一年後に死ぬ予定の悪役令嬢は、呪われた皇太子と番になる

兎束作哉

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第2部1章

07 先日の件で

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 鮮やかな羽をもつ蝶が、花の蜜を求め温室の中を優雅に飛び回っていた。


「それで、話というのはなんでしょうか。ロルベーア嬢」
「――殿下は、貴方の妹のことを覚えていました」
「……」


 手紙を送った数日後に、お茶会の機会を作ります、と前向きな手紙が返ってきた。
 そして、翌週、私は指定された時間にドロップ伯爵家を訪れ、この間のように温室に通された。ドロップ伯爵家は、植物や生き物の宝庫で、温室は実験場兼観察場にもなっていた。そして、その植物の息吹がうるさい温室では、小声で話せば、相手に話が伝わることはまずない。


「貴方の妹だけではなく、他の番のことも。しっかりと、覚えていました」


 最後のは、少し誇張だ。顔を覚えていないと言った時点で、しっかりとはいえないだろう。けれど、殿下なりに、過去のことを忘れず、手にかけた番のことを把握していた。殿下は、血も涙もない暴君『番殺し』ではないことを私ははっきりと伝えたかったのだ。あのまま殿下のことを悪く言われたままにしておけなかったし、シュニーの誤解も解きたかったからだ。彼女にとって、殿下は妹を殺した殺人鬼で、それを誤解したまま、怒りを抱き続けるのは辛いだろうと思ったから。


「……そんなはずないわ」


 ぼそりと何かシュニーがつぶやく。私が何を言い出すのかと思えば……といった呆れ顔で私を見つめてきた。エメラルドの瞳が、黒く渦巻き、テーブルの下で握られた手は、プルプルと何かをこらえるように震えていた。
 でも、私はいたって真剣だった。


「覚えていましたよ。直接聞いてきましたので」
「……そうで、すか……」


 納得しきれていない、言葉を紡ぎ、シュニーは、私の方を見た。先程の明らかに怒りで震えていた表情ではなく、まったく何を意味し、含んでいるのか分からない笑みを向けられ、背筋に冷たいものが走る。
 それまで聞こえていた、水の音や、鳥たちのさえずりまで、ぴたりと止まってしまった気がして、私はその違和感に、緊張感を走らせる。


「ロルベーア嬢は、本当に、皇太子殿下のことがお好きなんですね」
「す、好き……というか、好きではあるから、番で、殿下の呪いも一緒にうけた呪いもとけたんだと思う。そうじゃなかったら、私は今頃、この世にいないんじゃない?」
「一時期、聖女様との番契約をという話も出ていましたけど、そこのところは、ロルベーア嬢。どうお考えで?」
「……もう、昔のことよ、イーリス……聖女様は、殿下に恋愛感情を抱いていないわ。殿下ももちろん」
「随分と、皇太子殿下のことを信じているんですね。まるで洗脳のよう――」
「何ですって?」


 殿下のことだけではなく、私自身もけなされた気がして、思わず反応してしまった。それが、おかしかったのか、狙い通りだったのか、シュニーはくすくすと口元に手を当てて笑っていた。二ッと曲げられた目は、私を馬鹿にしているようにしか思えなかった。


「あら、ごめんなさい。あまりにも、ロルベーア嬢が、盲目的に皇太子殿下のことを慕っているようで。おかしくて」
「なにもおかしくないですが? 貴方こそ、何も知らないのに、知ったような口ききますけど……」
「だって、ロルベーア嬢? 貴方が言うから、おかしいんですよ。ここ一年で、人が変わったように。何か、皇太子殿下から好かれるようなことしたんでしょ? それとも、お情けで?」
「……」


