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1巻
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「なんでも、この間僕たちに喧嘩を売ってボロ負けした敗戦国の第二王子だそうじゃないか。面白い玩具を見つけてきたんだな。君らしい」
「殿下にはかないませんね。でも、玩具だなんて思っていませんよ」
「嘘をつくな」
殿下はフッと笑うと、髪を耳にかけ直した。
「この間の護衛は何週間、いや何日続いた? その前の護衛は? 君はすぐに護衛を解雇しているだろう。噂では、その前の護衛と不貞行為に及んだとか」
「殿下という素敵なお方がいるのに、そんなわけないじゃないですか」
「そうだな。これはただの噂だし、僕も信じていない。君がそんなに軽い女だなんて思っていないさ。そもそも君は触れられるのも嫌がりそうだしな。僕だって、君に拒絶されるのは怖い」
などと、殿下はぺらぺらと口にする。思ってもいないことをよくそこまで言えると感心してしまう。言葉のすべてが嫌味に聞こえて腹立たしい。
理解力があって怒りの沸点が低いスティーリアだったら、このくらいまで言えばヒステリーを起こすはず。きっと殿下はそんなふうに思っているに違いない。悔しいことに、殿下はスティーリアという女を理解しつくしていた。でも、今の私は違う。
「私は、殿下のことを、拒絶しませんよ。貴方を愛しているので」
「……そうか」
「はい。愛していますよ?」
私が微笑むと、殿下は不服だと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。けれど、感情にまかせて婚約破棄などできない関係にあることを殿下は十分理解している。ヒロインが現れるまでは、この関係は断ち切れない。
私を笑いものにしたかったのだろうが、その作戦は失敗し、殿下は頬杖をつく。それから、庭園の近くの訓練場で、剣を振るい鍛錬に励んでいるファルクスを見つけると、ニヤリと口角を上げた。
「スティーリア。賭けをしないか」
「賭け、ですか」
私が聞き返すと、殿下はパッと表情を明るくさせた。こういう顔をしたときは、要注意だ。なんせ、殿下もあのドロドロエッチな乙女ゲームの攻略キャラの一人。かなりたちの悪い性格をしていて、計算高い男なのだ。そんな男の賭けなんてろくなものではないだろう。
殿下はファルクスがいるほうを指さし、余裕の笑みで私を見つめる。
「君は近いうちにあの護衛を解雇する」
「それの何が賭けなんですか」
「だから、僕は、君があの護衛を解雇するに賭ける」
「……何を勝手に」
「君はもちろん、解雇しないに賭けるだろ?」
なんて意地悪だ。こちらが何も言っていないのに、話を進めてくる。殿下にとってこれは暇潰しや、ちょっとしたパーティーゲームと変わりないのだろう。
これまで護衛を解雇し続けてきたのに、今回の護衛は今までと違う、と啖呵を切ったから、殿下はこんなことを言っているのだ。殿下の加虐心に火をつけたらしい。
私は、視線を落とし、揺れるティーカップの中を見た。初めから拒否権はない。けれど、これは私の勝利が約束されているようなものだ。乗らない理由がなかった。
「いいですよ。その賭けに乗っても」
「乗り気だな。スティーリア」
「それで、何を賭けるんですか? もちろん、賭け事ですから、何かを賭けるんですよね」
「ああ、もちろんだ。君が賭けに勝った場合、今後どんなことがあっても君との婚約を破棄しないと誓う」
「……っ」
私はその言葉を聞いて耳を疑った。私が一番恐れていたことは、婚約破棄だったからだ。
(何よそれ、最高じゃない……!)
殿下は私がファルクスを買った理由なんて知るよしもない。だから、こんなふうに余裕ぶって言えるのだ。私は思わず笑みが零れそうになった。
殿下に勝ち目はない。だって、私は、ファルクスを解雇するわけがないのだから。そして、賭けに勝った私はこの先の未来、なんの不安も恐れもなく過ごすことができる。
「分かりました。では、私は護衛を解雇しないに賭けます。殿下が勝ったあかつきには、今後どんなことがあっても殿下からの婚約破棄は受け入れますね」
「婚約破棄される予知夢でも見たのか?」
「いいえ。でも、殿下はお告げの聖女様が現れたらその女性と結婚するんですよね?」
「それもそうだな。君は賢いな。スティーリア」
殿下はそう言って苦笑した。そして、殿下は私の賭けを受理すると言って立ち上がり、手を振って庭園を去った。あの余裕そうな、腹黒男をぎゃふんと言わせるチャンスがきたと、私は一人拳を握った。
(ふふ、バカね……殿下に勝ち目なんてないのに)
私はおかしくなって、堪えていた笑いを爆発させた。すました顔が崩れるのが見物だし、言質をとったから、彼がこの約束を破るとは思えない。殿下にだってプライドがあるから、自分から提案した賭けをなかったことにはしないだろう。それも、自分の勝ちを確信して言ったことだから。
「ふ、ふふふ、はははっ」
思いも寄らぬ形で、私の願望は叶いそうだ。愛のない結婚は嫌だけれど、バッドエンドを回避できれば何も問題ない。
(……結婚すれば、もしかしたら愛が生まれるかもしれないし)
そんな夢も心のどこかにはあった。たとえバッドエンドに向かったとしても、自分を愛してくれる人と出会って、その人と駆け落ちをしてもいいと。けれど、それこそ乙女ゲームみたいな自由恋愛はここには存在しない。やっぱり貴族社会にはそんなもの必要ないと切り捨て、私は庭園をあとにした。
そうして、すぐに私はファルクスのいる訓練場へと足を運んだ。
訓練場では、一人ファルクスが剣を振っている。彼は集中しているのか、私の存在に気付いていないようだった。集中しているみたいだし、声をかけたら悪いかしら? と思いつつも、無視して帰るのも気が引けたので声をかける。
「せいが出るわね。ファルクス」
「スティーリア様」
後ろから話しかけると、ファルクスは動きをピタリと止め、子犬のように駆け寄ってくる。走るたび、彼の黒い髪からポタリと汗が落ちていく。どれだけ頑張っていたんだと感心する。
ファルクスは私の前に来ると、スンと鼻を上に動かしたかと思えば一歩、二歩と後ろに下がった。
「どうしたの?」
「今の俺は汗臭いと思うので。スティーリア様を不快な気持ちにさせたくありません」
