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一話
リンゴじいさんの遺産
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――そうだ。リンゴを作ろう。
ジョニーじいさんはそう思った。
――鬼部との戦いがはじまった! 我こそはと思わんものは人類防衛のための聖なる戦いに参加せよ!
都からやってきた募兵官のその叫びを聞いたときのことだ。
「鬼部の侵攻だって?」
「まさか。あれはただのお伽噺だろ?」
「お伽噺ならわざわざ募兵官がやってきたりしないだろ」
「まさか、本当に鬼どもが侵略しにきたってのか?」
他の村人たちが『鬼部の侵攻』と聞いてもピンとこず、そんな戸惑いの言葉をかわすなか、ジョニーじいさんだけはちがった。
ジョニーじいさんが思ったことはただひとつ。
――食い物が足りなくなる!
それだけだった。
ジョニーじいさんはこの貧しい山間の寒村に生まれた。農家の次男坊だった。『農家の』などとわざわざ付ける必要はないだろう。この貧しい村には農家以外の仕事などないのだから。
――このまま村にいたらろくなことにならない。一生、兄貴の奴隷として過ごすだけだ。結婚もできないし、子供だってもてやしない。
山間の小さな村。周囲は山と谷に囲まれ、狩猟と炭焼き、それに農業以外には出来ることとてない。農地を広げることも出来ない。先祖代々、伝えられてきた農地を守っていくだけで精一杯。その農地を子供ごとに分けて受け継がせていては畑はどんどん小さくなっていく。誰も暮らしていくことが出来ないほどに。
だから、畑は長子がまとめて受け継ぐ。
それが村の慣習だった。
二番目以下の子供は長子の家に住みつづけ、最低限の食事と狭い部屋だけを与えられる。それを代償として生涯、長子に尽くし、奴隷のように働くことを運命づけられる。
ひとりにしか畑を継がせることが出来ないのに、なぜ、ふたりめ、さんにんめを産むのか?
その理由はただひとつ。
長子が育つとは限らないからだ。
つまり、長子が死んだときにかわりに家を継がせるため、言わば保険として産んでおくのだ。となれば、長子が無事、成人して家を継ぐことになれば二番目以降はいらなくなる、と言うことだ。だからこそ、何も与えられず、長子の奴隷として生きることを宿命づけられる。
それが、この貧しい村の昔からの在り方だった。
実際、死んだような目をして長子の家で黙々と働く二番目、三番目の子供をずっと見てきた。薪を割り、水を汲み、畑を耕し、長子の子供の面倒を見る。そして――。
自分は子供をもつこともなくひとり、死んでいく。
――そんなのはゴメンだ!
若き日のジョニーじいさんはそう思った。
だから、村を出た。家出同然に。そして、都に行き、軍隊に入った。学もない、コネもない、特技と言えば薪割りぐらい。そんな田舎の人間が入り込める就職先と言えば軍隊ぐらいしかなかったからだ。戦いなんてしたくはなかったが、それでも軍隊勤めとなれば給料は出る。給料もなしに兄の家で奴隷暮らしを送るよりはずっとマシだった。
――それに、食い物を運ぶ部隊ならたらふく食えるはずだ。
そう思い、輜重隊に志願した。
望み通り、食料を運ぶための部隊に配属された。
――これでもう食うに困らないぞ。
そう喜んだ。
とは言え、現実はそう甘くはなかった。何と言っても輜重隊の役目は前線の兵士たちのもとに食料を届けること。足りなくなれば自分たちの食う分をへらして前線の兵士たちに分け与えなくてはならない。そのために、食料の山を目の前にしながらすきっ腹を抱えて歩く羽目になったことも何度もある。
『「人手が足りない』と言うので、いきなり武器をもたされ、前線に立たされたこともある。これまでの人生で握ったことのある刃物と言えば薪割り用の斧ぐらい。戦闘訓練ひとつ、満足に受けていなかったというのに。
それでも、とにかく、何とか生き残った。
――運が良かった。
まったく、そう思う。
