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第二部 絆ぐ伝説

第三話一七章 生き物たちの軍団

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 「キキィッ!」
 ビーブの叫びのもと、クマが、オオカミの群れが、山の獣たちが、異形いぎょうの群れに突撃する。オオカミたちは異形いぎょうの身のいたるところに牙をたて、クマはその膂力りょりょくにものを言わせて異形いぎょうたちをなぎ倒す。
 本来、山の獣たちに勝ち目はない戦いだった。異形いぎょうの獣たちの肉体のもつ強さ、はやさは、山の獣たちをはるかに凌ぐのだ。しかし、山の獣たちにはビーブがいた。単なる『集まり』に過ぎない異形いぎょうたちに対し、ビーブに率いられた山の獣たちは、まさに『軍』。
 統率がちがう。
 連携がちがう。
 使命感がちがう。
 その差異をもって山の獣たちは異形いぎょうたちを倒していった。
 オオカミたちは異形いぎょうに対して左右から交互に襲いかかった。異形いぎょうが右側のオオカミに反応すれば、右側のオオカミは即座に引く。かわりに、左側のオオカミが牙を立てる。それに対して左側に向かえば、今度は左側のオオカミが素早く引きさがり、右側のオオカミが食らいつく。
 それを繰り返し、異形いぎょうが隙を見せたところでひときわ大きなオオカミが真正面から飛びかかる。その喉笛のどぶえに食らいつき、鋭い牙で食いちぎり、食い殺す。
 ビーブをその背に乗せたクマは強靱きょうじんな前足を振りまわして爪で引き裂き、巨体にものを言わせた突進で押しつぶす。背に乗ったビーブがあたりを見極め、的確な指示を下すことで囲まれることなく一対一の戦いに持ち込める。そうして、一体いったいほふっていく。
 それは、後に自由の国リバタリア最強の戦闘集団として知られることになる獣士隊、その初陣ういじんと言っていい戦いだった。
 さらに、空からはワシが、タカが、ハヤブサが、山に生きる猛禽もうきんたちが次々と急降下して襲いかかる。空の覇者たちもまた、この戦いに参戦したのだ。
 山に住まう鳥獣たちをこの戦いに駆り立てているもの。
 それは、怒り。
 そして、誇り。
 幾つもの獣の体を無理やりに混ぜ合わせた異形いぎょうたちのその姿。それは、種の誇りを踏みにじり、冒涜ぼうとくする姿。その姿に対する怒りが鳥獣たちをこの戦いに駆り立てる。
 ――この山はおれたちの世界だ。お前たちなどの好きにはさせん!
 その誇りに懸けて、山に住まう鳥獣たちは異形いぎょうの群れに挑みかかる。
 山の守護者たちの猛襲にしょせん、『集まり』でしかない異形いぎょうの獣たちは対応出来ない。列が乱され、守勢にまわる。その隙を見逃す野伏のぶせではなかった。
 「ロウワン、トウナ! 後ろにまわれ! 女たちに異形いぎょうを近づけるな」
 「了解!」
 ロウワンとトウナは二つ返事で叫んだ。
 「メリッサ! 銃は相手に向けるな。この乱戦で敵だけを狙って打つのは無理だ。真上に向けて発砲しろ。音で威嚇いかくして近づけるな!」
 「わ、わかったわ……!」
 メリッサはあわてて答えた。仲間たちに指示し、銃口を真上に向けて引き金を引く。
 銃弾の撃ち出される音が連鎖れんさする。そのときには野伏のぶせはすでに異形いぎょうの獣の群れに飛び込んでいる。文字通り、自分自身の分身である長大な太刀たちを振るい、右に、左に、異形いぎょうの獣たちを斬り倒す。肉が裂かれ、骨が断たれ、黒い体液が横殴りの雨となって噴き出していく。
 異形いぎょうであろうとしょせんは獣。鬼を殺す力を求め、そのために人を捨てた『鬼を殺すもの』。その鬼を殺すものの敵ではなかった。
 長大な太刀たちが振るわれるつど、異形いぎょうの獣たちが両断される。

 斬って、
 斬って、
 斬りまくった!

