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第二部 絆ぐ伝説
第五話五章 海賊戦法
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虎の子の天命船を苦もなく全滅させた相手。
その恐るべき敵が自分めがけて肉薄してくる。殺到してくる。殺意と猛気とをドラゴンの息のごとく吐き出し、波を蹴立てて突き進んでくる。その姿を見たとき――。
ダリルの精神は切れた。恐慌を来した。いまにも心臓発作を起こしそうな表情で手を振りまわし、泡を吹きながら叫んだ。
「う、撃てっ! 撃って、撃って、撃ちまくれ! やつらを近づけるな!」
そう叫びながら本人はと言えば尻込みし、後ずさり、船の後ろへうしろへと逃げていく。
その姿と表情を見れば、ダリルの叫びが勇気や責任感から出た指示などではなく、恐怖に襲われたあげくの悲鳴だということは誰の目にも明らかだった。
出陣前、ダリルは一族の当主たる大公サトゥルヌスに言ったものである。
「どうぞ、極上の酒と銀の盆をたっぷりとご用意ください。海賊どもの生首を銀の盆の上に並べ、天下一の酒宴と洒落込みましょうぞ」
その大言壮語をすっかり忘れ、逃げ場などあるはずもない海の上で必死に逃れようとする。
結論から言えばダリルの叫びはまったくのまちがいだった。
虎の子の天命船は全滅させられたとは言え、その他の船団はまったくの無傷。すべての船の砲門を合わせれば、小型船中心の自由の国の船団などよりはるかに強力な火力があるのだ。
それならば、だ。
いまだ距離があるのを幸い、狙われた本隊は戦うことなく後退し、左右両翼が反転して敵船団の後方から襲いかかるのをまって反転、三方から包囲し、殲滅する。
それが、この状況でもっとも正しい選択だった。
しかし、しょせん素人に過ぎないダリルにそこまでの判断をするだけの知識も、経験も、冷静さもなかった。なにより、敵に狙われながらまともな判断を下すだけの胆力がなかった。決して無能ではない幕僚たちにしても、絶対の切り札であった天命船が苦もなく全滅させられるという『あり得ない』事態を見せつけられて動転していた。とっさに、最善の策をとるだけの心の余裕がなかった。そして、なにより――。
自由の国の海賊たちは、ローラシア軍にそんな最適解をとらせるほどノロマではなかった。
ローラシア軍にとっては航行を邪魔する厄介者でしかない強風。その強風を練達の操船術にものを言わせて味方につけ、常識では考えられないほどの速度で肉薄する。
ローラシアの主力艦隊が逃げることも、左右両翼が反転して追いつくことも不可能な速度。波を蹴立ててグングン距離をつめ、眼前に迫る。ローラシア兵の目から見れば『一瞬で目の前に移動してきた』としか思えない、途方もない速さだった。
「う、撃てっ! 撃て、撃て、撃て!」
その叫びを最初に発したのが誰なのかはわからない。しかし、とにかく、ローラシア船団のあちこちでその叫びがあがった。しかし――。
もう遅い。
もとより、通常の大砲で敵船を破壊できる距離など一〇〇メートルにも満たない。船の図体のでかさと移動速度とを考えれば、まさに一またぎ分の距離。練達の操船術にものを言わせて砲手が発射準備に手間取っている間に肉薄し、船体をぶつけて砲手を吹き飛ばし、船と船の間に渡り板をかけるなど、海賊たちにとっては造作もないことだった。
それは、海賊たちにとっては文字通りの日常茶飯事。生活の一部。一般人が飯を食うように、息をするように、ごく自然に出来ることだった。
「ヒャッホー!」
遠足に行く子どものように楽しげな叫びをあげて、次々に渡り板に飛び乗り、敵船に乗り移る。
もちろん、ローラシア兵も手をこまねいて見ていたわけではない。応戦した。乗り移られるのを防ごうとした。銃を並べ、発砲した。
その何発かは確かに命中した。幾人かの海賊が銃弾を浴びて吹き飛ばされ、血の花を咲かせながら海のなかへと落ちていく。しかし――。
海賊たちは怯まない。たじろがない。口々に歓声をあげて飛び移ってくる。死の恐怖を乗り越える言うより、死そのものの存在を無視する陽気さをもって次々とやってくる。
