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一二章 鬼の生まれた場所
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「ここが?」
「そうだ。戦に追われた子どもたちが誤って落ちた洞窟だ」
杜ノ王は淡々と語りはじめた。思い入れもなければ感慨もない。ただ、そのときあったことをそのまま語っている。そういう言い方だった。
「もう一〇〇年も前のことだ。戦火に追われた子どもたちがこの丘に逃げ込んだ。子どもたちは生き延びようと必死だった。夜の闇にまぎれて敵の目をかいくぐり、逃れようとした。
その日はちょうど新月の晩だった。
星明りしかない暗い夜。敵に見つかることなく逃げることができるはずだった。だが、その暗い夜は子どもたちの命取りとなった。子どもたちは足元の割れ目に気付かず、次々と滑り落ちた。
抜け出す道もなく、割れ目を登ることもできない。水も食料もない。助けもこない。
自分たちはもう死ぬしかない。
そう悟った子どもたちは獣と化した。
生きたい、
生きたい、
ただ生きたい。
その思いに支配された。
当たり前だ。
子どもたちはまだ本当に小さかった。いちばん年長のものでも一〇を過ぎたばかり。いちばん小さい子どもにいたってはまだ五歳にもなっていなかった。
そんな子どもたちが洞窟に閉じ込められ、死の運命を押しつけられたんだ。受け入れられるわけがない。子どもたちはみんな、もっと生きていたかったんだ。
飲むものは他人の血しかない。
食うものは他人の肉しかない。
だから、子どもたちは食らいあった。
怒りも、憎しみも、悲しみもなく。ただ生きる。そのためだけに。
そんなことをしても死ぬのをほんの少し先に伸ばすことにしかならない。そんなことは子どもたちだってわかっていた。その『ほんの少し』を得るために、子どもたちは互いに食らいあったんだ」
杜ノ王は言葉を切った。
なんと悲しい話だろう。
どれほどに怖かったことか。
どれほどに恐ろしかったことか。
そんな思いをするぐらいならいっそ、戦火に巻かれて一思いに殺されていたほうがよほどましだったろう。
いのりの目から自然と涙がこぼれていた。洞窟に向けて手を合わせていた。せんかも沈痛な面持ちをしている。しらべでさえ、その無表情な表情を沈めているように思えた。
「子どもたちの無念の思い。それが凝り固まっておれは生まれた」
杜ノ王はそう付け加えた。
穴の底を覗き込んだ。ポッカリと広い空洞がのぞいている。目を凝らしてなかをよく見た。感覚を研ぎ澄まし、気配を探った。洞窟のなかには一欠けらの邪気もなかった。それどころか浄化されつくした清々しい気があるだけだった。
ありえなかった。
普通、それほどの悲劇があれば周囲の空気といわず、土といわず、あたり一面に邪気が染みついてはなれなくなる。いくら時がたったからといってなくなるものではない。人間の無念の思いとはそれほどに強いのだ。
――つまり、邪気の最後の一滴までが凝り固まり、この男を生んだということか。
いのりは思った。
それならば、この不自然な清浄さも理解できる。
ならば、この男はやはり邪気の塊なのだ。子どもたちの無念の思いが集まり、凝縮されてできあがった怪物。
生きたい。
ただ、その欲望だけに突き動かされ、鬼という鬼を呑み干す羅刹。
それなのに、いま目の前にいる杜ノ王はとてもそうは見えない。穏やかで、理知的で、高潔な人物に見える。
なぜ?
なぜ、そんな生まれ方をした怪物がこんなにも穏やかでいられるのだろう。まるで、恐れも、不安も、怒りも、憎しみも、そんな負の感情をなにひとつもっていないようにさえ見える。
そんなことがあり得るだろうか?
邪気が凝り固まって生まれた存在が、邪気を持ち合わせていないなどと。
この男は本当に杜ノ王なのか。自分がいままで聞いてきた杜ノ王の噂がまちがっていたのか。それとも……それとも、この姿は演技であり、本性は別にあるのか?
