものだ。すべて置いて立ちされ」
 それは、はっきりと『命令』だった。
 海賊たちも当然、それと察した。法も社会も軽蔑けいべつし、常に隣り合う死を嘲弄ちょうろうして生きてきた『自由な海の男たち』だ。他人から命令されるほどの屈辱はない。しかも、自分以上に勇敢な猛者もさであればともかく、こんな船長気取りの小僧に命令されたとあっては!
 手下たちの怒りはたちまち沸点ふってんに達した。手にてにカトラスをもち、襲いかかった。
 手下たちの何人かは小銃ももっていたが、海に生きる海賊たちにとって弾薬はめったに手に入らない貴重品。それは、獲物と定めた船を襲うときに、操舵そうだしゅや帆の操作をする水夫を撃って足止めするために使うものであり、こんな小僧ひとりのために使うものではなかった。
 だから、カトラスで斬りかかった。それは、海賊にとってもっとも手慣れた戦闘方法であり、こんな大きすぎる服を着込んだ間抜けな小僧ごとき、それで充分だった。充分なはずだった。しかし――。
 剣戟けんげきの音が連鎖れんさし、手下たちのカトラスはたちまち叩き落とされていた。
 手下たちは唖然あぜんとした表情を浮かべ、痺れる手を抱えてロウワンを見ていた。その態度からは年端もいかない少年にたやすくひねられたことへの敗北感が滲んでいた。
 いっそのこと、一思いに斬り捨てられていた方が衝撃はまた少なかったかも知れない。しかし、その身には傷ひとつつけずに武器だけを叩き落とすという余裕を見せてあしらわれた。それも、数人がかりでだ。そのことが手下たちの精神に与えた衝撃は計り知れなかった。
 「て、てめえ……」
 海賊が血の噴き出す腕を抱えながら呻いた。額に脂汗が浮いているのは傷の痛みだけが原因ではない。
 そんな海賊たちにロウワンは改めて『命令』した。
 「荷物を置いて立ちされ。ここは、お前たち『犯罪人』の来るところじゃない」
 「く、くそっ……! 覚えてやがれ!」
 海賊はおきまりの台詞を言い残すと船をめがけて駆け出した。手下たちもせっかくの荷を捨てて海賊の後を追った。
 ロウワンは二本のカトラスを腰に差したさやに収めると、トウナに近づいた。にっこりと微笑み、手を差し出した。
 「もう大丈夫だよ」
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