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第3章
01 永遠の忠誠
しおりを挟む「この――大馬鹿者がッ!」
凄い怒声と共に、これまた凄い音で頭を殴られる音が響く。人の頭蓋骨ってそんな音が鳴るんだ、と呆れながら見ていたが、殴られた本人、ファルクス……ファルクス・アングィス伯爵子息は全く痛くないとでもいうような顔で頭を上げる。けれど、その目には明らかに、何故殴った、怒られなければならないといった不満が滲み出ている。そして、殴った男、アングィス伯爵は拳を握ったまま、すみませんねえ、ともう片手で、ファルクスの頭を押さえつけている。相変わらず、やることが大雑把というか、豪快というか……この人も、また私がわかり合えない所にいるな、と常々思う。
昨夜の一件、ファルクスが私達を守ってくれたことで丸く収まったのだが、問題はその後で、本当は、私達が帰った次の日に、正式にこちらに伺うつもりだったと、今朝、馬車を飛ばしてきた伯爵はいった。つまり、ファルクスは独断で伯爵家を飛び出してきて、私の元にきたと。話を聞けば、私の魔力を探知できるとかなんとかで、危険な状況にあると知ってすっ飛んできたというのだ。それにしても、伯爵領は、男爵領よりも向こうに位置しているというのに、そんな感知してすぐにこれるなんて人間業じゃないのだ。大方、転移魔法を使ったのだろうが、ファルクスにそんな芸当が出来るのかどうか……まあ、それは置いておいて。
伯爵は何も言わず勝手に出ていったファルクスに大激怒。お父様も、呆れて何も言えないといった感じで、場は混沌を極めていた。
(というか、私の魔力探知って、犬!? 犬なの!?)
もう、犬要素はいらない、と私は心の中で叫びつつ、ファルクスが、私の魔力を探知してくれたからこそ、助かった。もし、そうでなければどうなっていたか……魔物の餌食になっていたことだろう。その事に関しては、私は何もおとがめいらないと思う。緊急事態だったから、何も言わずに出てきたんだろうし。
私がファルクスの方を見れば、ファルクスは夜色の瞳に熱を浮べ見つめ返してきた。よほど私に会えて嬉しいのだろうか。それとも、自分がアングィス伯爵家の養子になって自信がついたから、養子になることが出来てちゃんとした身分の人間になったから誉めて欲しいのか。どちらか、いやどちらかも知れないが、耳と尻尾をブンブンと振り回しているのが分かった。今すぐ、誉めて誉めて、と抱き付いてきそうな勢いで見てくるので、私はふいっと視線を逸らした。
「ごほん……それにしても、ファルクス一人で魔物を倒したというのが、驚きだ。今朝、公爵家のものにその魔物の死体を調べさせたが、まずその大きさに驚いていた。近衛騎士団の騎士団員でも、それこそ、アングィス伯爵ぐらい腕の立つものでないと、一人で相手をするのは不可能かと。一体、この三週間で、どんな稽古をつけたか、気になるところだが……」
お父様は、話を戻すかのように咳払いをし、アングィス伯爵に話を振る。お父様のいったとおり、今朝方、公爵家のものが数十人あの魔物について調査に行ったと報告があった。暗くてあの時はよく分からなかったが、話によると、それはもう大きくて、凶暴で、死体にも残る魔力を要していたと。それを、ファルクスは、昨日――
「ハハッ、レーツェル公爵は面白いことをいう。確かに、この私ならばあれくらいの魔物相手にすることも出来るでしょう。しかし、ファルクスは違う」
「違うといいますと?」
「ファルクスは、私よりも強い」
と、アングィス伯爵は目を細めていった。その顔から、真剣に言っていると言うことが分かり、私は思わず口元を覆った。以外という感情ではなくて、やっぱりという予想が的中して、にやけてしまったから。周りからは、驚いているというように見えるかも知れない。
(超ドヤンデレ鬼畜攻略キャラだもの、強いに決まってるわ)
