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第3章

03 告白

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 まるで、このタイミングを狙っていたかのような目だった。


「冗談はやめて。面白くないわ」
「冗談ではありません。言い直した方がいいですか」
「そういう問題じゃないのよ」


 こてんと首を傾げるものだから、思わずムキになって言い返してしまった。彼には、感情というものがないのだろうか。それとも、そういう手を使ってもいいと本気で思っているのだろうか。どちらにしても、彼の顔から感情を読み取ることは不可能に近かった。
 私が怒鳴ったところで、彼は動じないだろう。ファルクスはそういう奴だから。
 私は頭を抱えながら、ファルクスの方を見る。彼の夜色の瞳は、真剣だといわんばかりにこちらを見つめてくる。瞬きすらしていないようだった。
 傷ついた心につけ込めば、いけると思ったのだろうか。考えが甘い、見え透けている。
 でも、引っかかるところが一つある。それは、本当に彼が私のことを好きなのか。好きだったとしたら、いつ好きになったのか。


(私は、彼を虐げるようなことしかしていないじゃない)


 ファルクスが、マゾヒストなわけがない。どちらかといえば、サディストよりだろう。だって、鬼畜でヤンデレで。読めない表情から、それらの属性が伝わってきて、私は背筋が凍るような感覚に身体を震わせる。求婚されているというのに、心がちっとも動かないのは何故だろうか。私が、まだ殿下に気がある? そんなわけない。ただ、ファルクスの真意が見えないから。違う、これもいいわけだ。私が、人を信じようとしていないから。


「……こしゃくな手を使っていること、自分が汚い手を使っていると分かっています。ですが、ずっとタイミングを見計らっていた」
「私が、婚約破棄されるって分かっていたってこと? 最低ね」
「はい、最低です」
「……」
「ですが、皇太子という身分に俺が勝てるはずもない。ならば、ハイエナでもいい……狙い続けなければ、愛しい人を手に入れることは出来ないでしょう」


と、ファルクスは持論を語る。

 それが何一つ理解できなかった。だって、一番肝心なところが抜けていたから。


「ファルクスは」
「はい」
「私が好きなの?」


 聞くのも恐ろしかったが、きっと、彼は聞かなければ濁す。そう踏んで、私が彼に尋ねると、何を至極当然のことを言っているんだと、ファルクスは目を丸くした。まるで、そんなこと言われると思ってもいなかった、とでも言うように。自分の愛が、伝わっていたとそう錯覚しているようなその反応に、私はさらに困惑した。
 元々口数が少ない方で、何を考えているか分からない。けれど、私の足を舐めたいと褒美にそれを要求するあたり、彼は私を求めて来ていたのだろう。いや私の身体かも知れない。スティーリアは男を魅了する美貌の持ち主だから。それにファルクスも引っかかったのかもと。ヒロインが微笑めば、すぐ寝返るかも知れないというのに。私は、この求婚を受け入れて、危ない橋を渡る必要はないのに。
 けれど、彼を拒絶することも、突き放すことも出来なかった。彼の計算通りではあるけれど、傷ついた言葉にその愛の告白は、響いてしまったから。握った拳の中で何かが渦巻く。手を取ってしまいそうになる。


「はい。俺は、貴方を愛しています。スティーリア様」
「……だから、分からないの。私の何処が好きなのよ」
「全てです」
「具体的によ! 貴方は……私は貴方を買った。奴隷として! 身分を脱却するチャンスを与えたから? 少しでも優しくしたから? 貴方は、私に惚れたっていうの?」


 頭に浮かんだ言葉を吐き出しては、私は楽になろうとした。彼に執着される理由が全く分からない。私が、彼に何をしてあげたというのだろうか。
 そうして、もう一度ファルクスを見れば、変わらない顔で彼は私を見つめ、今度は、私の手を取って、指の隙間にスルリと自分の指を滑り込ませる。私が驚いていると、さらに距離をつめ、彼は、もう片方の手で、私の腰を抱いた。


「……っ」
「単純といわれればそれでも構いません。俺は貴方に買われた、貴方は俺を買った。あの最悪な環境下で、自分たちを追いやった戦勝国の貴族に買われて怒りさえ覚えた。奴隷になったことも、奴隷になったのが、敗戦国の俺達だけじゃなく、帝国の平民も含まれていたことも……色んな怒りが俺を支配した。けれど、逃げることも叶わず、誰かに買われるのをまつ日々、そんな時に貴方は現われた」


 ファルクスは、そう言うとギュッと私の手を握り込む。


「はじめは、誰が俺を買ったんだと、もの好きはどんなかおをしているかと拝んでやろうと思った。そして、隙を見計らって必ず殺してやると考えていた。でも、貴方の顔を見たとき、そんな気は霧散した。貴方に一目惚れしたんです。スティーリア様」


(……何よ、それ)


