文明ハッカーズ2 〜智慧の使い手と夢追う少女たち〜

藍条森也

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最終話 最後のピース

ラスト4 ペンと家出

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 「ありがとう。仲間にも読んでもらったが皆、褒めていた」
 森也しんやは借りていた原稿を碧海あおみに返した。ひとりの若者が心血を注いで作りあげた大切な作品であり、原稿である。片手でもって気軽に返すような、そんなぞんざいな真似はしない。両手でもって丁寧に手渡しする。それこそ、取引先の社長に名刺を渡すビジネスマンのように。
 「あ、ありがとうございます……!」
 ボーイッシュ。
 童顔。
 清楚かわいい。
 碧海あおみは、その三拍子がそろった顔をほころばせた。『巨乳も含めて四拍子だ!』との説は大いにあるのだが、とりあえずは置いておく。
 「借りていた原稿を返すから、都合のいいときにカフェに来てって」
 学校でさくらからそう伝えられた。もちろん、その日の放課後に出向くことに即決した。その日は学校でも一日中、そわそわした様子で上の空だった。教師から気もそぞろな様子を注意されもした。日頃、品行方正で手のかからない優等生として知られている碧海あおみにしてはめずらしいことだったので一瞬、教室がざわめいたほどだ。
 学校が終わってカフェに向かう途中の道でも、さくらが『だいじょうぶ? 心臓発作とか起こしちゃうんじゃない?』と、心配になるぐらい緊張していた。当然、その緊張は森也しんやと会った時点で頂点に達した。表情は引きつり、脂汗がにじむ。心臓が早鐘のようにドキドキ鳴っているのが聞こえるよう。
 ――どうしよう、なにを言われるんだろう?
 その思いで頭がいっぱいで他のことが目に入っていない。
 その気持ちはもちろん、森也しんやにはよくわかる。デビュー間もない頃、担当編集に原稿を渡すつど『なにを言われるか?』と不安と緊張でいっぱいになり、足が小刻みに震えていたものだ。そこまで緊張されては相手もきっとやりずらかったことだろう。
 ――あの頃は純真だったなあ。
 つくづくとそう思う。
 なにしろ、ろくに人と関わったことのない身だったので致し方ない。まだまだ精神の成長も遅かったし。昨年、まだ入社間もない黒瀬くろせヒロが担当になった頃にはすっかりすれて、いちいち緊張など感じなくなっていたけれど。
 ともあれ、碧海あおみの気持ちはよくわかる。安心させるために微笑を浮かべ、まずは褒めた。
 碧海あおみはそれでようやく人心地ついたようだ。まぶしいほどの笑顔を見せて、安心した様子になった。森也しんやは、それを確認してからつづけた。
 「欠点はいくつかあるが、まずは完成させているというだけで立派だ。マンガ家の卵のなかには描いては投げだし、描いては投げだしを繰り返し、結局、一作も完成させないうちに辞めていく、という人間も少なくないからな。『きちんと完成させている』という点だけでマンガ家としての適正がある」
 「描き出したマンガを完成させない人なんているんですか⁉」
 「けっこう、多いんだな、それが。そう言うタイプに限って『完成させずにいるといずれ、マンガを描くこと自体が出来なくなる』と、何度言われてもかわらないしな」
 「せっかく描いたマンガを完成させないなんて。作品に対する愛ってものがないの⁉」
 碧海あおみはかわいい顔を真っ赤にして本気で怒っている。この怒り方からしていままで描きはじめたマンガはすべて最後まで描ききってきたのだろう。
 ――ま、それは全編、力を込めて、丁寧に描いていることからも予想できていたけどな。自作に対する責任感があるのは頼もしい。
 「最初から最後まで力を抜かず、丁寧に描ききっているのも大したものだ。新人には最初にとばしすぎて、最後はガス欠になるタイプも多いんだがな。最後まできっちり力を入れて描きあげることの出来る気力と体力は素晴らしい」