素質もない。才能もない。そもそも戦う気がない。腹いっぱい食って過ごせればそれでいい。それしか考えたことはない。そんな自分が軍隊のなかで生き抜き、無事に退役の日を迎えたと言うのだ。まったく、『運が良い』と言うしかない。
つくづくとそう思う。
運が良いことはもうひとつあった。
軍隊暮らしをしている間、故郷の村は大変なことになっていた。作物に疫病が発生し、多くの村人が飢え死にしたのだ。それを人づてに聞いたとき、思ったことはただひとつ。
――よかった。村に残っていればおれも飢え死にしているところだった。おれは運が良い。
飢え死にした村人のことを気に病む余裕などなかった。そのなかにはかの人の兄とその家族もいたのだが、それすらも気にならなかった。自分が食っていくだけで精一杯だったのだ。
退役後にはわずかだが恩給も出た。
そして、ジョニーじいさんは帰ってきた。自分の生まれた寒村へと。
皮肉と言うべきだろう。作物を襲った疫病によって多くの餓死者が出たために村の人口は激減していた。兄一家も全滅だった。そのために、受け継ぐベき畑ができたのだ。
以来、ジョニーじいさんは村の畑を耕し、かつかつの暮らしを送ってきた。
そして、ある日突然、時の流れから切り離されたようなこの村に都から募兵官がやってきた。
「鬼部の侵攻がはじまった! 我こそはと思わんものは人類防衛のための聖なる戦いに参加せよ!」と、そう叫んだ。
地べたを這いずるようにしてただ、目先の食を手にするためだけに生きてきたジョニーじいさんだ。他の村人たちのように鬼部の存在を疑うようなことはしなかった。思ったことはただひとつ。
――戦になれば食い物がなくなる!
その一言だった。
戦となればまず男たちは戦場にとられる。牛や馬も軍用に徴用される。残された年寄りと女子供だけでは畑を耕し、作物を育てるのはむずかしい。どうしても収量は減る。その上、なけなしの食料は前線の兵士たちに送るために、その多くが徴発される。
まさに踏んだり蹴ったりだ。
――食えなくなるのはいやだ。
――腹が空くのはいやだ。
何はなくても腹いっぱい食える生活だけは守りたい。そのために――。
自分のような年寄りや、女子供でも世話の出来る作物が必要だった。
ジョニーじいさんの考えたことはまさにそれだけだった。
年寄りや女子供だけでも世話ができて、たっぷりと収穫出来る。そんな作物を作るのだ。
しかし、どうやって?
学問なんて何ひとつないジョニーじいさんにおいそれと良い考えが浮かぶはずもなかった。
それでも、作物を育てる苦労は知り尽くしている。作物の栽培で大変なのは種まきと草取り、そして、収穫だ。収穫はどうにもならないとしてもせめて、種まきと草取りをせずにすますことができれば………。
そう思ったとき、思いついたのだ。
――リンゴを植えよう、と。
果樹であれば一度、植えてしまえば何年も実を付けてくれる。穀物のように毎年まいとし種を蒔き、苗を育て、植え付ける、などという手間はいらない。雑草だっていちいちむしらなくてもいい。背の高くなる果樹ならば、雑草の勢いに負けて育たなくなる、などと言うことはないからだ。
それに、リンゴならおいしくて栄養もある。単位面積当たりの収量も穀物より多い。
――そうだ。リンゴだ。リンゴを植えよう。たくさんのリンゴを作れば戦になっても腹いっぱい食える。
そう思ったのだ。
ただ、問題がひとつ。
リンゴの木は大きい。
見上げるばかりに大きく育つ。
とても手の届かないところに実を付ける。
木に登ったり、梯子をかけたりして実をもぐのは年寄りや女子供には辛い仕事だ。何とかもっと小さいまま、実を付けることができるようになれば……。
その日からジョニーじいさんの戦いはじまった。
なけなしの恩給を払って農学書を買いあさり、字など読めないので村でただひとりの教師に読んでもらった。
小さいまま成木に育てるために盛り土を行い、根域を制限した。
幹の皮をはぎ、樹勢を押さえた。
幹を斜めに植えて地面に這わせてみた。
上へうえへと伸びる枝を横に伸ばし、高さを抑えた。
肥料や水やりを工夫した。