 そう文句を言いたかったのに、その言葉は喉奥で引っかかってしまう。甘い言葉なのに、私を壊すには充分な殺傷力があった。そんなつもりないと否定したいのに、私の瞳は潤んでいくばかりで言葉を発してくれない。そんな私に、彼は追い打ちをかけてくる。
 彼の手が私の頬を包み込み、彼の端正な顔が私に迫る。夜の瞳の奥にある闇に私は飲み込まれそうになるけれど、彼は引こうとはしなかった。
 彼が言ったのは、確かに単純で、それだけの理由だった。一目惚れ、なんて妖美で、危険な響だろうか。だって、それは、ヒロインにだって――けれど、私はその言葉を信じてみたくなった。


「単純でしょ? でも、貴方を一目見たときからずっと好きだった。もっと教えてくださいませんか……貴方が、殿下に見せていた表情を」
「……っ私は、貴方のことなんか」
「ただの奴隷……いや、今は護衛としか見てくれていないのは分かっています。俺の事、嫌いかも知れない……それも、分かっている。でも、俺は」


 そうして、ファルクスの唇が私の唇に触れる。触れたかと思えば、もう彼は私を抑え込んで離さないとばかりに深く口づけてくる。待ってと言いたいのに言わせてくれない。一瞬触れるだけのものがこんなに濃厚なものになるなんて思いもしなかった。
 強引だ。私は、許可などしていないのに。初めてのキス。
 私が肩で息をしているというのに、ファルクスは真剣な瞳で私を見つめていた。私の頭を撫でながら、彼は呟いた。


「貴方を愛しているんです。奴隷に戻っても良いと思えるほど、貴方の虜なんです。愛しています。スティーリア様、だから、俺の婚約を受け入れてください」


と、その告白を、私は断ることが出来なかった。まるで彼の持つ色気に当てられてしまったかのようで、逆らえなかったというのが本音だ。彼の言葉が嘘でも本当でもいいと思ってしまったから、何も出来なくてただ茫然としてしまったとしか言い様がない。

 頭の中では警告音が鳴っていた。ファルクスは危険だと。ヒロインではなく、私に執着していることはもう目に見えて分かった。彼は、愛を与えられなかった故に、愛に耐性がなくて、初めて愛してくれた人に執着を見せた……そんな風に説明に書かれていた気がする。愛を与えたつもりはなかった。けれど、一目惚れから、ここまで彼が心酔するなんて思っていなかった。ああ、誤算。誤算だ。
 私は、彼の腕の中に埋もれる。
 さっきまであんなに悲しかったのに、満たされている。軽い女だと思われるかも知れない。殿下への愛はそれほどまでのものだったんだって笑われるかも知れない。結局愛してくれる人の元に行くんじゃん、なんていわれるかも知れない。それでも、私は彼からの重い愛を受けて嬉しかった。


「私は、貴方を利用するために奴隷商で買ったの」
「はい」
「そんな私でもいいの? 私は、貴方に優しく出来なかったのに?」
「はい」
「はいじゃなくて……」
「愛しているんです。スティーリア様。俺は、貴方に捨てられるくらいなら、死んだ方がマシだと思っています」
「言い過ぎ」
「本当です」


 ファルクスが言うと洒落にならなかった。本気でしそうで、私は彼の背中に手を回す。彼は私を抱く腕の力を強めた。
 これが、恋だというなら、なんて苦しく、愛しいものだろう。恋、なんてものかすらもわからない……けれど、今はこの愛されているという多幸感に身を浸したかった。
 まんまと、私ははめられてしまったみたいだ。


「この駄犬」
「はい」
「……分かっているの? 貴方は、かなりの命令違反をしているのよ。私は許可していない」
「スティーリア様が許可してくれるように、どんな手でも使います」
「だから、そういうのやめてよ」
「貴方の犬であることは変わりありません」
「……」
「貴方がそう言ったから、俺はそうなろうと思った。貴方が、人間であれといったから、人間になった。アングィス伯爵の元で稽古という名のスパルタに耐え、養子となって戻ってきた。貴方が好きでなければ、俺は逃げ出していたでしょう。それが、貴方を愛している証拠です。逃げることだって、俺には簡単にできたから」
「そう、なの……そう。信じてあげても良いけれど」


 はい、なんて、言葉を最後まで聞かずに返事するファルクス。大きな尻尾を振っているように見えて、私はそれ以上何も言わなかった。
 彼の婚約を受ける。彼はもう奴隷じゃないし、しっかりとした身分もある。お父様の話も聞いていたのだろう、だから、きっと全部彼の計算通り。


(お父様になんて報告すればいいのかしら……) 


 そこだけが、悩みである。まあ、何かそれらしい理由をつければいい。アングィス伯爵が認める騎士であれば、もう何も言わないだろう。ただ、敗戦国の……というレッテルは一生消えないだろうけれど。私は、嬉しそうに尻尾を振る駄犬の腕の中でそっと目を閉じた。そして、心の何処かである言葉を吐く。


(……ごめんね)


 この謝罪が誰に向けたものかは私にも分からなかったけれど。きっとその謝罪は殿下に向いていないことだけは確かだった。


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