それが、再確認できた出来事でもあり、そして、アングィス伯爵が認めてくれたならば、その実力は本物ということだろう。
私が口元を隠しながら笑えば、それに気がついたのかファルクスは少しだけ口角を上げていた。
お父様も、驚いているのか、ファルクスとアングィス伯爵を交互に見つめ、「本当なのか……」と信じられないとでも言わんばかりに呟いていた。ただの、奴隷、けれど、彼は第二皇子でもある。少なくとも、高い教養と、そして剣術は兼ね備えていることだろう。敗戦国の人間であるから信じられなかったのかも知れないし、舐めていたのかも知れないけれど。とにかく、戻ってきてくれたこと、そして、アングィス伯爵に認められたことは誉めてあげなければと思った。あんな、足を舐めさせてくれという願いはもうごめんだが。
「そうか……ならば、スティーリアの護衛も心配なく任せられるな」
「そうですなあ。そちらさえ、よければ婚約でも――」
「何を馬鹿な事を言う。アングィス伯爵。娘には、皇太子という婚約者がいる。いくら何でも、その冗談は無神経だと思わないのか」
「冗談ですよ。ただ、最近悪い噂ばかり聞いて。ちと、こちらも心配になったものですから。それに、皇族でなくとも、伯爵家との繋がりはあっても、そちら側にデメリットはないのでは?」
と、アングィス伯爵は鼻を鳴らしていった。いっていることは、お父様の言うとおり最低だ。けれど、何となく嫌な予感はするし、そんな気もする。アングィス伯爵も、侯爵家という後ろ盾は欲しいのかも知れない。結局大人は、政策のことばかり考えている。
私が考えても仕方がないと、お父様とアングィス伯爵の話を聞きながらファルクスの方を見れば、ファルクスは不機嫌そうに顔をしかめていた。
殿下との婚約破棄はもしかしたら時間の問題かも知れない。そうなったとき、一度、殿下と婚約した身、婚約破棄された私を貰いたがるような人がいるのだろうか。もう一度ファルクスを見る。
「……」
「まあ、そういうことですから。いつでも、こちらは話を受けるということだけ。ファルクスも、スティーリア嬢に無礼ないようにな!」
「……分かりました、伯爵」
短い話を終え、アングィス伯爵は談話室を出て行った。本当にただの挨拶というか、ファルクスが一人前になり、養子として向かい入れたという報告だけだった。アングィス伯爵らしいといえば、らしい、無駄のない報告だった。
お父様は、アングィス伯爵が出ていった後、ドッと疲れたように椅子に座り込む。
「お父様大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。すまないな、心配をかけて」
「い、いえ……アングィス伯爵、相変わらずでしたね」
「ああ、あの男は変わらぬ。年を食うたというのに、あの豪快さ……腹が立つ」
お父様は、アングィス伯爵のことが苦手なようで、フンと怒ったように鼻を鳴らす。お父様はどちらかといえば、政治の方で活躍しているから、軍人思想の強いアングィス伯爵とは合わないのだろう。その血が流れているからか、私も伯爵のことは苦手だ。
「スティーリア様」
私がお父様を心配していると、そこまで黙っていたファルクスが、こちらに向かって歩いてきた。お父様は止めることなく、話してこいとでもいわんばかりに立ち上がって、談話室を出て行く。いてくれてもよかったのに、と思いながら、私はファルクスと向き合った。
そういえば、彼と話すのは昨日の夜振りだ。あの後色々あって、ゆっくり話せていなかったと。
夜色の瞳が私を見下ろし、私は何だか恥ずかしくて顔を合わせることが出来なかった。たった三週間ほど離れていただけだというのに、とても長い時間離れていたような気がして、自分でも信じられないくらい喜んでいる。これじゃあ、まるで私が彼に会いたかったようではないかと。
「スティーリア様……約束通り戻ってきました。アングィス伯爵家の養子として向かい入れられ、しっかりとその身分を固めてきました」
「そう」