「まあ、気遣ってくれているのね。偉いわ。ファルクス」
私が褒めると、ファルクスはどこか照れくさそうに視線を逸らした。褒められ慣れていないのかもしれない。
本来ファルクスは、あのサーカス団を名乗っている奴隷市場から逃げる途中に、ヒロインと出会い、手を差し伸べられる。その後、ヒロインから必死に頼み込まれて、彼女の護衛騎士となり、聖女を命がけで守った功績と、のちに訪れる災厄を王国騎士団と共に戦い退けた功績から、爵位を与えられる。
ヒロインがファルクスルートに進むにしろ、進まないにしろ、彼は何かしらの功績を挙げ、爵位をもらうことになる。けれど、私が奴隷の彼を買ってしまったから、このままでは叙爵は難しいだろう。
もし奴隷の身分でいることが彼の人生に支障をきたすなら、お父様に頼んでどこかの貴族の養子にしてもらえばいい。そうすれば、奴隷からは解放されるだろう。その頃には私は殿下と結婚しているだろうけれど。
(それまでの辛抱よ……)
さすがに、利用するだけ利用して捨てるのは良心が痛む。利用というよりは、危険だから手元に置いているというだけの話なのだが。婚約破棄されず、バッドエンドも回避したあかつきには、ファルクスに何か褒美をあげなければと思った。
ただ、本当に私がヒロインに勝てるかどうか、それが悩みの種だ。
「スティーリア様?」
「何、ファルクス」
「いえ、何か考え込んでいたようなので。俺にできることがあれば、言ってください」
「貴方に? 何もできないわよ。私と殿下の問題だから」
「殿下……王太子殿下のことですか?」
「そうだけど、それが何?」
珍しくファルクスが興味を示した。
ファルクスにとって殿下は母国の仇。だから、秒で反応したのだと私は思った。
「王太子殿下と、スティーリア様はどのような関係なのですか」
「どのようなって……そうね、私は殿下の婚約者よ。それが、殿下との関係かしら」
「……こん、やくしゃ」
「婚約関係にあるの。分かるでしょ? 言葉の意味くらい。そして、それは貴方に関係ないことでしょ?」
私がそう聞くと、彼はただ俯いたままだった。無理もない。母国を滅ぼした仇の婚約者の護衛になってしまったのだ。その事実を知って酷く辛い気持ちになったのかもしれない。けれど、彼が私を殺すことは隷属契約上できない。私が許可しない限りは、指一本も触れられないのだ。隷属契約は、絶対服従の魔法と言っても過言ではない。
「聞きたいことはそれだけ?」
「はい」
「それなら、私はもう帰るわ」
「もう少し、いてくださらないのですか?」
ファルクスは引き止めるようにそう言った。振り返ると、じっと夜色の瞳が私を見つめている。なんでそんなに真っ直ぐに見つめてくるのか。私のことは嫌いじゃないのか、私のことが憎くないのか、私を恨んでいないのか、なんていろんな考えが頭に浮かんでは消えていく。ゲームの中のファルクスは、スティーリアを視界に入れるのすら嫌だと断言していたのに。
私が彼を買って物語を変えてしまったからだろうか。どちらにせよ、あまりよくない目で見られていることは確かだった
ある程度距離をとって、でも反感という感情は抱かせず、執着させず。ただ忠実な、護衛として私の側にいてくれればそれでいい。私は、彼を躾けなければならない。私のために。
「どうして? 私は忙しいの。それに、貴方も、もっともっと剣の腕を磨かなきゃいけないでしょ? 公爵令嬢の護衛よ? 鍛錬に励みなさい。私のためを思えば、できるでしょ?」
「剣の腕を磨いて強くなれば、スティーリア様はもっと俺に会いに来てくれるんですか」
「なんで、そう繋がるのよ」
「また、頭を撫でてくれると言いました。俺は貴方の犬です」
「だ、だから……?」
言っている意味が分からなかった。まるで、親に褒めてほしいと目を輝かせる子供のようだ。そんな期待に満ちた目で見られたら、断ることができない。
(ゲームの中のファルクスってこんなに可愛かったかしら?)
可愛く見えてしまうのは、多分幻覚だろう。なんていったってファルクスは、超危険なドヤンデレキャラだから。こんなピュアな子犬みたいな顔はしない。
けれど、はっはっと息を切らして尻尾を振っている子犬のようにしか見えなくて、ついつい彼の頭に手を伸ばしていた。ファルクスは、それを見て少しかがみ、頭を差し出す。
「これで満足かしら」
「はい。ありがとうございます。スティーリア様」
「こんなので喜ぶなんて、本当に犬ね。仮にも、元王子がこんな……」
「貴方は、俺をあの檻の中から連れ出してくださいました。その恩を返したいのです。貴方のために強くなりたい。貴方を守りたい。貴方は、素敵な人だから……でも」
ファルクスは言葉を切る。
どんなふうに接したら、こんなに彼の好感度が上がるのかと、私は鳥肌が立った。執着されないように頑張っていたはずなのに、すでに執着されているのでは? こんなはずではなかったのに。まだ彼を買って、三日しか経っていないというのに!
誤算よ!
(というか、どうして私が素敵な人に見えるのよ! 一応、ファルクス限定で、悪役令嬢を演じているっていうのに!)
ファルクスには冷たく当たってきたつもりだし、良心が痛みながらも、彼を犬扱いしてきた。なのに、なぜか恩義を感じられ、私のために尽くしたいとまで言い出した。もうこれは私が悪いんじゃなくて、ファルクスの頭がおかしいんじゃないかと思う。
ドヤンデレキャラのファルクスは、なかなか好感度が上がらないくせに、一度上がりだしたら止まらない。そのうえ選択をミスするとバカみたいに下落する。五十パーセントあっても、一気に三パーセントになることだってざらにあった。
そんな感情の起伏の激しいファルクスだから、こうなっているのか。もっと、見極めるんだった! 彼を買う前に、ヒロインと仲良くしてみたりすればよかったと、前世の記憶が戻って三日目にして後悔した。
ファルクスは顔を上げ、長い前髪から覗く瞳で私を捉えた。夜空を閉じ込めたようなきれいなその瞳に、思わず私は息をのんだ。
「で、でも、何?」
「俺は、貴方の犬ですが……犬だからこそ、褒められたいのです。主人に褒められれば、もっと頑張れます。だから、俺を褒めてください」
「何もしていないのに、褒められるわけがないじゃない! そ、それに、犬の分際で、わ、私に褒美を求めるなんて」
「ダメですか」
「んんん~」
その、シュンとした顔、ダメ!
