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第一話 新王アンドレア
四章 騎士の再生
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「うおりゃあぁぁぁぁっ!」
裂帛の気合いとともに振りおろされた剣が巨大な魔物の身を両断する。真っ二つにされた魔物の身がグラリと揺れ、左右に倒れ、轟音を立てて地面に落ちる。
「ふう」
と、ギルドからの依頼を果たした騎士は心地よさげに息をつくと、愛用の長剣を地面に突き刺した。満面の笑顔になる。
「いやあ、爽快、爽快。最強騎士アンドレア、完全復活だ!」
アンドレアがおかみさんの小屋で他の母親たちと共同生活を送るようになって半年ほどが過ぎていた。赤ん坊のアートを他の母親に預けられるようになったおかげでいままでのような雑用ではない、ずっと実入りのいい魔物退治の仕事を請け負えるようになった。最初の頃はさすがに、体がなまっていたので思うように反応してくれなかったが、そこはアンドレア。レオンハルトで五本の指に入ると言われた剣士。何度か依頼を果たすうちにたちまち勘を取り戻し、本来の剣の冴えを発揮できるようになった。
こうなればもはや、そのあたりをうろつく野良魔物などいくらデカくてもアンドレアの敵ではない。長剣の一振りで片っ端から斬り伏せられる。ギルドの依頼を順調にこなし、地元では名の知られたハンターとなっていたし、おかみさんの小屋での稼ぎ頭にもなっていた。
「こいつの懸賞金はなかなかのものだからな。精がつくよう、肉でも買っていってやるか」
日頃、アートの子守などで世話になっている若い母親たち。日々、家事と子育て、そして、その他の仕事に追われるかの人たちのために精のつく食べ物を買っていってあげられるのは嬉しい。
熊猛紅蓮隊は壊滅し、勇者も敗死。
その報が広まるやいなや大陸中が不安に包まれ、逃亡による人手不足、それによる生産力の低下、売り惜しみに買い占め……等々が重なり、食糧価格は以前からは考えられないほど高騰している。普通に働いているだけでは肉などとても食べられない状況なのだ。
「子を育てる母が充分に食えないようでは次の世代は弱まるばかり。それでは、鬼部相手の戦いを勝ち抜くことは出来ん。きちんと食わせてやらなければならないからな」
そう語るアンドレアの顔はキリリと引き締まり、『人々を守る』騎士そのものの表情となっている。
騎士アンドレアの復活だった。
「おお、今日も元気に泣いてるなあ、アート」
ベッドの上でギャアギャア泣いている我が子を見てアンドレアは表情をほころばせた。と言うより『やにさがっている』と言うべきだろう。目尻などエロ中年よろしく垂れさがっており、親バカ丸出しの表情。とてもではないが、見られたものではない。
「お前は世界一元気で、世界一勇敢な赤ん坊だ。この母が必ずや、世界一の騎士に育ててやるからな」
両手で我が子を抱え、『高いたかい』しながらそう語る姿も親バカの典型。他人が見れば砂の一リットルも吐きたくなる光景である。
かつては、自分を苦しめる悪魔の歌に過ぎなかった理由不明のギャン泣きも、いまでは元気さを示す天使の鐘。そう思えるようになったのも、アートを他人に預けられるようになったからだ。
――まったく。いまにしても思うとなぜ、ああも『自分ひとりで子供を育てる』ことにこだわっていたのかわからないな。
そう思う。
そう思えるだけ、おとなになっていた。
――こんなことなら、最初から他人に頼っていればよかった。
そうも思うが、どん底まで苦しんだからこそ殻を破り、他人に頼ることが出来るようになった。あの労苦はアンドレアが人間として成長するために必要なことだった。
「お帰りなさい、アンドレア」