「なぜ?」
しらべが問うた。
――あなたはなぜ、この杜を作ったの?
そう尋ねている。
「生きるためだ」
「生きるため……」
「そうだ。おれは子どもたちの『生きたい』という思いから生まれた。生きていくためには生きていける場所が必要だ。だからまず、その場所を作ることにした。
そのためにおれが最初にしたのはこの地で争っている人間たちを皆殺しにすることだった。戦などされていては生きていけないからな。いまにして思えばもう少し穏やかな方法もあったかも知れない。だが、生まれたばかりのおれはまだ未熟だったからな。怒りと憎悪に突き動かされるままに人間たちを殺した。ひとり残らず殺したあと、この地に生きていける場所を作ることにした。
生きていくためにはなにがいる?
水と食料だ。
水と食料を得られる場所と言えば?
森だ。
だからおれはまず、この丘を森にかえることにした。だが、石の大地に木は育たない。木を植え、森を育てるためには、石の大地を土にかえることからはじめなければならなかった。
ミミズを育てることからはじめた。あたりからかき集めた食い物のカスと大小便を混ぜて、ミミズを放し、ふやした。ミミズの糞を集めて苗床を作った。そこにあちこちからかき集めたドングリを蒔いた。
たやすくできるはずもない。せっかく芽吹いても日照りに焼かれ、暴風に折られ、豪雨に押し流され……蒔いても、まいても、苗は育たない。最初の一本が育つまで二〇年かかった。そこからはずっと楽になった。たった一本、たった一本のその木が他の苗を守ってくれた。枝を広げて緑の葉をつけ、強すぎる日差しと激しすぎる雨をやわらげた。太い幹は暴風から幼い苗を守る盾となった。最初の一本のまわりに他の木が次々と育った。おれはそうして育った木からドングリをとり、蒔きつづけた」
「ひとりで?」
――ひとりでやったの?
「そうだ。ひとりでやった。
五〇年。
五〇年かけてようやく、森と呼べる木の群れができあがった。その頃にはこのあたりはすっかりかわっていたよ。地中深く伸びた根は乏しい水分を吸いあげ、葉から蒸散させた。蒸発した水は雲を作り、雨となった。この乾ききった世界に雨が降るようになった。多くの樹木たちが地上と空とで水を行き来させ、世界を潤してくれるようになったんだ。
落ち葉が積もり、分解されて、土となった。カチカチの石の大地じゃない。柔らかく、隙間だらけの土だ。その土は内部にたっぷりと水を蓄えた。そこから水が染み出し、一筋の流れとなった。
川が生まれた。
水と土がそろった。黄金時代の遺跡から見つけた種を蒔き、畑を作った。ようやく、いつでも腹いっぱい、食えるようになったんだ」
そう言ったときはじめて、杜ノ王の言葉に深い感慨が込められた。
「その頃からだな。人を連れてくるようになったのは。世界中を飛びまわっていれば人も見かける。戦に追われた人間、飢えに襲われた人間、そんな人間たちを見つけては連れてくるようになった。このせんかもそんなひとりだ。まだほんの子どもだった。飢え死にした母親のそばで、泣くこともできずに膝を抱えてジッと座っていたよ」
いのりは思わずせんかを見た。この美しく、たおやかな女性にそんな過去があったとは。
せんかは美しい顔を曇らせてうつむいていた。そのときのことなど思い出したくもないのだろう。
「見ろ」
杜ノ王は丘の麓に広がる町並みを見下ろして、両腕を大きく広げた。
「おれが生まれたとき、あそこはなにもない赤茶けた石の大地だった。そこに人々が住み着き、村となり、町となった。おれはこの場を『杜』と名づけた。杜とは古い言葉で神聖な地域を指し示す言葉だからな。そしておれは『杜ノ王』の名を自らにつけた」
しばらくの間――。
いのりたちは町並みを見下ろしていた。
「さて。次は町でも見てもらおうか」
