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序章 月でピザを食うために
序の五
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「手順四つ目。『よき敗者』を作る」
「よき敗者?」
「人の世は車輪のようなものだ。下の部分は上を羨み、自分たちも上に行きたいと願う。そのために、車輪を動かそうとする。上の部分はその立場を守ろうと思い、車輪が決して動かないようにしようとする。車輪を動かそうとする力。車輪をとどめておこうとする力。そのふたつの力がぶつかり合えば車輪は砕け散る」
「ふむ。歴史によくある覇権国と新興国の争い、と言うやつだな」
と、あきらが腕組みした姿勢で感心したように言った。小柄でお人形のような見た目のくせに、こういう偉そうな態度がとにかく似合うあきらである。
「そういうことだ。車輪が砕け散ることを防ぐためには止めないことだ。車輪を動かしつづけること、上と下がいつでも入れ替われるようにすることだ。
『八百万の世界』とはそのためのシステムだ。
誰でもアイディアひとつで世界の覇者となり得るシステム。いつでも下が上にとってかわることの出来るシステム。一定の秩序を固定化し、維持するのではない。常に変化する流動的な秩序を作るためのシステムだ」
「流動的な秩序……」
「秩序の維持。そう言えば聞こえは良い。たいていの人間はそのことに重きを成す。だが、『秩序を維持する』とはどういう意味だ? それは、金持ちは永遠に金持ちのまま、貧乏人は永遠に貧乏人のままという意味に他ならない。きわめて不公平であり、金持ちのために貧乏人が犠牲になる世界だ。
貧乏人にとってはたまったものじゃない。
当然、貧乏人たちはそんな世界は壊そうとする。世界を壊し、自分たちが金持ちに取って代わろうとする。そうして、争いが起き、世界は壊れる。
しかし、世界を壊したところで貧乏人が金持ちになれるわけじゃない。むしろ、もっとひどいことになる。事実、歴史上、民衆革命が民衆を幸せにした例はない。民衆革命のあとにくるのは単なる無秩序であり、民衆同士の殺し合いだ。そこから再び秩序を構築し、統治するのは結局、強権的な独裁者か軍事政権だ。一度、外れた箍をはめ直すには力をもってするしかないのだからそうならざるを得ない。
いまの秩序が気に入らないからと言って秩序を壊せば、もっとひどいことになる。だからこそ、壊すことなくかえていける秩序、固定化し、維持するのではなく、常に変化しつづけることを前提とした秩序。世界を壊すことなく貧乏人が金持ちに取って代われることの出来る秩序。そんな秩序をもたらすことの出来るシステムが必要だ。
しかし、このシステムを機能させるためにはある種の人間が必要になる」
「ある種の人間?」と、さくら。
「それが『良き敗者』だ」
「良き敗者……」
再び出たその言葉を、さくらは繰り返した。
「良き敗者とはどういう意味なんだ?」
瀬奈が尋ねた。
森也はゆったりとした口調で答えた。
「相手の力を認め、自分の敗北を受け入れることの出来る人間。自分の地位に拘泥することなく、新たな覇者にその地位を譲ることの出来る人間。そして、勝者を妬まず、恨まず、賞賛し、自らもそうあろうと精進する人間。それが『良き敗者』だ」
「でも、それって、ものすごく難しくない?」
トウノが言った。
一同のなかでトウノだけがその言葉を言えたのは、かの人が一同のなかの最年長者であり、他よりも一〇年多く人生を経験している『おとな』だったからだろう。
森也は先輩マンガ家の言葉を認めた。
「そりゃあ、むずかしいさ。自分の負けを認めたくないのも、勝った相手を妬むのも、共に人の性。それをするなと言われたからと言って、しないようになれるものじゃない。しかし、そんな人間たちを育てていかなきゃいけない。『良き敗者』だけが『良き勝者』になれるのだからな」
「良き勝者……」
「勝って奢らず、負かした相手を見下さず、敬意と礼儀をもって接することの出来る人間。人生のすべてが勝者のためにあるわけではなく、敗者には敗者の価値があるのだということを知る人間。だからこそ、自分が敗者になることを怖れず、その立場になることを受けいられる。それが『良き勝者』。そんな良き勝者が上にいればこそ、車輪を回すことが出来る。世界を壊すことなく秩序を動かしつづけることが出来る。人類を争いから卒業させようと思うなら、そんな人間を育てていかなきゃならない」
「そんなことできるの?」
「スポーツを利用する」
「スポーツ?」
「スポーツは流動する秩序の典型だ。勝者と敗者が常に入れ替わり、立場が逆転する。それを、世界を壊すことなく、一定のルールのなかで成立させている。もし、チャンピオンが『自分は永遠にチャンピオンだ。自分の地位を脅かすことは許さない』などと言い出して一切の試合を禁じれば、自分が敗者になることを受け入れられず、勝つために反則をつづければ、もはやスポーツなど成立しない。自分が敗者になることを受け入れられる人間だけが、スポーツの世界を成立させることができる」
「たしかに。負けることを怖れるものは決して立派な勝者にはなれん」
「スポーツは勝ったときより、負けたときの方が学ぶものが多いからな」
剣道全国大会常連のあきらが、中学・高校と大工仕事と同じぐらいバスケットに情熱を燃やしてきた瀬奈が、それぞれの体験から言葉を発した。
