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第一話 はじまりの令嬢と最前線の騎士
二章 男爵令嬢ハリエット
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「ま、参った!」
はじき飛ばされた剣が回転しながら宙を舞い、甲高い音を立てて床に落ちる。その音に被さるようにして悲鳴にも似た叫びがあがる。鎧兜に身を包んだ三人の兵士が尻餅をついた格好で腕を伸ばし、許しを請うかのように『参った!』と口々に叫んでいる。
そんな兵士たちの様子を白き鷹の勇者ガヴァンは剣を片手に忌々しい舌打ちとともに見下ろしている。表情はいかにも不機嫌そうにピクピクと脈打ち、兵士たちを見下ろす目は、蔑みを通り越して苛立ちでいっぱいになっている。
「ええい、ふがいない! それでも王宮を守る親衛隊の兵士か! 三対一でもこの様とは」
王宮の一角にある軍用の訓練場。ガヴァンはそこで城の兵士たち相手に鍛練を積んでいるところだった。というより、正確には『積むはず』だった。実際には誰が見ても『弱いものいじめ』としか思えない結果にしかならなかった。それぐらい、城の兵士たちとガヴァンの間には大きな差があった。まともな稽古相手になれる相手のひとりもいないのでは苛立つのも無理はない。とは言え、それを考慮してもやはり、ガヴァンの態度は無礼に過ぎるものではあったが。
「このクズどもめ! これでは稽古にもならん! 五人、いや、一〇人まとめてかかってこい!」
ガヴァンは叫んだ。
その叫びに城の兵士たちは気色ばんだ。自分たちはガヴァンには遠く及ばない。一〇人どころか、一〇〇人でかかってもガヴァンひとりを倒すことはできないだろう。それぐらいのことは城の兵士たちも重々、承知している。だからこそ、ガヴァンは勇者であり、自分たちは一般兵なのだ。とは言え――。
日々、生命を懸けて国民を守っているのは一般兵も勇者と同じ。『国民を守るために戦っているのだ』という誇りがある。『国民を守っているのは勇者だけではない』という意地もある。それなのに、クズ呼ばわりされたとあっては立つ瀬がない。敵わずと言えどもせめて一太刀、浴びせてやらなければ気が済まない!
その思いのもと、腕自慢の一〇人の兵士が怒りも露わに殺到した。手にてに剣を、槍を、斧を、自分の得意とする武器を持ち、ガヴァンに襲いかかった。一〇人の兵士はいずれも充分に鍛練を積んでおり、実戦経験も豊富。鬼部相手の本物の戦いで生き残ってきた猛者たちだった。個々人の戦闘能力の高さもさることながら、実戦のなかで培われてきた連携は強固且つ見事なもので、その辺の国の兵士たちが相手なら例え五〇人いても撃破することができただろう。しかし――。
強い、
強い、
強い!
白き鷹の勇者は強すぎた。動きの疾さも、一撃の力強さも、剣撃の鋭さ、正確さに至るまで、どれひとつとっても兵士たちが太刀打ちできるものではなかった。一〇人の兵士たちはガヴァンの影すら捉えることができないまま、次々に地に這わされていく。それでも、稽古と言うことで相手を殺さないよう気を使っているからこれだけの時間がかかっているのだ。もし、相手の身命を気にせずに戦っていればこの半分以下の時間で終わらせることが出来る。例え、他にどんな欠点があろうとも、ガヴァンの勇者としての力は本物だった。
――見ろ!
全身が躍動する高揚感そのままにガヴァンは心の内で叫ぶ。
――見ろ! おれはこんなに強い! こんなにも強いんだ! おれこそは選ばれし勇者、鬼部の王を倒すために神に選ばれた存在。鬼部の王を倒し人類を救うのは、有象無象の雑兵なんかじゃない! 勇者であるこのおれなんだ!
