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六章 人形の語る夢
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遺跡のまわりに鬼祓いの結界を張り、倉庫で見つけた水と食料で夕食をすませた。やくもが遺跡の中央に横たわり、しらべがその身に背中を預けるようにして座り込む。笛を取り出し、吹きはじめた。
ひゅるるぅ、
ひゅるるぅ、
埃まじりの風に乗って静かな旋律が流れはじめた。
なにもかもが暑く、激しく、硬く、とがりきったこの時代において、その旋律だけに優しさがあった。柔らかさがあった。『音曲』という文化がこの時代に継承されていること自体、ひとつの奇跡といえた。
笛の音は荒れ狂う風に乗って優雅に流れていく。激しい風のなかで優美に舞う小さな音の精霊が見えるようだった。
柔らかな舞だ。
ゆったりとした舞だ。
薄物をまとった舞姫が風に乗って舞っている。
激しい風に吹かれているのにその舞に激しいところはひとつもない。優美に、柔らかく、ゆったりと、見ていると時の流れが遅くなりそうな舞だった。そして――。
悲しい。
とても物悲しい舞だった。
夜、ひとりでいるところでこんな舞を見れば思わず涙を流し、すすり泣いてしまう。自分の、そして、他人の人生に起きた悲しみを思い出し、心がいっぱいになってしまう。悲しみに耐えようとする心をそっと開いて、
――泣いていい。
――悲しんでいい。
そう言ってくれる。
そんな舞だった。
誰もが自分ひとりが生きることに精一杯で他人のことまでかまっていられない。そんな時代にあってその舞だけが優しい。
しらべの奏でる笛の音が舞姫となって風に乗り、遺跡中へとひびきわたる。まるで、滅びさった黄金時代そのものを慰めるかのように。
いのりはしらべに寄り添うようにして座った。そっと腕を伸ばし、しらべの肩にかけ、小柄な体を抱き寄せる。自分の体温で妹を包み込むように。
昼の間は灼熱の太陽に照らされ、焼きつくような暑さだが、夜になると急に冷え込む。石だらけの大地には熱を蓄えておく力はない。日が沈むととたんに熱が失われ、一気に冷え込む。ちょうど、灼熱の砂漠も夜は冷え込むように。
激しく吹き荒れる風がさらに体を冷やす。寄り添い、お互いの体温で温めあっていなければ凍死の危険さえある。
しらべはかわることなく笛を吹きつづけている。
空を見上げる。
玲瓏たる月と満天の星空が空一面に広がっていた。それはそれは鮮やかで、美しいもので、この石だらけの世界が人に感動を与えてくれる数少ない光景だ。
かつて、黄金時代の夜は昼間にも負けないほどの人工の輝きにつつまれ、星などろくに見えないほどだったという。
いのりにはとても想像できない。
いまの時代には夜に明かりを得る方法のひとつもない。乾ききった大地には木など育たないから焚き火もおこせない。どこもかしこも干上がり、川どころかちっぽけな池すらないから魚油さえとれない。魚油がとれるのは湧き水に恵まれたごくごく一部の山村地だけ。 そんな町でさえ魚油のランプで町中を照らし出す、などというわけにはいかない。一握りの裕福な人間が財力を見せつけるためにつけているのがせいぜいだ。
――黄金時代の夜はどんなだったんだろう。
そう思う。思うが、しかし、
――この星月夜が見られなくなるなら、人工の明かりなんていらない。
そう思う。
この満天の星空はいまの時代が黄金時代より勝る、おそらくは唯一のものなのだ。
空を見上げる。
玲瓏たる月が輝いている。
いのりはぽつりとつぶやいた。
「……黄金時代には、人はあの月までも行っていたんだってな」
とは言っても、それはすでに神話の時代の話だ。いまとなってはもう誰もそれが本当かどうかだったかなどわからない。
『昔からそう言われてきた』というお伽噺に過ぎない。
いのりもそうして聞かされてきた。里の長であった祖母の腕に抱かれながら、月を見上げながら聞かされた。
『すべては古いお伽噺よ』
祖母は話の締めくくりに決まってそう言った。
祖母が死んでからは、しらべにお伽噺を聞かせるのはいのりの役目となった。しらべは夢中になってそれらの話を聞いていたものだ。
『お伽噺』と言いながら、祖母はかなり本気でその話を信じていたらしい。
『かつてはたしかにそんな時代があったのだ』と信じたかったのかも知れない。
あるいは、生まれついての優れた霊能力者としての天賦の才がかの人に何かを伝えていたのかも知れない。