ファルクスの顔を直視できず上を向く。実は、一番タイプなキャラなのだ。私は、甘え上手な年下ワンコが大好きだった。
私にも原因がある気がしてきた。
私はなんとか耐えきって、彼の頭から手を退ける。ファルクスは名残惜しそうに指先を目で追って、それから私を見た。
「褒美、ね。考えといてあげるわ。けれど、一度でもミスしてみなさい。そのとき、私は貴方を切り捨てるでしょうね」
「ありがとうございます。スティーリア様」
「ほ、本当に分かっているの?」
ご褒美をあげるとは言っていないのにこの喜びよう……多分、「考えといてあげる」という言葉を都合よく改ざんしているに違いない。ファルクスは期待と希望に満ちた瞳で私を再度見つめ、ふにゃりと微笑んだ。ダメだ、もうこれ。
私は逃げるようにその場を去った。屋敷の中に入ってからは、壁に手をつきよろめきながら自分の部屋へ向かう。
「な、なんなの。あの犬。可愛すぎて、心臓が持たないわ……」
こんなことありえる?
本当に乙女ゲームをプレイしているみたいで、興奮してしまった。けれど、忘れてはいけないのが、この乙女ゲームの世界は成人向けで、しかも、ドロドロ死亡エンドありのヤンデレ鬼畜ゲームということ。甘くてキュンキュンするシーンなんて一瞬で過ぎ去る。
というか、私は一応婚約者のいる身。他の異性に心を奪われてはいけないと、自分の頬を叩く。もちろん、その婚約者に歓迎されていなかったとしても、自分のバッドエンド回避のために、私はこの婚約を破談にさせるわけにはいかないのだ。
「大丈夫よ。私ならやれるわ……」
私が変わったことを、あの腹黒ドS王太子に見せつけてやるんだから。
脳裏で高笑いするレグラス・リオーネ殿下に宣戦布告した。
◇◆◇◆
ファルクスが来て、二週間が経った。
「ラパン、ファルクスの調子はどう?」
「公爵家の騎士団から、ものすごく高い評価をもらっているそうで。絶好調らしいです」
「そう……」
私室から庭を見ると、走り込みをしているファルクスの姿が見えた。今は日課の鍛錬が終わって休憩時間のはずなのだが、彼は人一倍頑張っているようで、誰の目も気にせずただひたすら走っていた。
この二週間で、彼の身体には筋肉が戻り始めていた。元々体つきはよかったんだろうけれど、ボロボロの身体に鞭を打ってここまで鍛え直したのは本当にすごいと思う。それほど私に褒められたいのか、なんて想像してしまう。
ラパンの報告を聞いて、私はファルクスのこれからについて考えていた。
私の護衛騎士として、公爵家の騎士団に入団することをお父様に許可してもらった。当初お父様は、ファルクスを護衛騎士にすることと、彼が騎士団に入ることを頑なに拒否していた。けれども、私の必死な頼み込みに折れたのか、最後には許可してくれたのだ。
ラパンの報告によると、最初の頃はやはり騎士団に歓迎されていなかったのだとか。だが、その後すぐに圧倒的な実力を見せつけ、団員たちの間で一目置かれる存在になったらしい。それも、この二週間の間で。
さすがは攻略キャラといったところか。剣の筋も、立ち回りも、公爵家の騎士団の中で飛び抜けていた。そこら辺の騎士が束になってかかっても、彼には勝てないだろう。そして、個別に師範もつけてもらって、さらにその腕を磨いているのだとか。
まずは騎士団員に受け入れてもらえたことが第一歩だろう。性格に難があるタイプだからヒヤヒヤしたけれど、公爵家は本当にいい人に恵まれているな、と感じた。
「ラパン、報告ありがとう」
「いえ。これくらい! それにしても、スティーリア様、変わりましたね」
「変わった? 私が? まあ、そう、かもね」
ラパンは、そうですよ。となぜか自信満々に言った。
変わったというのは、私が前世の記憶を取り戻してからのことだろう。それまでは、非道の限りを尽くした悪女だったんだから。
でも、公爵家の使用人は私が悪女だった頃から誰も文句を言わなくて……いや、そこは、言えない、の間違いなのだろうけれど、私を受け入れてくれた人たちだ。ラパンの態度も表情も前より明るくなったし、私も彼女のことを頼るようになった。
ラパンは、元暗殺者なだけあって、仕事は早いし、力仕事もそつなくこなしてくれる。今では、第二の護衛みたいに思っている。「また、前のように嬲ってください!」と言われたときはびっくりしたが……
私が、ふふっと笑うと、ラパンは「それはそうと」と窓の外を見た。
「スティーリア様は、なぜファルクス様を選んだのですか?」
「選んだ? 新しい護衛が欲しくて、私の命令を聞く従順な犬を探した結果、たどりついたのが奴隷市場だったのよ」
「でも、そんなふうには思えません。スティーリア様の……その、ファルクス様への対応を見ていると、過去の護衛とは違うなって思って……ひっ、申し訳ありません。余計なことを!」
「怒ってないわよ、別に。ほら、顔を上げなさい」
ラパンはサッと頭を下げて謝った。目つきが鋭いのも嫌になる。私はもう一度、怒っていないとラパンに伝え、開いた窓のほうに向かった。外を覗くと、ファルクスがまだ走っていた。もう何周まわっているか分からないくらいだ。
私がファルクスを気にかけている、というのはおおよそ合っている。でも、皆が思っているような理由じゃない。保身のためだ。
私の目的はあくまで、殿下と結婚までこぎつけること。殿下がバカな賭けを申し出てくれたおかげで、どうにかなりそうではある。だが、あの殿下も頭が切れる人だから、なかなか解雇しないとなったら何か小細工をしてくるはずだ。もっと細かいルールを作っておけばよかったと後悔している。