その姿はローラシア兵から見れば、とても人間とは思えないものだった。伝説の海の魔物が海の底から這いあがり、襲ってきた……そう言われた方がまだ納得できた。
ローラシア兵はその迷信的な恐怖に捕らわれ、怯んだ。銃声が一瞬、やんだ。それだけで充分だった。海賊たちはその一瞬の隙をついて敵船に乗り移った。
こうなってしまえば海賊のもの。一気に斬り込み、敵味方入り乱れての乱戦に持ち込み、銃を使えなくする。
剣を振りまわしての戦いとなれば、ローラシア兵は海賊たちの敵ではなかった。
ローラシア兵は正規の軍人であり毎日、厳しい訓練に明け暮れている。それに対し海賊たちは訓練の『く』の字も知らない怠惰な無法者の群れ。日々を酒と女と賭け事に費やし、鍛錬などしたこともない。
しかし、こと実戦経験ということにかけてはローラシア兵など足元にも及ばない。実戦に次ぐ実戦で培われた糞度胸と喧嘩殺法はなまじな鍛錬の成果などはるかに凌ぐのだ。
海賊たちは奇声をあげて斬り込んだ。
手にしたカトラスを振りまわした。
悲鳴をあげ、血の花を咲かせるのはローラシアの兵ばかり。
そのなかでも群を抜いて目立っていたのはやはり、ガレノアである。
頭ひとつ抜き出た長身。他を圧する厚みのある肉体。甲板も割れよとばかりに足音高く突き進み、手にしたカトラスを振りまわす。
ガレノアにかかればカトラスも斬撃用の武器ではない。殴りつける武器である。右に、左に、風車のごとく振りまわし、剣の平で叩き、峰でぶん殴る。肉をひしゃげ、頭蓋骨をたたき割る。剣の制作者が見れば、
「お前は棍棒を使え!」
と、叫ぶにちがいない掟破りの使い方。
しかし、それがガレノア。
南の海において恐怖の代名詞とされる女海賊の戦い方だった。
そのガレノアの脇では参謀長のボウが熟練の技量を見せつけていた。
すでに五〇代。戦士としてはとうに第一線を引退していい年齢。事実、一度は歳を考えて引退し、地上で暮らしていた。しかし、若い頃から叩き込まれた剣技はいまもって衰えてはいない。
さすがに、若い頃のような速さ、力強さは失われたもののその分、円熟味を増した技量は熟練の極みであり、つけ込む隙も、逃げ出す隙もない堅実なものだった。
ローラシア兵相手に剣を振るうその姿が、そのまま若い剣士の教科書として使えそうな戦い振りで、士気にも、練度にも劣る敵兵を血祭りにあげていく。
さらに、他の船では〝ブレスト〟・ザイナブが『ガレノアから後継者に指名されるだけのことはある』と万民が納得するだけの戦い振りを見せていた。
手にする武器は海賊愛用のカトラスではない。
砂漠の曲刀シャムシール。
月の沙漠をラクダに乗って移動する遊牧民が好んで使用する、湾曲した刀身をもつ長剣である。カトラスほど丈夫でもなければ、多用途にも使えない。しかし、人間相手の切れ味ではカトラスにはるかに勝る。
〝ブレスト〟は、そのシャムシールを振るってローラシア兵を次々と斬り捨てる。
剣を振るうその姿は『力感』というものを感じさせないほどになめらかで、ネコのようにしなやか。その足捌きは舞踊のように優美なもので、まるで酒場で剣舞を披露する舞姫のよう。
「国一番の踊り子だった」
そう噂されるだけのことはある動きだった。
しかし、その斬撃は砂漠の太陽のように激烈。ひとたび、振るわれれば確実に敵兵を斬り裂き、甲板上にひれ伏させる。
なにより恐るべきは全身を包むその気配。怒りと憎しみ、そして、復讐心とが混じりあい、ひとつになって、全身から噴き出している。その憎悪が黒い炎となって吹きあがっているのが目に見えるような激しさだった。
むき出しになったふたつの乳房に目を向ける余裕もない。ローラシア兵にとってそのむき出しの胸は乳房などではなく、復讐心に燃える飢えたオオカミの頭にしか見えなかった。
その姿に迷信的な恐怖をあおられたローラシア兵は悲鳴をあげて逃げるばかり。もはや、まともに戦おうとするものさえいなかった。
こうなってしまえば、火力の差などなんの意味もない。むしろ、小型で小回りが効くというのが利点となる。
次々と敵船に接近してはあるいは渡り板を渡し、あるいはフックのついたロープをかけて船側をよじ登り、敵船に乗り移って剣を振るう。
