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最終話 最後のピース
ラスト6 ピースはそろった
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「なにを言っても無駄だ。娘をマンガ家などにさせるつもりはない」
「そういうこと。大切な娘を将来、なんの保証もない職業につかせるわけにはいかないものね」
碧海の両親の態度は最初からはなはだ非友好的なものだった。まあ、当然だが。
ある日、突然、どこの馬の骨ともわからない男が仲間を引き連れてやってきて『娘さんを僕のペンにください!』などと言ってきたのだ。いくら、当の娘から事前に話を聞いているとは言ってもやはり、不愉快だし、警戒するのが当たり前。門前払いにせず、とにかく話を聞くだけは聞いている分、礼儀正しく、親切と言える。
もっとも、両親の表情を見ていると『思いきり怒鳴りつけてやらなければ気がすまない!』という思いで面会を認めたのでは、と言う気はどうしてもしてしまうのだが。
――これは、なつみのときよりずっと難しそうね。
一般人アピールのために連れてこられているさくらは、内心でそう呟いた。
なつみの両親と会ったときも『どこの馬の骨ともわからない』相手であったことは同じ。しかし、なつみはすでにバレエダンサーとして多くの実績を残していたし、両親も応援していた。人生をバレエに捧げた娘が膝を壊して再起不能になったことに心を痛めてもいた。
――できることなら、もう一度、思いきりバレエをやらせてやりたい。
――自分の足と取り替えてすむものなら……。
そう思い、心のどこかで『ありもしないのに……』と思いつつ、奇跡が起こり、娘がバレエダンサーとして復活できることを望んでもいた。その思いの前には多少の――多少どころではない、と言う噂もあるが――胡散臭さなど問題にもならない。大切な娘を預ける気になるのもわかる。
だが、今回は事情がちがう。碧海は『趣味でマンガを描いている』だけの素人であり、マンガ家としてなんの実績もない。両親はマンガを描くことを趣味としてはともかく、仕事として認める気はない。そこへ、いきなり『僕のペンに……』などと言ってきたのだ。親の立場からすれば大切な娘をさらおうとする略奪者に過ぎない。なつみの両親を説得するのとは根本的に難度がちがう。
――兄さん、どうやって説得するんだろう?
さくらはそう思い興味と期待はもったが、心配はしなかった。
――まあ、兄さんならなんとかするだろうし。
さくらはすでに、自分の兄が説得力の化け物だと言うことを知っていた。
その説得力の化け物は相手の非友好的な態度にもめげず、穏やかな態度で答えた。
「お気持ちはわかります。いきなり現れたどこの馬の骨ともわからない男のことなど信用できない。マンガ家などと言う何の保証もない職業に、大切な娘を付けるわけにはいかない。どちらもごもっともです。
ですが、私の身分に関してはこちらのふたり、赤岩あきらと黒瀬ヒロが保証してくれます。赤岩は現代日本を代表する売れっ子マンガ家。黒瀬は大手出版社勤務。どちらも、れっきとした社会的立場のある人間です」
「うむ。そのとおり!」
と、赤岩あきらがいつも通り小さな胸を大きく張って、そう答えた。
「こやつの人格と熱意に関してはわたしが保証する。ご息女に不埒な真似をしたりはせん」
あきらは自信満々にそう言ったのだが――。
あきらを見る碧海の両親の『うさん臭い思い』は、森也を見るときの比ではなかった。見た目ばかりはお人形にような小柄な少女――に見える女性――が、羽織袴にちょんまげなどという、いまどきちょっと見ない奇妙な出で立ちで、しかも、バカ殿喋りなのだ。『保証する』などと言われても納得できないし、むしろ、
――マンガ家というのがこんな珍妙な人種なら、なおさら許すわけには行かない!