杜ノ王は言った。
「そうだ。戦に追われた子どもたちが誤って落ちた洞窟だ」
杜ノ王は淡々と語りはじめた。思い入れもなければ感慨もない。ただ、そのときあったことをそのまま語っている。そういう言い方だった。
「もう一〇〇年も前のことだ。戦火に追われた子どもたちがこの丘に逃げ込んだ。子どもたちは生き延びようと必死だった。夜の闇にまぎれて敵の目をかいくぐり、逃れようとした。
その日はちょうど新月の晩だった。
星明りしかない暗い夜。敵に見つかることなく逃げることができるはずだった。だが、その暗い夜は子どもたちの命取りとなった。子どもたちは足元の割れ目に気付かず、次々と滑り落ちた。
抜け出す道もなく、割れ目を登ることもできない。水も食料もない。助けもこない。
自分たちはもう死ぬしかない。
そう悟った子どもたちは獣と化した。
生きたい、
生きたい、
ただ生きたい。
その思いに支配された。
当たり前だ。
子どもたちはまだ本当に小さかった。いちばん年長のものでも一〇を過ぎたばかり。いちばん小さい子どもにいたってはまだ五歳にもなっていなかった。
そんな子どもたちが洞窟に閉じ込められ、死の運命を押しつけられたんだ。受け入れられるわけがない。子どもたちはみんな、もっと生きていたかったんだ。
飲むものは他人の血しかない。
食うものは他人の肉しかない。
だから、子どもたちは食らいあった。
怒りも、憎しみも、悲しみもなく。ただ生きる。そのためだけに。
そんなことをしても死ぬのをほんの少し先に伸ばすことにしかならない。そんなことは子どもたちだってわかっていた。その『ほんの少し』を得るために、子どもたちは互いに食らいあったんだ」
杜ノ王は言葉を切った。
なんと悲しい話だろう。
どれほどに怖かったことか。
どれほどに恐ろしかったことか。
そんな思いをするぐらいならいっそ、戦火に巻かれて一思いに殺されていたほうがよほどましだったろう。
いのりの目から自然と涙がこぼれていた。洞窟に向けて手を合わせていた。せんかも沈痛な面持ちをしている。しらべでさえ、その無表情な表情を沈めているように思えた。
「子どもたちの無念の思い。それが凝り固まっておれは生まれた」
杜ノ王はそう付け加えた。
穴の底を覗き込んだ。ポッカリと広い空洞がのぞいている。目を凝らしてなかをよく見た。感覚を研ぎ澄まし、気配を探った。洞窟のなかには一欠けらの邪気もなかった。それどころか浄化されつくした清々しい気があるだけだった。
ありえなかった。
普通、それほどの悲劇があれば周囲の空気といわず、土といわず、あたり一面に邪気が染みついてはなれなくなる。いくら時がたったからといってなくなるものではない。人間の無念の思いとはそれほどに強いのだ。
――つまり、邪気の最後の一滴までが凝り固まり、この男を生んだということか。
いのりは思った。
それならば、この不自然な清浄さも理解できる。
ならば、この男はやはり邪気の塊なのだ。子どもたちの無念の思いが集まり、凝縮されてできあがった怪物。
生きたい。
ただ、その欲望だけに突き動かされ、鬼という鬼を呑み干す羅刹。
それなのに、いま目の前にいる杜ノ王はとてもそうは見えない。穏やかで、理知的で、高潔な人物に見える。
なぜ?
なぜ、そんな生まれ方をした怪物がこんなにも穏やかでいられるのだろう。まるで、恐れも、不安も、怒りも、憎しみも、そんな負の感情をなにひとつもっていないようにさえ見える。
そんなことがあり得るだろうか?
邪気が凝り固まって生まれた存在が、邪気を持ち合わせていないなどと。
この男は本当に杜ノ王なのか。自分がいままで聞いてきた杜ノ王の噂がまちがっていたのか。それとも……それとも、この姿は演技であり、本性は別にあるのか?