「そう。スポーツを利用して『良き敗者』を育て、流動的な秩序を作りあげる。それが、人類を争いから卒業させるための四つ目の手順だ」
「よき敗者?」
「人の世は車輪のようなものだ。下の部分は上を羨み、自分たちも上に行きたいと願う。そのために、車輪を動かそうとする。上の部分はその立場を守ろうと思い、車輪が決して動かないようにしようとする。車輪を動かそうとする力。車輪をとどめておこうとする力。そのふたつの力がぶつかり合えば車輪は砕け散る」
「ふむ。歴史によくある覇権国と新興国の争い、と言うやつだな」
と、あきらが腕組みした姿勢で感心したように言った。小柄でお人形のような見た目のくせに、こういう偉そうな態度がとにかく似合うあきらである。
「そういうことだ。車輪が砕け散ることを防ぐためには止めないことだ。車輪を動かしつづけること、上と下がいつでも入れ替われるようにすることだ。
『八百万の世界』とはそのためのシステムだ。
誰でもアイディアひとつで世界の覇者となり得るシステム。いつでも下が上にとってかわることの出来るシステム。一定の秩序を固定化し、維持するのではない。常に変化する流動的な秩序を作るためのシステムだ」
「流動的な秩序……」
「秩序の維持。そう言えば聞こえは良い。たいていの人間はそのことに重きを成す。だが、『秩序を維持する』とはどういう意味だ? それは、金持ちは永遠に金持ちのまま、貧乏人は永遠に貧乏人のままという意味に他ならない。きわめて不公平であり、金持ちのために貧乏人が犠牲になる世界だ。
貧乏人にとってはたまったものじゃない。
当然、貧乏人たちはそんな世界は壊そうとする。世界を壊し、自分たちが金持ちに取って代わろうとする。そうして、争いが起き、世界は壊れる。
しかし、世界を壊したところで貧乏人が金持ちになれるわけじゃない。むしろ、もっとひどいことになる。事実、歴史上、民衆革命が民衆を幸せにした例はない。民衆革命のあとにくるのは単なる無秩序であり、民衆同士の殺し合いだ。そこから再び秩序を構築し、統治するのは結局、強権的な独裁者か軍事政権だ。一度、外れた箍をはめ直すには力をもってするしかないのだからそうならざるを得ない。
いまの秩序が気に入らないからと言って秩序を壊せば、もっとひどいことになる。だからこそ、壊すことなくかえていける秩序、固定化し、維持するのではなく、常に変化しつづけることを前提とした秩序。世界を壊すことなく貧乏人が金持ちに取って代われることの出来る秩序。そんな秩序をもたらすことの出来るシステムが必要だ。
しかし、このシステムを機能させるためにはある種の人間が必要になる」
「ある種の人間?」と、さくら。
「それが『良き敗者』だ」
「良き敗者……」
再び出たその言葉を、さくらは繰り返した。
「良き敗者とはどういう意味なんだ?」
瀬奈が尋ねた。
森也はゆったりとした口調で答えた。
「相手の力を認め、自分の敗北を受け入れることの出来る人間。自分の地位に拘泥することなく、新たな覇者にその地位を譲ることの出来る人間。そして、勝者を妬まず、恨まず、賞賛し、自らもそうあろうと精進する人間。それが『良き敗者』だ」
「でも、それって、ものすごく難しくない?」
トウノが言った。
一同のなかでトウノだけがその言葉を言えたのは、かの人が一同のなかの最年長者であり、他よりも一〇年多く人生を経験している『おとな』だったからだろう。
森也は先輩マンガ家の言葉を認めた。
「そりゃあ、むずかしいさ。自分の負けを認めたくないのも、勝った相手を妬むのも、共に人の性。それをするなと言われたからと言って、しないようになれるものじゃない。しかし、そんな人間たちを育てていかなきゃいけない。『良き敗者』だけが『良き勝者』になれるのだからな」
「良き勝者……」
「勝って奢らず、負かした相手を見下さず、敬意と礼儀をもって接することの出来る人間。人生のすべてが勝者のためにあるわけではなく、敗者には敗者の価値があるのだということを知る人間。だからこそ、自分が敗者になることを怖れず、その立場になることを受けいられる。それが『良き勝者』。そんな良き勝者が上にいればこそ、車輪を回すことが出来る。世界を壊すことなく秩序を動かしつづけることが出来る。人類を争いから卒業させようと思うなら、そんな人間を育てていかなきゃならない」
「そんなことできるの?」
「スポーツを利用する」
「スポーツ?」
「スポーツは流動する秩序の典型だ。勝者と敗者が常に入れ替わり、立場が逆転する。それを、世界を壊すことなく、一定のルールのなかで成立させている。もし、チャンピオンが『自分は永遠にチャンピオンだ。自分の地位を脅かすことは許さない』などと言い出して一切の試合を禁じれば、自分が敗者になることを受け入れられず、勝つために反則をつづければ、もはやスポーツなど成立しない。自分が敗者になることを受け入れられる人間だけが、スポーツの世界を成立させることができる」
「たしかに。負けることを怖れるものは決して立派な勝者にはなれん」
「スポーツは勝ったときより、負けたときの方が学ぶものが多いからな」
剣道全国大会常連のあきらが、中学・高校と大工仕事と同じぐらいバスケットに情熱を燃やしてきた瀬奈が、それぞれの体験から言葉を発した。
「そう。スポーツを利用して『良き敗者』を育て、流動的な秩序を作りあげる。それが、人類を争いから卒業させるための四つ目の手順だ」
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