ヒロインが現れるのは、二日後に開催される建国記念パーティー。男爵家の養子になって日の浅いヒロインは、右も左も分からない状態でパーティーに出席することになる。急遽招待状が届いた理由は、数日前に行われた聖女の儀で、彼女が聖女だと判明したからだ。
ヒロインが石盤に手を当てた瞬間、石盤が七色に光り始め、お告げの聖女であると判明する。そういう描写がゲームにあった。だから、まだ貴族の教養を学び終えていない状態なのにもかかわらず、パーティーに出席させられることになったのだ。ちなみに私はすでに聖女の儀を済ませており、聖女ではないと判明している。
聖女とはいえ、貴族社会に出るうえで守らなければならないマナーを知らないまま放り出されるのはかわいそうだ。パーティーで何かやらかそうものなら、すぐに目をつけられて貴族社会で干されてしまう。そのリスクを男爵家は分かっているはずなのだが、王族から強制参加を言い渡されたことで、養子にしたばかりのヒロインをパーティーに出席させる羽目になってしまう。私だったら、知り合いがいない中に放り込まれたら泣き出したくなる。
今世の記憶と、前世の記憶が混じっているからこそ、複雑な感情を抱く。
「これで、最後だと思うから」
「スティーリア様?」
「そろそろ、殿下との結婚の話も出てくるでしょうし、あまり目立った真似はできないでしょ? だから、護衛を代えるのはこれで最後にするのよ」
「そ、そうなんですね! スティーリア様、さすがです」
ラパンはパッと顔を明るくして言う。
これまでのスティーリアがおかしかっただけの話で、本来は貴族令嬢としてお淑やかにしていなければならない。
暗殺者に狙われていたスティーリアを守ることができなかった護衛(そのときは、スティーリアが魔法で暗殺者をボコボコにしたんだけど)、スティーリアのドレスに泥を飛ばした護衛、スティーリアの好きなお菓子を買ってこれなかった護衛。妥当な理由で解雇された騎士から、まったく理不尽な理由で解雇された騎士まで両手で数えられないほどいた。スティーリアはそんなふうに護衛を解雇することで有名で、気に入らないものは徹底的に排除してきた。
今の私は違うと、はっきりと言いたい。
「あっ……」
再び窓の外に目を向けると、ファルクスはまだ走っていた。私の視線に気付いたのか、彼は足を止め、顔を上げた。
「スティーリア様」
「ファルクス、よく頑張っているわね。偉いわよ」
「スティーリア様のためです。もっともっと、頑張ります」
満面の笑みでそう言い、さっきよりもスピードを上げて走り去っていくファルクス。本当に現金というか素直すぎるというか。
「本当にすごいですね、ファルクス様」
「熱出して、倒れなければいいけれど」
「もしかして、スティーリア様に惚れているとか」
「じょ、冗談じゃないわ!」
ラパンの突拍子もない発言に窓から落ちそうになる。窓の縁をグッと掴んで足も踏ん張り、なんとか体勢を立て直す。ラパンはぎょっと目を剥いたが、私が無事と分かったらほっと胸を撫で下ろした。
「そ、そんな、ファルクスが私に惚れている!?」
「違うんですか? 私の目にはそう見えますけど」
「いやいやいやいや。ファルクスは護衛よ。そして、私は主。私に恋愛感情を抱いた護衛が過去にどうなったか分かってるの!?」
「解雇されていたのは知っていますが、今回はそれを含めて許容しているのかと。違うのですか?」
「違うわ。そんなの……私は王太子の婚約者なのだからありえないわ。それに、彼もそれを理解しているはずよ」
私はもう一度窓の外に目をやった。遠くで黒い髪が揺れている。本当に必死になって頑張っちゃってバカみたいだった。その努力を笑うことは決してしないし、褒めてあげたいけれど……
(でも、惚れられるのは絶対嫌よ! ダメなんだから!)
ラパンはあの男の執着心を知らないから無邪気に言えるんでしょうけど! と、私は心の中で叫びながら、バンと窓を閉めた。
◇◆◇◆
リオーネ王国建国三百年の記念パーティーの当日。ついに、この日が来てしまったと、私は肩を落とした。
王宮の廊下は人気がなく、静寂が緊張を加速させる。私の前を歩く殿下はそんな気も知らず、私と一緒にいることが不快だと言わんばかりのオーラを出していた。まったく息が詰まりそうだ。
「一応、君は僕の婚約者なんだから、バカな真似だけはしないでくれよ」
「もちろんです。殿下のお顔を汚すことなんてしませんよ」
「信用できないな」
なら、初めから聞いてこなければいいのに。先を行く殿下を笑顔で見送って、私はあとから大きなため息をついた。もう、本当にイライラする。
本格的に乙女ゲームのシナリオが始まる。ヒロインがバンバン攻略キャラを攻略して、ドロドロ展開になって、私は……
(ああ、もう! 考えちゃダメ! 大丈夫よ、大丈夫)
私は自分にそう言い聞かせて、殿下のあとを追って会場に向かう。
すでに早朝から記念パレードが行われ、夜の部は、王宮で貴族だけのパーティーが行われる。ヒロインはパレードには参加しておらず、ここで初めて登場する。
飴色の髪に、サファイアの瞳をしているから目立つはず。仲良くなるべきか、それとも関わらないでおくべきか。直前まで悩みに悩んだ結果、仲良くなっておこうと決めた。虐めなければどうにかなる! 何もしなければ殺されない! 矛盾するようだが、無視するよりはいいんじゃないかと思った。
頭の中で直前までイメージトレーニングをして、深呼吸を繰り返す。ヒロインはただのライバルで、それ以上でもそれ以下でもない。虐めない! これさえ守れば大丈夫!
