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五話

イカサマが問題? 問題なのはルールだ(上)

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 「ばか! ばかばかばか! 大ばかよ、あなた!」
 香坂こうさかみおの悲鳴が部屋中に響き渡る。
 その悲鳴と共に皿やらコップやらが容赦なく夫の和志かずしに投げ付けられる。
 「あんなに賭け事はやめてって言ったじゃない! もうやめたって言ってたじゃない! それなのにこっそりつづけててしかも、ポーカーに負けて店まで巻きあげられたなんて! どうするのよ! せっかく開いたお店なのよ! ローンだって丸々、残ってるのよ! 子供だってこれからどんどんお金がかかるって言うのに……これから先、どうやって暮らしていくのよ⁉」
 「す、すまない」
 香坂こうさか和志かずしはそう言うのが精一杯だった。
 妻を裏切り、嘘をついて賭け事をつづけ、そのあげくにすべてを巻きあげられたのだ。それ以外の言葉を言えるはずもなかった。
 みおはその場にしゃがみ込んでわんわん泣きはじめた。
 和志かずしはどうすることも出来ない。それこそ『オロオロする』ことすら出来ず、ただだ悄然しょうぜんとしているばかりだった。
 部屋中に響き渡るみおの泣き声。
 それは、藍条あいじょう森也しんやを呼ぶ声だった。

 「……まったく。賭けに負けて全財産巻きあげられるなんて単なる自業自得だろ。なんだっておれが手を貸してやらなくちゃならんのだ」
 担当編集である黒瀬くろせヒロの運転する車の助手席に身を沈めながら、藍条あいじょう森也しんやは例によって例のごとくボヤいて見せた。ヒロの側もこれもまたいつもの通り苛立った声をあげた。
 「奥さんがかわいそうでしょ!」
 「そんな男と結婚するのが悪い」
 森也しんやは無慈悲なほどきっぱりと真実を口にした。
 「大体、なんで女というやつは自分を不幸にする男にばかり惚れるんだ? 現実的なくせにその点だけは抜けてるなんてどうかしてるぞ」
 「ああ、もう、いいから! どうせ、最後には助けるんだから文句言わずにやってよね!」
 「人になにかをやらせようと言うなら報酬を出せ。毎度まいどただ働きさせやがって」
 「人生にはお金より大切なものがあるでしょ⁉」
 「金で困ったことがないからそう言えるんだ。本当に金のない生活してみろ。そんなこと二度と言えなくなるぞ」
 「ああ、もういい! とにかく、なんとかしてよね」
 そんなヒロの叫びを乗せて――。
 車は町のなかを走り抜ける。

