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第一話 ギフテッド少女と空飛ぶ部屋
ミッション2 世間知らずに買い物の仕方を教えよ
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さくらがLEOに入学してから一週間が過ぎた。
地域きっての進学校だけあってまわりの生徒も皆、さくらと似たような真面目な優等生タイプ。おかげで質の悪い相手に目を付けられるようなこともなく、さくらは平穏な高校生活をスタートさせることが出来ていた。
ただひとつ、気にかかることがある。
時任かあら。
同じクラスでありながら入学式のあの日以来、かあらとは会っていない。一日も学校に来ていないのだ。
さくらのクラスにはいつも空席のままの席がふたつ、ある。
さくらは見るともなく空席のままのふたつの席を眺めていた。その様子に気が付いたのだろう。クラスメートのひとりが声をかけてきた。
「どうかした、さくら?」
「えっ? ああ、かあら……時任さん、全然、学校来ないなって思って」
「ああ。あの子は特別だから。来る必要もないんじゃない?」
「どういうこと?」
そう尋ねられたことがよほど嬉しかったらしい。勢い込んで話しはじめた。
「実はさあ。あの子、とんでもない天才らしいのよ」
「天才?」
「そう! それで、特別待遇の入学なの。最低限の出席日数さえクリアすれば、授業成績に関係なく自動的に卒業できるって言う契約らしいわよ」
「そんな契約、ありなの?」
さくらはさすがに驚いた。
学校が特定の生徒とそんな契約を交わすなんて話、聞いたことがない。しかし、言われてみれば、教師の誰ひとりとして、かあらの不在を気にしたことはなかった。
「それだけ優秀ってことよ。学校側にとって生徒になってくれることが凄い利益になるぐらいにね」
「あの子、そんなに凄かったんだ。でも、そんな子がなんで普通科? 特待生で入学してそうなものだけど……」
LEOは『アインシュタインを超える天才を育成する』ことを目的に設立された学校。平均的な優等生よりも一芸に秀でた『異能異才』を欲しがる。それだけに、特待生制度は充実している。
「凄すぎてバランスが悪いとか何とか。ほら。特待生ってみんな、プライド高いし、張り合ったりもするじゃない? 別格で凄いのがいると揉めやすいから」
「ああ。そう言うこともあるかもね」
さくらは納得した。
かの人自身、ずっと優等生だったので、同じタイプの生徒から一方的にライバル視されて面倒くさい思いをしたことが何度かある。
「でも、よくそんなこと知ってるわね」
さくらが言うと、相手は『ふふん』とばかりに自慢げに胸を反らして見せた。
「そりゃあもう。校内情報ならお任せ! それが中等部からのあたしの売りだもんね」
「……ああ」
――いたいた、こういう子。とにかく、校内の情報にはメチャクチャ詳しいのよね。
こういうタイプとは縁があるとたしかに便利なことはある。しかし、それ以上に面倒ごとに巻き込まれやすい。普通に高校生活を送って普通に卒業したいさくらとしては、あまり関わりたくない相手だ。ただ、このときばかりはもうひとつ、気になることがあったので尋ねてみた。
「空いている席がもうひとつあるけど、あれはなんで? ただのあまり?」
「ああ、あそこ。あそこもなんか訳ありらしいわよ。なんでも、特待生として入学するはずだったのに、急に一般で入ることになったんだって」
「ふうん?」
授業開始のチャイムが鳴ったので話はそこで打ち切りになった。
――いくら特別待遇って言っても、一週間も来てないって言うのはやっぱり長いし、連絡してみるべきかな。
さくらは授業を受けながらそう思った。
メールアドレスは交換しているので連絡しようと思えば出来る。とは言え――。
――向こうから連絡が来たこともないし、入学式のときに一度、会ったきりだし。わざわざ連絡するほどの仲じゃないって言えば、その通りだし。それに……。
かあらにだって親はいるはずだし。
さくらはそう思ってためらった。何しろ、(主に兄の森也のせいで)『親』とか『家族』というものに対して良い印象をもっていないさくらである。相手の親と話す羽目になるのはなるべく避けたい。
結局、自分から連絡する踏ん切りも付かないまま、その日の学校は終わりとなった。