「よし」
「スティーリア様」
「ひゃぁあっ」
気持ちを切り替え、いざ会場に、と思ったところで後ろから聞き慣れた声がした。驚いて声が裏返ってしまう。しかも、かなり恥ずかしい声が出てしまったので、羞恥心が怒りに変わる。真っ赤になって後ろを振り返ると、案の定ファルクスがいた。公爵家の騎士服を着ており、すっかり騎士っぽくなっているが、当たり前のことだと私は思った。だって、私の後ろを歩くならそれくらいはしてくれないと。
「殿下にはかないませんね。でも、玩具だなんて思っていませんよ」
「嘘をつくな」
殿下はフッと笑うと、髪を耳にかけ直した。
「この間の護衛は何週間、いや何日続いた? その前の護衛は? 君はすぐに護衛を解雇しているだろう。噂では、その前の護衛と不貞行為に及んだとか」
「殿下という素敵なお方がいるのに、そんなわけないじゃないですか」
「そうだな。これはただの噂だし、僕も信じていない。君がそんなに軽い女だなんて思っていないさ。そもそも君は触れられるのも嫌がりそうだしな。僕だって、君に拒絶されるのは怖い」
などと、殿下はぺらぺらと口にする。思ってもいないことをよくそこまで言えると感心してしまう。言葉のすべてが嫌味に聞こえて腹立たしい。
理解力があって怒りの沸点が低いスティーリアだったら、このくらいまで言えばヒステリーを起こすはず。きっと殿下はそんなふうに思っているに違いない。悔しいことに、殿下はスティーリアという女を理解しつくしていた。でも、今の私は違う。
「私は、殿下のことを、拒絶しませんよ。貴方を愛しているので」
「……そうか」
「はい。愛していますよ?」
私が微笑むと、殿下は不服だと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。けれど、感情にまかせて婚約破棄などできない関係にあることを殿下は十分理解している。ヒロインが現れるまでは、この関係は断ち切れない。
私を笑いものにしたかったのだろうが、その作戦は失敗し、殿下は頬杖をつく。それから、庭園の近くの訓練場で、剣を振るい鍛錬に励んでいるファルクスを見つけると、ニヤリと口角を上げた。
「スティーリア。賭けをしないか」
「賭け、ですか」
私が聞き返すと、殿下はパッと表情を明るくさせた。こういう顔をしたときは、要注意だ。なんせ、殿下もあのドロドロエッチな乙女ゲームの攻略キャラの一人。かなりたちの悪い性格をしていて、計算高い男なのだ。そんな男の賭けなんてろくなものではないだろう。
殿下はファルクスがいるほうを指さし、余裕の笑みで私を見つめる。
「君は近いうちにあの護衛を解雇する」
「それの何が賭けなんですか」
「だから、僕は、君があの護衛を解雇するに賭ける」
「……何を勝手に」
「君はもちろん、解雇しないに賭けるだろ?」
なんて意地悪だ。こちらが何も言っていないのに、話を進めてくる。殿下にとってこれは暇潰しや、ちょっとしたパーティーゲームと変わりないのだろう。
これまで護衛を解雇し続けてきたのに、今回の護衛は今までと違う、と啖呵を切ったから、殿下はこんなことを言っているのだ。殿下の加虐心に火をつけたらしい。
私は、視線を落とし、揺れるティーカップの中を見た。初めから拒否権はない。けれど、これは私の勝利が約束されているようなものだ。乗らない理由がなかった。
「いいですよ。その賭けに乗っても」
「乗り気だな。スティーリア」
「それで、何を賭けるんですか? もちろん、賭け事ですから、何かを賭けるんですよね」
「ああ、もちろんだ。君が賭けに勝った場合、今後どんなことがあっても君との婚約を破棄しないと誓う」
「……っ」
私はその言葉を聞いて耳を疑った。私が一番恐れていたことは、婚約破棄だったからだ。
(何よそれ、最高じゃない……!)
殿下は私がファルクスを買った理由なんて知るよしもない。だから、こんなふうに余裕ぶって言えるのだ。私は思わず笑みが零れそうになった。
殿下に勝ち目はない。だって、私は、ファルクスを解雇するわけがないのだから。そして、賭けに勝った私はこの先の未来、なんの不安も恐れもなく過ごすことができる。
「分かりました。では、私は護衛を解雇しないに賭けます。殿下が勝ったあかつきには、今後どんなことがあっても殿下からの婚約破棄は受け入れますね」
「婚約破棄される予知夢でも見たのか?」
「いいえ。でも、殿下はお告げの聖女様が現れたらその女性と結婚するんですよね?」
「それもそうだな。君は賢いな。スティーリア」
殿下はそう言って苦笑した。そして、殿下は私の賭けを受理すると言って立ち上がり、手を振って庭園を去った。あの余裕そうな、腹黒男をぎゃふんと言わせるチャンスがきたと、私は一人拳を握った。
(ふふ、バカね……殿下に勝ち目なんてないのに)
私はおかしくなって、堪えていた笑いを爆発させた。すました顔が崩れるのが見物だし、言質をとったから、彼がこの約束を破るとは思えない。殿下にだってプライドがあるから、自分から提案した賭けをなかったことにはしないだろう。それも、自分の勝ちを確信して言ったことだから。
「ふ、ふふふ、はははっ」
思いも寄らぬ形で、私の願望は叶いそうだ。愛のない結婚は嫌だけれど、バッドエンドを回避できれば何も問題ない。
(……結婚すれば、もしかしたら愛が生まれるかもしれないし)
そんな夢も心のどこかにはあった。たとえバッドエンドに向かったとしても、自分を愛してくれる人と出会って、その人と駆け落ちをしてもいいと。けれど、それこそ乙女ゲームみたいな自由恋愛はここには存在しない。やっぱり貴族社会にはそんなもの必要ないと切り捨て、私は庭園をあとにした。
そうして、すぐに私はファルクスのいる訓練場へと足を運んだ。
訓練場では、一人ファルクスが剣を振っている。彼は集中しているのか、私の存在に気付いていないようだった。集中しているみたいだし、声をかけたら悪いかしら? と思いつつも、無視して帰るのも気が引けたので声をかける。
「せいが出るわね。ファルクス」
「スティーリア様」
後ろから話しかけると、ファルクスは動きをピタリと止め、子犬のように駆け寄ってくる。走るたび、彼の黒い髪からポタリと汗が落ちていく。どれだけ頑張っていたんだと感心する。
ファルクスは私の前に来ると、スンと鼻を上に動かしたかと思えば一歩、二歩と後ろに下がった。
「どうしたの?」