 褒められるたび、碧海あおみの表情がほころんでいく。それはさながら春を迎えた花のつぼみが咲いていくかのよう。どんどん華やかに、魅力的になっていく。
 「なにより、君の作品はキャラに魅力がある。作中人物が『人間』として自然に描けている。これは練習して身につくものじゃない。君自身の持って生まれたセンス、君のマンガ家としての武器だ。その点は赤岩あかいわあきらとその担当編集も認めていた。自慢していい」
 言われて、碧海あおみの喜びの笑顔は頂点に達した。
 赤岩あかいわあきらに対してはとくにファンというわけではない。それでもやはり、当代を代表する売れっ子マンガ家とその担当編集から認められるのは格別だ。
 「さて。そこで、君に提案がある」
 「提案?」
 いきなりの言葉に――。
 碧海あおみは小さな顔のなかの大き目をパチクリさせた。
 「そうだ。その提案のためにまずは富士ふじ幕府ばくふの説明をさせてもらいたい。かまわないか?」
 「はい、もちろんです!」
 「では……」
 森也しんやは語りはじめた。
 富士ふじ幕府ばくふの理念、創設の理由、クリアすべき四つの課題……。
 聞いているうちに碧海あおみの表情がどんどん血湧き肉躍るものになっていく。さすがに森也しんやのファンというだけあって、『世界をかえる』という挑戦に沸き立つものを感じるのだろう。
 「……というわけで、おれたちはいま、四つの手順に取り組んでいる。必要とした人材のうち科学者、アイドル、アスリートはそろった。ただひとり、おれのペンになってくれる人間がいない。おれのアイディアを一般受けするマンガという形で描き、世界中に広める。その役割を果たしてくれる人間がな」
 「そ、その役をボクにやれって……?」
 ゴクリ、と、碧海あおみは唾を飲み込んだ。ボーイッシュな可愛らしい顔立ちが震えている。『ボク』を『わたし』に直すのも忘れるほど、心が震えているのだ。
 「強制はしない。決めるのは君だ。正直、おれと組んだからと言って売れるとは限らない。君の将来を保証できるわけでもない。それに、君ならおれと組まなくてもプロのマンガ家になれる可能性は高い。こうして出会ったのも縁。今回の件を引き受けるかどうかとは関係なしに、君がマンガ家を目指すなら反則にならない範囲で協力はする。
 もちろん、プロになるだけがマンガを描く道ではない。メインの仕事は別に持ちマンガは副業、あるいは趣味と割り切って描いていくのも立派な道だ。いまは誰でも投稿サイトで気軽に自作を公開できるし、そこで稼ぐことも出来る。メインの仕事とするのはまだまだ厳しいが、小遣い稼ぎ程度ならそう難しいことはない」
 森也しんやはそう前置きしてから、語った。
 「だが、君は絵柄といい、作風といい、おれとの相性は良い。なにより、きわめて希少なおれのファン。それだけ、おれのアイディアに共感してくれる人間は少ない。君はきわめて貴重な人間だ。組んでもらいたいと、おれは思っている」
 「……やる」
 碧海あおみは迷う素振りすら見せずにそう答えた。
 「やる、やります、やらせてください! ボクは藍条あいじょう先生のファンです、大ファンです! 『おれが世界をかえてやる』って言う、藍条あいじょう先生のむき出しの野心に惚れたんです! 藍条あいじょう先生と一緒に『世界をかえる』ための挑戦が出来るなら……なにがなんでもやりたいです!」
 やらせてください、お願いします!
 碧海あおみはそう叫んで、頭をさげた。
 「ありがとう、感謝する」
 森也しんやはそう言ってからつづけた。
 「そう言ってくれるのは嬉しい。しかし、実際に組んで仕事をするとなると問題がある」
 「問題?」
 「君はまだ未成年。親の保護を受けている身だ。親の許可なしに仕事に就かせるわけにはいかない。まずは、親の許可をきちんと取ってきてくれ。すべてはそれからだ」
 「はい!」
 と、碧海あおみは決意の表情で答えた。