気が付いたときには一〇人の兵士たち全員が放心状態で床に這っていた。まさか、ここまての差があるとは思っていなかった。一〇人がかりで全力で挑めば、敵わずと言えども手傷のひとつぐらいは付けられるはず。そう思い、挑んだのだ。それなのに結局、手傷を負わせるどころか触れることすらできずに一方的に打ち倒された。
――いままで自分のしてきたことは何だったのか。
そう思い、すべてを否定された気分になるのも無理はなかった。
「ふん。もう終わりか。これでは稽古にもならないな」
ガヴァンはわざわざ相手に聞かせるために大きめの声でそう言うと、剣を鞘に収め、きびすを返した。そのときをまっていたふたりの美女がガヴァンに近づく。
聖女フィオナと魔女スヴェトラーナ。その美貌とともに王国随一の回復魔法と攻撃魔法の使い手として知られるふたりがガヴァンを出迎え、汗を拭うための手拭きを差し出した。と言っても、実際にはガヴァンは汗ひとつかいてはいなかったのだが。
「お疲れさまです、ガヴァンさま」
フィオナが手拭きを差し出しながらにっこりと微笑む。
『おれも一度でいいからあの笑顔を向けてもらいたい!』
王国中の兵士たちがそう熱望し、身もだえする笑顔である。
ガヴァンは差し出された手拭きを受け取ると、かいてもいない汗を拭う振りをした。それから、フィオナに向かって言った。
「疲れる間もなかったけどな。まるで、相手にならなかったさ」
「当然だ、ガヴァンさま」と、今度は魔女スヴェトラーナが言った。こちらもまた、『あの冷たい視線で射貫かれたい!』と、多くの兵士たちが叫ぶ冴えた視線を白き鷹の勇者に向けている。
「勇者であるあなたに雑兵どもが敵うわけがない」
「まったくだな」と、ガヴァンは兵士たちに嘲笑を向けながら答えた。
「あんな連中じゃあ、一〇〇人いたって相手にならない。稽古の足しにはなるかと思ったおれがバカだった。これなら素振りでもしていた方がマシだったな」
事実であり、真実ではある。だからと言って、わざわざこの場で口に出して言う必要はないことだった。まして、露骨な蔑みの視線と見下す嘲笑とを交えながら言う必要などまったくなかった。放心状態の仲間たちを介抱しにきていた兵士たちが屈辱に顔を歪ませる。もちろん、ガヴァンもそのことには気付いた。しかし、気まずい表情ひとつ見せはしない。兵士たちの屈辱はガヴァンにとっては快感でありこそすれ、気に病む必要などないことだった。
「なんだ、なんだ。その顔は。悔しかったらかかってこいよ。仲間の仇を取ってやろうって言う気概をもつやつのひとりもいないのか?」
露骨で、しかも、安っぽい侮蔑。むしろ、発言した当人の格を下げるだけの台詞であろうに、それをわざわざ相手に聞かせるように言うのがガヴァンという人間だった。
あからさまに侮辱された兵士たちはさらなる屈辱に顔を歪ませた。これが他の相手であれば誇りにかけて決闘を挑むところだ。しかし、相手が正真正銘の勇者であっては束になっても敵うはずがない。そのことはたったいま実例として見せつけられたばかりだ。怒りに身を震わせながらも必死に呑み込み、こらえるしかなかった。
その辺りの気持ちはガヴァンにも手にとるようにわかった。力なき無能が晴らしようのない屈辱に身を焦がしているかと思うと実に心地良い。
「あばよ。せいぜい稽古に励むんだな。来たるべき決戦の際、せめてのおれの盾になれるようにな」
そう言い残し、白き鷹の勇者は訓練場を後にした。
自室へと向かう道すがら、ガヴァンは勝ち誇りながらふたりの美女に向かって言った。
「見ただろう。おれの強さを。雑兵どもなど何百人、束になってもおれには勝てない。あんな連中に身に過ぎた装備品など与えても無駄だ。そんな金があるならそのすべてをおれたちのための装備品開発に向けるのが正解というものだ」