人の背丈よりも小さなリンゴの木に実を付ける。
その目的のもと、ありとあらゆる努力を行った。
時はあっという間に過ぎていった。
リンゴの木が実を付けるようになるまで数年かかる。つまり、どんなに工夫してもその結果が出るのは何年も先と言うこと。そこで失敗すれば数年分の苦労が無駄になる。その苦行にも似た行為をしかし、ジョニーじいさんは黙々とこなしつづけた。
飢えないために。
腹いっぱい、食うために。
ただ、そのためだけに。
リンゴの栽培に没頭するあまり、畑仕事はすっかりおろそかになった。自分の食べる麦一粒作ることはなくなった。修道院の炊き出しにすがり、人々からわずかばかりの施しをもらい、そうして食いつないだ。
村の人々はいつか、ジョニーじいさんのことを『リンゴじいさん』と呼ぶようになった。
それは、愛称ではない。
通称ですらない。
蔑称だ。
――できもしないことにかまけて畑仕事ひとつやらないろくでなし。
そう言っていたのだ。
それでも、ジョニーじいさんはリンゴの栽培をつづけた。
本人にももはや実現出来るかどうかなどわからない。それでも、とにかく、やりつづけた。
何年たったろうか。
冬のある日。家の竈に薪をくべて暖をとりながら、ジョニーじいさんはなけなしの恩給で買った本を読んでいた。
ただひとりの教師に何度もなんども読んでもらったおかげで少しぐらいなら文字を読めるようになっていた。食うものは麦の一粒とてなかったが、斬り倒したリンゴの木はいっぱいあったので薪だけはたくさんあった。火のご馳走だけには事欠かなかった。
「リンゴじいさん、またお勉強?」
ひとりの女の子が戸を開けて入ってきた。
ジョニーじいさんが教師に本を読んでもらいに学校に通っているときに知り合った村の子供だ。他の子供たちがおとなたちに合わせてジョニーじいさんを蔑むなか、なぜか、この子だけはジョニーじいさんに懐いていた。
『リンゴじいさん』と呼ぶのも、他の村人たちのように蔑みからではなく、親しみからだった。
ジョニーじいさんは深いシワの刻まれた顔に柔和な表情を浮かべて、女の子を迎えた。
「おお、リーザか。今日も来てくれたのかい」
「うん。はい、これ。今日の分」
と、リーザと呼ばれた村の子供は小さなパンの欠片を差し出した。毎日、自分のパンを少しだけ残しておいて、もってきてくれるのだ。
「ありがとうよ」
ジョニーじいさんはそう言って嬉しそうに小さなパンの欠片を口に放り込んだ。
リーザはジョニーじいさんの手元の本をのぞき込んだ。
「リンゴじいさん、いつもご本を読んでるのね」
「ああ。いまになってつくづく思っとるよ。もっと若い頃から勉強して文字を読めるようになっとればよかったとな。そうすればもっと多くの本を読んで、もっと多くのことを知ることが出来ていた。そうしていればもっとうまくリンゴの栽培が出来たろうに。リーザよ。お前さんはちゃんと学んでおくんじゃぞ。文字が読めれば多くのことを知ることが出来るからな」
ジョニーじいさんはそう言って女の子を頭を撫でるのだった。
一〇年以上の月日がたった。
風の噂によれば鬼部の侵攻は徐々に激しさを増しているらしい。一方で、人類最大国家であるレオンハルトに新しい王が誕生し、諸国をまとめあげ、連合して鬼部に対抗する体制が整えられたという。男たちは次々と戦場にとられ、ジョニーじいさんの心配したとおり、食糧危機が現れはじめた。そして、その頃――。
ジョニーじいさんが死んだ。
リーザがいつも通りパンの欠片をもっていくと、すでに床に倒れ、冷たくなっていた。栄養不良に冬の寒さが重なり、あっけなく死んでしまったのだ。
――自業自得だ。
村人たちは口をそろえてそう罵った。
――できもしないことにかまけて畑仕事ひとつやらないから、こんな目に遭うんだ。
村の誰も、ジョニーじいさんの葬儀を出してやろうなどとは思わなかった。リーザひとりで埋葬した。ジョニーじいさんが懸命に栽培実験をつづけてきたリンゴの木の側に。
「ここなら安心して眠れるでしょう、リンゴじいさん? 精魂込めて育ててきたリンゴの木を見守ってあげてね」