 やっぱり……
 そう思ったころには、すでに相手の化けの皮ははがれており、殿下だけではなく、私も馬鹿にしていたことが分かった。彼女が知っているロルベーアは、私がロルベーアになる前の、本人の噂と人物像。一年で人が変わったようには、全くその通りで、人が変わったから。一年で、周りの人間、ロルベーア・メルクールを知る、すべての人間の印象を変えることなんて不可能なのだろう。そもそも、そこに焦点を置いて私はここ一年生きてきたわけじゃないし、シュニーのことも全く知らなかった。だから、彼女が、私のことを嫌っていることなど、会わなければ分からなかったことなのだ。


(お情けなわけないでしょ……お情けだったら、アンタの妹も情けかけてもらえたんじゃないの? というか、情けで愛がはぐくまれるわけないでしょうが)


 反論したい衝動に駆られる。でも、内言葉に買い言葉では、同じところに落ちてしまう気がした。そうなれば、私も彼女と同じ……殿下をけなす仲間入りをしてしまう気がしたのだ。


(ここは、抑えるのよ。ロルベーア)


 すぐに癇癪を起す、悪女ロルベーア・メルクールはここにはいない。いるのは、私。
 殿下のため、自分のためにも、カッとならないで。そう言い聞かせ、私は口を噤む。
 私が、反論してくると思っていたのか、シュニーはぴたりと笑みを止め、苦々しそうに爪を噛んだ。私のとった態度は正解だったようだ。もしかすると、私に癇癪を起させて何かする計画だったのかもしれない。伯爵令嬢とはいえ、令嬢を傷つけたとなれば、その噂はすぐに広まるわけだし。私と殿下を引きはがそうとしているのかもしれない。引きはがそうとしている理由は分からないけれど。


「どうやら、貴方からは敵意しか感じられないので、私はこの辺で帰らせていただきます。事実を述べたうえで、貴方がどう受け止めるかは、私の知ったことじゃないので」
「……そうですわね。他人の痛みなんて、被害者以外が分かってたまるもんですか」


 私が立ち上がり、温室の扉から出ていこうとすれば、後ろでゆらりとシュニーが立ち上がるのが、分かった。危うい足取りで、こちらに近づいてくるのが分かり、私は足を止め振り返る。瑠璃色の髪がサラリと揺れ、長い前髪は、その目を覆い隠していた。ただならぬ空気に、私は一刻も早くここからでなければと思ったが、今背を向けるのはリスキーだと、踏みとどまる。


「まだ何か、私に用ですか。シュニー嬢」
「ええ。なぜ、私がロルベーア嬢をここに招いたと思います?」
「……何?」
「好きでもない貴方を。妹ではなく、選ばれた貴方を。憎き皇太子の番の貴方を善意でここに招いたとお思いですか?」


 コツ、コツ……とヒールを鳴らしながらシュニーは近づいてくる。今なら逃げられるかもしれない。これ以上、距離を縮められたら逃げられない。後方の扉を確認するが、私もヒール……走ったら折れてしまうかもしれない。けれど、彼女から漂う殺意は、私にも向けられており、逃げなければ命が危険にさらされることは、本能的に感じていた。
 しかし、これといった武器を装備しているわけでもなく、同じ令嬢。あちらの方が背が高いが、力があるわけではないだろう。決めつけるのはまだよくないが、相手の出を窺って、それから一度かわして、逃げるか――


「あらあら、逃げないんですの? ――まあ、といっても出入口はすでにふさがせてもらっているので。貴方には、皇太子をおびき出すための餌になってもらいますわ」


 パチン、と彼女が指を鳴らせば、それまで静かだった温室が揺れ、多くの植物の間から、あの色とりどりな蝶たちが一気に舞い上がった。鱗粉をまき散らしながら、シュニーの後ろで揺らめく。その虫も、温室全体が私を敵とみなしたように、ざわめているようだった。


「……っ」
「先日、申し上げたでしょう? 貴方が、皇太子殿下の番であり続けるかぎり、狙われ続けるって。忠告してあげたじゃない」


 シュニーはそういうと、にやりと口を三日月形に開き、真っ赤な口紅を歪めて見せた。

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