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§ 苟且
五
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「文句のひとつも言ってやろうと思ってたのに、森さん、あ、いまは佐々木さんでしたっけ? ああーなんでもいいや面倒くさい。とにかく、森さんにそんな顔されたら怒りにくいじゃないですか。でもだからって怒ってないわけじゃないですよ。あ、これだけは最初に言わなきゃ。亜弥の居場所については、ノーコメント! 絶対に教えられませんからそれだけは諦めてください」
「おいっ……おまえはっ」
「まあまあ、そういきり立たないで。人の話は最後まで聞きましょうよ」
勧められるでもなくソファに腰を下ろした桃子の高慢な口調に、克巳は思わず声を荒げたが、亜弥の行方を握っているのは桃子で、この場の主導権は、桃子にある。克巳は逸る気持ちを抑えるように、ふうと大きく息を吐いた。
「結論から言うとですね、亜弥が姿を消した理由は社長に言われた『会社を辞めて姿を消せ』ってそれが止めになったんですよ。会社のトップから面と向かってそんなこと言われちゃったら、誰だって辞めないわけにいかないでしょ? ただでさえ人間関係最悪だってのに更にそれじゃあ我慢して居座ったってイイコトなんてなーんにもないでしょ? それでも辞めないなんて人がいたらその人は、よっぽどの馬鹿か鈍感か面の皮が厚いかですよ。私だってごめんだわ」
早口で捲し立てられる詞の内容よりもその迫力に、克巳は面食いすっかり毒気を抜かれてしまった。
「社長がどういうつもりでなにを企んでるのかなんて私にはまったくわかりませんけどね? 亜弥に聞いた話の印象は、同情する振りをしながら上げたり落としたりして、都合のいいように亜弥を丸め込んだって感じですかね。ほんと、うまいもんです。さすが年の功? とてもじゃないですが小娘ひとりで太刀打ちなんてできる気がしませんよ。それにしてもムカつくわ! 『仲のいい兄弟を引き裂かないでやってほしい』だなんて、まるで亜弥が男をたらし込む悪女みたいに言ってくれちゃって——あの純情一途な亜弥にそんなことできるわけないのに。だいたい、亜弥を追いかけ回してたのは部長のほうでしょ? そりゃ、私は亜弥に部長を推しましたけどね、でも、相手が森さんじゃ、どうしようもないっていうか、最初から負けてるっていうか。っていうかぁ、部長と森さんが兄弟だって最初からわかってたら亜弥がこんな目に遭うこともなかったんですよねぇ、いまさらこんなこと言ってもしょうがないんですけど……」
くるくると表情を変え、身振り手振りを交えて休みなく喋っていた桃子の言葉が少しずつ勢いをなくし、終には止まった。
克巳は終始無言。桃子の話に口を挟む余地も無ければ、返す言葉もない。
敦史は、と、様子を窺えば、話の内容を理解しているのかいないのか。桃子の話に聞き入っているように見えはするが、その顔からはすっかりと表情が抜け落ちている。
「っと、まあ言いたいことは山ほどあるんですがそれは置いといて、ここからは真面目な話です」
桃子は改めて姿勢を正し、真っ直ぐに克巳を見つめた。
「亜弥には時間が必要なんです」
いくら本人が『慣れているから大丈夫、気にしてない』と、あっさり流したところで、日々晒される悪意に、亜弥の心は蝕まれていく。
会社と家を往復するのが精一杯な、余裕のない暮らしぶりも不健康に拍車をかけている。
敦史の気持ちに応えられない罪悪感もあれば、いままでの反動のように溢れ出す克巳への止まらぬ想いに心を乱されている。
そんな色々が重なりただでさえ不安定になっている亜弥の心の隙を突いて揺さぶりをかけた社長の思惑は功を奏し、亜弥を見事に追い詰めてくれた。
「亜弥は正解を探そうとして混乱してると思うんですよ——いまの亜弥って昔と違って自分のこと後回しにした挙げ句、簡単に切り捨てちゃいますからね。だから、一度柵から離れて真っ新な環境で休ませたらいいのかな、ってつまり、緊急避難です」
