みんなの心の傷になる死にキャラなのに、執着重めの皇太子が俺を死なせてくれない

兎束作哉

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第3部4章 執着のその先に

07 葡萄色の彼の残像

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「……っ、は……」


 少しの間眠っていた。

 シーツにはぐっしょりと汗がにじんでおり、額に自身の黒い髪が張り付いている。動機も激しく、俺は呼吸すらままならなかった。
 胃のあたりから何かがこみあげてきて、吐いてしまいそうになり、俺は慌てて両手で口を押えた。口からは少量の唾液が垂れ、俺はそれをシーツにこすりつけた。まだ、胃の中がすっきりしない。胸の真ん中をぐるぐると気持ち悪さが巡っている。
 見慣れない天井に、知らない匂い。


「……は、はは……ほんと、気持ち悪い」


 乾いた笑いが漏れ、俺は目をつぶす勢いで顔に爪を立てた。視界が真っ暗になり、肌に食い込んだ爪の痛さに唇を噛む。

 すべて塞いでしまいたい。忘れてしまいたい。

 メンシス副団長の告白を受け、「父上と呼べ」と強制された。暫くして、メンシス副団長は夕食の支度をすると出て行ってしまった。夕食は一緒に食べようと、また使用人に呼びに来させるといって。
 一緒に食事なんてとりたくもないし、何なら餓死してやると反抗心が芽生えた。だが、こんなところで死ぬわけにはいかないし、一週間後、俺は誰かに引き渡される予定になっているらしいから、そのときに逃げることを考えなければと。

 チャンスはある。だから、一週間耐えればいい。

 そう頭では分かっていても、先ほどの衝撃と、向けられた執着にまだ体が震えていた。
 数多の向けられる憎悪よりも、好奇の目よりも恐ろしい。十数年もの間煮詰めた執着は、正常な人間のものではない。それを、愛情であるから受け取れというように注がれたため、俺の身体は拒否反応を起こしていた。
 それほどまでに、メンシス副団長を狂わせていたという事実。

 全く覚えていない日のこと。

 確かに、まだ三歳で帝国騎士団の服というのは基本どれも似たようなもの。見分けがつかなくても年的に仕方ないことだった。皇宮で迷子になっていて、父と同じような服を着ていたら、父に会えたと三歳の俺が間違えて「父上」と言ってしまっても仕方ないだろうし。
 でも、相手が悪かった。
 傷心していたメンシス副団長に、家族や子供への渇望を胸に秘めていたメンシス副団長に「父上」なんて間違えて呼んでしまったら……


(俺が悪いのか? 悪くないよな……)


 これまでいろんなことに首を突っ込んで、巻き込まれにいった前例はあるし、自覚しながらも見逃せなくて首を突っ込んで酷い目にあった。でも、今回のこれは俺が悪いわけじゃないだろう。
 過去に戻ってやり直したいが、そんなことできているならとっくにしている。でも、今ようやくそれが分かったのであって、取り返しのつかない状態になっている。
 よくも他人の息子を、自分の息子だ、家族だ、なんて言えるものだと、俺はため息しか出なかった。
 しかも、メンシス副団長は母に恋心を抱いていた。だからこそ、自分と母との未来を想像し、父上と間違えた俺を自分の息子だと思ってしまったのだろう。それでも、おかしい話だが。


「帰りたい……父上、母上……」


 弱音は極力吐きたくない。自分が弱いって自覚するようで、弱くなっていくようで、その言葉は吐かないようにしていた。
 でも、孤独になって、訳の分からない執着を目の前で見せつけられて、向けられて。いつも通りでいろっていわれるほうが難しい。
 先ほどから何度か銀色のリングに触れてみるが剣が出てくることはなかった。知らぬ間に、剣が取り出せないよう細工されていたようだ。最も、この屋敷の中にそういった魔法が施されているのかもしれない。

