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第一話 新王アンドレア
六章 国王よ、ざまぁを食らえっ!
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「レオンハルト国王の座を懸け、きさまに決闘を申し込む!」
「な、なんだと?」
思いもかけないアンドレアの宣言に――。
レオナルドは『獅子王』とまで呼ばれた辣腕家とは思えない様子で目を白黒させていた。まわりに付き従う、いまや数少くなった兵士たちもあまりな展開に呆気にとられ、ポカンとした間抜け面をさらしたまま、その場に立ち尽くしている。
そのなかでアンドレアただひとりが鬼のような気迫をもってレオナルドに剣を突きつけている。
「聞こえなかったのか? きさまに決闘を申し込むと言ったのだ。レオンハルト国王の座を懸けてな」
「ば、馬鹿なことを……」
レオナルドはようやくそれだけを言った。
「王家の血も引かぬお前に、レオンハルト国王たる資格なぞないぞ」
レオナルドは事実上ただひとりでアンドレアと闘戦母たちに対峙していた。
まわりに居並ぶ兵士たちの誰ひとりとして、国王をかばってアンドレアの前に立とうとするものはいなかった。いきなりすぎる展開になにが起きているのか理解出来ていない、という理由もある。しかし、なによりも、いまさらレオナルドのために生命を懸けて戦おう、などと言う殊勝な心がけの兵士はひとりもいなかったのだ。レオナルドはそれだけ人心を失っていた。
「資格ならある」
アンドレアはレオナルドの『窮余の一策』、『最後の砦』とも言うべき言葉に対し、冷徹なまでの意思を込めて答えた。
アンドレアは救護班のひとりに指示を出した。ほどなくして三歳ばかりの幼い男の子が連れてこられた。その子を見たレオナルドの顔がこわばる。
「ま、まさか……」
「そうだ、レオナルド。この子はお前の子だ。お前がわたしに産ませた子だ。名をアート・アレクサンデル・アンドレアス。この子はまぎれもなくお前の息子であり、レオンハルト王家の一員。この子にはレオンハルト国王たる完全な資格がある。そして、生母であるわたしには、この子が成人するまでの間、玉座を預かる権利がある。わたしがレオンハルト国王になることはまったく正当な行為だ」
アンドレアは一息にそう言った。
それから、改めて剣の切っ先をレオナルドに突きつけた。
「では、行くぞ。決闘だ」
「な、なに……?」
「わたしは正面から堂々ときさまに決闘を申し込んだ。これだけ話しかけもした。そして、正面から斬りかかる。これだけそろえばもはや不意打ちなどとは言えん。備えがないならきさまが間抜けだったと言うことだ」
その言葉とともに――。
アンドレアは一気に踏み込んだ。
――まさか、本当にレオンハルト国王たるおれに向かって剣を振るいはするまい。なんと言ってもこいつは、あれほど王家に忠誠を尽くしてきた『騎士』アンドレアなんだ。
レオナルドにはそんな油断があったのだろう。本当にアンドレアが自分に向かって剣を向けるはずがない、と。それでなくても内政家としては優れていても『武』においては素人同然のレオナルドである。大陸屈指の戦士であるアンドレアに太刀打ちできるはずがない。
ただ一合。
飛ぶ鳥すら落とす勢いで振るわれたアンドレアの剣は的確にレオナルドの頭をとらえていた。斬り捨てた……わけではない。この場で殺すつもりはない。剣の平で頭をしたたかに叩き、昏倒させたのだ。
レオナルドは気を失い、あっけなく地面に転がった。息を呑む兵士たちを尻目にアンドレアは仲間である――部下ではない――闘戦母たちに叫んだ。
「いまこそ新たな時代を開くとき! レオンハルト王宮を征圧するのだ!」
そして、アンドレアと闘戦母たちは王都へ突入した。
立ちふさがるものことごとくを斬り倒し、街道を血の色に染めて王宮に向かった……わけではまったくない。