さくらは、森也とあきらが共同経営者を務めるクリエイターズ・カフェでのウエイトレスのバイトがあるので部活には参加してない。授業が終わればまっすぐ帰る。結局、かあらのからのメールが来たのはバイトも終わり、家に帰った夜中のことだった。
スマホに表示されたその一文は――。
助けて。
「ええっ⁉ 『助けて』ってどういうこと⁉」
さくらは思わずユニット式の個室のなかでベッドから飛び起きた。
『部屋のない家』用に作られた運搬可能のユニット式個室。ベッドと机、それに、クローゼットを置けば満杯になってしまうような小さなユニットだが、その狭さが逆に落ち着く。ともかく、さくらはあわててかあらに連絡を取った。メールではまだるっこしいと電話をする。
「……はい」
「もしもし! かあら? だいじょうぶなの⁉」
「……ああ、君か。よかった。連絡が付いたのだな」
「あ、よかった。電話には出られるのね」
電話に出たかあらの声は、やや弱っているようではあつたが特に異常は感じなかった。さくらはホッと一息ついた。とにかく、電話には出られるのだから急な事故とか、病気とか、強盗に押し入られて捕まっているとか、そう言うことではないのだろう。
強盗に入られて捕まっている。
そのことを想像したとき、いまさらながらに自分のしたことが怖くなった。
もし、本当にそんな事態になっていて、うかつに電話など入れたら……犯人を刺激してしまい、取り返しの付かない事態が起きていたかも知れない。
――いきなりのことだからつい、あわてちゃったけど……まずは兄さんに相談するべきだったかも。
地球進化史上最強の知性を自認する森也である。あらゆる事態を想定し、適切な手段を考えてくれただろう。とにかく、次回からはそうすることにしていまはとにかく、事情を聞くことにした。
「それで、どうしたの? いきなり『助けて』ってなにが起きたの⁉」
「……腹が減った」
「はっ……?」
「だから、腹が減った。しばらく研究に没頭していたら備蓄食糧を食べ尽くしてしまっていた。家にはもう何もない。すっからかんだ。水を飲むぐらいしか出来ない」
「なにも食べてないってこと? じゃあ、とにかく、手近のコンビニでも行って……」
「あいにくだが、わたしはネットでしか買い物をしたことがない。リアル店舗など場所も知らない」
――ヤバい。これはほんとにヤバい。
さくらはそう直感した。
「わ、わかった! とにかく、兄さんに頼んで、車だしてもらってすぐに行くから。住所、教えて!」
教えられた住所はさして遠くでもなかった。『安全第一』の森也のノロノロ運転でも一時間ほどで到着することが出来た。セキュリティ完備の高級タワーマンション。車を駐車場に止めた森也はマンションを見上げながら呑気に呟いた。
「これはなかなか。けっこう金持ちなんだな」
「呑気なこと言ってないで! 早くして」
「あわてるな。一時間前に電話で普通に話せていたなら飢え死にしている心配はない」
森也はそう言ってケートに向かった。教えられた暗証番号を打ち込み、ロックを解除。なかに入る。エレベータを使って階をあがり、かあらの部屋に向かう。
『防犯のために表札は出していない』ということなので名前はないが、部屋番号からしてここにまちがいないはずだ。
さくらは立てつづけに三回、チャイムを鳴らした。スピーカーからいっそう、弱々しくなった声が聞こえてきた。
「……空いている。入ってくれ」
玄関の鍵を開けていたらセキュリティの意味がないと言うべきか、それとも、セキュリティ完備だからこそ玄関の鍵まで閉める必要はないと言うべきか。ともかく、ふたりはドアを開けてなかに入った。
リビングに入るとそこにかあらはいた。『いた』と言うより『あった』と言うべきか。制服姿のまま、リビングの床にだらあっとした印象で寝転がっていた。年頃の女子としてはかなりはしたない格好だが、本人は気にしている節もない。
「……きてくれたのだな。兄上も。よかった。さすがに限界を迎えたところだった」
「ちょ、ちょっと! 動くことも出来ないぐらお腹すいてるの⁉」
「いや、立っているとその分、エネルギー消費が激しくなって腹が空くから、エネルギー消費を抑えようと思って……」
床の置物状態にしておくわけにもいかないので森也が抱きかかえて引き起こし、ダイニングキッチンの椅子に座らせた。一六〇センチを超える身長の割に体重は驚くぐらい軽い。
――ひかると同じぐらいしかないんじゃないか?