黄金時代の話を語るときの祖母はいつも、その時代に対する郷愁といまの時代に対する悲しみ、なによりも、黄金時代が滅びてしまったことへの疑問といまの時代に生きる自分たちの苦しみに対する怒りに満ちていた。
『この時代を救いたい』
いつもそう思っている祖母だった。
そのために天性の霊能力に磨きをかけ、斬鬼の法を生み出した。
人を集め、里を作り、その法を伝えた。里からは幾人もの斬鬼士が育ち、各地に散っていった。いのりの祖母こそは斬鬼士の始祖、すべての斬鬼士の母だった。
かの人の登場によって人ははじめて、鬼に対抗する力と手段を手に入れたのだ。
いのりが斬鬼士の道を選んだのもこの祖母の影響によるところが大きい。
「いまのあたしたちには想像もつかないけど。この遺跡にしてもあたしたちにはとても作れない。人はかつてはたしかにそんなすごい力をもっていたのに。どうして、こんなことになってしまったんだろうな」
姉の言葉にしらべは答えようとはしなかった。ただ、ひたすらに笛の音を鳴らしている。 物悲しい旋律が夜風のなかにひびきわたる。
いのりにしても答えを求めて言ったことではない。この世界にはもう、その問いに答えることのできる人間はひとりもいない。
ふたりの背中ではやくもが健やかな寝息を立ててスヤスヤと眠っている。
「なあ、しらべ」
「なに?」
はじめて笛をはなし、しらべが問い返した。
「もし、この世界でひとつだけ願いが叶うとしたら、お前はなにを望む?」
「……花」
「花?」
「そう。『花』というものを見てみたい」
「花か。そうだな。あたしたちは話でしか聞いたことがないものな」
いのりに花のことを聞かせてくれたのは祖母だ。その祖母にしてもほんの小さい頃に一度、見たことがあるだけだという。それでも、その鮮やかな色と甘い香りは一生、忘れられないものだったと言っていた。
鮮やかな色。
甘い香り。
どちらもいのりやしらべには想像することすらできない。祖母の話を思い出し、頭のなかで必死に描いてみようとするのだが、どうしても具体的な姿を描けない。とても薄くてやわらかい色鮮やかな葉が丸く並んでいるものだと聞いてはいるけれど……。
「祖母は花を見たとき、感動して涙を流したと言っていたものな。黄金時代やその前の時代には花なんてめずらしくもないものだったと聞いているけど……いまではすっかり見なくなってしまった」
ひゅるるぅ、
ひゅるるぅ、
埃まじりの風に乗って静かな旋律が流れはじめた。
なにもかもが暑く、激しく、硬く、とがりきったこの時代において、その旋律だけに優しさがあった。柔らかさがあった。『音曲』という文化がこの時代に継承されていること自体、ひとつの奇跡といえた。
笛の音は荒れ狂う風に乗って優雅に流れていく。激しい風のなかで優美に舞う小さな音の精霊が見えるようだった。
柔らかな舞だ。
ゆったりとした舞だ。
薄物をまとった舞姫が風に乗って舞っている。
激しい風に吹かれているのにその舞に激しいところはひとつもない。優美に、柔らかく、ゆったりと、見ていると時の流れが遅くなりそうな舞だった。そして――。
悲しい。
とても物悲しい舞だった。
夜、ひとりでいるところでこんな舞を見れば思わず涙を流し、すすり泣いてしまう。自分の、そして、他人の人生に起きた悲しみを思い出し、心がいっぱいになってしまう。悲しみに耐えようとする心をそっと開いて、
――泣いていい。
――悲しんでいい。
そう言ってくれる。
そんな舞だった。
誰もが自分ひとりが生きることに精一杯で他人のことまでかまっていられない。そんな時代にあってその舞だけが優しい。
しらべの奏でる笛の音が舞姫となって風に乗り、遺跡中へとひびきわたる。まるで、滅びさった黄金時代そのものを慰めるかのように。
いのりはしらべに寄り添うようにして座った。そっと腕を伸ばし、しらべの肩にかけ、小柄な体を抱き寄せる。自分の体温で妹を包み込むように。
昼の間は灼熱の太陽に照らされ、焼きつくような暑さだが、夜になると急に冷え込む。石だらけの大地には熱を蓄えておく力はない。日が沈むととたんに熱が失われ、一気に冷え込む。ちょうど、灼熱の砂漠も夜は冷え込むように。
激しく吹き荒れる風がさらに体を冷やす。寄り添い、お互いの体温で温めあっていなければ凍死の危険さえある。
しらべはかわることなく笛を吹きつづけている。
空を見上げる。