「スティーリア様は、何か変わったこと、ありませんでしたか」
「何もないわ」
「……ほんとに?」
と、ファルクスが私の顔を覗き込もうとするので、彼の無意識に伸びていた手を払って私は顔を背ける。
「許可なく触らないで頂戴。貴方が、身分を固めたとしても、私と貴方は、主人と護衛。そこは変わっていないの。調子に乗らないで」
「申し訳ありませんでした」
シュンと耳を垂れさせるものだから、私はなんて反応すれば良いか分からなかった。本当は誉めてあげたいのだけれど、それこそまた調子に乗るし、この距離感が一番だと思う。今のところは。
「でも、よく頑張ったわね」
「はい。スティーリア様のことを思って、スティーリア様のために頑張りました」
「そ、そこは余分なのよ。で、でも、本当にアングィス伯爵の稽古をたった三週間で……ファルクスってもしかして凄い?」
聞えないくらい小さな声で言ったつもりなのだが、ばっちりと拾われていたようで、「そんなことありません」と返されてしまう。耳も犬並みなのかと、私は若干ひいてしまう。
「あの老が……アングィス伯爵の稽古は、想像を絶するものでした。睡眠時間もかなり削られ、心ない言葉も……でもそれは、俺を強くするために発破をかけたもので。それに、貴方を思わない日はありませんでした。スティーリア様の元に早く戻りたい、戻らなければ……そのために、俺は努力しました。その努力が報われようやく――」
そう言ったファルクスの瞳には、安堵の文字が浮かんでいるように思えた。口では何とでも言えるが、あのアングィス伯爵が三週間でファルクスを私の元に帰すはずがない。というこは、考えられる線として、ファルクスが、アングィス伯爵のお眼鏡にかなう人材だったこと。先ほどもいっていたけれど、アングィス伯爵が認めるほどの才能と努力をしたということ。でなければ、やはり三週間という短い期間で戻ってこれるはずがないから。
(私の為って……そんな)
その言葉を、私は彼が出発する前は、信じてあげられなかった。けれど、こうして戻ってきて、成長した彼を見て、私は信じてみようと思った。彼の忠誠心を。
「スティーリア様?」
「ファルクス、よく頑張ったわね」
私は、彼の頭を撫でた。彼は夜色の瞳を大きく見開き揺らすと、その目を細めた。私が撫でやすいように少しかがんで、嬉しそうにされるがままそれを受け入れる。大きな犬を手懐けたような感覚になって、不思議だけれど、怖くはなかった。私も彼に、大分心を許してしまっているということだろう。はじめこそ、殺されないために利用すると決めていたのに、今では可愛い私の護衛で。
(可愛いって、なんか失礼よね)
顔は無愛想で、感情が読めないけれど、犬らしいからか、ペットみたいに思ってしまう。でも、今の彼は奴隷でも何でもない。けれど、私の護衛。
「スティーリア様」
「何?」
「発言を、許して下さいますか」
「いちいち許可取るのね」
「貴方の機嫌を損ねたくないので」
「もっとマシな言い方があったじゃない。何よ、いってみなさい」
私が言えば、彼は私の手に触れようとした腕を引っ込めてギュッと拳を握ると、その場に跪いた。
「私、ファルクス・アングィスはスティーリア・レーツェル様に、永遠の忠誠を誓います」
それはあの時、初めて彼と出会ったときに聞いた言葉と似てひなるものだった。
『私、ファルクス・グレイシャルは、スティーリア・レーツェル様に、永遠の忠誠と、服従を誓います』
服従ではなく、忠誠だけ。それは、彼が奴隷という身分から脱却したということ。従わなくてもいいけれど、その身を捧げて守りますという誓い。そこを強調して彼は言う。
そして、彼は私の手の甲にキスを落とす。私は、その一連の動作をじっと見つめていた。彼の唇が私の手の甲から離れるその一瞬まで、彼に見惚れていたのだ。
夜色の瞳は、誰でもない、私を、私だけを映して揺れていた。
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