「ええ、その通りです。ガヴァンさま。そのことが、あの浅はかな女にはわからないのですわ」
「人類を救うために必要なのは有象無象の雑兵どもではない。本物の力を持った選ばれし英雄だ」
フィオナが、スヴェトラーナが、口々に言う。その言葉にガヴァンは力強くうなずいた。
「ああ、その通りだ。そして、おれたちこそはその選ばれし英雄。おれの剣、フィオナの癒やし、スヴェトラーナの魔法、この三つで鬼部の王を倒し、人類を救うんだ」
「ええ、ガヴァンさま」
「誓おう」
△ ▽
その夜。
ガヴァンの自室で男女の一時を終えたあと、フィオナとスヴェトラーナは連れだって王宮の廊下を歩いていた。
「ガヴァンさまは素晴らしいお方だわ」
フィオナがうっとりと夢心地で言った。
「あのお方は本物の勇者。鬼部の王を倒し、人類を救うよう約束された選ばれし英雄」
「その通りだ。ガヴァンさまならきっと鬼部の王を倒し、人類を鬼部の脅威から救ってくださる」
「ええ、その通りです。でも――」
ほう、と、フィオナは溜め息をついた。
「それほどのお方があんな、家柄だけが取り柄の無能女と婚姻を交わさなければならないなんて……。なんてご不幸なのかしら」
「まったくだ。わたしたちはともに下級貴族の出でありながら、血のにじむような鍛練を重ね、自分自身の実力でいまの地位を奪い取った。それなのに、あの女はどうだ。代々王家に仕え、功績を立ててきた家柄の娘と言うだけでガヴァンさまの妻にと選ばれ、鍛錬ひとつしようとしない。地位にあぐらをかいた怠け者。そのくせ、一人前気取りで諫言ばかりはいとまがない。あんな女はガヴァンさまにはふさわしくない」
「そう。ふさわしくありません。ガヴァンさまにふさわしいのは……」
――このわたし。
ふたりは、ともに絶対の確信を込めて心の内に呟いた。
「あの女にガヴァンさまは渡しません。何としても追い落としてやりますわ」
「もちろんだ。あの女は何としても追い落とす」
――そして、そのあとは。
それもまた、ふたりそろって心の内で思ったことだった。
△ ▽
夜が更け、ガヴァンやフィオナ、スヴェトラーナたちがとうに自室のベッドで夢の園に安住していた頃、ハリエットはなお、山のような職務に囲まれ、忙殺されていた。
ガヴァンたちは勇者パーティとして常に各地に遠征に出ていなくてはならない。そのためには装備品や道具類を過不足なくそろえなくてはならないし、遠征先の詳細な情報も必要だ。他国内を通過する場合はその旨を伝え、了承を取っておく必要もある。効率的な道順の算出、補給や休憩のための拠点の確保、万一の場合に備えての医師の手配、必要となるであろう協力者の選定、そのために必要となる予算の確保……。
やるべきことはいくらでもある。ガヴァンたちとパーティを組んで以来、それらのすべてはハリエットひとりでこなしてきた。正確には押しつけられてきたのだ。
『剣も魔法も使えない役立たずなんだからせめて、雑用ぐらいはこなしておけ』と。
ハリエットは不満ひとつ漏らすことなくそれらすべてを黙々とこなしてきた。
――たしかに、わたしは剣も魔法も使えない。戦いの役に立つことはできない。それならせめて、ガヴァンさまたちが気兼ねなく戦えるように支えよう。
そう決意して。
そうして毎日まいにち膨大な量の職務をこなしてきた。さらにもうひとつ、最近になってハリエットの仕事量を増やす理由があった。勇者用の装備品開発に関わる疑惑である。
「……やっぱり。開発局の要求する予算はいくらなんでも大きすぎる」
集められた情報を吟味しながらハリエットはそう呟いた。
開発局から渡される装備品はたしかに質は良い。しかし、高すぎる。街の工房に依頼すればこの半分、下手をしたら三分の一以下の価格で手に入られる。毎年まいとし膨大な額の開発費がどこかへ消えているのだ。