 香坂こうさか和志かずしは生まれついてのギャンブル好きだった。
 小学生の頃にはすでにいっぱしのギャンブラー気取りで、近所の中高校生の不良相手に賭けの真似事。大学に入る頃には競馬、パチンコは言うに及ばず、夜なよなクラブに入り浸ってはカードにビリヤードと賭け事三昧。負けることはもちろん多かったが、勝つことも同じくらいあったので生活に困ることはなかった。
 そんな日々をつづけていた頃、大学でみおを見かけた。
 みおはこれまで和志かずしの生きてきた世界の女たちとはまったくちがっていた。世間せけんれしておらず、金に執着しゅうちゃくせず、男あさりもしたりしない。けがれのない、清楚せいそ可憐かれんな女性だった。
 ――おれの天使だ。
 和志かずしはそう思った。
 交際だのなんだの、そんな過程はすべてすっ飛ばして結婚を申し込んだ。
 「賭け事をやめてくれたら……」
 それがみおの返事。
 和志かずしは二つ返事で答えた。
 「金輪際、やらない!」
 就職もつつがなく決まり、大学卒業後、ふたりは結婚した。
 「いつかは自分の店をもちたいな」
 クラブ通いをつづけていた和志かずしにとっては自然な発想だったろう。みおにしても大企業と言えどいつ、どうなるかわからない時代にあっては自分の店をもった方が生活が安定するように思えた。
 「……この人もすっかり真面目になって賭け事からは足を洗ったみたいだし……」
 そう思い、夫の夢に協力することにした。
 そして、ふたりは夢に向かってコツコツと金を貯めはじめた。それは、傍目には夢に向かって努力する幸せな夫婦そのものに見えただろう。しかし――。
 その裏では和志かずしは相変わらず賭け事をつづけていた。
 嘘をついたわけではない。
 「金輪際やらない!」
 そう誓ったときには本気だった。
 本当に、もう二度とギャンブルなどやらないつもりだったのだ。しかし――。
 ひとたび覚えたギャンブルの味。そうおいそれとやめられるはずもない。一月ひとつき二月ふたつきと立つうちに体がうずきはじめた。気がつけばギャンブルのことを考えていた。おかげで仕事も手につかなくなった。ミスを重ね、上司に怒られることも増えた。
 「これじゃ却って生活に困ることになる。そうだ。これは治療だ。二日酔いを迎え酒で治すのと同じだ。気持ちがおさまる程度にギャンブルをすれば……」
 そう言い訳して、馴染みのクラブに向かった。久々のポーカー。そこで味わう刺激と興奮。もう止まらなくなった。止められなかった。連日連夜、クラブに通うようになった。最愛の妻をだまし、嘘をつき、ギャンブルに現を抜かす日々。
 それなりに腕の方はよかったので勝ったり負けたりを繰り返していたので大損することはなく、バレずにいた。
 そして、数年。
 子供も生まれ、ついに開店資金が貯まったことで自分のクラブをオープンした。ところが――。
 オープン間もなくやってきたひとりの男。生まれついてのギャンブラーを名乗る男と出会ったとき、すべては暗転した……。
 「でっ? 要するに、その男にポーカーでぼろ負けして全財産、巻きあげられたわけだな」
 話を聞き終えて森也しんやは確認した。あからさまに軽蔑けいべつしている。それ以上に面倒くさがっているのだが。
 「なんだって、わざわざそんなギャンブラーと勝負したりしたんだ?」
 「それが……生まれついてのギャンブラーだといろいろ自慢されているうちにどうしても勝負したくなって……」
 ボソボソとそう言う和志かずしを妻のみおはいまにも絞め殺しそうな目で睨み付けている。
 ――まあ、当然よね。
 ヒロもそう思う。
 ――って言うか、あたしだったら本当に殺しているかも。
 大学時代は剣道全国大会常連だった猛者である。竹刀一本その手にあれば、人のひとりぐらい叩き殺せる。
 まったく、森也しんやの言うとおりだ。どうしてよりによってこんな男と結婚してしまったのか。見た目は可憐、性格は清楚で真面目。もっといい男をいくらでも見つけられたはずなのに……。
 ――男を見る目がないって、女にとっては致命的な欠点なのかもね。
 そう思わずにはいられないヒロだった。
 森也しんやが軽蔑の視線のまま和志かずしに尋ねた。
 「しかも、店を巻きあげられるまでつつづけるってのはどういうことだ?」
 「それが……最初にどんどんチップをつりあげられて大負けしてしまったもので、なんとかして取り返さなくちゃと思っているうちに……」
 「あほうが」
 森也しんや容赦ようしゃなく言い捨てた。
 もとより、森也しんやにとって和志かずしは赤の他人。自分に面倒事を持ち込むきっかけとなった元凶でしかない。軽蔑し、弾劾しこそすれ、容赦したりするわけがない。
 「まあ、とにかくだ。せっかくきたんだ。何とかしてやらないでもない」
 森也しんやは面倒くさそうに言った。
 和志かずしの顔に希望がきらめいた。
 みおは相変わらず怒りを溜め込んだままだ。
 「とは言え、同じことを繰り返すのはきらいでな。ここでおれが店を取り返すなりなんなりしたところで、またぞろギャンブルに狂って散財したらなんにもならない。そうさせないために……」
 森也しんやみおを見た。
 「今後、一切の財産管理は妻君さいくんであるあなたが行う。このバカ亭主にはびた一文、自由にさせない。ギャンブル依存症の治療も受けさせる。その条件を守ると誓うならなんとかしてやろう」
 その言葉に対するみおの返事は――。
 「もう二度とご面倒をおかけしたりはしません。ですから、今回だけは助けてください。もし、もう一度、同じことを繰り返したら……私が責任をもって殺します」

 「いやあ、いいね、あの妻君は」
 ヒロの運転する車でくだんのクラブに向かう途中、助手席に座った森也しんやは『クックッ』と、笑いをもらしつづけていた。それも、さも愉快そうに。
 「……なにを喜んでるのよ」
 「なにって、いきなり『わたしが責任をもって殺します』だぞ。そこまで言いきれる女、そうはいない。いや、気に入った。これは、きちんと店を取り戻してやらないとな。そして、性懲しょうこりもなく同じことを繰り返して殺される羽目になるところをぜひ、見たい」
 「……この、悪魔」
 「天才だ」
 そんなふたりのやり取りを乗せたまま――。
 ヒロの運転する車はクラブに向かう。

※イカサマが問題? 問題なのはルールだ(下)につづく。
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