ひかるはまだ小学五年生。身長は一五〇にも届かない。その身長差で体重は同じというのではかなり問題である。
ともかく、森也は用意した食材を使って手早く食事を用意した。食事と言ってもオートミールを豆乳でさっと煮ただけの簡単な粥である。
目の前に出た一皿を見て、かあらが失望したような声をあげた。
「これだけか?」
目の前いっぱいに皿が並ぶ山盛り料理の数々を平らげる自分の姿を妄想していたのだろう。何日もろくに食べていない人間にはありがちなことだ。
修羅場が当たり前のマンガ家家業だけあって、その当たりのことにくわしい森也は心得た様子で言った。
「極度に腹が減っているときはどんな山盛り料理でもペロリと平らげられる気がするけどな。それはまさに『気がするだけ』だ。実際には胃が縮こまっているからほとんど食べられない。そこへ、いきなり大量の食物を入れると戻すことになる。落ち着いたら改めてちゃんとした食事を用意するから、まずはその粥を食べて胃を慣らしておけ」
一口ひとくち、ゆっくり食べるんだぞ。
森也はそう言ったが――。
かあらは辛抱できなかったらしい。温かい粥を一気にかきこんだ。そして――。
「ゴホッ!」
むせた。
吐き出した。
テーブルいっぱいにオートミール粥が飛び散った。
「ああ、もう!」
さくらが少々、苛立った様子でかあらの顔を拭い、テーブルを拭いた。
森也は修羅場開けのあきらやトウノが懲りもせずに毎回、同じことを繰り返すのを見ているのでまったく動じない。
「な? わかっただろう? 空きっ腹でいきなり食うと、そういうことになる」
これを予想して別に用意しておいた分を他の皿に盛り、出してやる。
「今度はちゃんち落ち着いて、一口ひとくちゆっくり食べるんだぞ」
「……わ、わかった。すまない」
さすがにかあらは立てつづけに同じミスをくりかえすほど馬鹿ではなかった。オートミール粥を一匙ひとさじゆっくりすくい、よく噛みしめながら食べていく。
――ふむ。あきらよりは学習能力があるな。
と、森也はハムスターの知能実験に取り組む学者の態度で思った。
一皿の粥を時間をかけてゆっくり食べてお茶を飲み、かあらはようやく人心地ついた。
「ふう。助かった。礼を言う、さくら。兄上にもご足労をかけた。申し訳ない」
ときおり、妙に時代がかった口調になるが、ともかく、礼儀をわきまえていることはまちがいない。さくらは少々苛立ったような、叱りつけるような口調で言った。
「それはいいけど、いったい、なにがあったの? そんなになるまでなにも食べていないなんて」
「先ほど言ったとおりだ。研究に没頭していたらいつの間にか備蓄食糧を食べ尽くしていた。新規に注文するのも忘れていたのでお手上げになったというわけだ」
「研究って……」
さくらは改めて室内を見渡した。
高級タワーマンションの広い部屋のなかはどこもかしこも機械類に埋め尽くされていた。特に、フィギュアのようなロボットの姿が目に付いた。
「ロボット?」
「わたしはロボット工学の専門家だ。この分野ではずっと『天才』と呼ばれてきた」
「ああ。学校から特別契約されてるってそういうこと」
「そうだ。学校側にしてみればわたしが所属することはかなりのステータスになるらしい。わたしを獲得するために特別条件を提示してきた」
「生徒獲得のために特別契約か。感心できないやり方だな」
森也が言った。
森也が学校の責任者ならば絶対に使わないやり方だ。
「……研究に没頭すると食べるのも忘れる。リアル店舗で買い物したことがない」
さくらが指折り数えながら言った。
「そんなことでよく生きてきたわね。いままでどうしてたの?」
「前に言ったと思うが、わたしは五歳のときからインド暮らしだ。向こうではずっと全寮制の学校に通っていた。だから、いままでは研究に没頭していても誰かしらに注意されたし、食べるものがなくなると言うこともなかった」