「ガヴァンさまの仰ることも分かる。たしかに、もっとも強いものが、もっとも強い武器を使い、もっとも強い敵を倒す。それが一番、効率がいい。だからと言って、無駄な資金を費やしてもいいことにはならない。適正な価格で装備品の開発を行うよう綱紀を粛正すれば、浮いた予算で一般兵の装備を調え、適切な医療を与えられるようになる。そうなれば、鬼部との戦いもずっと楽になるし、一般兵の死亡率も減る。何としても実現しないと……」
はじき飛ばされた剣が回転しながら宙を舞い、甲高い音を立てて床に落ちる。その音に被さるようにして悲鳴にも似た叫びがあがる。鎧兜に身を包んだ三人の兵士が尻餅をついた格好で腕を伸ばし、許しを請うかのように『参った!』と口々に叫んでいる。
そんな兵士たちの様子を白き鷹の勇者ガヴァンは剣を片手に忌々しい舌打ちとともに見下ろしている。表情はいかにも不機嫌そうにピクピクと脈打ち、兵士たちを見下ろす目は、蔑みを通り越して苛立ちでいっぱいになっている。
「ええい、ふがいない! それでも王宮を守る親衛隊の兵士か! 三対一でもこの様とは」
王宮の一角にある軍用の訓練場。ガヴァンはそこで城の兵士たち相手に鍛練を積んでいるところだった。というより、正確には『積むはず』だった。実際には誰が見ても『弱いものいじめ』としか思えない結果にしかならなかった。それぐらい、城の兵士たちとガヴァンの間には大きな差があった。まともな稽古相手になれる相手のひとりもいないのでは苛立つのも無理はない。とは言え、それを考慮してもやはり、ガヴァンの態度は無礼に過ぎるものではあったが。
「このクズどもめ! これでは稽古にもならん! 五人、いや、一〇人まとめてかかってこい!」
ガヴァンは叫んだ。
その叫びに城の兵士たちは気色ばんだ。自分たちはガヴァンには遠く及ばない。一〇人どころか、一〇〇人でかかってもガヴァンひとりを倒すことはできないだろう。それぐらいのことは城の兵士たちも重々、承知している。だからこそ、ガヴァンは勇者であり、自分たちは一般兵なのだ。とは言え――。
日々、生命を懸けて国民を守っているのは一般兵も勇者と同じ。『国民を守るために戦っているのだ』という誇りがある。『国民を守っているのは勇者だけではない』という意地もある。それなのに、クズ呼ばわりされたとあっては立つ瀬がない。敵わずと言えどもせめて一太刀、浴びせてやらなければ気が済まない!
その思いのもと、腕自慢の一〇人の兵士が怒りも露わに殺到した。手にてに剣を、槍を、斧を、自分の得意とする武器を持ち、ガヴァンに襲いかかった。一〇人の兵士はいずれも充分に鍛練を積んでおり、実戦経験も豊富。鬼部相手の本物の戦いで生き残ってきた猛者たちだった。個々人の戦闘能力の高さもさることながら、実戦のなかで培われてきた連携は強固且つ見事なもので、その辺の国の兵士たちが相手なら例え五〇人いても撃破することができただろう。しかし――。
強い、
強い、
強い!
白き鷹の勇者は強すぎた。動きの疾さも、一撃の力強さも、剣撃の鋭さ、正確さに至るまで、どれひとつとっても兵士たちが太刀打ちできるものではなかった。一〇人の兵士たちはガヴァンの影すら捉えることができないまま、次々に地に這わされていく。それでも、稽古と言うことで相手を殺さないよう気を使っているからこれだけの時間がかかっているのだ。もし、相手の身命を気にせずに戦っていればこの半分以下の時間で終わらせることが出来る。例え、他にどんな欠点があろうとも、ガヴァンの勇者としての力は本物だった。
――見ろ!
全身が躍動する高揚感そのままにガヴァンは心の内で叫ぶ。
――見ろ! おれはこんなに強い! こんなにも強いんだ! おれこそは選ばれし勇者、鬼部の王を倒すために神に選ばれた存在。鬼部の王を倒し人類を救うのは、有象無象の雑兵なんかじゃない! 勇者であるこのおれなんだ!