と、思いを新たにするだろう。
そんなときのための常識人代表、黒瀬ヒロである。自分の役割をよく知っているかの人は、即座に割って入った。
「わたしは藍条森也の編集者として一年間、関わってきました。マンガ家と編集者という関係上、かの人の家でふたりきりで夜を明かしたこともあります。その経験から言いますが、女性に対して乱暴を振るうような男ではありません。また、マンガに対する情熱は編集者として保証します。娘さんを自分のペンとして欲しがる理由に他意はありません」
ヒロはそう言い切った。
こちらはあきらとは対照的に無難なビジネススーツに、真面目なキャリアウーマン風の顔立ち。あきらとは見た目の説得力がちがうので、ヒロの言葉には碧海の両親も心動かされたようだ。
「二番目のご懸念ですが……」
森也はつづけた。
「マンガ家は将来になんの保証もない。もっともな懸念ですが同時に、不要な懸念でもあります。実際にマンガ家になれるのは志望者のなかのごく一部。そのなかでも、マンガを一生の仕事に出来るのはさらにごく一部。しかし、それはあくまでも個人として見た場合。マンガ界という業界全体を見れば、近い将来に衰退することはまず考えられません。むしろ、これから先、世界規模でどんどん拡大していくことでしょう。
そして、マンガ界は常にアシスタント不足に悩まされています。いま、こうしている間にも日本中で何百というマンガ家がアシスタントを募集しているのです。碧海さんの画力があれば、充分にアシスタントとしてやっていけます。そのことはこのふたり、売れっ子マンガ家の赤岩と大手出版社の編集者である黒瀬も認めています」
「そのとおり! ご息女の画力であればいますぐ、わたしのアシスタントとして雇いたいぐらいだ」
「わたしも保証します。娘さんの画力であれば、いますぐにでも紹介できるアシスタント先は五カ所はあります」
あきらがそう主張し、ヒロも付け加えた。
「聞いての通りです。碧海さんの画力があれば例え、本人がマンガ家として売れなかったとしても、プロアシスタントとして充分にやっていけます」
「アシスタントなんて……そんな、いくらにもならない仕事」
碧海の母親が小馬鹿にして鼻を鳴らした。その態度に娘の碧海が腹を立てて身じろぎしたが、森也が気付かれないようそっと制した。
「こちらの緑山菜の花は赤岩あきらのチーフアシスタントを務めています。一月いくらで雇われていると思いますか?」
「……二〇万ぐらいか?」
碧海の父親が菜の花をじっと見つめた後、そう言った。その表情には不審感がありありと浮いている。
――アシスタントなんてどうせ、いくらにもなるわけがない。おまけに目の前の娘はどうにも頭が軽そうで、信用ならない。まともな月給など稼いでいるわけがない。どうせ、マンガ家気取りで親に頼って生活しているのだろう。月一〇万も稼いでいないにちがいない。しかし、本人を前にしてそこまで言うのはさすがに……。
そんな葛藤を重ねたあと、実際に口にした金額が『二〇万』。当人としては相当に気を使い、盛りつけた数字である。
菜の花はその言葉に胸を張って答えた。
「一二〇万です」
「ひゃく……⁉」
碧海の両親がさすがにそろって驚きの声をあげた。目と口で三つの『O』の字を作ってヒロを見る。やはり人間、信用を求めるときはスーツ姿に目を向ける。
「まちがいありません。売れっ子マンガ家のチーフアシスタントとなれば『月一〇〇万』はめずらしい数字ではありません」
……月一〇〇万がめずらしくない。
自分たちの常識に打ち込まれた重々しい一撃。ふたりの精神の甲冑にヒビが入った。
「その他にもアニメ・映画・ゲームになった際の印税の分配もあります。これは年間で何千万という規模になることもあります。赤岩あきらのチーフアシスタントともなれば、ほんの数年であなた方おふたりの生涯賃金をまとめて越えるでしょうね」
森也のその言葉は『とどめ』と言うべきだった。
「それに……」
森也はさらにつづけた。
