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第二部 絆ぐ伝説

第四話二一章 母の思い 父の決意

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 「お父さんならどうして、あんな他人行儀な態度なの⁉」
 「……おれは、あくまでも自由の国リバタリアの主催ロウワンとしてゴンドワナに『やって』きたんだ。父さんの息子として『帰って』きたわけじゃない」
 トウナの言葉に責められているように感じたのは、ロウワンの気のせいとばかりは言えないだろう。それでも、大部分はロウワン自身の罪悪感がもたらしたものにはちがいない。その思いをごまかすように言い訳がましく答えた。
 「それに、父さんだって、評議会の一員としてやってきたんだ。だからこそ、あくまでも評議会の一員として振る舞った」
 「あなたが最初に、そういう態度をとったからでしょ」
 トウナに痛いところを鋭く突かれて、ロウワンは一瞬、押し黙った。
 「と、とにかく……! おれはあくまで自由の国リバタリアの主催ロウワンとしてきたんだし、父さんは評議会の一員としてやってきた。お互い、公人の立場で会ったんだ。だったら、その立場に徹するのか当然だ。親子関係なんて持ち出す場合じゃない」
 「それは、仕事の場での話でしょう。仕事の話は終わったんだから、親子として会えばいいじゃない」
 「……本番は評議会での会談だし」
 ロウワンはゴニョゴニョと口にした。その表情がまるで、自分のしでかしたイタズラを親に言い出せずに困っている子どものよう。要するに、トウナの言葉にまっとうに反論出来ないというわけなのだった。
 「……そのへんにしておいてやれ」
 野伏のぶせが見かねたように口をはさんだ。どことなく後ろめたさがあるような、ちょっと気の弱さを感じさせる口調がいつもの剛胆な野伏のぶせらしくなかった。
 「一度、飛び出した家には帰りづらいものだ」
 自身、家に帰っていない『家出息子』の言葉に――。
 トウナは『はああ~』と、溜め息をついた。
 「キキキッ」
 トウナの横ではビーブもまた『まったくだ』と言いたげに声をあげた。
 トウナはそんなビーブに目を向けた。
 「ビーブ。ちょっと、頼まれてくれる?」
 「キキキッ!」