気が付いたときには一〇人の兵士たち全員が放心状態で床に這っていた。まさか、ここまての差があるとは思っていなかった。一〇人がかりで全力で挑めば、敵わずと言えども手傷のひとつぐらいは付けられるはず。そう思い、挑んだのだ。それなのに結局、手傷を負わせるどころか触れることすらできずに一方的に打ち倒された。
――いままで自分のしてきたことは何だったのか。
そう思い、すべてを否定された気分になるのも無理はなかった。
「ふん。もう終わりか。これでは稽古にもならないな」
ガヴァンはわざわざ相手に聞かせるために大きめの声でそう言うと、剣を鞘に収め、きびすを返した。そのときをまっていたふたりの美女がガヴァンに近づく。
聖女フィオナと魔女スヴェトラーナ。その美貌とともに王国随一の回復魔法と攻撃魔法の使い手として知られるふたりがガヴァンを出迎え、汗を拭うための手拭きを差し出した。と言っても、実際にはガヴァンは汗ひとつかいてはいなかったのだが。
「お疲れさまです、ガヴァンさま」
フィオナが手拭きを差し出しながらにっこりと微笑む。
『おれも一度でいいからあの笑顔を向けてもらいたい!』
王国中の兵士たちがそう熱望し、身もだえする笑顔である。
ガヴァンは差し出された手拭きを受け取ると、かいてもいない汗を拭う振りをした。それから、フィオナに向かって言った。
「疲れる間もなかったけどな。まるで、相手にならなかったさ」
「当然だ、ガヴァンさま」と、今度は魔女スヴェトラーナが言った。こちらもまた、『あの冷たい視線で射貫かれたい!』と、多くの兵士たちが叫ぶ冴えた視線を白き鷹の勇者に向けている。
「勇者であるあなたに雑兵どもが敵うわけがない」
「まったくだな」と、ガヴァンは兵士たちに嘲笑を向けながら答えた。
「あんな連中じゃあ、一〇〇人いたって相手にならない。稽古の足しにはなるかと思ったおれがバカだった。これなら素振りでもしていた方がマシだったな」
事実であり、真実ではある。だからと言って、わざわざこの場で口に出して言う必要はないことだった。まして、露骨な蔑みの視線と見下す嘲笑とを交えながら言う必要などまったくなかった。放心状態の仲間たちを介抱しにきていた兵士たちが屈辱に顔を歪ませる。もちろん、ガヴァンもそのことには気付いた。しかし、気まずい表情ひとつ見せはしない。兵士たちの屈辱はガヴァンにとっては快感でありこそすれ、気に病む必要などないことだった。
「なんだ、なんだ。その顔は。悔しかったらかかってこいよ。仲間の仇を取ってやろうって言う気概をもつやつのひとりもいないのか?」
露骨で、しかも、安っぽい侮蔑。むしろ、発言した当人の格を下げるだけの台詞であろうに、それをわざわざ相手に聞かせるように言うのがガヴァンという人間だった。
あからさまに侮辱された兵士たちはさらなる屈辱に顔を歪ませた。これが他の相手であれば誇りにかけて決闘を挑むところだ。しかし、相手が正真正銘の勇者であっては束になっても敵うはずがない。そのことはたったいま実例として見せつけられたばかりだ。怒りに身を震わせながらも必死に呑み込み、こらえるしかなかった。
その辺りの気持ちはガヴァンにも手にとるようにわかった。力なき無能が晴らしようのない屈辱に身を焦がしているかと思うと実に心地良い。
「あばよ。せいぜい稽古に励むんだな。来たるべき決戦の際、せめてのおれの盾になれるようにな」
そう言い残し、白き鷹の勇者は訓練場を後にした。
自室へと向かう道すがら、ガヴァンは勝ち誇りながらふたりの美女に向かって言った。
「見ただろう。おれの強さを。雑兵どもなど何百人、束になってもおれには勝てない。あんな連中に身に過ぎた装備品など与えても無駄だ。そんな金があるならそのすべてをおれたちのための装備品開発に向けるのが正解というものだ」
「ええ、その通りです。ガヴァンさま。そのことが、あの浅はかな女にはわからないのですわ」
「人類を救うために必要なのは有象無象の雑兵どもではない。本物の力を持った選ばれし英雄だ」
フィオナが、スヴェトラーナが、口々に言う。その言葉にガヴァンは力強くうなずいた。