アンドレアにとって王都に入ることは、あくまでも帰還であって侵略ではない。闘戦母たちにとって王都の民は戦うべき対象ではない。アンドレアは王都侵入に際して略奪・暴行の類は一切しないこと、違反したものがいれば自らの手で首を刎ねることを宣言していた。それでなくても『鬼部から我が子を守る』という一心で槍を手にした闘戦母たちだ。同じ人間相手に槍を向けるわけがない。
そもそも、この母たちの集団の前に立ちふさがるものなど誰もいなかった。もし、侵入を阻もうと立ちふさがるものがいれば、心ならずも流血の事態になったかも知れない。しかし、いま、この王都にいるのは『国から見捨てられた』と言ってもいい人々だ。
国がふがいなかったばかりに家族を殺され、故郷を奪われ、ここまで身ひとつで逃げてきた人々だ。
生命を懸けて国を守るべき理由などどこにもなかった。
なにが起きたのか正確なところは誰もわからないまま家に閉じこもって――家のないものは物陰に潜んで――様子をうかがうばかりだった。
アンドレアたちは文字通り、無人の野を突き進んだ。ただし――。
その静けさも王宮にたどり着くまでのこと。王宮内ではれっきとした嵐が吹き荒れた。
「レオナルドに取り入り、国を傾けた無能官吏ども、ただのひとりも逃がすな!」
アンドレアは王宮に突入するに際し、そう指示した。
さらに、付け加えた。
「ことに、レオナルドの愛人デボラは絶対に逃がすな! この危急存亡の時に一〇万を数える白鳥を飼うことにうつつを抜かし、人々の苦しみを増やした罪人だ! 必ずや、この手で裁いてくれる!」
そして、アンドレアと闘戦母たちは王宮に突入した。手にてに槍を構えて。
市民に対しては『やれ!』と命令されても手を出すようなことはしなかった闘戦母たちも王宮に巣くう官吏相手となれば話がちがう。
国は自分たちを見捨てた。
守ってくれなかった。
自分たちを犠牲にして高い塀に囲まれてのうのうと暮らしている。
その反感は等しくもっている。さすがに、無抵抗のものを串刺しにするような真似はしないものの身柄を捕え、拘束することにかけてはなんの遠慮もためらいもない。なんの益も功もないままに王宮に巣くい、文字通り国民に寄生して生きてきた貴族や高級官吏たちは次々と闘戦母たちに捕えられ、縄をかけられ、虜囚の辱めを受けた。
それをとめるものはいない。レオナルドとともに出陣していた兵士たちはそのすべてがアンドレアに従っていたし、王宮に残っていたごく少数の兵士たちも投降するか、逃げるかしていた。王宮に巣くう貴族や高級官吏のために生命を捨てて勝ち目のない戦いを挑む兵士など、ただのひとりもいなかったのだ。
そんななか、デボラはひとり、王宮内を必死に逃げまわっていた。
「助けて、助けて!」
そう叫びながら必死に走りまわる。
自分がいままでなにをやってきたか、どれだけ人々の怒りを買ってきたか。
それを知るだけに捕まればどうなるかも容易に想像できる。五〇の坂を越しながらなお妖艶さを保っていた美貌もいまは面影すらなく、年相応の中年女そのものと化している。
そのことに気がつく余裕もなく、デボラは助けを求めて必死に王宮を走りまわる。そして、ようやく見つけた。レオンハルト王国の鎧に身を包み、剣をさげた兵士の一団を。デボラの顔が喜びに輝いた。絶望のなかに希望を見出した人間特有のすがりつく喜びだった。
実のところ、その一団はもはや兵士というより盗賊と呼ぶ方がいい一団だった。この混乱の隙に金目のものを少しばかり頂戴してどこかに逃げ延びるつもりだったのだ。しかし、デボラにはそんなことはわからないし、気に懸けている余裕もない。デボラは兵士たちにすがりついた。
「助けて! あの侵入者たちを追い払って!」
兵士はデボラを乱暴にふりほどいた。
これが、少し前までのデボラであれば、金目のものをもらうついでにさらっていこう……と、考えたかも知れない。しかし、単なる中年女と化したいまのデボラにはそんな価値さえもなかった。
「白鳥たちに助けてもらったらどうだ」
兵士たちはそう言い残し、デボラを置いて逃げ去った。
後ろからは自分を捕えようと追いかけてくる軍靴の音。