そして、春。
墓参りに訪れたリーザはひとつの奇跡を見ることになる。何本かのリンゴの木、自分のの背丈よりも低いままのリンゴの木に幾つもの花が咲いていたのだ。
リーザは仰天した。大喜びで村人たちに報告した。誰も信用しようとはしなかった。それでも、たしかに、リーザの背丈よりも低いリンゴの木はいっぱいの花を付けていたのだ。
そして、夏が過ぎ、秋が来た。春先に咲いていた花は立派なリンゴの実にかわっていた。ジョニーじいさんが精魂を傾けて取り組んだリンゴの矮性化技術。それは実を結んでいたのだ。
ジョニーじいさんが残していた記録からその栽培方法が解明された。それはまさに、ジョニーじいさんが試してきたあらゆる栽培技術の集大成だった。
盛り土。
根域制限。
樹皮のはぎ取り。
枝の誘引。
水と肥料のやり方。
そのすべてを組み合わせ、ついに実現させたのだ。
そうやって栽培されたリンゴの木は人の背丈ほどの高さでたくさんの実を付けた。これなら年寄りでも、女子供でも簡単に収穫出来る。男たちが戦にとられても、残った人々だけで食料を生産出来るのだ。
しかも、思わぬ恩恵もあった。
普通の栽培方法では実を付けるまで四、五年はかかるリンゴの木が、この方法だとわずか二年で実を付けはじめるのだ。早く実を付ければ、それだけ早く収穫出来る。より多くの食料を生産出来るのだ。
「見ている、リンゴじいさん? リンゴじいさんはたしかに、思いを叶えたのよ」
リーザは涙ながらにそう語った。
その栽培法はたちまち広まり、村はリンゴの村となった。
誰もが腹いっぱい、食えるようになった。
村中がジョニーじいさん、いや、リンゴじいさんに感謝した。いまや、『リンゴじいさん』は尊敬の言葉だった。
ジョニーじいさんの完成させた栽培技術はその後『ジョニー・アップルグランパ』を名乗る一団によって大陸中に広められ、多くの実りをもたらした。
それは、鬼部との戦いの間中、人々の胃袋を満たしつづけた。
貧しい寒村に生まれ、貧しい寒村に死んだ無学で、無教養で、何の力もないひとりの老人。ただ、腹いっぱい食うことだけを望んだ理想も、野心もない、ただの老人。
しかし、その老人は鬼部との過酷な戦いのなか、どんなに学問を修め、どんなに理想を掲げた聖職者や聖女よりも多くの人の生命を守り抜いた。
完
ジョニーじいさんはそう思った。
――鬼部との戦いがはじまった! 我こそはと思わんものは人類防衛のための聖なる戦いに参加せよ!
都からやってきた募兵官のその叫びを聞いたときのことだ。
「鬼部の侵攻だって?」
「まさか。あれはただのお伽噺だろ?」
「お伽噺ならわざわざ募兵官がやってきたりしないだろ」
「まさか、本当に鬼どもが侵略しにきたってのか?」
他の村人たちが『鬼部の侵攻』と聞いてもピンとこず、そんな戸惑いの言葉をかわすなか、ジョニーじいさんだけはちがった。
ジョニーじいさんが思ったことはただひとつ。
――食い物が足りなくなる!
それだけだった。
ジョニーじいさんはこの貧しい山間の寒村に生まれた。農家の次男坊だった。『農家の』などとわざわざ付ける必要はないだろう。この貧しい村には農家以外の仕事などないのだから。
――このまま村にいたらろくなことにならない。一生、兄貴の奴隷として過ごすだけだ。結婚もできないし、子供だってもてやしない。
山間の小さな村。周囲は山と谷に囲まれ、狩猟と炭焼き、それに農業以外には出来ることとてない。農地を広げることも出来ない。先祖代々、伝えられてきた農地を守っていくだけで精一杯。その農地を子供ごとに分けて受け継がせていては畑はどんどん小さくなっていく。誰も暮らしていくことが出来ないほどに。
だから、畑は長子がまとめて受け継ぐ。
それが村の慣習だった。
二番目以下の子供は長子の家に住みつづけ、最低限の食事と狭い部屋だけを与えられる。それを代償として生涯、長子に尽くし、奴隷のように働くことを運命づけられる。
ひとりにしか畑を継がせることが出来ないのに、なぜ、ふたりめ、さんにんめを産むのか?