「それが、ひとり暮らしになって誰からも注意してもらえなくなったので窮地に陥った、と」
「そうだ。恥ずかしながら、ひとり暮らしの恐ろしさを思い知った」
と、かあらは森也の言葉に素直にうなずいた。
「ひとり暮らしって、ご両親は?」と、さくら。
「父はいない。わたしの母はシングルマザーだ。その母はわたしが幼い頃からずっとアメリカで仕事をしていて、わたしには年に何度か会いに来るだけだ」
「年に何度か? それって母親って言えるの?」
「少なくとも、本人は母親を名乗っている。わたしも気にしたことはない。別にそれで不都合はなかったからな」
――そりゃまあ、全寮制の学校で誰かに世話してもらえたなら、そうかも知れないけど……。
「今回はなんでマンションでひとり暮らしなんだ? LEOにも寮はあるだろう」と、森也。兄の言葉にさくらもコクコクとうなずいた。
「一生、寮暮らしが出来るわけじゃない。そろそろ、ひとり暮らしにも慣れておけ。母にそう言われた」
「なるほど」
――でも、この調子じゃ、ひとり暮らしが出来るようになる前にひからびそうだけど。
今回はたまたま連絡がついたからよかったが、もし、サーバーの不具合などで連絡がつかなかったら……。
本気で知らないうちに餓死体となっていたかも知れない。それではさすがに気分が悪すぎる。
「ねえ、かあら。いまからちょっと出かけない?」
「いまから?」
「そう。まだ、お店はやってる時間だし、近所のお店を回って緊急時の買い物ぐらいできるように。いいでしょ、兄さん?」
妹の問いかけに森也はうなずいた。
「そうだな。おれがいる間に練習しておいた方がいい」
「しかし……まだ二回しか会っていない君たちにそこまでの手間をかけるのは気が引けるが……」
「また『助けて』なんてメール送ってこられたら、その方が迷惑なの!」
地域きっての進学校だけあってまわりの生徒も皆、さくらと似たような真面目な優等生タイプ。おかげで質の悪い相手に目を付けられるようなこともなく、さくらは平穏な高校生活をスタートさせることが出来ていた。
ただひとつ、気にかかることがある。
時任かあら。
同じクラスでありながら入学式のあの日以来、かあらとは会っていない。一日も学校に来ていないのだ。
さくらのクラスにはいつも空席のままの席がふたつ、ある。
さくらは見るともなく空席のままのふたつの席を眺めていた。その様子に気が付いたのだろう。クラスメートのひとりが声をかけてきた。
「どうかした、さくら?」
「えっ? ああ、かあら……時任さん、全然、学校来ないなって思って」
「ああ。あの子は特別だから。来る必要もないんじゃない?」
「どういうこと?」
そう尋ねられたことがよほど嬉しかったらしい。勢い込んで話しはじめた。
「実はさあ。あの子、とんでもない天才らしいのよ」
「天才?」
「そう! それで、特別待遇の入学なの。最低限の出席日数さえクリアすれば、授業成績に関係なく自動的に卒業できるって言う契約らしいわよ」
「そんな契約、ありなの?」
さくらはさすがに驚いた。
学校が特定の生徒とそんな契約を交わすなんて話、聞いたことがない。しかし、言われてみれば、教師の誰ひとりとして、かあらの不在を気にしたことはなかった。
「それだけ優秀ってことよ。学校側にとって生徒になってくれることが凄い利益になるぐらいにね」
「あの子、そんなに凄かったんだ。でも、そんな子がなんで普通科? 特待生で入学してそうなものだけど……」
LEOは『アインシュタインを超える天才を育成する』ことを目的に設立された学校。平均的な優等生よりも一芸に秀でた『異能異才』を欲しがる。それだけに、特待生制度は充実している。
「凄すぎてバランスが悪いとか何とか。ほら。特待生ってみんな、プライド高いし、張り合ったりもするじゃない? 別格で凄いのがいると揉めやすいから」