「私と組むと言うことは、この黒瀬ヒロとも懇意になると言うことです。黒瀬は大手出版社勤務の編集者。部長夫人である伯母の紹介で入社したという経緯があります」
要するに、社会的地位も、コネもあるやつだ。仲良くしておいて損はないぞ。
とは、さすがに口には出さず、視線だけで知らせる。
「碧海さんの成績であれば大手出版社にも充分に就職できます。そこに、黒瀬の紹介が加われば入社は確実です。つまり、いま、私と組んでマンガを描くことは碧海さんの将来にはなんらマイナスにはならない。それどころか、充分なプラスがあると言うことです」
森也はそう言ってから居住まいを正した。
「碧海さんが大学を卒業するまで七年あります。どうか、その間、部活に打ち込ませたと思って試させていただきたい。大学卒業を第一とすること、学業に影響しないよう配慮することは約束します。それを大前提としてお願いします。どうか、碧海さんを私のペンとして預けていただきたい。この世界をより良い場所にかえる、そのために」
森也はそう言って頭をさげた。
「父さん、母さん」
それまで黙っていた碧海がはじめて口を開いた。両親を見つめる視線の強さはまるで『親の仇』でも見るかのようだった。
「反対しても無駄だよ。一度、家出した以上、帰ってくる気なんてなかった。藍条先生に言われたから今回は帰ってきたけど……どうあっても反対するって言うならボクは何度でも家出する。学校もやめて、どんな仕事でもしながらマンガを描く。藍条先生と一緒に」
「……そこまで思っているのか」
「そうだよ」
父親の問いに――。
碧海は迷いなく答えた。
「ボクは藍条森也と生きていく」
その一言で――。
すべては決まった。
その後、しばらく話をして、大学だけは卒業すること、一日の間にマンガを描く時間を制限すること、成績がさがるようなら契約を見直すこと……等々が決められ、交渉は成立した。
「ま、まあ、なんだ……」
コホン、と、わざとらしく咳払いなどしながら碧海の父親が気まずそうに言った。
「正直、まだ早いとは思うが、少なくとも心配していたような、いい加減な人間ではないようだ。身分を保障してくれる友人もいることだし、まあ、そう悪くはないと言うか……」
「そうね。結局は本人の人生なんだし……」
母親も頬に手を当てて、溜め息をつきながらつづけた。
「なんの話?」
と言う、碧海の言葉を最後に『世紀の会談』は終わったのだった。
クリエイターズカフェの休憩室。森也、さくら、碧海の三人がそろっている。
「親の許可も得たし、これでお前は正式に富士幕府のメンバーだ」
森也の言葉に、碧海は嬉しさを爆発させた。
「はい! ありがとうございます、藍条先生」
――結局、この子はこれが素なわけね。最初、会ったときにおとなしく見えたのは他人に避けられていたから、自分からも避けるようになっちゃっていたからで……本当はかなり人懐っこくて行動的なタイプなんだわ。
兄さん相手なら素の自分を出せる。そういうことね。
そう思い、ちょっぴり焼き餅を焼くさくらであった。
「『先生』は禁止だ。おれの柄でもないし、富士幕府の流儀でもないからな」
森也が碧海に言った。
「じゃあ、藍条さん? それとも、森也さん?」
「『さん』も別にいらないんだが……まあ、そこまで強制するのもどうかと思うしな。とにかく、『先生』なんて社会的な上下関係を強いるような言葉を使わなければなんでもいい。自分の呼びやすい呼び方をすればいい」
「はい!」
「それと、いくつか注意しておくことがある。『注意』と言うより『徹底』と言うべきか」
「なに?」
「お前の親との取り決めだ。実際、おれにも『おとなとしての責任』があるんでな。高校生の将来を無視するわけにはいかない。と言うわけでまずは、大学までは卒業する。これはお前の親との約束でもあるし、今回の契約の大前提だ」
「わかってる」
大学どころか、高校さえも卒業していない森也がその点にこだわるのはおかしなことだと思うかも知れない。しかし、もたないものだからこそ骨身に染みて知っているのだ。『学歴という武器』の強力さを。
