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決断

013 ──五年前 ハル

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「あん─ッハル気持ち─ッいい。イッちゃう──ッん」

長い髪を乱し腰を振るこの人を僕はよく知らない。
高校生相手にこの人はどれだけ盛ってるんだろう。
僕を逃さないように脚を絡め、出ていかないように──閉じ込める。
どれだけ気持ちいいのか。
最初は気持ちいいと思っていた行為も今では冷めた自分がいる。
一応は出すけれど、なんだか排尿と変わらないレベルに冷めている。

「──次はいつ会える?」

甘えたように媚びるような瞳に微笑む。

「ずっと一緒にいたいけど、また連絡するね」

そう返しキスをする。
どんな女性も大抵同じようなテンプレな言葉で満足する。
一人が寂しいからと身体を重ねて来たけれど、どうしても恋する気持ちが分からない。
性に奔放な人、家庭的な人、クラスの子、先生、誰を抱いても最後は僕を支配したがる。
〈お金をあげる〉
〈料理を作ってあげる〉
〈私だけを見て〉
〈こんなに好きになった人は貴方だけよ〉
だから愛してと束縛しようとする。


「僕は男が好きなのかなぁ」

友人の海都が不審な目で見る。

「お前……あれだけ女とヤッておきながらその台詞かよ」

「海都は好きな女とかいないの?その女とのセックス気持ちいい?」

「──しらねぇよ」

カバンを取り帰ろうとする。

「今日、海都ん家泊めてよ」

なんだか女の人の所に行くのが面倒だ。

「嫌だよ。家に──他の女の所行けよ」

海都が気にしてくれたのが分かるが、家庭に特段深いトラウマがあるわけではない。
ただ家に帰れば空っぽな気分になるだけだ。
その気持ちを埋めるた為に──自分のカタチを確認するように女性の狭い中に入るのかもしれない。
ケホッと咳を抑える音にそちらを向ける。

「風邪?」

「別に……大丈夫。バイトあるし」

そうは言うがさっき迄は気付かないレベルだった顔色が一気に悪くなっている。
それにバイト先もこんな状態で来られた方が迷惑だと思うのだけど。

「送るよ。お前、そうしないとバイトに行きそうだし」

「──一人で帰れる」

「冷や汗凄いよ。病院行ったほうがいいんじゃない?」

「大袈裟な……姉さんいるし来るな──」

友人に対する態度辛辣だな。
大袈裟だって?心配しているのに。
そう思い──自分への言葉ではないと分かる。
海都は姉に心配かけたくないんだ。
だから大袈裟にしたくないのか。

「何?僕に〈姉さん〉を盗られそうで送られるのが嫌なの?そんなことしないよ。友人の姉なんて別れ話が面倒そうだから絶対によ」

それに海都を見ていたら分かる。
海都の親が家庭的でない分、補うように弁当を作ったりと母性タイプの世話焼き女性だ。
この手の女性は本当に面倒だ。
愛情を注げば愛されると思っている。
絶対にない。
海都も限界なのか崩れ落ちそうだ。
問答を繰り返す元気もないようでこれは早くに連れ帰った方がいい。

「おかえり──海都?」

ポニーテールにエプロン姿で台所に立つ姉という人物を見て心の中で辟易する。
親代わりに弟を溺愛する姿に自分に酔っているようにしかみえない。

「──しんどい?」

海都は普通にしているようだが姉はすぐに異変に気づいたのか近寄ってくる。
その額に手を当てる。
海都が嫌がる素振りをするが姉の真剣さに手も口も出せないようで一気に大人しくなる姿はまるで恋した子に触れられた中学生みたいだ。
熱を測り解熱剤と水分補給とテキパキと動く。
その姿は僕たちと2つしか違わない女の子には思えない。
理想像として描かれる母親だ。
──歪だな。
この家には父親はいないけれど本当の母親はいる。
それなのにきっとこの姉が母親を演じてきたのだろう。
ベットに寝かせると気を失うように寝てしまった。
汗で顔に張り付く髪をそっと除けるその指から心配と愛しさが伝わってくる。

「──あっ…と」

目には入っていただろうに、こちらに関心が移ったのは海都を安静にして暫くしてからだ。

「塩野義ハルです。よろしくね。お姉さん」

あまり好かれても面倒だ。
最低限の挨拶で済ます。

海都に気を遣い声のトーンを落とし話し、部屋を出て階下のリビングへと一緒に行けば漸く口を開いた。

「ごめんなさい。挨拶もせずにドタバタしちゃって。ありがとう──海都を送ってくれて、塩野義さん」

けれど──このまま帰ってもなんだか楽しくない。
海都がシスコンなのは知っていたけれど、姉も相当のブラコンだ。
マザコンと言った方がいいのか?