その理由はただひとつ。
長子が育つとは限らないからだ。
つまり、長子が死んだときにかわりに家を継がせるため、言わば保険として産んでおくのだ。となれば、長子が無事、成人して家を継ぐことになれば二番目以降はいらなくなる、と言うことだ。だからこそ、何も与えられず、長子の奴隷として生きることを宿命づけられる。
それが、この貧しい村の昔からの在り方だった。
実際、死んだような目をして長子の家で黙々と働く二番目、三番目の子供をずっと見てきた。薪を割り、水を汲み、畑を耕し、長子の子供の面倒を見る。そして――。
自分は子供をもつこともなくひとり、死んでいく。
――そんなのはゴメンだ!
若き日のジョニーじいさんはそう思った。
だから、村を出た。家出同然に。そして、都に行き、軍隊に入った。学もない、コネもない、特技と言えば薪割りぐらい。そんな田舎の人間が入り込める就職先と言えば軍隊ぐらいしかなかったからだ。戦いなんてしたくはなかったが、それでも軍隊勤めとなれば給料は出る。給料もなしに兄の家で奴隷暮らしを送るよりはずっとマシだった。
――それに、食い物を運ぶ部隊ならたらふく食えるはずだ。
そう思い、輜重隊に志願した。
望み通り、食料を運ぶための部隊に配属された。
――これでもう食うに困らないぞ。
そう喜んだ。
とは言え、現実はそう甘くはなかった。何と言っても輜重隊の役目は前線の兵士たちのもとに食料を届けること。足りなくなれば自分たちの食う分をへらして前線の兵士たちに分け与えなくてはならない。そのために、食料の山を目の前にしながらすきっ腹を抱えて歩く羽目になったことも何度もある。
『「人手が足りない』と言うので、いきなり武器をもたされ、前線に立たされたこともある。これまでの人生で握ったことのある刃物と言えば薪割り用の斧ぐらい。戦闘訓練ひとつ、満足に受けていなかったというのに。
それでも、とにかく、何とか生き残った。
――運が良かった。
まったく、そう思う。
素質もない。才能もない。そもそも戦う気がない。腹いっぱい食って過ごせればそれでいい。それしか考えたことはない。そんな自分が軍隊のなかで生き抜き、無事に退役の日を迎えたと言うのだ。まったく、『運が良い』と言うしかない。
つくづくとそう思う。
運が良いことはもうひとつあった。
軍隊暮らしをしている間、故郷の村は大変なことになっていた。作物に疫病が発生し、多くの村人が飢え死にしたのだ。それを人づてに聞いたとき、思ったことはただひとつ。
――よかった。村に残っていればおれも飢え死にしているところだった。おれは運が良い。
飢え死にした村人のことを気に病む余裕などなかった。そのなかにはかの人の兄とその家族もいたのだが、それすらも気にならなかった。自分が食っていくだけで精一杯だったのだ。
退役後にはわずかだが恩給も出た。
そして、ジョニーじいさんは帰ってきた。自分の生まれた寒村へと。
皮肉と言うべきだろう。作物を襲った疫病によって多くの餓死者が出たために村の人口は激減していた。兄一家も全滅だった。そのために、受け継ぐベき畑ができたのだ。
以来、ジョニーじいさんは村の畑を耕し、かつかつの暮らしを送ってきた。
そして、ある日突然、時の流れから切り離されたようなこの村に都から募兵官がやってきた。
「鬼部の侵攻がはじまった! 我こそはと思わんものは人類防衛のための聖なる戦いに参加せよ!」と、そう叫んだ。
地べたを這いずるようにしてただ、目先の食を手にするためだけに生きてきたジョニーじいさんだ。他の村人たちのように鬼部の存在を疑うようなことはしなかった。思ったことはただひとつ。
――戦になれば食い物がなくなる!
その一言だった。
戦となればまず男たちは戦場にとられる。牛や馬も軍用に徴用される。残された年寄りと女子供だけでは畑を耕し、作物を育てるのはむずかしい。どうしても収量は減る。その上、なけなしの食料は前線の兵士たちに送るために、その多くが徴発される。
まさに踏んだり蹴ったりだ。
――食えなくなるのはいやだ。
――腹が空くのはいやだ。
何はなくても腹いっぱい食える生活だけは守りたい。そのために――。
自分のような年寄りや、女子供でも世話の出来る作物が必要だった。
ジョニーじいさんの考えたことはまさにそれだけだった。
年寄りや女子供だけでも世話ができて、たっぷりと収穫出来る。そんな作物を作るのだ。
しかし、どうやって?