アンドレアが仕事に出ている間、アートを見ていてくれた若い母親が笑顔で挨拶した。
「ただいま、ミレルア。いつもありがとう、あなたがアートを見ていてくれるおかげでなんの心配もなく仕事に出かけられる」
「お互いさまよ。あたしだってあなたには助けられてるもの」
おかみさんの小屋では母親たちは何人かでチームを組み、日程を調整しながらそれぞれの仕事を分担している。家事と育児。外での仕事。休日。それらの日を順番にとることで気分転換しつつ、子育てを行っている。
もちろん、アンドレアも仕事に出かけるばかりではない。他の母親が仕事に出かけている日は残された子供たちの世話をする。もっとも、アンドレアは『魔物退治』という他の母親には出来ない仕事をしているために多少は特別扱いを受けている。そこには、
『アンドレアに子育てを任せていたら、本気で千尋の谷にたたき落としかねない』
『アンドレアの野性的すぎる料理を食べさせられるのは勘弁だわ』
と言う切実な理由もあるのだが、本人は気付いていない。『知らない方が幸せ』とはまさに、このことであったろう。
「今日はいい稼ぎになったからな。肉を買ってきた。さっそく、料理しよう。たらふく食べて精をつけてくれ」
アンドレアはそう言うなり肉の塊に槍を突き刺し、焚き火に直接かけて丸焼きにしようとする。ミレルアがあわてて止めに入った。
「あ、ああ、料理はあたしがするから! アンドレアは屋根の雨漏りを直しておいて。そう言う力仕事はアンドレアが一番だから」
「ん? そうか? では、ここは任すぞ」
アンドレアはそう言うと、腕まくりをして屋根に向かった。そして、ミレルアは――。
はあぁ~、と、安堵の息をつくと、丸焦げにされる運命から逃れた肉を切りわけ、丁寧に下ごしらえをはじめたのだった。
その夜はアンドレアが買ってきた肉を使って焼き肉パーティーと相成った。母親たちは久しぶりの肉に舌鼓を打った。子供たちも少し成長した育ち盛り、生意気盛りの世代は走りまわったり、肉の取り合いをしたりで大はしゃぎである。肉ばかり頬張るので『こら、野菜もちゃんと食べなさい!』と、おきまりのお叱りも受けている。
アンドレアはまだまだ幼い息子のアートを片腕で抱きながら、そんな様子を満ち足りた表情で見守っている。
「いい夜だね」
おかみさんがふくよかな体を揺らしながらやってきた。
「あんたが来てくれて助かったよ。こうしていまや貴重品となった肉を食べられるのも、あんたが魔物退治で稼いでくれるからだからね。感謝しているよ」
「とんでもない。感謝するのはわたしの方です。あなたに助けられていなければ、わたしは今頃、畜生道に落ちていたことでしょう。それからも、あなたには本当に多くのことを教えていただいた。とくに『手を抜く』ことを教えていただけたのは大きかった。そのおかげでわたしは余裕をもってアートの面倒を見られるようになった。これからもがんばって手を抜きます!」
胸を張ってそう宣言するアンドレアの態度に――。
あっはっはっはっ、と、おかみさんは朗らかに笑った。
「まったく。真面目な人間は手を抜くのも真面目だねえ。けど、いいことさ。ひとりで生きていける人間なんていやしない。頼り、頼られ、支えあって生きていく。そうでなきゃまともな人生なんて送れやしないからね」
「はい。いまとなればそのことがよくわかります。まったく、以前のわたしはなぜあそこまで『ひとりで』生きることにこだわっていたのか。子供だったのだなあ、と、自ら省みて恥ずかしい限りです」
「うんうん、いいことだよ。過去の自分を思い出して恥ずかしくなるってことは、ちゃんと成長しているってことだからね」
「はい」
アンドレアは力強くうなずいた。
「……ここに来てわたしは、他人と支えあって生きる喜びを知りました。この幸福をなんとしても守りたい。鬼部などに壊させはしない。つくづくと……そう思います」