「今の俺は汗臭いと思うので。スティーリア様を不快な気持ちにさせたくありません」
「まあ、気遣ってくれているのね。偉いわ。ファルクス」
私が褒めると、ファルクスはどこか照れくさそうに視線を逸らした。褒められ慣れていないのかもしれない。
本来ファルクスは、あのサーカス団を名乗っている奴隷市場から逃げる途中に、ヒロインと出会い、手を差し伸べられる。その後、ヒロインから必死に頼み込まれて、彼女の護衛騎士となり、聖女を命がけで守った功績と、のちに訪れる災厄を王国騎士団と共に戦い退けた功績から、爵位を与えられる。
ヒロインがファルクスルートに進むにしろ、進まないにしろ、彼は何かしらの功績を挙げ、爵位をもらうことになる。けれど、私が奴隷の彼を買ってしまったから、このままでは叙爵は難しいだろう。
もし奴隷の身分でいることが彼の人生に支障をきたすなら、お父様に頼んでどこかの貴族の養子にしてもらえばいい。そうすれば、奴隷からは解放されるだろう。その頃には私は殿下と結婚しているだろうけれど。
(それまでの辛抱よ……)
さすがに、利用するだけ利用して捨てるのは良心が痛む。利用というよりは、危険だから手元に置いているというだけの話なのだが。婚約破棄されず、バッドエンドも回避したあかつきには、ファルクスに何か褒美をあげなければと思った。
ただ、本当に私がヒロインに勝てるかどうか、それが悩みの種だ。
「スティーリア様?」
「何、ファルクス」
「いえ、何か考え込んでいたようなので。俺にできることがあれば、言ってください」
「貴方に? 何もできないわよ。私と殿下の問題だから」
「殿下……王太子殿下のことですか?」
「そうだけど、それが何?」
珍しくファルクスが興味を示した。
ファルクスにとって殿下は母国の仇。だから、秒で反応したのだと私は思った。
「王太子殿下と、スティーリア様はどのような関係なのですか」
「どのようなって……そうね、私は殿下の婚約者よ。それが、殿下との関係かしら」
「……こん、やくしゃ」
「婚約関係にあるの。分かるでしょ? 言葉の意味くらい。そして、それは貴方に関係ないことでしょ?」
私がそう聞くと、彼はただ俯いたままだった。無理もない。母国を滅ぼした仇の婚約者の護衛になってしまったのだ。その事実を知って酷く辛い気持ちになったのかもしれない。けれど、彼が私を殺すことは隷属契約上できない。私が許可しない限りは、指一本も触れられないのだ。隷属契約は、絶対服従の魔法と言っても過言ではない。
「聞きたいことはそれだけ?」
「はい」
「それなら、私はもう帰るわ」
「もう少し、いてくださらないのですか?」
ファルクスは引き止めるようにそう言った。振り返ると、じっと夜色の瞳が私を見つめている。なんでそんなに真っ直ぐに見つめてくるのか。私のことは嫌いじゃないのか、私のことが憎くないのか、私を恨んでいないのか、なんていろんな考えが頭に浮かんでは消えていく。ゲームの中のファルクスは、スティーリアを視界に入れるのすら嫌だと断言していたのに。
私が彼を買って物語を変えてしまったからだろうか。どちらにせよ、あまりよくない目で見られていることは確かだった
ある程度距離をとって、でも反感という感情は抱かせず、執着させず。ただ忠実な、護衛として私の側にいてくれればそれでいい。私は、彼を躾けなければならない。私のために。
「どうして? 私は忙しいの。それに、貴方も、もっともっと剣の腕を磨かなきゃいけないでしょ? 公爵令嬢の護衛よ? 鍛錬に励みなさい。私のためを思えば、できるでしょ?」
「剣の腕を磨いて強くなれば、スティーリア様はもっと俺に会いに来てくれるんですか」
「なんで、そう繋がるのよ」
「また、頭を撫でてくれると言いました。俺は貴方の犬です」
「だ、だから……?」
言っている意味が分からなかった。まるで、親に褒めてほしいと目を輝かせる子供のようだ。そんな期待に満ちた目で見られたら、断ることができない。
(ゲームの中のファルクスってこんなに可愛かったかしら?)
可愛く見えてしまうのは、多分幻覚だろう。なんていったってファルクスは、超危険なドヤンデレキャラだから。こんなピュアな子犬みたいな顔はしない。
けれど、はっはっと息を切らして尻尾を振っている子犬のようにしか見えなくて、ついつい彼の頭に手を伸ばしていた。ファルクスは、それを見て少しかがみ、頭を差し出す。
「これで満足かしら」
「はい。ありがとうございます。スティーリア様」
「こんなので喜ぶなんて、本当に犬ね。仮にも、元王子がこんな……」
「貴方は、俺をあの檻の中から連れ出してくださいました。その恩を返したいのです。貴方のために強くなりたい。貴方を守りたい。貴方は、素敵な人だから……でも」
ファルクスは言葉を切る。
どんなふうに接したら、こんなに彼の好感度が上がるのかと、私は鳥肌が立った。執着されないように頑張っていたはずなのに、すでに執着されているのでは? こんなはずではなかったのに。まだ彼を買って、三日しか経っていないというのに!
誤算よ!
(というか、どうして私が素敵な人に見えるのよ! 一応、ファルクス限定で、悪役令嬢を演じているっていうのに!)
ファルクスには冷たく当たってきたつもりだし、良心が痛みながらも、彼を犬扱いしてきた。なのに、なぜか恩義を感じられ、私のために尽くしたいとまで言い出した。もうこれは私が悪いんじゃなくて、ファルクスの頭がおかしいんじゃないかと思う。
ドヤンデレキャラのファルクスは、なかなか好感度が上がらないくせに、一度上がりだしたら止まらない。そのうえ選択をミスするとバカみたいに下落する。五十パーセントあっても、一気に三パーセントになることだってざらにあった。
そんな感情の起伏の激しいファルクスだから、こうなっているのか。もっと、見極めるんだった! 彼を買う前に、ヒロインと仲良くしてみたりすればよかったと、前世の記憶が戻って三日目にして後悔した。
ファルクスは顔を上げ、長い前髪から覗く瞳で私を捉えた。夜空を閉じ込めたようなきれいなその瞳に、思わず私は息をのんだ。
「で、でも、何?」
「俺は、貴方の犬ですが……犬だからこそ、褒められたいのです。主人に褒められれば、もっと頑張れます。だから、俺を褒めてください」
「何もしていないのに、褒められるわけがないじゃない! そ、それに、犬の分際で、わ、私に褒美を求めるなんて」
「ダメですか」
「んんん~」
その、シュンとした顔、ダメ!