 逃げようにも逃げられない。魔法を使えば……と思ったが、使った後のことを考えるとこちらも恐ろしくて発動できなかった。
 部屋には窓もなく、ベッドのわきには俺が好きなお菓子が置かれていて、それも鳥肌を立たせる要因となった。監視されているというか、軟禁部屋。
 まずここがどこかもわからないため、動こうにも動けなかった。セシルが俺を軟禁したときみたいに足枷をされているわけじゃないが、この屋敷自体が、俺を閉じ込めているのだとなんとなく予想できた。
 どうしたものか、とベッドで膝を立てて考えていれば、コンコンと部屋がノックされる。少しの音にも過剰に反応してしまい、俺はベッドの上で、いつでも殴りかかれる体制をとった。

 部屋の扉が開かれ、黒い髪のメイドが「夕食の支度が整いました。侯爵様がダイニングルームでお待ちです」と深々と頭を下げた。
 黒髪といっても、青みが勝っており、俺や母のような黒髪ではない。考えすぎか? と、すべてに引っかかってしまう俺が、黙っていると、メイドは用件だけ伝えて部屋を出て行く。
 無視することだってできたが、使用人には罪はないと、俺はベッドから降りて廊下を歩くメイドについていくことにした。
 正直言えば、俺のことを勝手に息子認定して家族ごっこを始めたメンシス副団長と一緒に食事なんてしたくもないが、致し方無い。

 メイドの後をついて廊下を歩く。その廊下も酷く静かで、俺たちの足音だけが響いていた。そして、何よりも驚いたことは、窓の外の景色が真っ黒だったこと。多分だが、この屋敷全体を覆うように何らかの魔法が施されているのだろう。それは、魔塔と同じように、外部から場所が分からなくするようなものと似ている。


(いや、そもそも、魔塔とのつながりがあると思うんだよな……)


 百パーセントとは言わない。だが、限りなく黒に近い。
 もしかすると、メンシス副団長がお金で地位を買ったという話も、魔塔つながりではないだろうか。メンシス副団長の妻と弟の事件を事故に見せかけたのも、メンシス副団長だけの力ではないだろうし。魔塔には、事実を隠蔽できるほどの力が実際にある。俺の母が一夜にして滅ぼした領地があるように。
 ダイニングルームの扉を開け、俺が中に入ったのを確認するとメイドはそそくさと出て行ってしまった。会話など道中何もなく、メンシス副団長について聞こうにも何も聞けなかった。


「来たか、ニル」
「……貴方の願いは、俺と家族ごっこをすることですか」
「料理が冷める。座りなさい」


 部屋の一番奥に座っていたメンシス副団長は、俺を一瞥するとそう言ってため息をついた。
 俺が頑なに、受け入れないという姿勢をとれば少し苛立ったように顔を歪ませる。
 俺はとりあえず席に着き、目の前に出された料理を見る。どれも、俺の好物ばかり。これも事前に調べたのかと思うと、どこまでも俺に執着しているのが分かって嫌悪でいっぱいになっていく。

 一週間という猶予。

 それは、メンシス副団長が俺を捕らえ、そして引き渡すことを条件に提示した報酬なのではないか。俺との一週間。それをメンシス副団長は受け取ったと。
 それ以上長い期間であれば、足がつき、つかまってしまう。魔塔側も、メンシス副団長は使える駒田と思っているため、邪険にできない、といったところだろうか。


「毒など入っていない。自分の息子に毒を盛る親がどこにいる」
「俺の好物、何で知ってるんですか」
「……リューゲに調べさせていた。それと、騎士団長殿からな。君の話はよく聞く。騎士団長殿はニルの話を聞くと、機嫌よく何でもこたえてくれたからな」
「……父上は、俺のことが好きなんです。でも、まさか、こんなために情報を使われるとは思っていなかったでしょうけど」


 料理がもったいない。

 一週間という猶予、そして俺を殺す理由がない現状。それらを考えて料理に毒が盛られていないだろうと予想はついた。それでも、食べる気にならない。これを、家族の食事のように楽しんでいる人を前に料理に手をつければ、家族と認めたようなものだから。
 俺は、ちらりとメンシス副団長のほうを見た。食べ方は、上級貴族らしくきれいだ。だが、どことなく寂しそうな、一人で食べることに慣れているような印象を受けた。料理を追い即なさそうに食べていて、顔が暗い。
 この人は、家族団らんで食事をしたことないんだろうな、ということがうかがえる。
 俺は、家族との食事が好きだ。みんなが揃うのは少ないし、珍しい。それでも、一緒に食事をとるときは、貴族の中では珍しく食事の際中会話が飛び交う家庭で育ってきた。だから、俺にとって家族の食事は楽しいものだった。