アンドレアはその日、休日だった。
家事からも、子供の世話からも、外での仕事からも解放されて、一日中、好きに過ごしていい日。他の母親たちは休日には買い物に行ったり、芝居見物に行ったりするが、アンドレアはそんなことはしない。
アンドレアが休日にすることはただひとつ、鍛錬である。
朝から晩までぶっ通しで剣を振りつづける。そこにはアンドレアの深い決意があった。
――ここでの幸せな暮らしを壊させはしない。熊猛将軍ウォルターも、勇者ガヴァンも敗死したいま、鬼王を倒し、人々を守れるのはわたししかいない。
そう思う。そのために――。
――一刻も早く、戦場に戻らねば。
とは言え、勇者ガヴァンですら敗れて死んだ。その事実は鬼王を倒すことが容易ではないことを示している。自分が強いことはよく知っている。同時に、勇者には遠く及ばないことも自覚している。だからこそ、鍛錬する。もっともっと腕を磨き、勇者すらも凌ぐ力を身につけて鬼界島に乗り込むのだ。そして――。
「鬼王を倒す!」
そう叫びながらひたすらに剣を振るう。
そんなアンドレアを見て他の母親たちが遠慮がちに言ってくるようになった。
「あの……アンドレア」
「どうした?」
「あたしたちにも剣を教えて欲しいの」
「あなたたちに?」
「ええ。救世の勇者も負けたんでしょう? いつ、鬼部に襲われるかわからない。だったら、母親として、せめて自分の子供ぐらいは守れる力がほしいの」
そう語る母親たちの目は――。
真剣そのものだった。
「その意気や良し!」
アンドレアはその真剣さに負けない真摯さで答えた。
「あなたたちの覚悟に応えよう」
そして、おかみさんの小屋では定期的にアンドレアによる槍術道場が開かれるようになった。剣術ではなく槍術であるのは、初心者には剣よりも槍の方が扱いやすいこと、男に比べて小柄で力も弱い女性が振るうには、柄が長く、力を込めやすい槍の方が適しているなどの理由による。
槍の他、弓の扱いも教えた。皆、戦いにはまったくの素人なのでやはり、武器の扱いはたどたどしい。それでも皆、真剣そのものだった。その真剣さ、稽古に懸ける気迫は、かつての騎士学校の仲間たちにさえないものだった。それは――。
――我が子を守る。
と言う、『母の思い』そのものだった。
――そうか。そういうことだったのか。
アンドレアは、そんな母親たちの姿を見て思った。
『鬼部たちとの戦乱の時代だからこそ、女たちには子を産み、育てることに専念させねばならんのだ』
レオナルドはなにかにつけそう言っていた。かつては、反発するだけだったが、子育ての苦労を知ったいまではその言葉にも一理あることがわかっている。確かに、鬼部との戦いによって次々と人が死んでいく世にあっては、それに負けないぐらい子を産み、育てなければ人類の数はどんどん減っていってしまう。そして、子育てとは他の仕事をしながらこなせるようなそんな生易しいものではない。
とは言え、女たちを家庭に縛りつけておいては貴重な戦力をみすみす失うことになるのも事実。では、どうすればいいのか。
――簡単なことだったじゃないか。
いまのアンドレアには自明のことだった。
――先に子育てをすませてしまえばいい。若いうちに子を産み、育て、それから、働き手となればいい。子供もある程度の年齢になれば、親の必要性はずっと減る。そうなってから職場なり、戦場なりに出ればいい。子供が小さいうちに鍛練を重ね、子供からはなれられるようになってからその成果を発揮すればいいんだ。
――我が子を守る。
その必死の思いに突き動かされて鍛練を重ねる母親たちの姿を見て、アンドレアはそう悟った。
――我が子を守る。母親ならではのその思いに支えられたかの人たちは、史上最強の軍勢となる。鬼部相手に勝利を得るための切り札となるぞ。