デボラは恐慌を来した。必死に逃げまわった。そして、いつか、白鳥宮へとやってきていた。自分が魂を込めて建造した白鳥たちの楽園へと。
そこにはいまでも水にも、食糧にも困ることなく、丸々と太った一〇万を超える数の白鳥たちが優雅に暮らしていた。
「助けて!」
デボラは叫んだ。
なによりも愛した白鳥たちに向かって。
その声に応えるかのように――。
白鳥たちは一斉に羽ばたいた。デボラを尻目に空高く飛びあがり、二度と帰っては来なかった。ただひとり残されたデボラはその場にへたり込んだ。追いかけてきた兵士たちがその体を乱暴にねじりあげた。デボラにはもう――。
そんな乱暴な扱いに抗議するだけの気力さえ残されていなかった。
玉座の間。
そこでは、いままさに王国の歴史がかわったことを示す出来事が展開されていた。
贅を凝らした玉座にはわずか三歳の幼児が座り、その横では生母たるアンドレアが騎士装束に身を包んだまま仁王立ちしている。そして――。
昨日までの玉座の間の主人であったレオナルドは縄を掛けられた格好でアンドレアの眼前に引き立てられ、膝をつけて、床に置かれている。愛人であるデボラとともに。
『獅子王』とまで呼ばれた男にとってこれほどの屈辱はない。まさに、目も眩む思い。しかし、レオナルドにはウォルターの剛力も、ガヴァンの剣技もない。縄を引きちぎる力も、まわりを囲む兵士たちを蹴散らす力もなく、ただただ屈辱に耐えているしかなかった。
「前国王レオナルド」
アンドレアが厳かに宣言した。
『前国王』とわざわざ呼びかけたのはかの人なりの嫌味であったろうか。
「前国王レオナルド。お前は確かに為政者としては優れていた。国内の治安を守り、産業を振興し、教育を充実させた。お前の手腕によってレオンハルトは大きく発展した。それは確かだ。その業績は否定しようもない。しかし……」
アンドレアは怒りや恨みよりもむしろ、悲しみと惜しむ思いを乗せて言葉をつづけた。
「お前は自らの有能さに溺れ、自分ひとりですべてを解決できる気になっていた。従うものあっての王だというのに、そのことを忘れていた。王である自分に他者が従うのは当然だと思い込み、傲慢に振る舞い、人心を失った。その結果がこれだ。その意味を噛みしめるのだな」
アンドレアはそう言うと兵士たちに指示した。
「レオナルドとデボラの縄を解いてやれ」
そう言ってから宣告した。
「本日ただいまをもって、この両名をレオンハルト王国から永久に追放する! 一両日を過ぎてなお、このふたりのうちどちらか、あるいは、両方の姿を認めたなら即座に斬り捨てよ!」
こうして、レオナルドとデボラは追放された。かつて、レオナルド自らが追放したアンドレアの手によって。三年前とは完全に立場が逆になっていた。兵士たちの槍に追われ、身ひとつで国を追われる昨日までの王とその愛人。このふたりに『余生』と呼べるものがあったのかどうか。それは誰も知らない……。
王都を掌握したアンドレアは精力的に活動を開始した。
まずは、各地に宣撫官を派遣し、なにが起きたのかを説明した。
レオナルドは追放になったこと、
新たな王はレオナルドの息子アートが務めること、
いまだ三歳児でしかないアートが成人するまで聖母であるアンドレアが仮の王として治めること……。
等々が説明された。
そこまでなら、すでに国に対してなんの期待もしなくなっていた人々にとってはどうでもいいことに過ぎなかった。しかし――。
アンドレアが運び込んできた大量の水と食糧、医薬品は人々を狂気させた。
「困窮しているものは遠慮なく申し出よ! 我々はレオンハルトの民を救うために帰ってきたのだ。苦しめるために来たのではない」
その通達につづいてアンドレアは高々と宣言した。
「わたしは騎士だ。一介の騎士だ。戦のことは知っていても国を治めることなどなにも知らない。だから、それを知るものに頼む。王宮に参上し、国を治める術について教えていただきたい。今後の国政に関して意見あるものはどんなことでもいい。我が前に来て申し述べてくれ。ただひとりの王によってすべてが決められるのではない。国民誰もが国に行く末について意見できる。そんな時代がくるのだ!」