ファルクスの顔を直視できず上を向く。実は、一番タイプなキャラなのだ。私は、甘え上手な年下ワンコが大好きだった。
私にも原因がある気がしてきた。
私はなんとか耐えきって、彼の頭から手を退ける。ファルクスは名残惜しそうに指先を目で追って、それから私を見た。
「褒美、ね。考えといてあげるわ。けれど、一度でもミスしてみなさい。そのとき、私は貴方を切り捨てるでしょうね」
「ありがとうございます。スティーリア様」
「ほ、本当に分かっているの?」
ご褒美をあげるとは言っていないのにこの喜びよう……多分、「考えといてあげる」という言葉を都合よく改ざんしているに違いない。ファルクスは期待と希望に満ちた瞳で私を再度見つめ、ふにゃりと微笑んだ。ダメだ、もうこれ。
私は逃げるようにその場を去った。屋敷の中に入ってからは、壁に手をつきよろめきながら自分の部屋へ向かう。
「な、なんなの。あの犬。可愛すぎて、心臓が持たないわ……」
こんなことありえる?
本当に乙女ゲームをプレイしているみたいで、興奮してしまった。けれど、忘れてはいけないのが、この乙女ゲームの世界は成人向けで、しかも、ドロドロ死亡エンドありのヤンデレ鬼畜ゲームということ。甘くてキュンキュンするシーンなんて一瞬で過ぎ去る。
というか、私は一応婚約者のいる身。他の異性に心を奪われてはいけないと、自分の頬を叩く。もちろん、その婚約者に歓迎されていなかったとしても、自分のバッドエンド回避のために、私はこの婚約を破談にさせるわけにはいかないのだ。
「大丈夫よ。私ならやれるわ……」
私が変わったことを、あの腹黒ドS王太子に見せつけてやるんだから。
脳裏で高笑いするレグラス・リオーネ殿下に宣戦布告した。
◇◆◇◆
ファルクスが来て、二週間が経った。
「ラパン、ファルクスの調子はどう?」
「公爵家の騎士団から、ものすごく高い評価をもらっているそうで。絶好調らしいです」
「そう……」
私室から庭を見ると、走り込みをしているファルクスの姿が見えた。今は日課の鍛錬が終わって休憩時間のはずなのだが、彼は人一倍頑張っているようで、誰の目も気にせずただひたすら走っていた。
この二週間で、彼の身体には筋肉が戻り始めていた。元々体つきはよかったんだろうけれど、ボロボロの身体に鞭を打ってここまで鍛え直したのは本当にすごいと思う。それほど私に褒められたいのか、なんて想像してしまう。
ラパンの報告を聞いて、私はファルクスのこれからについて考えていた。
私の護衛騎士として、公爵家の騎士団に入団することをお父様に許可してもらった。当初お父様は、ファルクスを護衛騎士にすることと、彼が騎士団に入ることを頑なに拒否していた。けれども、私の必死な頼み込みに折れたのか、最後には許可してくれたのだ。
ラパンの報告によると、最初の頃はやはり騎士団に歓迎されていなかったのだとか。だが、その後すぐに圧倒的な実力を見せつけ、団員たちの間で一目置かれる存在になったらしい。それも、この二週間の間で。
さすがは攻略キャラといったところか。剣の筋も、立ち回りも、公爵家の騎士団の中で飛び抜けていた。そこら辺の騎士が束になってかかっても、彼には勝てないだろう。そして、個別に師範もつけてもらって、さらにその腕を磨いているのだとか。
まずは騎士団員に受け入れてもらえたことが第一歩だろう。性格に難があるタイプだからヒヤヒヤしたけれど、公爵家は本当にいい人に恵まれているな、と感じた。
「ラパン、報告ありがとう」
「いえ。これくらい! それにしても、スティーリア様、変わりましたね」
「変わった? 私が? まあ、そう、かもね」
ラパンは、そうですよ。となぜか自信満々に言った。
変わったというのは、私が前世の記憶を取り戻してからのことだろう。それまでは、非道の限りを尽くした悪女だったんだから。
でも、公爵家の使用人は私が悪女だった頃から誰も文句を言わなくて……いや、そこは、言えない、の間違いなのだろうけれど、私を受け入れてくれた人たちだ。ラパンの態度も表情も前より明るくなったし、私も彼女のことを頼るようになった。
ラパンは、元暗殺者なだけあって、仕事は早いし、力仕事もそつなくこなしてくれる。今では、第二の護衛みたいに思っている。「また、前のように嬲ってください!」と言われたときはびっくりしたが……
私が、ふふっと笑うと、ラパンは「それはそうと」と窓の外を見た。
「スティーリア様は、なぜファルクス様を選んだのですか?」
「選んだ? 新しい護衛が欲しくて、私の命令を聞く従順な犬を探した結果、たどりついたのが奴隷市場だったのよ」
「でも、そんなふうには思えません。スティーリア様の……その、ファルクス様への対応を見ていると、過去の護衛とは違うなって思って……ひっ、申し訳ありません。余計なことを!」
「怒ってないわよ、別に。ほら、顔を上げなさい」
ラパンはサッと頭を下げて謝った。目つきが鋭いのも嫌になる。私はもう一度、怒っていないとラパンに伝え、開いた窓のほうに向かった。外を覗くと、ファルクスがまだ走っていた。もう何周まわっているか分からないくらいだ。
私がファルクスを気にかけている、というのはおおよそ合っている。でも、皆が思っているような理由じゃない。保身のためだ。
私の目的はあくまで、殿下と結婚までこぎつけること。殿下がバカな賭けを申し出てくれたおかげで、どうにかなりそうではある。だが、あの殿下も頭が切れる人だから、なかなか解雇しないとなったら何か小細工をしてくるはずだ。もっと細かいルールを作っておけばよかったと後悔している。
ヒロインが現れるのは、二日後に開催される建国記念パーティー。男爵家の養子になって日の浅いヒロインは、右も左も分からない状態でパーティーに出席することになる。急遽招待状が届いた理由は、数日前に行われた聖女の儀で、彼女が聖女だと判明したからだ。