そして、三年。
アンドレアはレオンハルトに帰ってきた。
戦う母たち、闘戦母の軍団を引き連れて。
裂帛の気合いとともに振りおろされた剣が巨大な魔物の身を両断する。真っ二つにされた魔物の身がグラリと揺れ、左右に倒れ、轟音を立てて地面に落ちる。
「ふう」
と、ギルドからの依頼を果たした騎士は心地よさげに息をつくと、愛用の長剣を地面に突き刺した。満面の笑顔になる。
「いやあ、爽快、爽快。最強騎士アンドレア、完全復活だ!」
アンドレアがおかみさんの小屋で他の母親たちと共同生活を送るようになって半年ほどが過ぎていた。赤ん坊のアートを他の母親に預けられるようになったおかげでいままでのような雑用ではない、ずっと実入りのいい魔物退治の仕事を請け負えるようになった。最初の頃はさすがに、体がなまっていたので思うように反応してくれなかったが、そこはアンドレア。レオンハルトで五本の指に入ると言われた剣士。何度か依頼を果たすうちにたちまち勘を取り戻し、本来の剣の冴えを発揮できるようになった。
こうなればもはや、そのあたりをうろつく野良魔物などいくらデカくてもアンドレアの敵ではない。長剣の一振りで片っ端から斬り伏せられる。ギルドの依頼を順調にこなし、地元では名の知られたハンターとなっていたし、おかみさんの小屋での稼ぎ頭にもなっていた。
「こいつの懸賞金はなかなかのものだからな。精がつくよう、肉でも買っていってやるか」
日頃、アートの子守などで世話になっている若い母親たち。日々、家事と子育て、そして、その他の仕事に追われるかの人たちのために精のつく食べ物を買っていってあげられるのは嬉しい。
熊猛紅蓮隊は壊滅し、勇者も敗死。
その報が広まるやいなや大陸中が不安に包まれ、逃亡による人手不足、それによる生産力の低下、売り惜しみに買い占め……等々が重なり、食糧価格は以前からは考えられないほど高騰している。普通に働いているだけでは肉などとても食べられない状況なのだ。
「子を育てる母が充分に食えないようでは次の世代は弱まるばかり。それでは、鬼部相手の戦いを勝ち抜くことは出来ん。きちんと食わせてやらなければならないからな」
そう語るアンドレアの顔はキリリと引き締まり、『人々を守る』騎士そのものの表情となっている。
騎士アンドレアの復活だった。
「おお、今日も元気に泣いてるなあ、アート」
ベッドの上でギャアギャア泣いている我が子を見てアンドレアは表情をほころばせた。と言うより『やにさがっている』と言うべきだろう。目尻などエロ中年よろしく垂れさがっており、親バカ丸出しの表情。とてもではないが、見られたものではない。
「お前は世界一元気で、世界一勇敢な赤ん坊だ。この母が必ずや、世界一の騎士に育ててやるからな」
両手で我が子を抱え、『高いたかい』しながらそう語る姿も親バカの典型。他人が見れば砂の一リットルも吐きたくなる光景である。
かつては、自分を苦しめる悪魔の歌に過ぎなかった理由不明のギャン泣きも、いまでは元気さを示す天使の鐘。そう思えるようになったのも、アートを他人に預けられるようになったからだ。
――まったく。いまにしても思うとなぜ、ああも『自分ひとりで子供を育てる』ことにこだわっていたのかわからないな。
そう思う。
そう思えるだけ、おとなになっていた。
――こんなことなら、最初から他人に頼っていればよかった。
そうも思うが、どん底まで苦しんだからこそ殻を破り、他人に頼ることが出来るようになった。あの労苦はアンドレアが人間として成長するために必要なことだった。
「お帰りなさい、アンドレア」
アンドレアが仕事に出ている間、アートを見ていてくれた若い母親が笑顔で挨拶した。
「ただいま、ミレルア。いつもありがとう、あなたがアートを見ていてくれるおかげでなんの心配もなく仕事に出かけられる」