亜弥が心を取り戻すために。
協力してくれと言われ、否と言えるわけがない。これは、本来であれば克巳が考え実行すべきことだからだ。
原因はなんであれ、亜弥を追い詰め排除する企みに乗ったのは自分。誤解が解ければ解けたで、今度は欲望に負ける自制心の無さ。言い訳をする隙もないほどに己が情けない。
その上、あの男がこうも早く乗り出してくるとは、予想外だった。桃子が手を回してくれなければ、さらに状況が悪化しただろうことも、目に見えている。
克巳は亜弥のために手を尽くす桃子をありがたいと思いながらも、己の心に湧き出る小さな嫉妬心を自覚し、自嘲する。
『亜弥を幸せにしてあげてください』
そう言い残し、嵐のような女、桃子は去った。
『尤も、男は森さんだけじゃないし、離れてる間に気が変わって戻って来ないかも知れないですけどねぇ』
冗談ですよ、と、付け足された最後の科白はつまり、俺に対しても言いたいことがあるんだぞ、との意思表示に違いない。
「桃子は変わらないな……いや、発展強化版かあれは……」
昔と変わらず克巳に対して一切物怖じすることなく言いたい放題する桃子に、克巳は賞賛を送った。
「中島さんとは知り合い?」
「ああ、昔ちょっと、な」
「昔……」
敦史にしてみれば、晴天の霹靂。やっと捕まえたと思った恋人を、味方だと思っていた兄に横から搔っ攫われ、さらには信じていた父親の裏の顔までをも目の当たりにしたのだ。こんな目に遭って冷静でいられるほうがどうかしている。
「父さんは、どうしてこんな……」
「どうしてもなにも、それがあの男だ。あいつは元から腹の中は真っ黒なんだよ」
少しは意地悪を言ってみたくもなるが——とりあえず。
いますぐ亜弥に手を出される心配は、しなくても問題はないだろう。けれども、それでことが全て終わったわけではない。
あの男から離れる用意はほぼできている。あとは俺が亜弥を連れて出奔すればそれで終わる話だった。しかし、後顧の憂いを残さないためにそれも暫くはお預けになる——か。
それも仕方がない。こいつのフォローを済ませることが先決だろう。
「さて、飲みにでもいくか? ここでぐだぐだ考えていても答なんて出ないぞ」
克巳は小さく、ため息をついた。
「おいっ……おまえはっ」
「まあまあ、そういきり立たないで。人の話は最後まで聞きましょうよ」
勧められるでもなくソファに腰を下ろした桃子の高慢な口調に、克巳は思わず声を荒げたが、亜弥の行方を握っているのは桃子で、この場の主導権は、桃子にある。克巳は逸る気持ちを抑えるように、ふうと大きく息を吐いた。
「結論から言うとですね、亜弥が姿を消した理由は社長に言われた『会社を辞めて姿を消せ』ってそれが止めになったんですよ。会社のトップから面と向かってそんなこと言われちゃったら、誰だって辞めないわけにいかないでしょ? ただでさえ人間関係最悪だってのに更にそれじゃあ我慢して居座ったってイイコトなんてなーんにもないでしょ? それでも辞めないなんて人がいたらその人は、よっぽどの馬鹿か鈍感か面の皮が厚いかですよ。私だってごめんだわ」
早口で捲し立てられる詞の内容よりもその迫力に、克巳は面食いすっかり毒気を抜かれてしまった。
「社長がどういうつもりでなにを企んでるのかなんて私にはまったくわかりませんけどね? 亜弥に聞いた話の印象は、同情する振りをしながら上げたり落としたりして、都合のいいように亜弥を丸め込んだって感じですかね。ほんと、うまいもんです。さすが年の功? とてもじゃないですが小娘ひとりで太刀打ちなんてできる気がしませんよ。それにしてもムカつくわ! 『仲のいい兄弟を引き裂かないでやってほしい』だなんて、まるで亜弥が男をたらし込む悪女みたいに言ってくれちゃって——あの純情一途な亜弥にそんなことできるわけないのに。だいたい、亜弥を追いかけ回してたのは部長のほうでしょ? そりゃ、私は亜弥に部長を推しましたけどね、でも、相手が森さんじゃ、どうしようもないっていうか、最初から負けてるっていうか。っていうかぁ、部長と森さんが兄弟だって最初からわかってたら亜弥がこんな目に遭うこともなかったんですよねぇ、いまさらこんなこと言ってもしょうがないんですけど……」