「ああ。そう言うこともあるかもね」
さくらは納得した。
かの人自身、ずっと優等生だったので、同じタイプの生徒から一方的にライバル視されて面倒くさい思いをしたことが何度かある。
「でも、よくそんなこと知ってるわね」
さくらが言うと、相手は『ふふん』とばかりに自慢げに胸を反らして見せた。
「そりゃあもう。校内情報ならお任せ! それが中等部からのあたしの売りだもんね」
「……ああ」
――いたいた、こういう子。とにかく、校内の情報にはメチャクチャ詳しいのよね。
こういうタイプとは縁があるとたしかに便利なことはある。しかし、それ以上に面倒ごとに巻き込まれやすい。普通に高校生活を送って普通に卒業したいさくらとしては、あまり関わりたくない相手だ。ただ、このときばかりはもうひとつ、気になることがあったので尋ねてみた。
「空いている席がもうひとつあるけど、あれはなんで? ただのあまり?」
「ああ、あそこ。あそこもなんか訳ありらしいわよ。なんでも、特待生として入学するはずだったのに、急に一般で入ることになったんだって」
「ふうん?」
授業開始のチャイムが鳴ったので話はそこで打ち切りになった。
――いくら特別待遇って言っても、一週間も来てないって言うのはやっぱり長いし、連絡してみるべきかな。
さくらは授業を受けながらそう思った。
メールアドレスは交換しているので連絡しようと思えば出来る。とは言え――。
――向こうから連絡が来たこともないし、入学式のときに一度、会ったきりだし。わざわざ連絡するほどの仲じゃないって言えば、その通りだし。それに……。
かあらにだって親はいるはずだし。
さくらはそう思ってためらった。何しろ、(主に兄の森也のせいで)『親』とか『家族』というものに対して良い印象をもっていないさくらである。相手の親と話す羽目になるのはなるべく避けたい。
結局、自分から連絡する踏ん切りも付かないまま、その日の学校は終わりとなった。
さくらは、森也とあきらが共同経営者を務めるクリエイターズ・カフェでのウエイトレスのバイトがあるので部活には参加してない。授業が終わればまっすぐ帰る。結局、かあらのからのメールが来たのはバイトも終わり、家に帰った夜中のことだった。
スマホに表示されたその一文は――。
助けて。
「ええっ⁉ 『助けて』ってどういうこと⁉」
さくらは思わずユニット式の個室のなかでベッドから飛び起きた。
『部屋のない家』用に作られた運搬可能のユニット式個室。ベッドと机、それに、クローゼットを置けば満杯になってしまうような小さなユニットだが、その狭さが逆に落ち着く。ともかく、さくらはあわててかあらに連絡を取った。メールではまだるっこしいと電話をする。
「……はい」
「もしもし! かあら? だいじょうぶなの⁉」
「……ああ、君か。よかった。連絡が付いたのだな」
「あ、よかった。電話には出られるのね」
電話に出たかあらの声は、やや弱っているようではあつたが特に異常は感じなかった。さくらはホッと一息ついた。とにかく、電話には出られるのだから急な事故とか、病気とか、強盗に押し入られて捕まっているとか、そう言うことではないのだろう。
強盗に入られて捕まっている。
そのことを想像したとき、いまさらながらに自分のしたことが怖くなった。
もし、本当にそんな事態になっていて、うかつに電話など入れたら……犯人を刺激してしまい、取り返しの付かない事態が起きていたかも知れない。
――いきなりのことだからつい、あわてちゃったけど……まずは兄さんに相談するべきだったかも。
地球進化史上最強の知性を自認する森也である。あらゆる事態を想定し、適切な手段を考えてくれただろう。とにかく、次回からはそうすることにしていまはとにかく、事情を聞くことにした。
「それで、どうしたの? いきなり『助けて』ってなにが起きたの⁉」
