だから淫魔じゃないって!

ダンディ須賀尾

文字の大きさ
1 / 4

第1話 俺はただ蛾を食べていただけなのに

 路地裏の空気は、腐った水とカビの臭いで満ちている。
 華やかな大通りから一本入っただけで、世界はドブ川の底のように暗い。
 けれど、今日の俺にとってはこのよどみさえも極上のスパイスだった。

「……よし、射程圏内」

 俺は息を殺し、指先に神経を集中させる。
 視線の先には、魔石を動力にした古びた街灯。そこに群がる羽虫の中に、一匹だけ異質な輝きを放つ個体が混じっている。
 魔力を帯びた蛾、ダストモスだ。
 人間にとっては害虫だが、俺のような下級魔族にとっては、貴重な栄養源である。

 俺の種族――鎌腕族マンティスの特徴である、異様に長い指が音もなく伸びた。
 関節が一つ多いんじゃないかと錯覚させるような、奇妙な動き。
 ヒュッ、と風を切る音すら置き去りにして、俺の指先は正確に蛾の羽を挟み込んだ。

「っしゃあ! 大物!」

 バタバタと暴れる蛾を両手で包み込む。羽の粉が指に付く感触。
 俺は誰に見られることもなく、大きく口を開けた。
 人間よりも鋭く尖った犬歯を、蛾の胴体に突き立てる。

 ――じゅるり。

 喉の奥に、微量だが純度の高い精気が流れ込んでくる。
 甘い。買い出しで歩き回って空っぽになった胃の腑に、熱が染み渡るようだ。

「ふう……。ま、今日のデザートはこんなもんか」

 干からびた残骸をポイと捨て、俺は手の甲で口元をぬぐった。
 足元には、先ほど市場の安売りで買い叩いた日用品入りの麻袋が置いてある。
 わざわざ人里離れた自宅から、人間の街まで下りてきたかいがあったというものだ。

 さきほどの市場でのやり取りを思い出す。
 俺が商品を手に取った瞬間、店主の親父は悲鳴を上げて、釣り銭を放り投げるように渡してきた。
 『頼むから早く行ってくれ』という無言の圧力。
 まあ、いつものことだ。

 商店の暗い窓ガラスに、俺の姿がぼんやりと映る。
 身長ニメートル近い、痩せぎすの男。
 肩幅はあるのに腰はやたらと細く、手足の節々が不気味に長い。
 加えて、生まれつきの三白眼だ。

 俺は、巨大な昆虫そのものの鎌腕族から生まれた、突然変異種ミュータントだ。
 魔法で化けているわけじゃない。生まれつきこの「人型」なのだ。
 おかげで同族からは「奇形」と気味悪がられ、人間からは恐れられる。
 路地裏に立っているだけで通報レベルの不審者扱いだ。

「……さっさと帰って寝るか」

 ため息をつき、麻袋を抱え直して歩き出した、その時だった。

 キィンッ!

 耳をつんざく高音が響いたかと思うと、視界が白く塗りつぶされた。

「な、んだ!?」

 足元から幾何学模様の魔法陣が展開される。
 光の鎖が蛇のように伸び上がり、俺の手足を瞬時に締め上げた。

「ぐあっ……!?」

 抵抗する間もない。
 内臓が押し出されるような凄まじい圧力に、膝から崩れ落ちる。
 受け身も取れず、湿った石畳に顔面を強打した。
 泥水が口に入る。

「捕獲完了。抵抗値、想定の範囲内です」

 頭上から降ってきたのは、絶対零度の冷徹な声だった。
 ズキズキと痛む頬を押さえながら、なんとか顔を上げる。

 そこに立っていたのは、一人の男だ。
 夜闇そのものを仕立てたような高級なローブ。皺ひとつないスーツ。
 月光を反射する銀縁眼鏡の奥には、感情を切り離したアイスブルーの瞳が光っている。
 人間だ。それも、俺たちのような有象無象をゴミ屑同然に見下ろす、魔術師。

 男は懐から、懐中時計のような形状の魔道具を取り出し、チロリと文字盤を確認した。
 針はレッドゾーンを振り切り、けたたましく明滅している。

「このエリアで観測された、高濃度の『精気摂取反応』……。発生源はあなたの胃袋のようですね」

 男はパチンと蓋を閉じ、革手袋をはめた手で眼鏡の位置を直しながら、無表情に俺を見下ろした。
 まるで、靴底についた泥を見るような目だ。

「現行犯で確保しましたよ。――凶悪な淫魔インキュバスめ」

 は?