いまここに――。
アンドレアという新たな王を得て、レオンハルト王国は灰のなかから蘇ったのだ。
第一話完
第二話につづく
「な、なんだと?」
思いもかけないアンドレアの宣言に――。
レオナルドは『獅子王』とまで呼ばれた辣腕家とは思えない様子で目を白黒させていた。まわりに付き従う、いまや数少くなった兵士たちもあまりな展開に呆気にとられ、ポカンとした間抜け面をさらしたまま、その場に立ち尽くしている。
そのなかでアンドレアただひとりが鬼のような気迫をもってレオナルドに剣を突きつけている。
「聞こえなかったのか? きさまに決闘を申し込むと言ったのだ。レオンハルト国王の座を懸けてな」
「ば、馬鹿なことを……」
レオナルドはようやくそれだけを言った。
「王家の血も引かぬお前に、レオンハルト国王たる資格なぞないぞ」
レオナルドは事実上ただひとりでアンドレアと闘戦母たちに対峙していた。
まわりに居並ぶ兵士たちの誰ひとりとして、国王をかばってアンドレアの前に立とうとするものはいなかった。いきなりすぎる展開になにが起きているのか理解出来ていない、という理由もある。しかし、なによりも、いまさらレオナルドのために生命を懸けて戦おう、などと言う殊勝な心がけの兵士はひとりもいなかったのだ。レオナルドはそれだけ人心を失っていた。
「資格ならある」
アンドレアはレオナルドの『窮余の一策』、『最後の砦』とも言うべき言葉に対し、冷徹なまでの意思を込めて答えた。
アンドレアは救護班のひとりに指示を出した。ほどなくして三歳ばかりの幼い男の子が連れてこられた。その子を見たレオナルドの顔がこわばる。
「ま、まさか……」
「そうだ、レオナルド。この子はお前の子だ。お前がわたしに産ませた子だ。名をアート・アレクサンデル・アンドレアス。この子はまぎれもなくお前の息子であり、レオンハルト王家の一員。この子にはレオンハルト国王たる完全な資格がある。そして、生母であるわたしには、この子が成人するまでの間、玉座を預かる権利がある。わたしがレオンハルト国王になることはまったく正当な行為だ」
アンドレアは一息にそう言った。
それから、改めて剣の切っ先をレオナルドに突きつけた。
「では、行くぞ。決闘だ」
「な、なに……?」
「わたしは正面から堂々ときさまに決闘を申し込んだ。これだけ話しかけもした。そして、正面から斬りかかる。これだけそろえばもはや不意打ちなどとは言えん。備えがないならきさまが間抜けだったと言うことだ」
その言葉とともに――。
アンドレアは一気に踏み込んだ。
――まさか、本当にレオンハルト国王たるおれに向かって剣を振るいはするまい。なんと言ってもこいつは、あれほど王家に忠誠を尽くしてきた『騎士』アンドレアなんだ。
レオナルドにはそんな油断があったのだろう。本当にアンドレアが自分に向かって剣を向けるはずがない、と。それでなくても内政家としては優れていても『武』においては素人同然のレオナルドである。大陸屈指の戦士であるアンドレアに太刀打ちできるはずがない。
ただ一合。
飛ぶ鳥すら落とす勢いで振るわれたアンドレアの剣は的確にレオナルドの頭をとらえていた。斬り捨てた……わけではない。この場で殺すつもりはない。剣の平で頭をしたたかに叩き、昏倒させたのだ。
レオナルドは気を失い、あっけなく地面に転がった。息を呑む兵士たちを尻目にアンドレアは仲間である――部下ではない――闘戦母たちに叫んだ。
「いまこそ新たな時代を開くとき! レオンハルト王宮を征圧するのだ!」
そして、アンドレアと闘戦母たちは王都へ突入した。
立ちふさがるものことごとくを斬り倒し、街道を血の色に染めて王宮に向かった……わけではまったくない。
アンドレアにとって王都に入ることは、あくまでも帰還であって侵略ではない。闘戦母たちにとって王都の民は戦うべき対象ではない。アンドレアは王都侵入に際して略奪・暴行の類は一切しないこと、違反したものがいれば自らの手で首を刎ねることを宣言していた。それでなくても『鬼部から我が子を守る』という一心で槍を手にした闘戦母たちだ。同じ人間相手に槍を向けるわけがない。