「お互いさまよ。あたしだってあなたには助けられてるもの」
おかみさんの小屋では母親たちは何人かでチームを組み、日程を調整しながらそれぞれの仕事を分担している。家事と育児。外での仕事。休日。それらの日を順番にとることで気分転換しつつ、子育てを行っている。
もちろん、アンドレアも仕事に出かけるばかりではない。他の母親が仕事に出かけている日は残された子供たちの世話をする。もっとも、アンドレアは『魔物退治』という他の母親には出来ない仕事をしているために多少は特別扱いを受けている。そこには、
『アンドレアに子育てを任せていたら、本気で千尋の谷にたたき落としかねない』
『アンドレアの野性的すぎる料理を食べさせられるのは勘弁だわ』
と言う切実な理由もあるのだが、本人は気付いていない。『知らない方が幸せ』とはまさに、このことであったろう。
「今日はいい稼ぎになったからな。肉を買ってきた。さっそく、料理しよう。たらふく食べて精をつけてくれ」
アンドレアはそう言うなり肉の塊に槍を突き刺し、焚き火に直接かけて丸焼きにしようとする。ミレルアがあわてて止めに入った。
「あ、ああ、料理はあたしがするから! アンドレアは屋根の雨漏りを直しておいて。そう言う力仕事はアンドレアが一番だから」
「ん? そうか? では、ここは任すぞ」
アンドレアはそう言うと、腕まくりをして屋根に向かった。そして、ミレルアは――。
はあぁ~、と、安堵の息をつくと、丸焦げにされる運命から逃れた肉を切りわけ、丁寧に下ごしらえをはじめたのだった。
その夜はアンドレアが買ってきた肉を使って焼き肉パーティーと相成った。母親たちは久しぶりの肉に舌鼓を打った。子供たちも少し成長した育ち盛り、生意気盛りの世代は走りまわったり、肉の取り合いをしたりで大はしゃぎである。肉ばかり頬張るので『こら、野菜もちゃんと食べなさい!』と、おきまりのお叱りも受けている。
アンドレアはまだまだ幼い息子のアートを片腕で抱きながら、そんな様子を満ち足りた表情で見守っている。
「いい夜だね」
おかみさんがふくよかな体を揺らしながらやってきた。
「あんたが来てくれて助かったよ。こうしていまや貴重品となった肉を食べられるのも、あんたが魔物退治で稼いでくれるからだからね。感謝しているよ」
「とんでもない。感謝するのはわたしの方です。あなたに助けられていなければ、わたしは今頃、畜生道に落ちていたことでしょう。それからも、あなたには本当に多くのことを教えていただいた。とくに『手を抜く』ことを教えていただけたのは大きかった。そのおかげでわたしは余裕をもってアートの面倒を見られるようになった。これからもがんばって手を抜きます!」
胸を張ってそう宣言するアンドレアの態度に――。
あっはっはっはっ、と、おかみさんは朗らかに笑った。
「まったく。真面目な人間は手を抜くのも真面目だねえ。けど、いいことさ。ひとりで生きていける人間なんていやしない。頼り、頼られ、支えあって生きていく。そうでなきゃまともな人生なんて送れやしないからね」
「はい。いまとなればそのことがよくわかります。まったく、以前のわたしはなぜあそこまで『ひとりで』生きることにこだわっていたのか。子供だったのだなあ、と、自ら省みて恥ずかしい限りです」
「うんうん、いいことだよ。過去の自分を思い出して恥ずかしくなるってことは、ちゃんと成長しているってことだからね」
「はい」
アンドレアは力強くうなずいた。
「……ここに来てわたしは、他人と支えあって生きる喜びを知りました。この幸福をなんとしても守りたい。鬼部などに壊させはしない。つくづくと……そう思います」
アンドレアはその日、休日だった。
家事からも、子供の世話からも、外での仕事からも解放されて、一日中、好きに過ごしていい日。他の母親たちは休日には買い物に行ったり、芝居見物に行ったりするが、アンドレアはそんなことはしない。