もとより、小型船中心の自由の国とちがい、ローラシアの船は大型船ばかり。乗組員の数で言えばローラシア側が圧倒している。
しかし、戦闘員の数となれば話がちがう。
ローラシア船員の大半は船を操るための水夫であり、戦闘員として乗り組んでいるのは全体のごく一部でしかない。しかも、その水夫たちの多くが反乱防止のために鎖で身を縛られ、鞭で脅されて働く奴隷階級の人間なのだ。戦おうにも戦えるわけがない。
海賊はちがう。
船に乗るものすべてが戦士。帆を操る水夫だろうと、櫂の漕ぎ手だろうと、はたまた料理係だろうと関係ない。襲撃となれば全員が戦士となり、剣を手に戦う。数においても、実戦経験においても常に圧倒できる。
船と船とが密着してしまっていれば、大砲など使いようがない。味方の船まで一緒に沈めかねない砲撃など出来るわけもない。仮に、無茶な船長がいて、その『出来ないこと』をやってのけたところで問題はない。そのまま乗り移った船を制圧し、乗っ取ってしまえばいいだけのこと。
それが、海賊の戦い方というものだった。
そして、もうひとつ。
勝敗を左右する重大な要素があった。
ロウワンがゴンドワナ議長ヘイダールに語ったように、自由の国には元ローラシアの奴隷が大勢いる。鎖で繋がれ、鞭で打たれ、重労働を強制され、『道具』として扱われてきた人間たち。
尊厳を奪われ、子どもを売られ、決して、人間として扱われることはない。そんな境遇のなかから望みももたずにただ逃げ出し、万に一つの幸運に恵まれて南の海へと至り、海賊となった人間たち。
そのかの人たちにしてみれば、ローラシア相手の戦いはローラシア貴族への積年の恨みを晴らす絶好の機会。怒りと憎悪をたぎらせ、死の恐怖を無視する猛々しい復讐者と化して襲いかかる。
その狂気とも言うべき闘争心はローラシア兵の理解を超えたものであり、恐怖の対象そのものだった。技量や経験以前にその激しい復讐心に気圧されてしまい、戦うどころではなかったのである。
これこそが、ガレノアが語った『自由の国が勝つ理由』だった。そして――。
ガレノアの語ったもうひとつの理由、『ローラシアが負ける理由』もそこかしこで表われていた。
その恐るべき敵が自分めがけて肉薄してくる。殺到してくる。殺意と猛気とをドラゴンの息のごとく吐き出し、波を蹴立てて突き進んでくる。その姿を見たとき――。
ダリルの精神は切れた。恐慌を来した。いまにも心臓発作を起こしそうな表情で手を振りまわし、泡を吹きながら叫んだ。
「う、撃てっ! 撃って、撃って、撃ちまくれ! やつらを近づけるな!」
そう叫びながら本人はと言えば尻込みし、後ずさり、船の後ろへうしろへと逃げていく。
その姿と表情を見れば、ダリルの叫びが勇気や責任感から出た指示などではなく、恐怖に襲われたあげくの悲鳴だということは誰の目にも明らかだった。
出陣前、ダリルは一族の当主たる大公サトゥルヌスに言ったものである。
「どうぞ、極上の酒と銀の盆をたっぷりとご用意ください。海賊どもの生首を銀の盆の上に並べ、天下一の酒宴と洒落込みましょうぞ」
その大言壮語をすっかり忘れ、逃げ場などあるはずもない海の上で必死に逃れようとする。
結論から言えばダリルの叫びはまったくのまちがいだった。
虎の子の天命船は全滅させられたとは言え、その他の船団はまったくの無傷。すべての船の砲門を合わせれば、小型船中心の自由の国の船団などよりはるかに強力な火力があるのだ。
それならば、だ。
いまだ距離があるのを幸い、狙われた本隊は戦うことなく後退し、左右両翼が反転して敵船団の後方から襲いかかるのをまって反転、三方から包囲し、殲滅する。
それが、この状況でもっとも正しい選択だった。
しかし、しょせん素人に過ぎないダリルにそこまでの判断をするだけの知識も、経験も、冷静さもなかった。なにより、敵に狙われながらまともな判断を下すだけの胆力がなかった。決して無能ではない幕僚たちにしても、絶対の切り札であった天命船が苦もなく全滅させられるという『あり得ない』事態を見せつけられて動転していた。とっさに、最善の策をとるだけの心の余裕がなかった。そして、なにより――。