「それと、成績の維持。もちろん、数字に上下の変動はつきものだが、はっきりした下落傾向がつづくようならマンガは禁止とする。例え、連載中であろうともな。いいな?」
「はい!」
「そのために、マンガを描く時間と場所に制限を設ける。平日は三時間。休日でも五時間。つまり、一般的な部活の時間が上限というわけだ」
「一日三時間? マンガってその程度の時間で描けるの?」
「描けるようにスケジュールを組む。よその雑誌に連載するのとはちがって、分量も自分たちで決められるし、打ち切りを心配する必要もないからな。それと、マンガを描くのは、このカフェに限る」
森也はいったん、言葉を切ってからつづけた。
「おれは『学生という安全な立場に身を置いて、好き勝手なことをする』キャラはきらいだからな。授業中にマンガを描くぐらいなら、学校などさっさとやめてアシスタントでもなんでもなればいい。学校に通う以上はそこのルールに従うのが筋。お前にもLEOのルールに従うよう要求する。その程度の自律性もないやつなら必要としないからな」
「わかりました!」
と、碧海は答えた。まるで、スポーツの現場でコーチに答える選手のよう。本質はやはり体育会系なのだと感じさせる。
「それと最後に、伝えておくことがある」
「な、なに……?」
ただならぬ雰囲気な碧海は表情を強張らせた。ふいに――。
森也は優しい笑みを浮かべた。
「おれのマンガと出会えたから生きてこられた。そう言ってくれたときは嬉しかった。そう言ってもらえるほどの作品を描けたこと、誇りに思う。ありがとう」
森也はその一言を言い残し――。
他の仕事をするために部屋を出た。
残された碧海はしばらく呆然としていたが、
「ちょ、ちょっと! いまのなに⁉ 胸にいきなり突き刺さったんだけど⁉」
「あ~、なんか、ゴメン……」
と、碧海につめよられたさくらは困ったように頬などかいて見せた。
「……兄さん、自覚もないくせに乙女心に不意打ちするのが得意だから」
『文明ハッカーズ』完
『滅ぼされる側から一言』につづく
「そういうこと。大切な娘を将来、なんの保証もない職業につかせるわけにはいかないものね」
碧海の両親の態度は最初からはなはだ非友好的なものだった。まあ、当然だが。
ある日、突然、どこの馬の骨ともわからない男が仲間を引き連れてやってきて『娘さんを僕のペンにください!』などと言ってきたのだ。いくら、当の娘から事前に話を聞いているとは言ってもやはり、不愉快だし、警戒するのが当たり前。門前払いにせず、とにかく話を聞くだけは聞いている分、礼儀正しく、親切と言える。
もっとも、両親の表情を見ていると『思いきり怒鳴りつけてやらなければ気がすまない!』という思いで面会を認めたのでは、と言う気はどうしてもしてしまうのだが。
――これは、なつみのときよりずっと難しそうね。
一般人アピールのために連れてこられているさくらは、内心でそう呟いた。
なつみの両親と会ったときも『どこの馬の骨ともわからない』相手であったことは同じ。しかし、なつみはすでにバレエダンサーとして多くの実績を残していたし、両親も応援していた。人生をバレエに捧げた娘が膝を壊して再起不能になったことに心を痛めてもいた。
――できることなら、もう一度、思いきりバレエをやらせてやりたい。
――自分の足と取り替えてすむものなら……。
そう思い、心のどこかで『ありもしないのに……』と思いつつ、奇跡が起こり、娘がバレエダンサーとして復活できることを望んでもいた。その思いの前には多少の――多少どころではない、と言う噂もあるが――胡散臭さなど問題にもならない。大切な娘を預ける気になるのもわかる。
だが、今回は事情がちがう。碧海は『趣味でマンガを描いている』だけの素人であり、マンガ家としてなんの実績もない。両親はマンガを描くことを趣味としてはともかく、仕事として認める気はない。そこへ、いきなり『僕のペンに……』などと言ってきたのだ。親の立場からすれば大切な娘をさらおうとする略奪者に過ぎない。なつみの両親を説得するのとは根本的に難度がちがう。
――兄さん、どうやって説得するんだろう?