「なぜ?」
しらべが問うた。
――あなたはなぜ、この杜を作ったの?
そう尋ねている。
「生きるためだ」
「生きるため……」
「そうだ。おれは子どもたちの『生きたい』という思いから生まれた。生きていくためには生きていける場所が必要だ。だからまず、その場所を作ることにした。
そのためにおれが最初にしたのはこの地で争っている人間たちを皆殺しにすることだった。戦などされていては生きていけないからな。いまにして思えばもう少し穏やかな方法もあったかも知れない。だが、生まれたばかりのおれはまだ未熟だったからな。怒りと憎悪に突き動かされるままに人間たちを殺した。ひとり残らず殺したあと、この地に生きていける場所を作ることにした。
生きていくためにはなにがいる?
水と食料だ。
水と食料を得られる場所と言えば?
森だ。
だからおれはまず、この丘を森にかえることにした。だが、石の大地に木は育たない。木を植え、森を育てるためには、石の大地を土にかえることからはじめなければならなかった。
ミミズを育てることからはじめた。あたりからかき集めた食い物のカスと大小便を混ぜて、ミミズを放し、ふやした。ミミズの糞を集めて苗床を作った。そこにあちこちからかき集めたドングリを蒔いた。
たやすくできるはずもない。せっかく芽吹いても日照りに焼かれ、暴風に折られ、豪雨に押し流され……蒔いても、まいても、苗は育たない。最初の一本が育つまで二〇年かかった。そこからはずっと楽になった。たった一本、たった一本のその木が他の苗を守ってくれた。枝を広げて緑の葉をつけ、強すぎる日差しと激しすぎる雨をやわらげた。太い幹は暴風から幼い苗を守る盾となった。最初の一本のまわりに他の木が次々と育った。おれはそうして育った木からドングリをとり、蒔きつづけた」
「ひとりで?」
――ひとりでやったの?
「そうだ。ひとりでやった。
五〇年。
五〇年かけてようやく、森と呼べる木の群れができあがった。その頃にはこのあたりはすっかりかわっていたよ。地中深く伸びた根は乏しい水分を吸いあげ、葉から蒸散させた。蒸発した水は雲を作り、雨となった。この乾ききった世界に雨が降るようになった。多くの樹木たちが地上と空とで水を行き来させ、世界を潤してくれるようになったんだ。
落ち葉が積もり、分解されて、土となった。カチカチの石の大地じゃない。柔らかく、隙間だらけの土だ。その土は内部にたっぷりと水を蓄えた。そこから水が染み出し、一筋の流れとなった。
川が生まれた。
水と土がそろった。黄金時代の遺跡から見つけた種を蒔き、畑を作った。ようやく、いつでも腹いっぱい、食えるようになったんだ」
そう言ったときはじめて、杜ノ王の言葉に深い感慨が込められた。
「その頃からだな。人を連れてくるようになったのは。世界中を飛びまわっていれば人も見かける。戦に追われた人間、飢えに襲われた人間、そんな人間たちを見つけては連れてくるようになった。このせんかもそんなひとりだ。まだほんの子どもだった。飢え死にした母親のそばで、泣くこともできずに膝を抱えてジッと座っていたよ」
いのりは思わずせんかを見た。この美しく、たおやかな女性にそんな過去があったとは。
せんかは美しい顔を曇らせてうつむいていた。そのときのことなど思い出したくもないのだろう。
「見ろ」
杜ノ王は丘の麓に広がる町並みを見下ろして、両腕を大きく広げた。
「おれが生まれたとき、あそこはなにもない赤茶けた石の大地だった。そこに人々が住み着き、村となり、町となった。おれはこの場を『杜』と名づけた。杜とは古い言葉で神聖な地域を指し示す言葉だからな。そしておれは『杜ノ王』の名を自らにつけた」
しばらくの間――。
いのりたちは町並みを見下ろしていた。
「さて。次は町でも見てもらおうか」
杜ノ王は言った。
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