アンドレアが休日にすることはただひとつ、鍛錬である。
朝から晩までぶっ通しで剣を振りつづける。そこにはアンドレアの深い決意があった。
――ここでの幸せな暮らしを壊させはしない。熊猛将軍ウォルターも、勇者ガヴァンも敗死したいま、鬼王を倒し、人々を守れるのはわたししかいない。
そう思う。そのために――。
――一刻も早く、戦場に戻らねば。
とは言え、勇者ガヴァンですら敗れて死んだ。その事実は鬼王を倒すことが容易ではないことを示している。自分が強いことはよく知っている。同時に、勇者には遠く及ばないことも自覚している。だからこそ、鍛錬する。もっともっと腕を磨き、勇者すらも凌ぐ力を身につけて鬼界島に乗り込むのだ。そして――。
「鬼王を倒す!」
そう叫びながらひたすらに剣を振るう。
そんなアンドレアを見て他の母親たちが遠慮がちに言ってくるようになった。
「あの……アンドレア」
「どうした?」
「あたしたちにも剣を教えて欲しいの」
「あなたたちに?」
「ええ。救世の勇者も負けたんでしょう? いつ、鬼部に襲われるかわからない。だったら、母親として、せめて自分の子供ぐらいは守れる力がほしいの」
そう語る母親たちの目は――。
真剣そのものだった。
「その意気や良し!」
アンドレアはその真剣さに負けない真摯さで答えた。
「あなたたちの覚悟に応えよう」
そして、おかみさんの小屋では定期的にアンドレアによる槍術道場が開かれるようになった。剣術ではなく槍術であるのは、初心者には剣よりも槍の方が扱いやすいこと、男に比べて小柄で力も弱い女性が振るうには、柄が長く、力を込めやすい槍の方が適しているなどの理由による。
槍の他、弓の扱いも教えた。皆、戦いにはまったくの素人なのでやはり、武器の扱いはたどたどしい。それでも皆、真剣そのものだった。その真剣さ、稽古に懸ける気迫は、かつての騎士学校の仲間たちにさえないものだった。それは――。
――我が子を守る。
と言う、『母の思い』そのものだった。
――そうか。そういうことだったのか。
アンドレアは、そんな母親たちの姿を見て思った。
『鬼部たちとの戦乱の時代だからこそ、女たちには子を産み、育てることに専念させねばならんのだ』
レオナルドはなにかにつけそう言っていた。かつては、反発するだけだったが、子育ての苦労を知ったいまではその言葉にも一理あることがわかっている。確かに、鬼部との戦いによって次々と人が死んでいく世にあっては、それに負けないぐらい子を産み、育てなければ人類の数はどんどん減っていってしまう。そして、子育てとは他の仕事をしながらこなせるようなそんな生易しいものではない。
とは言え、女たちを家庭に縛りつけておいては貴重な戦力をみすみす失うことになるのも事実。では、どうすればいいのか。
――簡単なことだったじゃないか。
いまのアンドレアには自明のことだった。
――先に子育てをすませてしまえばいい。若いうちに子を産み、育て、それから、働き手となればいい。子供もある程度の年齢になれば、親の必要性はずっと減る。そうなってから職場なり、戦場なりに出ればいい。子供が小さいうちに鍛練を重ね、子供からはなれられるようになってからその成果を発揮すればいいんだ。
――我が子を守る。
その必死の思いに突き動かされて鍛練を重ねる母親たちの姿を見て、アンドレアはそう悟った。
――我が子を守る。母親ならではのその思いに支えられたかの人たちは、史上最強の軍勢となる。鬼部相手に勝利を得るための切り札となるぞ。
そして、三年。
アンドレアはレオンハルトに帰ってきた。
戦う母たち、闘戦母の軍団を引き連れて。
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