さくらはそう思い興味と期待はもったが、心配はしなかった。
――まあ、兄さんならなんとかするだろうし。
さくらはすでに、自分の兄が説得力の化け物だと言うことを知っていた。
その説得力の化け物は相手の非友好的な態度にもめげず、穏やかな態度で答えた。
「お気持ちはわかります。いきなり現れたどこの馬の骨ともわからない男のことなど信用できない。マンガ家などと言う何の保証もない職業に、大切な娘を付けるわけにはいかない。どちらもごもっともです。
ですが、私の身分に関してはこちらのふたり、赤岩あきらと黒瀬ヒロが保証してくれます。赤岩は現代日本を代表する売れっ子マンガ家。黒瀬は大手出版社勤務。どちらも、れっきとした社会的立場のある人間です」
「うむ。そのとおり!」
と、赤岩あきらがいつも通り小さな胸を大きく張って、そう答えた。
「こやつの人格と熱意に関してはわたしが保証する。ご息女に不埒な真似をしたりはせん」
あきらは自信満々にそう言ったのだが――。
あきらを見る碧海の両親の『うさん臭い思い』は、森也を見るときの比ではなかった。見た目ばかりはお人形にような小柄な少女――に見える女性――が、羽織袴にちょんまげなどという、いまどきちょっと見ない奇妙な出で立ちで、しかも、バカ殿喋りなのだ。『保証する』などと言われても納得できないし、むしろ、
――マンガ家というのがこんな珍妙な人種なら、なおさら許すわけには行かない!
と、思いを新たにするだろう。
そんなときのための常識人代表、黒瀬ヒロである。自分の役割をよく知っているかの人は、即座に割って入った。
「わたしは藍条森也の編集者として一年間、関わってきました。マンガ家と編集者という関係上、かの人の家でふたりきりで夜を明かしたこともあります。その経験から言いますが、女性に対して乱暴を振るうような男ではありません。また、マンガに対する情熱は編集者として保証します。娘さんを自分のペンとして欲しがる理由に他意はありません」
ヒロはそう言い切った。
こちらはあきらとは対照的に無難なビジネススーツに、真面目なキャリアウーマン風の顔立ち。あきらとは見た目の説得力がちがうので、ヒロの言葉には碧海の両親も心動かされたようだ。
「二番目のご懸念ですが……」
森也はつづけた。
「マンガ家は将来になんの保証もない。もっともな懸念ですが同時に、不要な懸念でもあります。実際にマンガ家になれるのは志望者のなかのごく一部。そのなかでも、マンガを一生の仕事に出来るのはさらにごく一部。しかし、それはあくまでも個人として見た場合。マンガ界という業界全体を見れば、近い将来に衰退することはまず考えられません。むしろ、これから先、世界規模でどんどん拡大していくことでしょう。
そして、マンガ界は常にアシスタント不足に悩まされています。いま、こうしている間にも日本中で何百というマンガ家がアシスタントを募集しているのです。碧海さんの画力があれば、充分にアシスタントとしてやっていけます。そのことはこのふたり、売れっ子マンガ家の赤岩と大手出版社の編集者である黒瀬も認めています」
「そのとおり! ご息女の画力であればいますぐ、わたしのアシスタントとして雇いたいぐらいだ」
「わたしも保証します。娘さんの画力であれば、いますぐにでも紹介できるアシスタント先は五カ所はあります」
あきらがそう主張し、ヒロも付け加えた。
「聞いての通りです。碧海さんの画力があれば例え、本人がマンガ家として売れなかったとしても、プロアシスタントとして充分にやっていけます」
「アシスタントなんて……そんな、いくらにもならない仕事」
碧海の母親が小馬鹿にして鼻を鳴らした。その態度に娘の碧海が腹を立てて身じろぎしたが、森也が気付かれないようそっと制した。
「こちらの緑山菜の花は赤岩あきらのチーフアシスタントを務めています。一月いくらで雇われていると思いますか?」