玲瓏たる月と満天の星空が空一面に広がっていた。それはそれは鮮やかで、美しいもので、この石だらけの世界が人に感動を与えてくれる数少ない光景だ。
かつて、黄金時代の夜は昼間にも負けないほどの人工の輝きにつつまれ、星などろくに見えないほどだったという。
いのりにはとても想像できない。
いまの時代には夜に明かりを得る方法のひとつもない。乾ききった大地には木など育たないから焚き火もおこせない。どこもかしこも干上がり、川どころかちっぽけな池すらないから魚油さえとれない。魚油がとれるのは湧き水に恵まれたごくごく一部の山村地だけ。 そんな町でさえ魚油のランプで町中を照らし出す、などというわけにはいかない。一握りの裕福な人間が財力を見せつけるためにつけているのがせいぜいだ。
――黄金時代の夜はどんなだったんだろう。
そう思う。思うが、しかし、
――この星月夜が見られなくなるなら、人工の明かりなんていらない。
そう思う。
この満天の星空はいまの時代が黄金時代より勝る、おそらくは唯一のものなのだ。
空を見上げる。
玲瓏たる月が輝いている。
いのりはぽつりとつぶやいた。
「……黄金時代には、人はあの月までも行っていたんだってな」
とは言っても、それはすでに神話の時代の話だ。いまとなってはもう誰もそれが本当かどうかだったかなどわからない。
『昔からそう言われてきた』というお伽噺に過ぎない。
いのりもそうして聞かされてきた。里の長であった祖母の腕に抱かれながら、月を見上げながら聞かされた。
『すべては古いお伽噺よ』
祖母は話の締めくくりに決まってそう言った。
祖母が死んでからは、しらべにお伽噺を聞かせるのはいのりの役目となった。しらべは夢中になってそれらの話を聞いていたものだ。
『お伽噺』と言いながら、祖母はかなり本気でその話を信じていたらしい。
『かつてはたしかにそんな時代があったのだ』と信じたかったのかも知れない。
あるいは、生まれついての優れた霊能力者としての天賦の才がかの人に何かを伝えていたのかも知れない。
黄金時代の話を語るときの祖母はいつも、その時代に対する郷愁といまの時代に対する悲しみ、なによりも、黄金時代が滅びてしまったことへの疑問といまの時代に生きる自分たちの苦しみに対する怒りに満ちていた。
『この時代を救いたい』
いつもそう思っている祖母だった。
そのために天性の霊能力に磨きをかけ、斬鬼の法を生み出した。
人を集め、里を作り、その法を伝えた。里からは幾人もの斬鬼士が育ち、各地に散っていった。いのりの祖母こそは斬鬼士の始祖、すべての斬鬼士の母だった。
かの人の登場によって人ははじめて、鬼に対抗する力と手段を手に入れたのだ。
いのりが斬鬼士の道を選んだのもこの祖母の影響によるところが大きい。
「いまのあたしたちには想像もつかないけど。この遺跡にしてもあたしたちにはとても作れない。人はかつてはたしかにそんなすごい力をもっていたのに。どうして、こんなことになってしまったんだろうな」
姉の言葉にしらべは答えようとはしなかった。ただ、ひたすらに笛の音を鳴らしている。 物悲しい旋律が夜風のなかにひびきわたる。
いのりにしても答えを求めて言ったことではない。この世界にはもう、その問いに答えることのできる人間はひとりもいない。
ふたりの背中ではやくもが健やかな寝息を立ててスヤスヤと眠っている。
「なあ、しらべ」
「なに?」
はじめて笛をはなし、しらべが問い返した。
「もし、この世界でひとつだけ願いが叶うとしたら、お前はなにを望む?」
「……花」
「花?」
「そう。『花』というものを見てみたい」
「花か。そうだな。あたしたちは話でしか聞いたことがないものな」
いのりに花のことを聞かせてくれたのは祖母だ。その祖母にしてもほんの小さい頃に一度、見たことがあるだけだという。それでも、その鮮やかな色と甘い香りは一生、忘れられないものだったと言っていた。
鮮やかな色。
甘い香り。
どちらもいのりやしらべには想像することすらできない。祖母の話を思い出し、頭のなかで必死に描いてみようとするのだが、どうしても具体的な姿を描けない。とても薄くてやわらかい色鮮やかな葉が丸く並んでいるものだと聞いてはいるけれど……。
「祖母は花を見たとき、感動して涙を流したと言っていたものな。黄金時代やその前の時代には花なんてめずらしくもないものだったと聞いているけど……いまではすっかり見なくなってしまった」
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