学問なんて何ひとつないジョニーじいさんにおいそれと良い考えが浮かぶはずもなかった。
それでも、作物を育てる苦労は知り尽くしている。作物の栽培で大変なのは種まきと草取り、そして、収穫だ。収穫はどうにもならないとしてもせめて、種まきと草取りをせずにすますことができれば………。
そう思ったとき、思いついたのだ。
――リンゴを植えよう、と。
果樹であれば一度、植えてしまえば何年も実を付けてくれる。穀物のように毎年まいとし種を蒔き、苗を育て、植え付ける、などという手間はいらない。雑草だっていちいちむしらなくてもいい。背の高くなる果樹ならば、雑草の勢いに負けて育たなくなる、などと言うことはないからだ。
それに、リンゴならおいしくて栄養もある。単位面積当たりの収量も穀物より多い。
――そうだ。リンゴだ。リンゴを植えよう。たくさんのリンゴを作れば戦になっても腹いっぱい食える。
そう思ったのだ。
ただ、問題がひとつ。
リンゴの木は大きい。
見上げるばかりに大きく育つ。
とても手の届かないところに実を付ける。
木に登ったり、梯子をかけたりして実をもぐのは年寄りや女子供には辛い仕事だ。何とかもっと小さいまま、実を付けることができるようになれば……。
その日からジョニーじいさんの戦いはじまった。
なけなしの恩給を払って農学書を買いあさり、字など読めないので村でただひとりの教師に読んでもらった。
小さいまま成木に育てるために盛り土を行い、根域を制限した。
幹の皮をはぎ、樹勢を押さえた。
幹を斜めに植えて地面に這わせてみた。
上へうえへと伸びる枝を横に伸ばし、高さを抑えた。
肥料や水やりを工夫した。
人の背丈よりも小さなリンゴの木に実を付ける。
その目的のもと、ありとあらゆる努力を行った。
時はあっという間に過ぎていった。
リンゴの木が実を付けるようになるまで数年かかる。つまり、どんなに工夫してもその結果が出るのは何年も先と言うこと。そこで失敗すれば数年分の苦労が無駄になる。その苦行にも似た行為をしかし、ジョニーじいさんは黙々とこなしつづけた。
飢えないために。
腹いっぱい、食うために。
ただ、そのためだけに。
リンゴの栽培に没頭するあまり、畑仕事はすっかりおろそかになった。自分の食べる麦一粒作ることはなくなった。修道院の炊き出しにすがり、人々からわずかばかりの施しをもらい、そうして食いつないだ。
村の人々はいつか、ジョニーじいさんのことを『リンゴじいさん』と呼ぶようになった。
それは、愛称ではない。
通称ですらない。
蔑称だ。
――できもしないことにかまけて畑仕事ひとつやらないろくでなし。
そう言っていたのだ。
それでも、ジョニーじいさんはリンゴの栽培をつづけた。
本人にももはや実現出来るかどうかなどわからない。それでも、とにかく、やりつづけた。
何年たったろうか。
冬のある日。家の竈に薪をくべて暖をとりながら、ジョニーじいさんはなけなしの恩給で買った本を読んでいた。
ただひとりの教師に何度もなんども読んでもらったおかげで少しぐらいなら文字を読めるようになっていた。食うものは麦の一粒とてなかったが、斬り倒したリンゴの木はいっぱいあったので薪だけはたくさんあった。火のご馳走だけには事欠かなかった。
「リンゴじいさん、またお勉強?」
ひとりの女の子が戸を開けて入ってきた。
ジョニーじいさんが教師に本を読んでもらいに学校に通っているときに知り合った村の子供だ。他の子供たちがおとなたちに合わせてジョニーじいさんを蔑むなか、なぜか、この子だけはジョニーじいさんに懐いていた。
『リンゴじいさん』と呼ぶのも、他の村人たちのように蔑みからではなく、親しみからだった。
ジョニーじいさんは深いシワの刻まれた顔に柔和な表情を浮かべて、女の子を迎えた。
「おお、リーザか。今日も来てくれたのかい」
「うん。はい、これ。今日の分」
と、リーザと呼ばれた村の子供は小さなパンの欠片を差し出した。毎日、自分のパンを少しだけ残しておいて、もってきてくれるのだ。
「ありがとうよ」
ジョニーじいさんはそう言って嬉しそうに小さなパンの欠片を口に放り込んだ。