「……二〇万ぐらいか?」
碧海の父親が菜の花をじっと見つめた後、そう言った。その表情には不審感がありありと浮いている。
――アシスタントなんてどうせ、いくらにもなるわけがない。おまけに目の前の娘はどうにも頭が軽そうで、信用ならない。まともな月給など稼いでいるわけがない。どうせ、マンガ家気取りで親に頼って生活しているのだろう。月一〇万も稼いでいないにちがいない。しかし、本人を前にしてそこまで言うのはさすがに……。
そんな葛藤を重ねたあと、実際に口にした金額が『二〇万』。当人としては相当に気を使い、盛りつけた数字である。
菜の花はその言葉に胸を張って答えた。
「一二〇万です」
「ひゃく……⁉」
碧海の両親がさすがにそろって驚きの声をあげた。目と口で三つの『O』の字を作ってヒロを見る。やはり人間、信用を求めるときはスーツ姿に目を向ける。
「まちがいありません。売れっ子マンガ家のチーフアシスタントとなれば『月一〇〇万』はめずらしい数字ではありません」
……月一〇〇万がめずらしくない。
自分たちの常識に打ち込まれた重々しい一撃。ふたりの精神の甲冑にヒビが入った。
「その他にもアニメ・映画・ゲームになった際の印税の分配もあります。これは年間で何千万という規模になることもあります。赤岩あきらのチーフアシスタントともなれば、ほんの数年であなた方おふたりの生涯賃金をまとめて越えるでしょうね」
森也のその言葉は『とどめ』と言うべきだった。
「それに……」
森也はさらにつづけた。
「私と組むと言うことは、この黒瀬ヒロとも懇意になると言うことです。黒瀬は大手出版社勤務の編集者。部長夫人である伯母の紹介で入社したという経緯があります」
要するに、社会的地位も、コネもあるやつだ。仲良くしておいて損はないぞ。
とは、さすがに口には出さず、視線だけで知らせる。
「碧海さんの成績であれば大手出版社にも充分に就職できます。そこに、黒瀬の紹介が加われば入社は確実です。つまり、いま、私と組んでマンガを描くことは碧海さんの将来にはなんらマイナスにはならない。それどころか、充分なプラスがあると言うことです」
森也はそう言ってから居住まいを正した。
「碧海さんが大学を卒業するまで七年あります。どうか、その間、部活に打ち込ませたと思って試させていただきたい。大学卒業を第一とすること、学業に影響しないよう配慮することは約束します。それを大前提としてお願いします。どうか、碧海さんを私のペンとして預けていただきたい。この世界をより良い場所にかえる、そのために」
森也はそう言って頭をさげた。
「父さん、母さん」
それまで黙っていた碧海がはじめて口を開いた。両親を見つめる視線の強さはまるで『親の仇』でも見るかのようだった。
「反対しても無駄だよ。一度、家出した以上、帰ってくる気なんてなかった。藍条先生に言われたから今回は帰ってきたけど……どうあっても反対するって言うならボクは何度でも家出する。学校もやめて、どんな仕事でもしながらマンガを描く。藍条先生と一緒に」
「……そこまで思っているのか」
「そうだよ」
父親の問いに――。
碧海は迷いなく答えた。
「ボクは藍条森也と生きていく」
その一言で――。
すべては決まった。
その後、しばらく話をして、大学だけは卒業すること、一日の間にマンガを描く時間を制限すること、成績がさがるようなら契約を見直すこと……等々が決められ、交渉は成立した。
「ま、まあ、なんだ……」
コホン、と、わざとらしく咳払いなどしながら碧海の父親が気まずそうに言った。
「正直、まだ早いとは思うが、少なくとも心配していたような、いい加減な人間ではないようだ。身分を保障してくれる友人もいることだし、まあ、そう悪くはないと言うか……」
「そうね。結局は本人の人生なんだし……」
母親も頬に手を当てて、溜め息をつきながらつづけた。