 けど――


「メンシス副団長」
「父上と呼べ」
「……貴方は、こんなことして楽しいですか。形だけの家族。俺の心は手に入らないですし、俺がマグナ・エヴィヘットと、メリッサ・エヴィヘットの子供である事実は変えられません。まして、軟禁なんて」


 メンシス副団長は俺の質問に対し何も答えなかった。息苦しい沈黙が続き、俺は湯気が消えた料理を見つめる。メンシス副団長の気に障る発言をした自覚はあった。だが、俺もこんなこと耐えられない。
 そして、無言のまま時間は過ぎていき、メンシス副団長は静かに食べ終わり席を立った。椅子が床を擦る音だけが聞こえる。


「一週間はここから出られない。脱出を試みてもいいが、無駄に終わるだろう。また、特殊な結界魔法により、外部からこの屋敷のことは知覚できないようになっている。助けは来ないものと思え」
「……」
「一週間。たった一週間だけだ」


 そういって、メンシス副団長はダイニングルームを去っていく。

 寂しそうな背中を見て、ついつい同情しそうになったが、俺はその背中を追いかけることはなかった。
 冷めた食事がもったいなく、俺はフォークとナイフを手に取る。そして、一口口に運んだ。


「……おいしい。味付けも、嫌いじゃない」


 吐き気を催す執着。けれど、本当に悪い人ではないのだなと捨てきれない感情。同情に似た何か。すべて捨てることができれば、この気持ち悪さもすっからかんになるのにな、と俺は一度フォークとナイフを置いて膝の上で拳を握った。


 ◇◆◇◆


 その日の夜。いや、窓の外も暗くて、時計もないため今が何時で、何日なのか分からない。ただ、体内時計が狂っていなければ、夜。メンシス副団長はあの後、俺の前に姿を現さなかった。俺が拒絶したことにより諦めたか、それともほかにやるべきことがあるのか。俺としては、関わらずに済むならそれでいいと思っていたが、なんだか釈然としない、気持ち悪さがぐるぐると頭と胸の中心を漂っていた。

 メンシス副団長の過去には同情する。酷い家庭だったことも、ゆえに家族の温かさを求め、理想を抱いていたことも。そして、そんな理想をぶち壊され、心が壊れそうになったことも。欲していた子供が、実は自分の子供じゃなかったことも。
 もし俺が同じ立場だったら、精神を保てただろうか。
 あこがれも、理想も、期待も、すべてが打ち砕かれる瞬間。それに立ち会ったとき人間は、正気を保っていられるだろうか。

 ここにいる使用人たちは、終始無言だが俺を粗末に扱ったりはしなかった。それこそ、俺がメンシス副団長の息子のように、貴族令息に接するよう彼らは、俺に尽くしてくれていた。
 温かいお湯に入れてくれ、そして髪を乾かしてくれた。至れり尽くせりというか、学園にいるときも、家にいるときも基本的に身の回りのことは自分でやる癖がついていた。だから、人にすべてやってもらうっていうのがなんだか不思議な感覚だった。悪い気はしないものの、それが、この家の息子になったような感覚がしてやっぱり気持ち悪い。

 俺は、ボフンと柔らかすぎるベッドに身体を沈め、枕を抱き込んだ。
 部屋の明かりは消しているため、窓のない部屋は真っ暗になる。ちょっと怖いかもと、気持ち程度に蝋燭に明かりをともし、俺は再度体を丸めた。