自由の国の海賊たちは、ローラシア軍にそんな最適解をとらせるほどノロマではなかった。
ローラシア軍にとっては航行を邪魔する厄介者でしかない強風。その強風を練達の操船術にものを言わせて味方につけ、常識では考えられないほどの速度で肉薄する。
ローラシアの主力艦隊が逃げることも、左右両翼が反転して追いつくことも不可能な速度。波を蹴立ててグングン距離をつめ、眼前に迫る。ローラシア兵の目から見れば『一瞬で目の前に移動してきた』としか思えない、途方もない速さだった。
「う、撃てっ! 撃て、撃て、撃て!」
その叫びを最初に発したのが誰なのかはわからない。しかし、とにかく、ローラシア船団のあちこちでその叫びがあがった。しかし――。
もう遅い。
もとより、通常の大砲で敵船を破壊できる距離など一〇〇メートルにも満たない。船の図体のでかさと移動速度とを考えれば、まさに一またぎ分の距離。練達の操船術にものを言わせて砲手が発射準備に手間取っている間に肉薄し、船体をぶつけて砲手を吹き飛ばし、船と船の間に渡り板をかけるなど、海賊たちにとっては造作もないことだった。
それは、海賊たちにとっては文字通りの日常茶飯事。生活の一部。一般人が飯を食うように、息をするように、ごく自然に出来ることだった。
「ヒャッホー!」
遠足に行く子どものように楽しげな叫びをあげて、次々に渡り板に飛び乗り、敵船に乗り移る。
もちろん、ローラシア兵も手をこまねいて見ていたわけではない。応戦した。乗り移られるのを防ごうとした。銃を並べ、発砲した。
その何発かは確かに命中した。幾人かの海賊が銃弾を浴びて吹き飛ばされ、血の花を咲かせながら海のなかへと落ちていく。しかし――。
海賊たちは怯まない。たじろがない。口々に歓声をあげて飛び移ってくる。死の恐怖を乗り越える言うより、死そのものの存在を無視する陽気さをもって次々とやってくる。
その姿はローラシア兵から見れば、とても人間とは思えないものだった。伝説の海の魔物が海の底から這いあがり、襲ってきた……そう言われた方がまだ納得できた。
ローラシア兵はその迷信的な恐怖に捕らわれ、怯んだ。銃声が一瞬、やんだ。それだけで充分だった。海賊たちはその一瞬の隙をついて敵船に乗り移った。
こうなってしまえば海賊のもの。一気に斬り込み、敵味方入り乱れての乱戦に持ち込み、銃を使えなくする。
剣を振りまわしての戦いとなれば、ローラシア兵は海賊たちの敵ではなかった。
ローラシア兵は正規の軍人であり毎日、厳しい訓練に明け暮れている。それに対し海賊たちは訓練の『く』の字も知らない怠惰な無法者の群れ。日々を酒と女と賭け事に費やし、鍛錬などしたこともない。
しかし、こと実戦経験ということにかけてはローラシア兵など足元にも及ばない。実戦に次ぐ実戦で培われた糞度胸と喧嘩殺法はなまじな鍛錬の成果などはるかに凌ぐのだ。
海賊たちは奇声をあげて斬り込んだ。
手にしたカトラスを振りまわした。
悲鳴をあげ、血の花を咲かせるのはローラシアの兵ばかり。
そのなかでも群を抜いて目立っていたのはやはり、ガレノアである。
頭ひとつ抜き出た長身。他を圧する厚みのある肉体。甲板も割れよとばかりに足音高く突き進み、手にしたカトラスを振りまわす。
ガレノアにかかればカトラスも斬撃用の武器ではない。殴りつける武器である。右に、左に、風車のごとく振りまわし、剣の平で叩き、峰でぶん殴る。肉をひしゃげ、頭蓋骨をたたき割る。剣の制作者が見れば、
「お前は棍棒を使え!」
と、叫ぶにちがいない掟破りの使い方。
しかし、それがガレノア。
南の海において恐怖の代名詞とされる女海賊の戦い方だった。
そのガレノアの脇では参謀長のボウが熟練の技量を見せつけていた。
すでに五〇代。戦士としてはとうに第一線を引退していい年齢。事実、一度は歳を考えて引退し、地上で暮らしていた。しかし、若い頃から叩き込まれた剣技はいまもって衰えてはいない。
さすがに、若い頃のような速さ、力強さは失われたもののその分、円熟味を増した技量は熟練の極みであり、つけ込む隙も、逃げ出す隙もない堅実なものだった。
ローラシア兵相手に剣を振るうその姿が、そのまま若い剣士の教科書として使えそうな戦い振りで、士気にも、練度にも劣る敵兵を血祭りにあげていく。
