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第三話
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井の頭公園から南東にある賃貸マンションの一室が私の住処である。稗田夕を案内して中に上げ、仕事部屋兼居間に案内した。
「すごっ……本だらけだ!」
「私、一応作家だからね」
「うへぇ!? マジっスか!?」
「マジもマジ、大マジよ」
私は粟野皐月というペンネームで小説を書いている。大学在籍中に文芸賞に応募して最優秀賞を取ったおかげで、作家としてデビューすることができ今ではそこそこの位置にいる。
「一冊いかが?」
「アタシ、小説は全然読まないんスけど……」
「食わず嫌いは良くない。とりあえずこれが今まで一番売れたヤツだから読んでよ」
私は『Cancer Girl』という作品を本棚から出して稗田夕に押し付けるようにして渡した。一瞬渋い顔をしたものの、フロアクッションに座ってページをめくりだした。
いったん部屋から出て、ダイニングで紅茶を淹れてお茶請けの菓子と一緒に戻ってきたときは、ページは半分ほどめくられていた。文章量からして短時間でそこまで読み切れるはずがなく、ただ単にめくっただけだろうと思っていたが、肝心な箇所はきっちりと把握していたようだ。
「お、女の子どうしの恋愛話なんスね……」
「そ。恋愛と言ってもピュアなもんじゃないけどね」
舞台は厳格な校風の女子校。かつていじめを受けて女子校を追われた生徒が後に主人公となる娘を産んで、自分が在籍していた学校に入学させる。主人公は魔性の美貌を武器にして次々と生徒を籠絡していき、やがて主人公の寵愛を巡って生徒間で争いが起き、また主人公も争いをけしかけて学校を少しずつ崩壊に追い込んでいく。そう、主人公は母親の手によって学校を少しずつ蝕み真綿で首を締めるようにじわじわと殺していく癌細胞のような存在に育てあげられたのだ。
性愛で次々と虜にしていく描写は官能小説一歩手前で、一部評論家からはずいぶんと酷評されたものだけれど、結果として二十万部も売れた。そこからは鳴かず飛ばずまではいかないものの、なかなか『Cancer Girl』を超える作品は作れていない。
「どう?」
「どうって……その……めっちゃエロいっス」
単純明快な回答に、私は大声で笑った。
「正直でよろしい。さ、紅茶をどうぞ。インスタントだけどね」
「あざっス、頂きまっス!」
私は稗田夕に尋ねた。
「あなたの女子校では女の子どうしの恋愛はなかったの?」
「近所に男子校があったんでそこの生徒とくっつくのはいましたけど、同性カップルは見たことないっスね。そもそもほとんどが部活一筋で恋人いなかったし」
「そう? あなた、モテそうな顔してるけど言い寄られたこともないの?」
「え、アタシ? 全然。全然そんなことなかったっス。まあ男っぽいって言われたことはありますけど、そんなのウチの学校にはゴロゴロいるっスよ。特にスポーツ推薦組とか」
「ふーん。私も女子校出身だけど、あなたみたいなのがいたらたちまちファンクラブができるぐらいにモテてただろうね」
「ええっ!? 粟野さんとこの学校、生徒のファンクラブなんてあるんスか!?」
「そうだよ。現に私がそうだったし」
「……」
稗田夕の二つの黒曜石の輝きが増した。
「私の通っていた女子校は田舎にあってね、今どき全寮制で世間と隔絶された中に生徒たちが押し込められているの。外出だって気軽にできないし、異性との出会いなんて持っての他。そんな環境で暮らし続けているとね、恋愛対象が同性に向くことがあるの。特にあなたや私みたいなのがモテるんだよ」
稗田夕が紅茶を飲む。ティーカップを持つ手が少し震えているように見えた。
「あ、あの。もしかしてこの『キャンセルガール』って、粟野さんの実体験をもとに書いてるんスか……?」
「『キャンサーガール』ね」
「し、失礼しましたっス!」
大丈夫か? 多摩体育大学の英語教育は。
「まっ、三、四割程度はね。さすがに品行方正だった生徒会長が飲酒乱交パーティを開くとか、いじめられっ子が刃傷沙汰を起こしてカースト上位の子の顔に深い傷を追わせるとか、さすがにそんなことは一切無かったよ」
どこまでちゃんと読めているのか知らないが、ストーリーの一部をバラした。稗田夕は何とも言えない顔をしている。
私はさりげなく稗田夕の隣に移動した。
「登場人物の中に取り巻きを連れている王子様っぽいのがいてね、文学に長じていて、気に入った女の子に小説や演劇のセリフを引用して愛を語らい、落としていく女たらしなんだけど、たった一人、彼女だけが主人公の狙いに気づいたのね」