 どんなに詩才あふれる詩人であろうとも、そうとしか表現出来ない。
 それほどに圧倒的な光景だった。
 一方、ロウワンは野伏のぶせとは反対側で異形いぎょうの獣と相対あいたいしていた。
 ロウワンの目の前にいるのは異形いぎょうのクマ。
 口から人間の顔をのぞかせ、両腕を大蛇にかえたクマだった。その身長はロウワンの二倍もあり、筋肉の量にいたっては比較にもならない。それでも、ロウワンは怖れなかった。二本のカトラスを両手にもち、自ら攻めかかった。
 なぜ、怖れる必要がある?
 自分は〝鬼〟に挑んだではないか。
 野伏のぶせとも戦ったではないか。
 そのふたりに比べればいくらデカくともしょせんは獣。怖れる必要などどこにもない!
 ――お前の剣技は独特のものだ。しかし、独特の動きが意味をもつのは攻撃においてのみ。守りに入れば意味はない。
 野伏のぶせに言われたその言葉が頭のなかで反響する。
 ――そうだ。おれはしょせん、非力で小さな子どもに過ぎない。守りに入れば相手の力に圧倒され、殺される。勝つためには、生き残るためには、攻めて、攻めて、攻めつづけて、相手の攻撃を受ける前に殺すしかない!
 その決意のもとに、
 攻める、
 攻める、
 攻めつづける。
 両手にもったカトラスを縦横に振るい、斬りつけ、出血を強いる。異形いぎょうのクマの腕が、脚が、胴体が、傷つけられ、黒い体液がほとばしる。
 そんなに攻めつづけられるものなのか?
 息がつづかなくなるのではないか?
 そう思うことだろう。
 その思いは正しい。
 通常の剣術であれば。
 通常の剣術は筋力を使って剣を振るう。筋力を使えば息がとまる。息がとまれば動きがとまる。一時も休むことなく攻めつづけることなど出来るものではない。
 しかし、ロウワンの剣術はちがう。筋力ではなく、体の動きそのものを使って剣を振るう。力を出す。そのために息がとまらない。息がとまらないからこそ動きつづけることが出来る。一流の踊り手が一時間でも、二時間でも、踊りつづけることが出来るように、ロウワンは剣を振るいつづけることが出来るのだ。
 ロウワンに勝つためには機先を制し、攻められる前に攻める。それしかない。いったん、守勢に守ってしまえば間断かんだんない攻めにさらされ、斬り刻まれるのみ。
 異形のクマもそうだった。
 とどまることなく放たれる斬撃に体中を斬り刻まれる。だが――。
 致命傷にはほど遠い。どれも、軽い傷ばかり。短剣であるカトラスの攻撃力とロウワンの力では、剛毛ごうもうに包まれた筋肉の塊とも言うべきこの異形いぎょうのクマを斬り殺すことなど出来はしない。
 そんなことはロウワン自身、百も承知。ここまでのすべての攻撃は陽動。ある一手に賭けるための布石ふせきに過ぎない。
 異形いぎょうのクマが吠えた。
 天に向かって咆哮ほうこうした。
 自分よりもはるかに小さく、ひ弱な獲物に散々に斬りたてられた。その苛立ちが頂点に達したのだ。そして――。
 その瞬間こそがロウワンの狙い。
 むき出しになった異形いぎょうのクマの喉元。そこに向かってロウワンの渾身こんしんの突きが繰り出される。
 野伏のぶせの衣服を貫いたあの突きだ。
 カトラスの切っ先が異形いぎょうのクマのあごの下に叩き込まれ、風穴を開けた。そこだけが、ロウワンの力でこの怪物を殺すことの出来る一点だった。
 再び――。
 異形いぎょうのクマが吠えた。
 それは雄叫びなどではなかった。
 断末魔の叫びだった。
 異形いぎょうのクマが喉から黒い体液を噴きだし、轟音を立てて大地に倒れる。
 その横ではトウナがカトラスを握り、別の異形いぎょうを相手に必死の防戦を見せていた。もちろん、護身術程度の剣術しか身につけていないトウナに、異形いぎょうを殺すことなど出来はしない。それでも、相手の攻撃を必死にさばき、自分に引きつけておくことで、ロウワンに複数の異形いぎょうが向かうことを防いでいる。立派にロウワンの補助役を果たしていた。
 汗まみれの顔に断固たる意思を込めた瞳を浮かべ、自分よりもはるかに巨大な力をもつ相手の攻撃を受けとめる。
 ――護身術を身につけておいてよかった。
 トウナはそう思った。
 相手を倒すための技ではなく、相手の攻撃を受けとめ、受け流す。
 そのために特化した守りの剣。だからこそ、耐えていられる。これが、攻撃用の剣術だったら相手のはやさと力に圧倒され、たちまち殺されているところだ。守りに徹した技だからこそ、どうにか耐えていられる。そして、激しい攻撃に耐えつづけていられるのは、トウナの強靱きょうじんな精神力ゆえだった。
 「トウナ、無事か⁉」
 すでに二体目の異形いぎょうと剣を合わせているロウワンが叫ぶ。
 トウナは目の前の相手から視線をそらせずに叫んだ。
 「余計なお世話よ! あなたは自分のやるべきことに集中して」
 その答えに――。
 ロウワンは思わず笑う。
 ――攻撃に耐えていれば必ず、ロウワンが他の相手を仕留めてくれる!
 その思いだけでトウナは異形いぎょうの攻撃に耐えつづける。その信頼に応えるように、ロウワンは二体目の異形いぎょうを地に倒した。
 メリッサは『もうひとつの輝き』の仲間たちと共に銃口を真上に向け、弾も尽きよと撃ちつづけている。銃声が連鎖れんさし、稲妻の轟きのように山のなかにこだまする。
 「メリッサ! こんなことをつづけていて意味があるの⁉」
 仲間のひとりが叫ぶ。
 メリッサは答えた。
 「この状況よ! わたしたちの腕で敵だけを狙えるわけがないでしょう。下手に銃を向けたら味方を傷つける羽目になるだけよ」
 「そ、それはそうだろうけど……ただ、真上に向けて撃ってたってなんの意味も……」
 「いいから撃ちつづけて! 『真上に向けて撃て』と言われたらそうするの。素人のわたしたちが足を引っ張らないためにはそれしかないわ」
 メリッサは自分たちが戦闘においてはずぶの素人に過ぎないことを自覚していたし、素人が自分の判断で行動してもろくなことにならないことを知っていた。ただ、ただ、忠実に、野伏のぶせの指示に従い、銃を真上に向けて撃ちつづけた。
 どれほどの時間が立ったろうか。
 おそらくは、驚くほどに短い時間だったにちがいない。
 しかし、短くても恐ろしく濃密な、激烈な時間が過ぎたあと、その場には生きて動く異形いぎょうの獣はただの一体もいなくなっていた。
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