 その夜。
 森也しんやの家には赤岩あかいわあきら、黒瀬くろせヒロ、緑山みどりやま菜の花なのかの三人がそろっていた。もちろん、一緒に住んでいるさくらとかあらもいる。かあらは相変わらずの研究けんきゅう三昧ざんまいで自室に籠もっているが、さくらの方は他の皆と一緒に居間にいる。
 「……ねえ、兄さん。親の説得、碧海あおみひとりに任せてよかったの?」
 さくらが気遣わしげななかに、ちょっぴり非難を込めた様子で言った。そこには、
 ――なつみのときにはみんなで家まで行って、説得したのに。
 と言う不満も込められていた。
 「子供がマンガ家になることを認める親なんて、まだまだ少ないわよ?」
 ヒロが編集者としての立場からそう言った。
 「若い新人を担当すると親と揉めることも多いって、先輩たちが良く言っているもの」
 「そもそも、一五の娘ひとりに親の説得を押しつけるなど理不尽であろう」
 あきらも例の将軍口調でそう言った。
 「助力を提案したのは我々の方なのだ。我々から出向くのが筋であろう」
 「そうよねえ。いくら、知らない人間と会うのが苦手でもこれはあんまりだわ」
 と、姉の菜の花なのかが付け加えた。
 まわりを囲む女性陣からの集中砲火に、
 「だろうな」
 と、森也しんやはあっさりと認めた。
 「マンガ家なんてなんの保証もない職業だ。たいていの親は子供にはもっと安定した職について欲しいと望む。とくに碧海あおみの場合、進学校のLEOレオでも上位の成績だそうだし、素行も良い。となれば、親としては当然、一流大学、一流企業の黄金パターンを期待しているだろう。親自身がクリエイターだとか、『かつてはマンガ家を目指していた時期もある』とか、そういうことでない限り、断固として反対するだろうな」
 「それがわかっているならなおさら、我々全員で説得に赴くべきだろう。なぜ、一五の娘ひとりに押しつけた?」
 あきらがはっきりと非難の口調で言った。さくらも口には出さないものの責める視線で見つめている。
 「だからこそ、だ。実際に、マンガ家なんてものはなんの保証もない職業なんだ。親に頼ったり、バイトしたりしながら必死に描いて、それでもデビューできずにいつの間にやら三〇代。それで、定職にも就けていない。そんな人間が普通にいるんだ。
 幸運にもデビューできたからと言って安心できるわけじゃない。人気が出なければすぐに捨てられる。人気が出れば出たで、今度は無数の同業者との生存競争。負ければいい歳して失業者。勝てばさらなる競争と妬みそねみにさらされる。文字通り、百鬼夜行の世界だ。そんなことはおれがいちいち言わなくても、骨身に染みて知っているだろう」
 さくらをのぞく三人が深い実感を込めてうなずいた。
 それぞれに『プロ』としてマンガに関わっている三人である。マンガ家を夢見たばかりに、社会の底辺を這いずるような生き方をする羽目になった人間のひとりやふたり、三人や四人は知っている。
 「それに耐えて結果を出せるかどうかは結局、マンガに対して、本気で『やりたい』と思っているかどうかだ。親に反対されてあきらめることが出来る程度の思いなら、そんなものは『やりたいこと』とは言わない。反対されようがどうしようがやらずにはいられない。それが『やりたいこと』だ。それだけの思いがないなら、最初からプロなんて目指さない方がいい。趣味の漫画描きにとどまっていた方が幸せだ。いまはそれでも立派に多くの読者に自作を読んでもらえる時代なんだからな。その環境のなかで、あえて『プロ』として誘うからにはそれだけの熱意を見せてもらわないとな。親に反対されたら家出してくる。それぐらいの決意と根性を見せてくれなければとても、誘うわけにはいかんよ」
 だから、わざわざ、この家までの道のりを教えておいたんだ。
 森也しんやはそう付け加えた。
 「……そういうこと。兄さんやっぱり、ちゃんと計画して行動してたんだ」
 「当たり前だろ。おれはそう言う人間だ。そして、もし、それだけの根性を見せたなら、そのときがおれたちの出番だ。家に出向いて説得する。そのときは赤岩あかいわ黒瀬くろせ。お前たちにも協力してもらうぞ」
 「任せろ! 前途ある若者の夢を邪魔させはせん!」
 「まあ、あたしも編集者としてマンガ家の卵に手を貸す立場だし……」
 あきらとヒロがそう言ったまさにそのときだ。森也しんやの家のチャイムが鳴った。
 「まさか……」
 「来たのかな?」
 さくらがささやき、森也しんやが呟いた。
 ふたりは立ちあがると、そろって玄関に向かった。ドアを開けた。するとそこにはたしかに決意に満ちた表情の沢木さわき碧海あおみが立っていた。
 「親に反対されたんで家出してきました! なんでもするからここに置いてください!」
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