さらに、さりげなく肩に手を回した。
「あの、栗野さん……?」
「王子様は学校を守るために、主人公をお茶会の名目で誘い出した後、やられる前にやってやろうと取り巻きを使ってね……」
私は本のページをめくり、後半の山場となるところを読ませた。何ページにも渡るみだらな場面に、稗田夕は何とも言えぬうめき声を上げた。主人公の心を破壊してやろうと陵辱の限りを尽くすが、母親の復讐のために産まれてきたような存在ゆえにろくな育てられ方をせず、心はとっくに死んでいたようなものだったから、愉悦にしかならなかった。
「でも王子様は放っておくと厄介だったからね。本当の心の壊し方を教えてやろうと言わんばかりにね……」
主人公は、見た目の冴えなさから生徒たちにキモいと陰口を叩かれている男性教師を味方につけていた。そいつに王子様を強姦させた。さらにその場面を撮影し、全校集会の場で流させた。王子様は憐れまれるどころか、男に疵物にされたことで汚物のように扱われるようになり、ついには最上階にある音楽室の黒板に藤村操の『巌頭之感』の如き文学的な遺書を書き残して飛び降り自殺を遂げた。ついでに男性教師も結局は逮捕されて物語から退場と相成った。そして王子様の死によって学園の崩壊が加速していく。
王子様が自殺直前に今まで籠絡した生徒たちを想いつつ自慰に耽る場面は我ながらうまく書けたと思っているが、稗田夕はそのシーンを食い入るように読んで吐息を荒くしていった。せつなそうな顔もまたそそる。
「興奮してる?」
「……」
顔を密着させてささやいた。
「イクヤくんとはしたことなかった?」
ジャージパンツの中にそっと手を入れる。「はうっ」と声を漏らす稗田夕だが、抵抗の素振りを見せない。
下着越しに、湿り気を帯びた熱を感じ取った。そのままゆっくりと優しく指で熱い箇所を弄んでやると、ビクビクと痙攣した。
「だ、ダメっすよ! アタシたち女どうしで……」
「とか言っちゃってもハァハァ喘いでるのは何でかな?」
と言いつつ顔をこちらに向けさせて、唇を奪う。『Cancer Girl』が床に落ちた。
舌を入れるとすんなりと絡ませてきた。指先がますます熱くなってきて、私の体も捕食モードに入った。
「辛い思い出は忘れて。今から良い思い出を作ってあげるからね」
稗田夕は二つの黒曜石から雫をこぼしながら、無言でうなずいた。
「すごっ……本だらけだ!」
「私、一応作家だからね」
「うへぇ!? マジっスか!?」
「マジもマジ、大マジよ」
私は粟野皐月というペンネームで小説を書いている。大学在籍中に文芸賞に応募して最優秀賞を取ったおかげで、作家としてデビューすることができ今ではそこそこの位置にいる。
「一冊いかが?」
「アタシ、小説は全然読まないんスけど……」
「食わず嫌いは良くない。とりあえずこれが今まで一番売れたヤツだから読んでよ」
私は『Cancer Girl』という作品を本棚から出して稗田夕に押し付けるようにして渡した。一瞬渋い顔をしたものの、フロアクッションに座ってページをめくりだした。
いったん部屋から出て、ダイニングで紅茶を淹れてお茶請けの菓子と一緒に戻ってきたときは、ページは半分ほどめくられていた。文章量からして短時間でそこまで読み切れるはずがなく、ただ単にめくっただけだろうと思っていたが、肝心な箇所はきっちりと把握していたようだ。
「お、女の子どうしの恋愛話なんスね……」
「そ。恋愛と言ってもピュアなもんじゃないけどね」
舞台は厳格な校風の女子校。かつていじめを受けて女子校を追われた生徒が後に主人公となる娘を産んで、自分が在籍していた学校に入学させる。主人公は魔性の美貌を武器にして次々と生徒を籠絡していき、やがて主人公の寵愛を巡って生徒間で争いが起き、また主人公も争いをけしかけて学校を少しずつ崩壊に追い込んでいく。そう、主人公は母親の手によって学校を少しずつ蝕み真綿で首を締めるようにじわじわと殺していく癌細胞のような存在に育てあげられたのだ。
性愛で次々と虜にしていく描写は官能小説一歩手前で、一部評論家からはずいぶんと酷評されたものだけれど、結果として二十万部も売れた。そこからは鳴かず飛ばずまではいかないものの、なかなか『Cancer Girl』を超える作品は作れていない。
「どう?」
「どうって……その……めっちゃエロいっス」
単純明快な回答に、私は大声で笑った。
「正直でよろしい。さ、紅茶をどうぞ。インスタントだけどね」
「あざっス、頂きまっス!」
私は稗田夕に尋ねた。