ヒロインが石盤に手を当てた瞬間、石盤が七色に光り始め、お告げの聖女であると判明する。そういう描写がゲームにあった。だから、まだ貴族の教養を学び終えていない状態なのにもかかわらず、パーティーに出席させられることになったのだ。ちなみに私はすでに聖女の儀を済ませており、聖女ではないと判明している。
聖女とはいえ、貴族社会に出るうえで守らなければならないマナーを知らないまま放り出されるのはかわいそうだ。パーティーで何かやらかそうものなら、すぐに目をつけられて貴族社会で干されてしまう。そのリスクを男爵家は分かっているはずなのだが、王族から強制参加を言い渡されたことで、養子にしたばかりのヒロインをパーティーに出席させる羽目になってしまう。私だったら、知り合いがいない中に放り込まれたら泣き出したくなる。
今世の記憶と、前世の記憶が混じっているからこそ、複雑な感情を抱く。
「これで、最後だと思うから」
「スティーリア様?」
「そろそろ、殿下との結婚の話も出てくるでしょうし、あまり目立った真似はできないでしょ? だから、護衛を代えるのはこれで最後にするのよ」
「そ、そうなんですね! スティーリア様、さすがです」
ラパンはパッと顔を明るくして言う。
これまでのスティーリアがおかしかっただけの話で、本来は貴族令嬢としてお淑やかにしていなければならない。
暗殺者に狙われていたスティーリアを守ることができなかった護衛(そのときは、スティーリアが魔法で暗殺者をボコボコにしたんだけど)、スティーリアのドレスに泥を飛ばした護衛、スティーリアの好きなお菓子を買ってこれなかった護衛。妥当な理由で解雇された騎士から、まったく理不尽な理由で解雇された騎士まで両手で数えられないほどいた。スティーリアはそんなふうに護衛を解雇することで有名で、気に入らないものは徹底的に排除してきた。
今の私は違うと、はっきりと言いたい。
「あっ……」
再び窓の外に目を向けると、ファルクスはまだ走っていた。私の視線に気付いたのか、彼は足を止め、顔を上げた。
「スティーリア様」
「ファルクス、よく頑張っているわね。偉いわよ」
「スティーリア様のためです。もっともっと、頑張ります」
満面の笑みでそう言い、さっきよりもスピードを上げて走り去っていくファルクス。本当に現金というか素直すぎるというか。
「本当にすごいですね、ファルクス様」
「熱出して、倒れなければいいけれど」
「もしかして、スティーリア様に惚れているとか」
「じょ、冗談じゃないわ!」
ラパンの突拍子もない発言に窓から落ちそうになる。窓の縁をグッと掴んで足も踏ん張り、なんとか体勢を立て直す。ラパンはぎょっと目を剥いたが、私が無事と分かったらほっと胸を撫で下ろした。
「そ、そんな、ファルクスが私に惚れている!?」
「違うんですか? 私の目にはそう見えますけど」
「いやいやいやいや。ファルクスは護衛よ。そして、私は主。私に恋愛感情を抱いた護衛が過去にどうなったか分かってるの!?」
「解雇されていたのは知っていますが、今回はそれを含めて許容しているのかと。違うのですか?」
「違うわ。そんなの……私は王太子の婚約者なのだからありえないわ。それに、彼もそれを理解しているはずよ」
私はもう一度窓の外に目をやった。遠くで黒い髪が揺れている。本当に必死になって頑張っちゃってバカみたいだった。その努力を笑うことは決してしないし、褒めてあげたいけれど……
(でも、惚れられるのは絶対嫌よ! ダメなんだから!)
ラパンはあの男の執着心を知らないから無邪気に言えるんでしょうけど! と、私は心の中で叫びながら、バンと窓を閉めた。
◇◆◇◆
リオーネ王国建国三百年の記念パーティーの当日。ついに、この日が来てしまったと、私は肩を落とした。
王宮の廊下は人気がなく、静寂が緊張を加速させる。私の前を歩く殿下はそんな気も知らず、私と一緒にいることが不快だと言わんばかりのオーラを出していた。まったく息が詰まりそうだ。
「一応、君は僕の婚約者なんだから、バカな真似だけはしないでくれよ」
「もちろんです。殿下のお顔を汚すことなんてしませんよ」
「信用できないな」
なら、初めから聞いてこなければいいのに。先を行く殿下を笑顔で見送って、私はあとから大きなため息をついた。もう、本当にイライラする。
本格的に乙女ゲームのシナリオが始まる。ヒロインがバンバン攻略キャラを攻略して、ドロドロ展開になって、私は……
(ああ、もう! 考えちゃダメ! 大丈夫よ、大丈夫)
私は自分にそう言い聞かせて、殿下のあとを追って会場に向かう。
すでに早朝から記念パレードが行われ、夜の部は、王宮で貴族だけのパーティーが行われる。ヒロインはパレードには参加しておらず、ここで初めて登場する。
飴色の髪に、サファイアの瞳をしているから目立つはず。仲良くなるべきか、それとも関わらないでおくべきか。直前まで悩みに悩んだ結果、仲良くなっておこうと決めた。虐めなければどうにかなる! 何もしなければ殺されない! 矛盾するようだが、無視するよりはいいんじゃないかと思った。
頭の中で直前までイメージトレーニングをして、深呼吸を繰り返す。ヒロインはただのライバルで、それ以上でもそれ以下でもない。虐めない! これさえ守れば大丈夫!
「よし」
「スティーリア様」
「ひゃぁあっ」
気持ちを切り替え、いざ会場に、と思ったところで後ろから聞き慣れた声がした。驚いて声が裏返ってしまう。しかも、かなり恥ずかしい声が出てしまったので、羞恥心が怒りに変わる。真っ赤になって後ろを振り返ると、案の定ファルクスがいた。公爵家の騎士服を着ており、すっかり騎士っぽくなっているが、当たり前のことだと私は思った。だって、私の後ろを歩くならそれくらいはしてくれないと。
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