「……セシル、どうしてるだろ」


 キルシュさんは多分無事に皇宮のほうに戻ることができただろう。メンシス副団長は、キルシュさんを追うような動作はしなかったし。
 ちゃんと戻ってくるっていう約束を破ってしまったことへの後悔と、油断した己の未熟さ。
 一週間経った後、セシルの元に戻れないんじゃないかっていう不安。このまま一生セシルに会えずに終わってしまうかもしれないという、最悪の未来。
 この一年、俺は何度も失敗してきた。
 人を信じすぎて、少しぐらいむちゃをしても大丈夫だという慢心。騎士として恥ずべき行為と、精神。
 セシルと恋人になれたからってはしゃいでいたのも事実。

 俺は弱い。


(やだ……セシルに会いたい……セシル)


 自分でどうにかしなくちゃいけないっていうのに弱音がぽろぽろとこぼれてくる。
 会いたい、セシルに会いたい。セシルの匂いをいっぱいかいで、セシルを抱きしめたい。抱きしめられたい。
 巻き込みたくないけど、ここに来てほしい。


「ダメだ、俺……俺は、助ける側で、助けられる側じゃな――ッ!?」


 どうにか、自分を奮い立たそうと、ダメだ、と今までの考えを否定する言葉を口から出してみる。だが、次の瞬間感じた殺気に俺の身体は大きく動いた。
 トスンと、俺の頬をカスってナイフがベッドに突き刺されていた。ほのかな蝋燭の明かりに銀色のナイフが照らされる。
 鉄の匂いがかすかにし、左頬から血が流れていることに気づくにはそこまで時間がかからなかった。しかし、問題はそこじゃない。


「……なんで、君が?」


 重さはさほどなかった。青年期に入りかけの少年の体重ではない。明らかに軽い何かが俺の上に覆いかぶさっていた。
 ろうそくの明かりがゆらりと揺らめき、その誰かの姿を映す。ワインレッドの髪に、あの時向けられた、黒い憎悪の目。誰だがすぐに分かったのに、俺は幽霊を見たような感覚になった。
 否、彼は幽霊なのだろう。


「――僕に勝った、騎士が聞いてあきれる。気配にも気づかなかったのか。ニル・エヴィヘット」
「リューゲ……なんで、君が。君は、死んだはずだろ?」


 亡霊。

 俺がずっと、ずっと忘れられずにいた少年がそこにいた。だが、彼はすでに死んでいて、ここにいるなんてありえない。
 体重がないわけじゃない、足だって確認できた。けれど、彼はあの日死んだはずだった。

 リューゲ・ライデンシャフト――!!

 リューゲは、俺に突き立てたナイフを引き抜いてそれを俺の首筋にあてた。俺は、反応に遅れたため、彼を自分の上から退けることができなかった。下手に動けば、俺が彼を吹き飛ばすよりも先に、彼のナイフが俺の喉を掻っ切るだろう。
 風のように入ってきた。もともと、この部屋の扉は音がしないよう設計してあるみたいだったが、それにしても隙間を通り抜けてきたように、気配すら感じなかった。
 俺は、ナイフに当たらないよう慎重に呼吸しながら、リューゲを見上げる。彼の顔は、血色があまりよくなく、青白かった。まるで、死人のような。


「……聞きたくないけど、禁忌の魔法にほど近いグレーゾーンだったりする?」
「察しがいいな。ニル・エヴィヘット。そうだ、僕は生き返ったんだ。お前を殺すために――!」


 そのまま、俺の首にあてていたナイフを一度退け、俺の心臓に突き立てようと振り上げた。俺はその隙を狙い、身をよじり、彼のわき腹に膝を撃ち込んだ。ガッ、と彼は口からつばを吐き散らし、ベッドの上に転がった。俺はすぐさまナイフを部屋の端まで投げ飛ばし、彼の上に乗る。
 やっぱり、隙だらけだ。
 感情に任せてナイフを握っても、威力はあれど、精度は落ちる。まあ、避けられるかこちらも五分五分ではあったが。


「ニル・エヴィヘット!」
「生き返ったわけじゃないよね。満月……俺の体内時計があっていれば、今日は、満月だ。君は魔法によって死体を動かされている状態。いわば抜け殻。でも、この瞬間だけ、魂が戻ったって感じ……かな。魔塔のときに君の姿を見たときから、ずっと引っかかってたから」
「お得意の推理? んなこと、どうでもいい! ニル・エヴィヘット。お前は、死ね、死ね、死ね」
「……まだ、俺への恨み言は晴れない?」