「……腹が減った」
「はっ……?」
「だから、腹が減った。しばらく研究に没頭していたら備蓄食糧を食べ尽くしてしまっていた。家にはもう何もない。すっからかんだ。水を飲むぐらいしか出来ない」
「なにも食べてないってこと? じゃあ、とにかく、手近のコンビニでも行って……」
「あいにくだが、わたしはネットでしか買い物をしたことがない。リアル店舗など場所も知らない」
――ヤバい。これはほんとにヤバい。
さくらはそう直感した。
「わ、わかった! とにかく、兄さんに頼んで、車だしてもらってすぐに行くから。住所、教えて!」
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「呑気なこと言ってないで! 早くして」
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さくらは立てつづけに三回、チャイムを鳴らした。スピーカーからいっそう、弱々しくなった声が聞こえてきた。
「……空いている。入ってくれ」
玄関の鍵を開けていたらセキュリティの意味がないと言うべきか、それとも、セキュリティ完備だからこそ玄関の鍵まで閉める必要はないと言うべきか。ともかく、ふたりはドアを開けてなかに入った。
リビングに入るとそこにかあらはいた。『いた』と言うより『あった』と言うべきか。制服姿のまま、リビングの床にだらあっとした印象で寝転がっていた。年頃の女子としてはかなりはしたない格好だが、本人は気にしている節もない。
「……きてくれたのだな。兄上も。よかった。さすがに限界を迎えたところだった」
「ちょ、ちょっと! 動くことも出来ないぐらお腹すいてるの⁉」
「いや、立っているとその分、エネルギー消費が激しくなって腹が空くから、エネルギー消費を抑えようと思って……」
床の置物状態にしておくわけにもいかないので森也が抱きかかえて引き起こし、ダイニングキッチンの椅子に座らせた。一六〇センチを超える身長の割に体重は驚くぐらい軽い。
――ひかると同じぐらいしかないんじゃないか?
ひかるはまだ小学五年生。身長は一五〇にも届かない。その身長差で体重は同じというのではかなり問題である。
ともかく、森也は用意した食材を使って手早く食事を用意した。食事と言ってもオートミールを豆乳でさっと煮ただけの簡単な粥である。
目の前に出た一皿を見て、かあらが失望したような声をあげた。
「これだけか?」
目の前いっぱいに皿が並ぶ山盛り料理の数々を平らげる自分の姿を妄想していたのだろう。何日もろくに食べていない人間にはありがちなことだ。
修羅場が当たり前のマンガ家家業だけあって、その当たりのことにくわしい森也は心得た様子で言った。
「極度に腹が減っているときはどんな山盛り料理でもペロリと平らげられる気がするけどな。それはまさに『気がするだけ』だ。実際には胃が縮こまっているからほとんど食べられない。そこへ、いきなり大量の食物を入れると戻すことになる。落ち着いたら改めてちゃんとした食事を用意するから、まずはその粥を食べて胃を慣らしておけ」
一口ひとくち、ゆっくり食べるんだぞ。
森也はそう言ったが――。
かあらは辛抱できなかったらしい。温かい粥を一気にかきこんだ。そして――。
「ゴホッ!」
むせた。
吐き出した。
テーブルいっぱいにオートミール粥が飛び散った。
「ああ、もう!」
さくらが少々、苛立った様子でかあらの顔を拭い、テーブルを拭いた。
森也は修羅場開けのあきらやトウノが懲りもせずに毎回、同じことを繰り返すのを見ているのでまったく動じない。
「な? わかっただろう? 空きっ腹でいきなり食うと、そういうことになる」
これを予想して別に用意しておいた分を他の皿に盛り、出してやる。
「今度はちゃんち落ち着いて、一口ひとくちゆっくり食べるんだぞ」