「なんの話?」
と言う、碧海の言葉を最後に『世紀の会談』は終わったのだった。
クリエイターズカフェの休憩室。森也、さくら、碧海の三人がそろっている。
「親の許可も得たし、これでお前は正式に富士幕府のメンバーだ」
森也の言葉に、碧海は嬉しさを爆発させた。
「はい! ありがとうございます、藍条先生」
――結局、この子はこれが素なわけね。最初、会ったときにおとなしく見えたのは他人に避けられていたから、自分からも避けるようになっちゃっていたからで……本当はかなり人懐っこくて行動的なタイプなんだわ。
兄さん相手なら素の自分を出せる。そういうことね。
そう思い、ちょっぴり焼き餅を焼くさくらであった。
「『先生』は禁止だ。おれの柄でもないし、富士幕府の流儀でもないからな」
森也が碧海に言った。
「じゃあ、藍条さん? それとも、森也さん?」
「『さん』も別にいらないんだが……まあ、そこまで強制するのもどうかと思うしな。とにかく、『先生』なんて社会的な上下関係を強いるような言葉を使わなければなんでもいい。自分の呼びやすい呼び方をすればいい」
「はい!」
「それと、いくつか注意しておくことがある。『注意』と言うより『徹底』と言うべきか」
「なに?」
「お前の親との取り決めだ。実際、おれにも『おとなとしての責任』があるんでな。高校生の将来を無視するわけにはいかない。と言うわけでまずは、大学までは卒業する。これはお前の親との約束でもあるし、今回の契約の大前提だ」
「わかってる」
大学どころか、高校さえも卒業していない森也がその点にこだわるのはおかしなことだと思うかも知れない。しかし、もたないものだからこそ骨身に染みて知っているのだ。『学歴という武器』の強力さを。
「それと、成績の維持。もちろん、数字に上下の変動はつきものだが、はっきりした下落傾向がつづくようならマンガは禁止とする。例え、連載中であろうともな。いいな?」
「はい!」
「そのために、マンガを描く時間と場所に制限を設ける。平日は三時間。休日でも五時間。つまり、一般的な部活の時間が上限というわけだ」
「一日三時間? マンガってその程度の時間で描けるの?」
「描けるようにスケジュールを組む。よその雑誌に連載するのとはちがって、分量も自分たちで決められるし、打ち切りを心配する必要もないからな。それと、マンガを描くのは、このカフェに限る」
森也はいったん、言葉を切ってからつづけた。
「おれは『学生という安全な立場に身を置いて、好き勝手なことをする』キャラはきらいだからな。授業中にマンガを描くぐらいなら、学校などさっさとやめてアシスタントでもなんでもなればいい。学校に通う以上はそこのルールに従うのが筋。お前にもLEOのルールに従うよう要求する。その程度の自律性もないやつなら必要としないからな」
「わかりました!」
と、碧海は答えた。まるで、スポーツの現場でコーチに答える選手のよう。本質はやはり体育会系なのだと感じさせる。
「それと最後に、伝えておくことがある」
「な、なに……?」
ただならぬ雰囲気な碧海は表情を強張らせた。ふいに――。
森也は優しい笑みを浮かべた。
「おれのマンガと出会えたから生きてこられた。そう言ってくれたときは嬉しかった。そう言ってもらえるほどの作品を描けたこと、誇りに思う。ありがとう」
森也はその一言を言い残し――。
他の仕事をするために部屋を出た。
残された碧海はしばらく呆然としていたが、
「ちょ、ちょっと! いまのなに⁉ 胸にいきなり突き刺さったんだけど⁉」
「あ~、なんか、ゴメン……」
と、碧海につめよられたさくらは困ったように頬などかいて見せた。
「……兄さん、自覚もないくせに乙女心に不意打ちするのが得意だから」
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