 魔塔で見たリューゲの亡霊。あれは、亡霊ではなく、本人だった。しかし、本人といっても皮だけ。リューゲ・ライデンシャフトはサマーホリデーの前に死んだ。
 リューゲ・ライデンシャフトは、罪人であり、罪人の死体は共同墓地とは名ばかりの場所に捨てられる。火葬もなければ、土葬もしない。本当に死体をその場に投げ捨てるような形で、罪人の死体は処理される。
 だからこそ、皮がきれい死体であれば、使い道はあるし、持ち帰るにたりうると。
 リューゲの死体は使えるだろうと、きっと魔塔の誰かが持ち帰った。そして、死体を操る魔法で魔塔で働かせていたと。意思を持たない人形も同義。しかし、操っている死体も満月の日、ちょうど月が一番高くなる時間だけ本人の魂が降りてくると。

 そんな信じられない魔法がこの世界には存在した。

 死者蘇生は、禁忌の魔法アウトされており、魔法を使った魔導士が死亡するか、そもそも自分が望んだ人間が下りてこないかの二択。死体を操る魔法は、倫理的にアウトだが、禁忌ではない。ゆえにグレー。
 そして、今、操られていた死体は一時だけ息を吹き返し、俺を襲ったと。
 リューゲは、舌打ちを鳴らしながら、もう一度殺せ、というように俺に叫んできた。よほど、死体として操られていたことに腹を立てているらしい。そして、俺のことが心の底から嫌いで、死んでもなお、殺意のこもった、憎悪の瞳で見てくる。
 どうしてこんなに嫌われているのだろか。


「ずっと疑問だった。何で、俺はこんなに嫌われているのか。でも、なんとなく……なんとなくだけど、わかった、気がする。今回、こんなことになって」
「は、ははははははは! ははははははは!? いい、どうでもいい! いまさらそんな目で見られたって、お前を許さないし、お前がいなければ、いなくても、僕は」


 リューゲはそういうと、狂ったように笑い、涙を流した。
 もう血の通っていない体から、涙が出ているという摩訶不思議な光景を見て、俺は驚きよりも、虚しさでいっぱいだった。


「……お前がいるせいで、僕はあの人と家族になれなかった。血がつながっていないことは、ずっと前から知ってた。分かってた。でも。どれだけ努力しても、気を惹こうとしても、あの人の目に映っていたのはお前だった。憎い、憎いよ、お前」
「メンシス副団長のことを、父親だと思ってたんだね。リューゲは。血がつながっていなくても。だったら、何でメンシス副団長のことを侯爵様と?」


 こぼれた彼の本音を俺は拾い上げた。
 リューゲは忌々しそうに俺を見ていたが、抵抗する気も失せたのか、それとももう意識が途切れる寸前なのか、どうでもいいというように言葉を紡いだ。


「使用人が僕は不貞の子だって聞いた。てか、なんとなく血はつながらないんだろうなとか、僕に関心がないのを、幼いながらにわかった。だから、身の程わきまえて、侯爵様って……おかしいか? 僕は」


 皮肉るようにそういったリューゲの言葉を俺は否定しなかった。
 俺なんっかよりよっぽど、賢くて、たくさんの我慢と無理をしてきたことがうかがえた。もっと早く、彼に出会っていたら、もっと早く気付けていたら変わっていたのだろうか。救いの手を差し伸べられていたのだろうか。
 過去を見ても仕方がない。分かっていても、胸が苦しくなるばかりだ。
 でも、きっと同情してほしいわけじゃない。
 リューゲは、また嘲るように笑い、俺の首に手を伸ばした。


「お前は誰からも愛されて、僕の欲しかった人からの愛ももらって、皇太子殿下からの寵愛も受けて! いいよなあぁ、何もしなくたって幸せなんだから。生きてるだけで褒めてもらえる。本当に羨ましい、憎たらしい、憎い、憎い、憎い」
「うん……」


