神の物語

藍条森也

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幕間

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 なにもない部屋だった。虫さえ這いあがれないようななめらかな壁に囲まれただけの部屋。部屋というより箱といったほうがぴったりとくる。
 その箱のなかにひとりの男が立っていた。
 大きな男だった。
 体が大きいというのではない。身にまとう雰囲気が大きいのだ。いながらにして人を従わせる威厳と人々を包み込む包容力を感じさせる。
 指導者。
 一言でいえばそうなる。
 そんな男だった。
 男はシュランドに似ていた。ずっと年上で体付きも大きかったが、それでもよく似ていた。とくに目の辺りはそっくりだ。シュランドをおとなにし、成熟した深みと落ち着きを与えればこうなるだろう。そう思わせる男だった。
 男の目の前にはひとつの球体が浮いていた。その球体のなかに三人の人の姿が浮かんでいた。タマモ、カグヤ、そして、シュランド。いまにも崩壊しようとしている黄泉比良坂から必死に逃れようとする三人の姿が球体のなかにありありと映し出されていたのだ。
 壁の一部が音もなく開いた。ひとりの人影が入ってきた。小柄でほっそりとした体付き、抜けるような白い肌、白銀に輝くサラサラとした短い髪、妖しいほどに深紅に輝く瞳。
 《姫》。
 シュランドがそう呼ぶあの少女だった。
 《姫》が口を開いた。相変わらず感情というものを感じさせない無機的な声だった。
 「気になる?」
 静かな問いに男は答えた。
 「あやつを《カグヤ》と引き合わせるとはな。よけいなことをしてくれる」
 「わたしにはわたしの使命がある。果たさないわけにはいかない」
 「ふん。未来を滅ぼす使命か」
 「シュランドはやがてここにくる。あなたを殺すために」
 「もう遅い。おれを殺すことはもはや誰にもできん」
 「それでも、彼はくる。あなたを殺し、この世界を《すさまじきもの》から救うために」
 「させるわけにはいかん」
 きっぱりと――。
 男は言い切った。
 「おれは人の親だ。親として子を殺して生き延びる道を選ぶわけにはいかん。親は子供に道を譲る。それが自然の摂理というものだ。人類は未来を殺して生き伸びるよりも自然の摂理のままに滅びるべきなのだ」
 「自然の摂理に逆らうのが人間。だからこそ、ここまで発展してきた」
 「ならばなぜ、お前は、いや、お前を創ったものたちは、おれたちを心ある人間として創った? 単に《すさまじきもの》から自分たちを守る盾が必要なら心をもたない人形として作ればよかった。自分たちの意のままになる操り人形としてな。それでも充分、《すさまじきもの》の襲撃は防げたはずだ」
 「彼らのなかにも迷いはある。自分たちのしようとしていることが本当に正しいのか。その結果、この宇宙にどんな影響を及ぼすのか。それぐらいなら自然のままに滅びを、と。その迷いが人造人間に『心を与える』という結論になった」
 「自分たちのために創っておいて、その創ったものに自分たちの運命を決めさせようとしたか。なんとも無責任な話だな」
 「それには同意する。けれど、わたしも彼らに創られたもの。わたしにはどうすることもできない」
 男はきびすを返した。歩きだした。《姫》の脇を通り過ぎ、出口に向かった。
 《姫》が声をかけた。
 「行く? シュランドを殺しに?」
 「あやつがあくまで《すさまじきもの》を滅ぼすつもりだというのなら、おれはやつをとめなければならん。たとえ、殺してでもな」
 「あなたにシュランドとカグヤを殺せるとは思えない。それができるものならば人類を裏切ったあのときにしていたはず。でも、あなたはそうしなかった。シュランドの能力を封印し、カグヤの記憶を奪い、野に放った。ふたりが普通の人間として生きていけるように。それなのにいまなら殺せると?」
 「……やつも戦士になったようだ。子供は殺せずとも戦士ならば殺せる」
 あのとき、仲間の戦士たちを殺し尽くしたようにな。
 男はそう付け加えた。
 それきり、男はなにも言わなかった。外へ出て行った。壁が閉じた。箱のなかに《姫》だけがとり残された。浮いていた球体が消え、箱のなかは完全な闇と無音とに包まれた。そのなかで《姫》の静かな声が響いた。
 「その確固たる意志は尊敬する」
 《姫》は男の名を口にした。
 「ヤシャビト」
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