「……わ、わかった。すまない」
さすがにかあらは立てつづけに同じミスをくりかえすほど馬鹿ではなかった。オートミール粥を一匙ひとさじゆっくりすくい、よく噛みしめながら食べていく。
――ふむ。あきらよりは学習能力があるな。
と、森也はハムスターの知能実験に取り組む学者の態度で思った。
一皿の粥を時間をかけてゆっくり食べてお茶を飲み、かあらはようやく人心地ついた。
「ふう。助かった。礼を言う、さくら。兄上にもご足労をかけた。申し訳ない」
ときおり、妙に時代がかった口調になるが、ともかく、礼儀をわきまえていることはまちがいない。さくらは少々苛立ったような、叱りつけるような口調で言った。
「それはいいけど、いったい、なにがあったの? そんなになるまでなにも食べていないなんて」
「先ほど言ったとおりだ。研究に没頭していたらいつの間にか備蓄食糧を食べ尽くしていた。新規に注文するのも忘れていたのでお手上げになったというわけだ」
「研究って……」
さくらは改めて室内を見渡した。
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「ロボット?」
「わたしはロボット工学の専門家だ。この分野ではずっと『天才』と呼ばれてきた」
「ああ。学校から特別契約されてるってそういうこと」
「そうだ。学校側にしてみればわたしが所属することはかなりのステータスになるらしい。わたしを獲得するために特別条件を提示してきた」
「生徒獲得のために特別契約か。感心できないやり方だな」
森也が言った。
森也が学校の責任者ならば絶対に使わないやり方だ。
「……研究に没頭すると食べるのも忘れる。リアル店舗で買い物したことがない」
さくらが指折り数えながら言った。
「そんなことでよく生きてきたわね。いままでどうしてたの?」
「前に言ったと思うが、わたしは五歳のときからインド暮らしだ。向こうではずっと全寮制の学校に通っていた。だから、いままでは研究に没頭していても誰かしらに注意されたし、食べるものがなくなると言うこともなかった」
「それが、ひとり暮らしになって誰からも注意してもらえなくなったので窮地に陥った、と」
「そうだ。恥ずかしながら、ひとり暮らしの恐ろしさを思い知った」
と、かあらは森也の言葉に素直にうなずいた。
「ひとり暮らしって、ご両親は?」と、さくら。
「父はいない。わたしの母はシングルマザーだ。その母はわたしが幼い頃からずっとアメリカで仕事をしていて、わたしには年に何度か会いに来るだけだ」
「年に何度か? それって母親って言えるの?」
「少なくとも、本人は母親を名乗っている。わたしも気にしたことはない。別にそれで不都合はなかったからな」
――そりゃまあ、全寮制の学校で誰かに世話してもらえたなら、そうかも知れないけど……。
「今回はなんでマンションでひとり暮らしなんだ? LEOにも寮はあるだろう」と、森也。兄の言葉にさくらもコクコクとうなずいた。
「一生、寮暮らしが出来るわけじゃない。そろそろ、ひとり暮らしにも慣れておけ。母にそう言われた」
「なるほど」
――でも、この調子じゃ、ひとり暮らしが出来るようになる前にひからびそうだけど。
今回はたまたま連絡がついたからよかったが、もし、サーバーの不具合などで連絡がつかなかったら……。
本気で知らないうちに餓死体となっていたかも知れない。それではさすがに気分が悪すぎる。
「ねえ、かあら。いまからちょっと出かけない?」
「いまから?」
「そう。まだ、お店はやってる時間だし、近所のお店を回って緊急時の買い物ぐらいできるように。いいでしょ、兄さん?」
妹の問いかけに森也はうなずいた。
「そうだな。おれがいる間に練習しておいた方がいい」
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