そもそも、この母たちの集団の前に立ちふさがるものなど誰もいなかった。もし、侵入を阻もうと立ちふさがるものがいれば、心ならずも流血の事態になったかも知れない。しかし、いま、この王都にいるのは『国から見捨てられた』と言ってもいい人々だ。
国がふがいなかったばかりに家族を殺され、故郷を奪われ、ここまで身ひとつで逃げてきた人々だ。
生命を懸けて国を守るべき理由などどこにもなかった。
なにが起きたのか正確なところは誰もわからないまま家に閉じこもって――家のないものは物陰に潜んで――様子をうかがうばかりだった。
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その静けさも王宮にたどり着くまでのこと。王宮内ではれっきとした嵐が吹き荒れた。
「レオナルドに取り入り、国を傾けた無能官吏ども、ただのひとりも逃がすな!」
アンドレアは王宮に突入するに際し、そう指示した。
さらに、付け加えた。
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そして、アンドレアと闘戦母たちは王宮に突入した。手にてに槍を構えて。
市民に対しては『やれ!』と命令されても手を出すようなことはしなかった闘戦母たちも王宮に巣くう官吏相手となれば話がちがう。
国は自分たちを見捨てた。
守ってくれなかった。
自分たちを犠牲にして高い塀に囲まれてのうのうと暮らしている。
その反感は等しくもっている。さすがに、無抵抗のものを串刺しにするような真似はしないものの身柄を捕え、拘束することにかけてはなんの遠慮もためらいもない。なんの益も功もないままに王宮に巣くい、文字通り国民に寄生して生きてきた貴族や高級官吏たちは次々と闘戦母たちに捕えられ、縄をかけられ、虜囚の辱めを受けた。
それをとめるものはいない。レオナルドとともに出陣していた兵士たちはそのすべてがアンドレアに従っていたし、王宮に残っていたごく少数の兵士たちも投降するか、逃げるかしていた。王宮に巣くう貴族や高級官吏のために生命を捨てて勝ち目のない戦いを挑む兵士など、ただのひとりもいなかったのだ。
そんななか、デボラはひとり、王宮内を必死に逃げまわっていた。
「助けて、助けて!」
そう叫びながら必死に走りまわる。
自分がいままでなにをやってきたか、どれだけ人々の怒りを買ってきたか。
それを知るだけに捕まればどうなるかも容易に想像できる。五〇の坂を越しながらなお妖艶さを保っていた美貌もいまは面影すらなく、年相応の中年女そのものと化している。
そのことに気がつく余裕もなく、デボラは助けを求めて必死に王宮を走りまわる。そして、ようやく見つけた。レオンハルト王国の鎧に身を包み、剣をさげた兵士の一団を。デボラの顔が喜びに輝いた。絶望のなかに希望を見出した人間特有のすがりつく喜びだった。
実のところ、その一団はもはや兵士というより盗賊と呼ぶ方がいい一団だった。この混乱の隙に金目のものを少しばかり頂戴してどこかに逃げ延びるつもりだったのだ。しかし、デボラにはそんなことはわからないし、気に懸けている余裕もない。デボラは兵士たちにすがりついた。
「助けて! あの侵入者たちを追い払って!」
兵士はデボラを乱暴にふりほどいた。
これが、少し前までのデボラであれば、金目のものをもらうついでにさらっていこう……と、考えたかも知れない。しかし、単なる中年女と化したいまのデボラにはそんな価値さえもなかった。
「白鳥たちに助けてもらったらどうだ」
兵士たちはそう言い残し、デボラを置いて逃げ去った。
後ろからは自分を捕えようと追いかけてくる軍靴の音。
デボラは恐慌を来した。必死に逃げまわった。そして、いつか、白鳥宮へとやってきていた。自分が魂を込めて建造した白鳥たちの楽園へと。
そこにはいまでも水にも、食糧にも困ることなく、丸々と太った一〇万を超える数の白鳥たちが優雅に暮らしていた。
「助けて!」