くるくると表情を変え、身振り手振りを交えて休みなく喋っていた桃子の言葉が少しずつ勢いをなくし、終には止まった。
克巳は終始無言。桃子の話に口を挟む余地も無ければ、返す言葉もない。
敦史は、と、様子を窺えば、話の内容を理解しているのかいないのか。桃子の話に聞き入っているように見えはするが、その顔からはすっかりと表情が抜け落ちている。
「っと、まあ言いたいことは山ほどあるんですがそれは置いといて、ここからは真面目な話です」
桃子は改めて姿勢を正し、真っ直ぐに克巳を見つめた。
「亜弥には時間が必要なんです」
いくら本人が『慣れているから大丈夫、気にしてない』と、あっさり流したところで、日々晒される悪意に、亜弥の心は蝕まれていく。
会社と家を往復するのが精一杯な、余裕のない暮らしぶりも不健康に拍車をかけている。
敦史の気持ちに応えられない罪悪感もあれば、いままでの反動のように溢れ出す克巳への止まらぬ想いに心を乱されている。
そんな色々が重なりただでさえ不安定になっている亜弥の心の隙を突いて揺さぶりをかけた社長の思惑は功を奏し、亜弥を見事に追い詰めてくれた。
「亜弥は正解を探そうとして混乱してると思うんですよ——いまの亜弥って昔と違って自分のこと後回しにした挙げ句、簡単に切り捨てちゃいますからね。だから、一度柵から離れて真っ新な環境で休ませたらいいのかな、ってつまり、緊急避難です」
亜弥が心を取り戻すために。
協力してくれと言われ、否と言えるわけがない。これは、本来であれば克巳が考え実行すべきことだからだ。
原因はなんであれ、亜弥を追い詰め排除する企みに乗ったのは自分。誤解が解ければ解けたで、今度は欲望に負ける自制心の無さ。言い訳をする隙もないほどに己が情けない。
その上、あの男がこうも早く乗り出してくるとは、予想外だった。桃子が手を回してくれなければ、さらに状況が悪化しただろうことも、目に見えている。
克巳は亜弥のために手を尽くす桃子をありがたいと思いながらも、己の心に湧き出る小さな嫉妬心を自覚し、自嘲する。
『亜弥を幸せにしてあげてください』
そう言い残し、嵐のような女、桃子は去った。
『尤も、男は森さんだけじゃないし、離れてる間に気が変わって戻って来ないかも知れないですけどねぇ』
冗談ですよ、と、付け足された最後の科白はつまり、俺に対しても言いたいことがあるんだぞ、との意思表示に違いない。
「桃子は変わらないな……いや、発展強化版かあれは……」
昔と変わらず克巳に対して一切物怖じすることなく言いたい放題する桃子に、克巳は賞賛を送った。
「中島さんとは知り合い?」
「ああ、昔ちょっと、な」
「昔……」
敦史にしてみれば、晴天の霹靂。やっと捕まえたと思った恋人を、味方だと思っていた兄に横から搔っ攫われ、さらには信じていた父親の裏の顔までをも目の当たりにしたのだ。こんな目に遭って冷静でいられるほうがどうかしている。
「父さんは、どうしてこんな……」
「どうしてもなにも、それがあの男だ。あいつは元から腹の中は真っ黒なんだよ」
少しは意地悪を言ってみたくもなるが——とりあえず。
いますぐ亜弥に手を出される心配は、しなくても問題はないだろう。けれども、それでことが全て終わったわけではない。
あの男から離れる用意はほぼできている。あとは俺が亜弥を連れて出奔すればそれで終わる話だった。しかし、後顧の憂いを残さないためにそれも暫くはお預けになる——か。
それも仕方がない。こいつのフォローを済ませることが先決だろう。
「さて、飲みにでもいくか? ここでぐだぐだ考えていても答なんて出ないぞ」
克巳は小さく、ため息をついた。
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