アネモネの約束

兎束作哉

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第4章 一輪の青いアネモネ

case09 友人の車

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 ほんの数分であれだけあった強盗との車の距離を縮めた綾子。
 ハンドルを握る綾子の顔に少しドキリとしつつも、俺は目の前の車に視線を移した。


(さて、どうやって止めるかだな)


 こちらに運がまわってきたのか道幅は広く、十分隣に並び追い越せる余裕はある。だが、道路のど真ん中でそれをすれば周りの車にも迷惑をかけてしまうし、二次被害が出るかも知れない。


(なら、どうするか)


 そんなことを考えていると、突然綾子が減速する。このままじゃ、また離れちまうと綾子を見れば、何か考えるように片手でスマホを操作した。


「どうにか、港付近まで追い詰めることは出来ないだろうか。そうしたら、どうにか捕まえられる気がする」
「そこまで追い詰めたとしてどうすんだよ。相手は拳銃を持っているんだぞ」
「そうだな……高嶺刑事、発砲許可は出ているか?」
「出ているも何もねえし、まあ、非常事態なら仕方ねぇけど。俺は上手くねぇぞ」
「……ッチ、役に立たないか」
「おい、今舌打ち聞えたぞ!?」  


と、言い争っている間に犯人の車はどんどんと距離を広げていく。だが綾子は先ほど言った港の方に追い詰めるという作戦を決行すべく俺の言葉を無視して、車を走らせた。

 全く人の話も聞かないで、と思いつつ俺は仕方なくナビを確認する。ここから一番近い港と言えば、もうすぐそこだ。あと20分程走らせれば到着するだろう。
 それから暫く走り続けると段々と周りに民家も少なくなっていき、海が見えてきたところで、強盗の車は港の人気のない倉庫へ入っていった。


(本当に詠めてんだな……)


 犯人がどんな行動に出て、どう逃げるか、綾子の中ではビジョンがあったのだろう。だからこそ、こうして追い詰めることが出来たと。
 犯人は逃げられないと悟ったのか、車を止めて車内から出てきた。


「んで、どうするよ」
「……高嶺刑事を訪ねろって言った人から、高嶺刑事は運動神経がいいと聞いた。銃弾、避けられるだろ?」
「は?」


 思わず間抜けな声が出た。

 その情報の入手先がどうでもいいが、銃弾を避けられるなどフィクションでもあるまいし、出来るわけ無いと思った。
 近付いてくる犯人、片手には拳銃を持っていた。


(1発避けたとしてもどうすんだよ、相手は2人避けきれるわけが……)


「高嶺刑事、信じてるぞ」
「お、おいちょっと待て!」


 綾子はそう言うと車内から勢いよく飛び出し犯人の前に出た。犯人は驚きその銃口を綾子に向ける。綾子は両手を挙げていたが、ちらりと俺の方を見た。このままでは綾子が危ない。それに、綾子が車内から飛び出した理由もあるはずだ。


(考えろ、俺……何か、何かあるはずだ)


 綾子に近付いていく犯人、俺は考えるより先に助手席のドアを蹴破って外に出る。
 犯人の銃口はこちらへバッと向けられる。


(もう、止らねぇからな……)


 バンッ! とあ1発俺に向かって放たれた弾を軌道を読んで右に避け、そのまま犯人の足を引っかけ転ばせる。もう1人の犯人はたじろぎ俺に銃口を向けたが、綾子の存在を忘れていたのか、後ろから頭を蹴り飛ばされ、そのまま力なく倒れた。その時間は僅か数秒だった。
 常備していた手錠と、車の中に入れっぱなしにしておいた手錠を犯人にかけ、後は呼んでいた警察官が来るのを待った。まあ、誰も被害者は出てないし、金も無事だし、事件は解決した、と言うことでいいのだろうが、如何せん一般人を巻き込んでしまっているため、後で何を言われるか分かったものじゃない。
 犯人を見張りつつ、前の方がへこんでしまったMR-2を撫でる綾子の姿が見えた。


「おい」
「何だ、高嶺刑事」
「車をぶつけて止めるっつぅ、やり方もあったんじゃねえか?」


 俺は、素朴な疑問をぶつけた。
 あの犯人達の車を追い越し、車をぶつけて止めると言う方法も考えられなかったことはなかっただろう。だが、綾子はそれをしなかった。それをせず、それよりも危ない方法をとったのだ。勇気ある行動で、無謀な行動だった。

 綾子は、俺の質問に数秒答えなかった。否、少し考えた後、フッと笑う。


「これ以上傷つけたくなかったんだよ。この車を」
「……は」
「だって、高嶺刑事の友人の大切な車だろ?運転するって決めたときから、絶対に無傷で返すって決めてたんだ。まっ、高嶺刑事はぶつけていたが」


と、綾子は肩をすくめた。

 そこまで考えていたなど全く考えもしなかった俺は、何も返す言葉が見当たらなかった。
 ただ、俺のことを、あれだけ車に興味がなさげだったくせに気遣ってくれていたなんて想像もしなかった。そこまで、気を回せるのかと。


(はっ、ほんと凄ぇな)


 俺は完敗だった。
 いけ好かない女だと思っていたが、前言撤回だ。


「ありがとな、綾子」
「……っ」
「どうした?」
「いいや、名前で呼んだと思って……いや、なあ、別に呼び方などいいが」


 俺は綾子にいわれて気がついた。確かに、名字で呼んでいたが、自然と下の名前で呼んでいた、幾つかしたの女のことを。
 それだけ、気を許しているって言うことなのだろう、俺が。


「い、嫌ならいい。安護って呼ぶだけだ」
「だから、別に気にしていない。それでいい」


と、綾子は恥ずかしそうに顔を逸らした。そんな顔も出来るのかと、俺はプッと吹き出してしまう。綾子は笑うなと言ったが、1度決壊した笑いは止らなかった。

 その後、パトカーのサイレンの音が静かな港の倉庫に響き、俺も綾子も無傷で犯人を制圧することが出来た。


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