リーザはジョニーじいさんの手元の本をのぞき込んだ。
「リンゴじいさん、いつもご本を読んでるのね」
「ああ。いまになってつくづく思っとるよ。もっと若い頃から勉強して文字を読めるようになっとればよかったとな。そうすればもっと多くの本を読んで、もっと多くのことを知ることが出来ていた。そうしていればもっとうまくリンゴの栽培が出来たろうに。リーザよ。お前さんはちゃんと学んでおくんじゃぞ。文字が読めれば多くのことを知ることが出来るからな」
ジョニーじいさんはそう言って女の子を頭を撫でるのだった。
一〇年以上の月日がたった。
風の噂によれば鬼部の侵攻は徐々に激しさを増しているらしい。一方で、人類最大国家であるレオンハルトに新しい王が誕生し、諸国をまとめあげ、連合して鬼部に対抗する体制が整えられたという。男たちは次々と戦場にとられ、ジョニーじいさんの心配したとおり、食糧危機が現れはじめた。そして、その頃――。
ジョニーじいさんが死んだ。
リーザがいつも通りパンの欠片をもっていくと、すでに床に倒れ、冷たくなっていた。栄養不良に冬の寒さが重なり、あっけなく死んでしまったのだ。
――自業自得だ。
村人たちは口をそろえてそう罵った。
――できもしないことにかまけて畑仕事ひとつやらないから、こんな目に遭うんだ。
村の誰も、ジョニーじいさんの葬儀を出してやろうなどとは思わなかった。リーザひとりで埋葬した。ジョニーじいさんが懸命に栽培実験をつづけてきたリンゴの木の側に。
「ここなら安心して眠れるでしょう、リンゴじいさん? 精魂込めて育ててきたリンゴの木を見守ってあげてね」
そして、春。
墓参りに訪れたリーザはひとつの奇跡を見ることになる。何本かのリンゴの木、自分のの背丈よりも低いままのリンゴの木に幾つもの花が咲いていたのだ。
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そして、夏が過ぎ、秋が来た。春先に咲いていた花は立派なリンゴの実にかわっていた。ジョニーじいさんが精魂を傾けて取り組んだリンゴの矮性化技術。それは実を結んでいたのだ。
ジョニーじいさんが残していた記録からその栽培方法が解明された。それはまさに、ジョニーじいさんが試してきたあらゆる栽培技術の集大成だった。
盛り土。
根域制限。
樹皮のはぎ取り。
枝の誘引。
水と肥料のやり方。
そのすべてを組み合わせ、ついに実現させたのだ。
そうやって栽培されたリンゴの木は人の背丈ほどの高さでたくさんの実を付けた。これなら年寄りでも、女子供でも簡単に収穫出来る。男たちが戦にとられても、残った人々だけで食料を生産出来るのだ。
しかも、思わぬ恩恵もあった。
普通の栽培方法では実を付けるまで四、五年はかかるリンゴの木が、この方法だとわずか二年で実を付けはじめるのだ。早く実を付ければ、それだけ早く収穫出来る。より多くの食料を生産出来るのだ。
「見ている、リンゴじいさん? リンゴじいさんはたしかに、思いを叶えたのよ」
リーザは涙ながらにそう語った。
その栽培法はたちまち広まり、村はリンゴの村となった。
誰もが腹いっぱい、食えるようになった。
村中がジョニーじいさん、いや、リンゴじいさんに感謝した。いまや、『リンゴじいさん』は尊敬の言葉だった。
ジョニーじいさんの完成させた栽培技術はその後『ジョニー・アップルグランパ』を名乗る一団によって大陸中に広められ、多くの実りをもたらした。
それは、鬼部との戦いの間中、人々の胃袋を満たしつづけた。
貧しい寒村に生まれ、貧しい寒村に死んだ無学で、無教養で、何の力もないひとりの老人。ただ、腹いっぱい食うことだけを望んだ理想も、野心もない、ただの老人。
しかし、その老人は鬼部との過酷な戦いのなか、どんなに学問を修め、どんなに理想を掲げた聖職者や聖女よりも多くの人の生命を守り抜いた。
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お姉ちゃんの秘密の悩みです。
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