「ああ、その通りだ。そして、おれたちこそはその選ばれし英雄。おれの剣、フィオナの癒やし、スヴェトラーナの魔法、この三つで鬼部の王を倒し、人類を救うんだ」
「ええ、ガヴァンさま」
「誓おう」
△ ▽
その夜。
ガヴァンの自室で男女の一時を終えたあと、フィオナとスヴェトラーナは連れだって王宮の廊下を歩いていた。
「ガヴァンさまは素晴らしいお方だわ」
フィオナがうっとりと夢心地で言った。
「あのお方は本物の勇者。鬼部の王を倒し、人類を救うよう約束された選ばれし英雄」
「その通りだ。ガヴァンさまならきっと鬼部の王を倒し、人類を鬼部の脅威から救ってくださる」
「ええ、その通りです。でも――」
ほう、と、フィオナは溜め息をついた。
「それほどのお方があんな、家柄だけが取り柄の無能女と婚姻を交わさなければならないなんて……。なんてご不幸なのかしら」
「まったくだ。わたしたちはともに下級貴族の出でありながら、血のにじむような鍛練を重ね、自分自身の実力でいまの地位を奪い取った。それなのに、あの女はどうだ。代々王家に仕え、功績を立ててきた家柄の娘と言うだけでガヴァンさまの妻にと選ばれ、鍛錬ひとつしようとしない。地位にあぐらをかいた怠け者。そのくせ、一人前気取りで諫言ばかりはいとまがない。あんな女はガヴァンさまにはふさわしくない」
「そう。ふさわしくありません。ガヴァンさまにふさわしいのは……」
――このわたし。
ふたりは、ともに絶対の確信を込めて心の内に呟いた。
「あの女にガヴァンさまは渡しません。何としても追い落としてやりますわ」
「もちろんだ。あの女は何としても追い落とす」
――そして、そのあとは。
それもまた、ふたりそろって心の内で思ったことだった。
△ ▽
夜が更け、ガヴァンやフィオナ、スヴェトラーナたちがとうに自室のベッドで夢の園に安住していた頃、ハリエットはなお、山のような職務に囲まれ、忙殺されていた。
ガヴァンたちは勇者パーティとして常に各地に遠征に出ていなくてはならない。そのためには装備品や道具類を過不足なくそろえなくてはならないし、遠征先の詳細な情報も必要だ。他国内を通過する場合はその旨を伝え、了承を取っておく必要もある。効率的な道順の算出、補給や休憩のための拠点の確保、万一の場合に備えての医師の手配、必要となるであろう協力者の選定、そのために必要となる予算の確保……。
やるべきことはいくらでもある。ガヴァンたちとパーティを組んで以来、それらのすべてはハリエットひとりでこなしてきた。正確には押しつけられてきたのだ。
『剣も魔法も使えない役立たずなんだからせめて、雑用ぐらいはこなしておけ』と。
ハリエットは不満ひとつ漏らすことなくそれらすべてを黙々とこなしてきた。
――たしかに、わたしは剣も魔法も使えない。戦いの役に立つことはできない。それならせめて、ガヴァンさまたちが気兼ねなく戦えるように支えよう。
そう決意して。
そうして毎日まいにち膨大な量の職務をこなしてきた。さらにもうひとつ、最近になってハリエットの仕事量を増やす理由があった。勇者用の装備品開発に関わる疑惑である。
「……やっぱり。開発局の要求する予算はいくらなんでも大きすぎる」
集められた情報を吟味しながらハリエットはそう呟いた。
開発局から渡される装備品はたしかに質は良い。しかし、高すぎる。街の工房に依頼すればこの半分、下手をしたら三分の一以下の価格で手に入られる。毎年まいとし膨大な額の開発費がどこかへ消えているのだ。
「ガヴァンさまの仰ることも分かる。たしかに、もっとも強いものが、もっとも強い武器を使い、もっとも強い敵を倒す。それが一番、効率がいい。だからと言って、無駄な資金を費やしてもいいことにはならない。適正な価格で装備品の開発を行うよう綱紀を粛正すれば、浮いた予算で一般兵の装備を調え、適切な医療を与えられるようになる。そうなれば、鬼部との戦いもずっと楽になるし、一般兵の死亡率も減る。何としても実現しないと……」
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