「お姉さん。名前は?」

「名前?湖都子よ」

「へぇ。姉が〈湖の都〉で弟が〈海の都〉か。ロマンチストな親だね」

「〈ハル〉も素敵よ。私、春好きだもの」

「そう?──じゃあハルって呼んで。湖都子」

「ハル。お腹空いてる?」

さっき帰って来たばかりだったのだろう。
買い物袋がテーブルに置かれた状態だ。
中身を確認しながら冷蔵庫に入れている。

「空いてないよ」

じゃあ飲み物は何がいい?と食品を整理しながら付け足す。
と、動きが止まる。

「どうしたの?」

絹さやを片手に考え込む。

「〈ハル〉は〈春〉じゃなくて、英語の〈ハル〉?」

え?
それを絹さや片付けながら閃いたの?
ああ、殻か。

「そうだよ。けれど絹さやの〈殻〉じゃないといいね」

笑いながら答えると
手に持っていた絹さやを急いで冷蔵庫に入れる。
誰もが〈春〉だと疑わないのに──春だと勘違いしたのを否定しなかったのに、まさか絹さやで思い直されると思わなかった。

「船だよ〈船殻〉──船体だよ」

名前の意味を親が何を思って付けたかは知らないけれど、船体のことらしい。
船体の心臓であるエンジンと華やかなデッキ部分以外の場所を指す。
エンジンがなく漂う船殻。
それが僕の名だ。
冷蔵庫から出したアイスコーヒーと氷をグラスに入れるその指が綺麗だなとつい見惚れてしまう。
氷が微かに溶ける感覚が見ていて気持ちいい。

「飲まない?コーヒー嫌い?」

「好きだよ」

「──船って海の上の都みたいだね」

自分の想像する船体は真っ黒な海に漂う船。
エンジンもなく行きたい場所に自力では行けない。
だから──そんな希望のような意味合いに化けるなんて思いもしなかった。

「海都の名に掛けてるの?普通、海の都って聞いたら海の中にあるって想像しない?」

グラスを受け取ると彼女はすぐに後ろを向き冷蔵庫に残りのコーヒーを納める。

「海の中では──息が出来ないもの。苦しいだけ」

その言葉に違和感を覚える。

「竜宮城に招かれれば息は出来るさ」

「けれどいつまでも居られない」

竜宮城の話だろう。最後は地上に帰り現実を突きつけられる。

「帰らなければいい。乙姫は帰るなと止めていたんだ」

「なら──何故、そもそも虐められていた亀は竜宮城から出て地上に来たのかな?乙姫も虐められていた亀を慰めてあげたらいいのに浦島太郎ばかりを厚遇して──だからきっと竜宮城なんて無いんだよ。きっとあるのは人の作った船だけ。暗い海に漂う船だけ。暗い海に漂う船はきっと救ってくれる。その姿だけで心安らかにしてくれる──」

「竜宮城なんてなくて、亀と浦島太郎は船の中で現実逃避をしてたって事?」

「──なんてね。竜宮城に行けないから僻んだだけかな。本当にありがとう、ハル。海都の体調が良くなったらまた遊びに来てね」

海都が眠った今、僕がここにいる筋合いはない。
それなのに──なんだかこの空気にもう少し──ここにいたい。

「──実は海都を送るのに彼女との約束破っちゃて喧嘩中なんだ。今日、泊めてよ」

驚いた顔をしている。
そりゃそうだろう。
今日初めて会った弟の友人が泊めて欲しいなんて。

「知ってるよ。ハルには女の子沢山いるんでしょう?泊めてくれる子いると思うよ」

海都から姉の話を聞かないから二人に会話がないのかと思っていたけれど──二人はどんな会話をするのだろう。

「大丈夫。湖都子は好みじゃないから安心して?」

「言っちゃう?そういうこと⁈」

海都の姉じゃなかったら抱きたいくらいには興味は出てきてたけどね。
湖都子がハァと溜め息を吐く。

「──彼女と仲直りしたら?」

彼女ではない。
そんな風に思えない。
──なんだか最近、彼女たちの相手をするのも面倒で……けれど家にも帰りたくない。
だからなのか。
僕に興味の無さそうな距離感が気持ちいい。
他の人は僕が甘えれば見返りに僕を要求する。
見返りを渡さずに居場所が欲しいなんて自分の子供じみた考えに恥ずかしくなる。

「そうするよ」

席をた立ちカバンを取る。

「ハル──コンビニでヨーグルトとスポーツ飲料買ってきて欲しいの──ダメ?」

「───いいの?」

僕を気遣っての言葉だと分かる。

「明日にはきっと海都の熱も下がるかもしれないけれど心配だからここから一緒に学校に行って欲しいの」

「下がらなかったら?」

そう疑問を口にすれば彼女は──湖都子は苦く笑う。

「下がるまでここにいて。海都もきっと喜ぶ」

〈姉さんがいるし来るな〉
海都にはそう言われていたことは黙っておく。

「一緒に買いに行かない?」

「買って戻ってきてくれる?私は──海都の様子を見ていたいから」

「ブラコンだね。海都が大好きなんだ?」

「ハルもでしょう?海都を心配して泊まりたい宣言するハルに言われたくない」

泊まりたい理由が勝手に捏造されているけれど、甘んじて受ける。

「湖都子は欲しいものない?」

「私は何も要らないわ」

求められることに辟易していたのに何も要らないの言葉に寂しさを覚える。



──湖都子が欲しいのも、側にいたいのも、いつだって──未だに海都だ。
湖都子は僕に愛を求めないから──好きになった。
初めは。
でも今なら分かるよ。
あの時、きっと湖都子に求められていても僕はすぐに君が愛しくて堪らなくなるんだ。
──すぐに愛して堪らなきくなるんだ。
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