 ゴンドワナは国土全体が熱帯の平原であり、国民の気風も、町並みの様子も、パンゲアやローラシアとはおもむきがちがう。
 ゴンドワナの町並みには、パンゲアのような北方の厳しい気候に鍛えられ、敬虔な宗教心に育まれた荘厳さはない。ローラシアのような、来る人を威圧するためのこれ見よがしな贅沢ぜいたくさもない。
 どの建物も商人の国らしく実用性最優先で飾り気がない。象牙色を基調とした町並みは色彩にも乏しく、見る人によっては殺風景で退屈と感じるだろう。それでも、町の作りそのものはすっきりとまとまっていてごちゃごちゃと入り組んだ様子がない。これは、荷を積んだ馬車が迷わずにすむように、との配慮である。
 どの道もいっぱいに荷を積んだ大型の馬車が通りやすいように広く作られているしその分、建物と建物の距離もはなれているので窮屈さを感じない。高い建物がないので遠くまで見渡せることもあって、町全体に南国らしいおおらかな開放感が満ちている。
 その開放感には商人の国らしく陽気で人懐っこい――それでいて、油断のならない――人々の気風も大いに関係しているのだろう。
 一見、殺風景に見える町並みも見るものが見れば、実はきわめて良質な石材だけを吟味ぎんみして作られていることがわかる。単調に見える色彩もよく見れば、象牙色を基調としたなかにほのかな色彩の変化が刻まれており、様々な文様を描いていることがわかる。
 言ってみれば、じっくり付き合うことではじめてその良さがわかる『通』好みの町、と言える。たとえば、野伏のぶせ行者ぎょうじゃのように『粋』を愛する人種であれば、パンゲアやローラシアの町よりもゴンドワナの町並みをこそ愛することだろう。
 その町の外れ、草原に面した校外にムスタファの家はある。
 評議会に名を連ねるほどの有力商人の家らしく、大きく、堅牢で、長年の風雨に耐えてそびえつづけた歴史と風格を感じさせる。
 古い建物だけあって、門や壁をはじめ、あちこちの石材に長い年月の間についた傷や汚れがあるが、それが価値を落とすことなく逆に時代を超えて生きのこった『本物』の良さを感じさせる。
 それがムスタファの家、すなわち、ロウワンが『ロウワン』の名前を名乗る前、幼少期を過ごした家だった。
 その家にはいま、ムスタファと妻のアーミナのふたりだけが住んでいる。幼き日のロウワンに騎士マークスの伝説を語って聞かせ、将来への夢をはぐくんだ祖母はすでにいない。長年、住みつづけた家のなかで天寿をまっとうし、いまは町外れの墓地に眠っている。子沢山のゴンドワナ商人らしくきょうだいもいるのだが、いまは寄宿学校に通っているので家には住んでいない。
 その歴史と伝統に満ちた家、夫婦ふたりきりで過ごすには広すぎるその家のなかにはいま、半狂乱となった女性の声が響いていた。
 「あの子が……あの子が帰ってきたんですって⁉」
 「……『帰ってきた』んじゃない」
 半狂乱になった妻の叫びに、ムスタファはむっつりと答えた。
 「『やってきた』んだ。自由の国リバタリアの主催、ロウワンとして」
 「立場や名前なんてどうでもいいわ! あの子がわたしたちの息子であることにかわりはないのよ!」
アーミナはそう叫ぶと外に駆け出そうとした。その腕をムスタファがつかんだ。
 「どこに行く気だ?」
 そう尋ねはしたもののもちろん、行き先などわかっている。妻の腕をつかむムスタファの顔には後悔の念が浮いている。
 ロウワンのことを話せばこうなることはわかっていた。騎士マークスの伝説に夢中だった息子が家出したあのときから、一日たりと息子のことを心配しない日などなかったアーミナである。
 ――やはり、話すべきではなかったか。
 そんな気もする。しかし、さすがに、消息不明だった息子が生きて故郷にやってきたことを妻に隠しておくことは出来なかった。
 アーミナは夫の腕を振り払いながら叫んだ。
 「決まっているでしょう! あの子に会いに行くのよ」
 「駄目だ」
 ムスタファは玄武岩のような重さと重厚さでそう告げると、アーミナの前に立ちはだかった。そのがっしりした体で妻と玄関の間をふさいだ。
 「あの子は自由の国リバタリアの主催ロウワンとして、この国にやってきた。国と国の交渉をまとめるためにだ。おれたちの息子として帰ってきたわけじゃない。現に、おれに対しても『ロウワン』以外としての姿は見せなかった」
 「それがなによ⁉ 国と国の話がどうあろうと、母親が自分の子どもに会ってはいけない理由にはならないわ」
 「あの子はいま、世界の運命を賭けた大きな仕事をしようとしている。親ならばそれを応援してやるべきだ。よけいなことをして邪魔をするべきではない」
 ムスタファはあくまでも妻を押しとどめた。アーミナはあらゆる語彙ごいを尽くして夫を罵倒ばとうしたが、ムスタファのいわおのような胸は揺らぐことはなかった。
 そんな夫婦のやりとりを、家の外からこっそりうかがっているものがいた。
 ビーブとトウナである。
 ビーブにムスタファのあとをつけてもらって家をつきとめ、やってきた。そして、夫婦喧嘩に出っくわした、と言うわけだった。
 トウナは溜め息をつきながら、首を左右に振った。
 「息子も息子だけど、父親も相当に頑固そうね」
 これも、似たもの親子というのかしら、と、トウナは少々、皮肉っぽく思った。
 「キキキッ」
 ――まったく。人間って言うのはどうしてこう面倒なんだか。会いたいなら会えばいいだろうに。
 ビーブもあきれたように手話で語った。
 「『人間が』って言うより『男が』面倒くさいんだけどね。仕方ないわ。ここはひとつ、面倒見てあげましょうか」
 「キキキッ」
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