さらに、他の船では〝ブレスト〟・ザイナブが『ガレノアから後継者に指名されるだけのことはある』と万民が納得するだけの戦い振りを見せていた。
手にする武器は海賊愛用のカトラスではない。
砂漠の曲刀シャムシール。
月の沙漠をラクダに乗って移動する遊牧民が好んで使用する、湾曲した刀身をもつ長剣である。カトラスほど丈夫でもなければ、多用途にも使えない。しかし、人間相手の切れ味ではカトラスにはるかに勝る。
〝ブレスト〟は、そのシャムシールを振るってローラシア兵を次々と斬り捨てる。
剣を振るうその姿は『力感』というものを感じさせないほどになめらかで、ネコのようにしなやか。その足捌きは舞踊のように優美なもので、まるで酒場で剣舞を披露する舞姫のよう。
「国一番の踊り子だった」
そう噂されるだけのことはある動きだった。
しかし、その斬撃は砂漠の太陽のように激烈。ひとたび、振るわれれば確実に敵兵を斬り裂き、甲板上にひれ伏させる。
なにより恐るべきは全身を包むその気配。怒りと憎しみ、そして、復讐心とが混じりあい、ひとつになって、全身から噴き出している。その憎悪が黒い炎となって吹きあがっているのが目に見えるような激しさだった。
むき出しになったふたつの乳房に目を向ける余裕もない。ローラシア兵にとってそのむき出しの胸は乳房などではなく、復讐心に燃える飢えたオオカミの頭にしか見えなかった。
その姿に迷信的な恐怖をあおられたローラシア兵は悲鳴をあげて逃げるばかり。もはや、まともに戦おうとするものさえいなかった。
こうなってしまえば、火力の差などなんの意味もない。むしろ、小型で小回りが効くというのが利点となる。
次々と敵船に接近してはあるいは渡り板を渡し、あるいはフックのついたロープをかけて船側をよじ登り、敵船に乗り移って剣を振るう。
もとより、小型船中心の自由の国とちがい、ローラシアの船は大型船ばかり。乗組員の数で言えばローラシア側が圧倒している。
しかし、戦闘員の数となれば話がちがう。
ローラシア船員の大半は船を操るための水夫であり、戦闘員として乗り組んでいるのは全体のごく一部でしかない。しかも、その水夫たちの多くが反乱防止のために鎖で身を縛られ、鞭で脅されて働く奴隷階級の人間なのだ。戦おうにも戦えるわけがない。
海賊はちがう。
船に乗るものすべてが戦士。帆を操る水夫だろうと、櫂の漕ぎ手だろうと、はたまた料理係だろうと関係ない。襲撃となれば全員が戦士となり、剣を手に戦う。数においても、実戦経験においても常に圧倒できる。
船と船とが密着してしまっていれば、大砲など使いようがない。味方の船まで一緒に沈めかねない砲撃など出来るわけもない。仮に、無茶な船長がいて、その『出来ないこと』をやってのけたところで問題はない。そのまま乗り移った船を制圧し、乗っ取ってしまえばいいだけのこと。
それが、海賊の戦い方というものだった。
そして、もうひとつ。
勝敗を左右する重大な要素があった。
ロウワンがゴンドワナ議長ヘイダールに語ったように、自由の国には元ローラシアの奴隷が大勢いる。鎖で繋がれ、鞭で打たれ、重労働を強制され、『道具』として扱われてきた人間たち。
尊厳を奪われ、子どもを売られ、決して、人間として扱われることはない。そんな境遇のなかから望みももたずにただ逃げ出し、万に一つの幸運に恵まれて南の海へと至り、海賊となった人間たち。
そのかの人たちにしてみれば、ローラシア相手の戦いはローラシア貴族への積年の恨みを晴らす絶好の機会。怒りと憎悪をたぎらせ、死の恐怖を無視する猛々しい復讐者と化して襲いかかる。
その狂気とも言うべき闘争心はローラシア兵の理解を超えたものであり、恐怖の対象そのものだった。技量や経験以前にその激しい復讐心に気圧されてしまい、戦うどころではなかったのである。
これこそが、ガレノアが語った『自由の国が勝つ理由』だった。そして――。
ガレノアの語ったもうひとつの理由、『ローラシアが負ける理由』もそこかしこで表われていた。
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