「あなたの女子校では女の子どうしの恋愛はなかったの?」
「近所に男子校があったんでそこの生徒とくっつくのはいましたけど、同性カップルは見たことないっスね。そもそもほとんどが部活一筋で恋人いなかったし」
「そう? あなた、モテそうな顔してるけど言い寄られたこともないの?」
「え、アタシ? 全然。全然そんなことなかったっス。まあ男っぽいって言われたことはありますけど、そんなのウチの学校にはゴロゴロいるっスよ。特にスポーツ推薦組とか」
「ふーん。私も女子校出身だけど、あなたみたいなのがいたらたちまちファンクラブができるぐらいにモテてただろうね」
「ええっ!? 粟野さんとこの学校、生徒のファンクラブなんてあるんスか!?」
「そうだよ。現に私がそうだったし」
「……」
稗田夕の二つの黒曜石の輝きが増した。
「私の通っていた女子校は田舎にあってね、今どき全寮制で世間と隔絶された中に生徒たちが押し込められているの。外出だって気軽にできないし、異性との出会いなんて持っての他。そんな環境で暮らし続けているとね、恋愛対象が同性に向くことがあるの。特にあなたや私みたいなのがモテるんだよ」
稗田夕が紅茶を飲む。ティーカップを持つ手が少し震えているように見えた。
「あ、あの。もしかしてこの『キャンセルガール』って、粟野さんの実体験をもとに書いてるんスか……?」
「『キャンサーガール』ね」
「し、失礼しましたっス!」
大丈夫か? 多摩体育大学の英語教育は。
「まっ、三、四割程度はね。さすがに品行方正だった生徒会長が飲酒乱交パーティを開くとか、いじめられっ子が刃傷沙汰を起こしてカースト上位の子の顔に深い傷を追わせるとか、さすがにそんなことは一切無かったよ」
どこまでちゃんと読めているのか知らないが、ストーリーの一部をバラした。稗田夕は何とも言えない顔をしている。
私はさりげなく稗田夕の隣に移動した。
「登場人物の中に取り巻きを連れている王子様っぽいのがいてね、文学に長じていて、気に入った女の子に小説や演劇のセリフを引用して愛を語らい、落としていく女たらしなんだけど、たった一人、彼女だけが主人公の狙いに気づいたのね」
さらに、さりげなく肩に手を回した。
「あの、栗野さん……?」
「王子様は学校を守るために、主人公をお茶会の名目で誘い出した後、やられる前にやってやろうと取り巻きを使ってね……」
私は本のページをめくり、後半の山場となるところを読ませた。何ページにも渡るみだらな場面に、稗田夕は何とも言えぬうめき声を上げた。主人公の心を破壊してやろうと陵辱の限りを尽くすが、母親の復讐のために産まれてきたような存在ゆえにろくな育てられ方をせず、心はとっくに死んでいたようなものだったから、愉悦にしかならなかった。
「でも王子様は放っておくと厄介だったからね。本当の心の壊し方を教えてやろうと言わんばかりにね……」
主人公は、見た目の冴えなさから生徒たちにキモいと陰口を叩かれている男性教師を味方につけていた。そいつに王子様を強姦させた。さらにその場面を撮影し、全校集会の場で流させた。王子様は憐れまれるどころか、男に疵物にされたことで汚物のように扱われるようになり、ついには最上階にある音楽室の黒板に藤村操の『巌頭之感』の如き文学的な遺書を書き残して飛び降り自殺を遂げた。ついでに男性教師も結局は逮捕されて物語から退場と相成った。そして王子様の死によって学園の崩壊が加速していく。
王子様が自殺直前に今まで籠絡した生徒たちを想いつつ自慰に耽る場面は我ながらうまく書けたと思っているが、稗田夕はそのシーンを食い入るように読んで吐息を荒くしていった。せつなそうな顔もまたそそる。
「興奮してる?」
「……」
顔を密着させてささやいた。
「イクヤくんとはしたことなかった?」
ジャージパンツの中にそっと手を入れる。「はうっ」と声を漏らす稗田夕だが、抵抗の素振りを見せない。
下着越しに、湿り気を帯びた熱を感じ取った。そのままゆっくりと優しく指で熱い箇所を弄んでやると、ビクビクと痙攣した。
「だ、ダメっすよ! アタシたち女どうしで……」
「とか言っちゃってもハァハァ喘いでるのは何でかな?」
と言いつつ顔をこちらに向けさせて、唇を奪う。『Cancer Girl』が床に落ちた。
舌を入れるとすんなりと絡ませてきた。指先がますます熱くなってきて、私の体も捕食モードに入った。
「辛い思い出は忘れて。今から良い思い出を作ってあげるからね」
稗田夕は二つの黒曜石から雫をこぼしながら、無言でうなずいた。
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