デボラは叫んだ。
なによりも愛した白鳥たちに向かって。
その声に応えるかのように――。
白鳥たちは一斉に羽ばたいた。デボラを尻目に空高く飛びあがり、二度と帰っては来なかった。ただひとり残されたデボラはその場にへたり込んだ。追いかけてきた兵士たちがその体を乱暴にねじりあげた。デボラにはもう――。
そんな乱暴な扱いに抗議するだけの気力さえ残されていなかった。
玉座の間。
そこでは、いままさに王国の歴史がかわったことを示す出来事が展開されていた。
贅を凝らした玉座にはわずか三歳の幼児が座り、その横では生母たるアンドレアが騎士装束に身を包んだまま仁王立ちしている。そして――。
昨日までの玉座の間の主人であったレオナルドは縄を掛けられた格好でアンドレアの眼前に引き立てられ、膝をつけて、床に置かれている。愛人であるデボラとともに。
『獅子王』とまで呼ばれた男にとってこれほどの屈辱はない。まさに、目も眩む思い。しかし、レオナルドにはウォルターの剛力も、ガヴァンの剣技もない。縄を引きちぎる力も、まわりを囲む兵士たちを蹴散らす力もなく、ただただ屈辱に耐えているしかなかった。
「前国王レオナルド」
アンドレアが厳かに宣言した。
『前国王』とわざわざ呼びかけたのはかの人なりの嫌味であったろうか。
「前国王レオナルド。お前は確かに為政者としては優れていた。国内の治安を守り、産業を振興し、教育を充実させた。お前の手腕によってレオンハルトは大きく発展した。それは確かだ。その業績は否定しようもない。しかし……」
アンドレアは怒りや恨みよりもむしろ、悲しみと惜しむ思いを乗せて言葉をつづけた。
「お前は自らの有能さに溺れ、自分ひとりですべてを解決できる気になっていた。従うものあっての王だというのに、そのことを忘れていた。王である自分に他者が従うのは当然だと思い込み、傲慢に振る舞い、人心を失った。その結果がこれだ。その意味を噛みしめるのだな」
アンドレアはそう言うと兵士たちに指示した。
「レオナルドとデボラの縄を解いてやれ」
そう言ってから宣告した。
「本日ただいまをもって、この両名をレオンハルト王国から永久に追放する! 一両日を過ぎてなお、このふたりのうちどちらか、あるいは、両方の姿を認めたなら即座に斬り捨てよ!」
こうして、レオナルドとデボラは追放された。かつて、レオナルド自らが追放したアンドレアの手によって。三年前とは完全に立場が逆になっていた。兵士たちの槍に追われ、身ひとつで国を追われる昨日までの王とその愛人。このふたりに『余生』と呼べるものがあったのかどうか。それは誰も知らない……。
王都を掌握したアンドレアは精力的に活動を開始した。
まずは、各地に宣撫官を派遣し、なにが起きたのかを説明した。
レオナルドは追放になったこと、
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等々が説明された。
そこまでなら、すでに国に対してなんの期待もしなくなっていた人々にとってはどうでもいいことに過ぎなかった。しかし――。
アンドレアが運び込んできた大量の水と食糧、医薬品は人々を狂気させた。
「困窮しているものは遠慮なく申し出よ! 我々はレオンハルトの民を救うために帰ってきたのだ。苦しめるために来たのではない」
その通達につづいてアンドレアは高々と宣言した。
「わたしは騎士だ。一介の騎士だ。戦のことは知っていても国を治めることなどなにも知らない。だから、それを知るものに頼む。王宮に参上し、国を治める術について教えていただきたい。今後の国政に関して意見あるものはどんなことでもいい。我が前に来て申し述べてくれ。ただひとりの王によってすべてが決められるのではない。国民誰もが国に行く末について意見できる。そんな時代がくるのだ!」
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第一話完
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