 細い指が俺の首に食い込んで、そして締め付ける。
 その手を払いのけることもできたが、しなかった。どうせ、リューゲは長くない。俺が受け止められるものおなんてこれくらいだろうと、俺は首を絞められていた。不思議と、苦しくもなく、息ができる。


「僕のを返せよ。ニル・エヴィヘット。死ねよ、ほんと。僕にはないもの、才能もあって、愛されて。死ね、死んじまえ。気色悪い、男娼が」
「……ごめんだけど、死ねない。俺は、死にたくない」
「ハッ、何言ってんだよ。死ね、死ね、死ね。お前が、誰からも愛されて、執着されて、何不自由なく暮らしてるなら……僕は、お前の唯一の傷になってやる。お前が一生忘れられない、お前をただ一人、この世で死んでも一人、お前を恨み続けてやる。お前とは分かり合えないんだよ。ニル・エヴィヘット。僕を知った気になるな。泥棒、マジ、死ねよ。クソ野郎」


 最後まで呪いの言葉を吐いて、リューゲの手が俺の首から離れていく。そして、俺の下で、リューゲは動かなくなった。スゥウウ……と、彼の身体から赤黒い粉が漏れ出て、風が吹いていないというのに、どこかへ飛ばされていく。その後、リューゲはピタリとも動かなくなった。きれいな死体がそこにはある。
 共同墓地に一応は捨てられたのだろうが、これだけきれいに保管されているというのは珍しいだろう。どこかが欠損していてもおかしくない。もしかしたら、誰かが大事につなぎ合わせたのかもしれないけど。


「……憎い、か」


 もう、十分に俺の身体にその呪いはしみ込んだ。彼の言ったように、俺は一生リューゲのことを忘れられないだろう。そして、もう二度と、同じような感情を誰かから向けられることはない。仮にあったとしても、リューゲのような燃えるような黒く、どす頃い感情を誰かに向けられることは今後一生ない。
 助けようなんて、理解しようとするなんて無理な話だった。
 理解した気になろうとしていた、救えると思っていた。そんな次元じゃなかったんだ。最後まで分かり合えなかったし、救えなかった。それが現実。
 死者をすくおうなんて、まずできないのだ。きっと生きていても、時間をかけていても、俺が彼から奪ったものはかえせない。


「メンシス副団長も、リューゲも、欲しいものが手に入らない人なんだな……いや――」


 互いの思いに気づけていたら違ったかもしれない。

 血がつながっていなくとも家族になれたと俺は思う。けど、歩み寄ることも、気づこうともしなかった。それが、彼らの溝を深めて埋めることはなかった。
 どちらも家族になりたい、家族が欲しいと思っていたすれ違ったかわいそうな人。
 まあ、その一言で片づけていいのか知らないけど。
 俺が、動かなくなったリューゲを見ていると、彼の指先がピクリ動き、機械的に体が九十度起き上がった。俺は驚いて、のけぞると、リューゲは何事もなかったように部屋を出て行った。魔法は解けたと思ったが、どうやらまだ解けていないらしい。本当に、俺に恨み言を吐くために現世によみがえったんだろうなと、苦笑する。
 だが、その魔法を解いてあげたいという気持ちも同時に芽生えた。俺をどれだけ恨んでもいい。でも、誰かに利用されて生かされ続けるのは彼としても本望じゃないだろう。

 そんな非道なことをする輩をいつか――

 俺は、自分の首に手を当て優しく締めた。痛くもないし、苦しくもない。爪を食いこませてみたが、いまいち痛みを感じなかった。


「いいや、今日は寝よう」


 とにかくいろいろありすぎて疲れた。
 俺は、ベッドに身体を沈め、目を閉じた。思い出されるライデンシャフト侯爵家の二人の顔。執着と、憎悪。どちらもきれいな感情ではない。だが、それを抱かずして生きることができない人たちなんだろうなと俺は思いながら夢の中へと意識を溶かした。

 目が覚めたとき、この悪夢から抜け出せていればいいと、そう願って。


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