 俺は目を瞬かせた。
 いま、こいつ何て言った?

(精気摂取反応って……さっき食った蛾のことか!?)

 タイミングが悪すぎる。
 確かに精気は吸ったが、それは害虫の微々たるカスみたいな魔力だ。
 だが、この高性能そうな魔道具は、それを「捕食行動」として拾ってしまったらしい。

「ちょ、ちょっと待て!」

 光の鎖にきりきりと食い込まれながら、俺は叫んだ。

「人違いだ! 俺はただの鎌腕族だぞ!? 見て分かんねぇのかこの顔! どこが淫魔だ!」

 淫魔といえば、あの色気ムンムンのサキュバスやインキュバスのことだろう。
 対して俺を見ろ。
 猫背で、目つきが悪くて、不気味な関節をした昆虫男だぞ。

 だが、男は聞く耳を持たなかった。
 コツ、コツ、と革靴の音を響かせて俺に歩み寄ると、侮蔑と……奇妙な「探求心」の混じった視線で俺を見下ろす。

「往生際が悪いですね。あなたの放つフェロモンが証拠です」
「フェロモン!? 蛾の粉っぽさの間違いだろ!」
「ほう……あくまでシラを切りますか。いいでしょう」

 男の指先が、俺の顎をくい、と持ち上げた。
 革手袋の冷たい感触。
 至近距離で見る男の顔は、腹が立つほど整っていた。
 いわゆる「氷の貴公子」というやつだ。
 けれど、その瞳の奥には、何か決定的に話の通じない狂気が渦巻いている。

「尋問室で、その化けの皮を剥がして差し上げます」

 ◆

「――それで? まだ認めないおつもりですか?」

 場所は変わって、治安維持局の対魔尋問室。
 窓のない石壁に囲まれ、空気循環の魔道具が低い唸りを立てている。
 乾燥しきった空気が、湿気を好む俺の肌をチリチリと刺す。
 頑丈な金属椅子に縛り付けられ、手首は魔封じの手錠で固定されていた。

「だーかーら! 俺はキールだ! 善良な一般市民! 吸ってたのは人間じゃなくて蛾だって!」

 ガチャガチャと手錠を鳴らすが、メディオルは無表情のまま近づく。

「ていうか、あんた何なんだよ! いきなり捕まえて、何様の――」

 ダンッ!!

 言葉の途中で、重厚な金属プレートが机に叩きつけられる。  
 王家の紋章と魔術師ランクが刻まれた身分証だ。

「……っ」
「失礼。名乗っていませんでしたか」

 男――メディオルは、冷ややかな手つきで眼鏡を押し上げ、氷のような声で告げる。

「治安維持局特別顧問、特級魔術師メディオル。……これで満足ですか?」

 特級……?
 この国に数人しかいない、国家戦力レベルの化け物じゃないか。俺みたいな下級の羽虫が逆らえる相手じゃない。  
 一気に血の気が引く。

「黙りましたね。では、続きを」

 メディオルは身分証を懐にしまうと、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。
 その視線が、俺の全身をねっとりと舐め回す。
 まるで解剖台の標本を値踏みするような、冷たく貪欲な目だ。

「口ではなんとでも言えます。ですが、肉体は嘘をつかない」

 指先が、安物のシャツの第二ボタンにかかる。

「ちょ、何する気だ!」
「触診です。衣服の上からでは、微細な魔力の揺らぎを見落とす可能性がある」

 プチッ。

 乾いた音とともにボタンが弾け飛び、シャツが左右に開かれる。  
 市場の投げ売り品が、無残に剥ぎ取られた。

「うわっ、やめろ! 寒ッ!」

 上半身裸にされ、冷気が汗ばんだ肌に突き刺さる。  
 身を縮めると、背骨と肩甲骨がゴツゴツ浮き上がる。
 普通の人間なら「ガリガリで気持ち悪い」「昆虫みたいだ」と顔をしかめる場面だ。
 だが、メディオルの反応は――正反対だった。

「……ほう」

 彼の喉がゴクリと鳴る音が、静寂に響く。 
 眼鏡の奥の瞳孔が、すぅっと開く。

「なんて……」

 革手袋を外した指が、俺の鎖骨をなぞる。  
 不気味なほど熱を帯びた指先が、くぼみをねっとりと押し込んだ。

「ひっ……!」
「素晴らしい。この鎖骨の鋭利なライン。まるで刃物のようだ」

 痛くはない。だが、事務的な確認作業にしては、あまりにも手つきが粘っこい。
 まるで骨董品の真贋しんがんを確かめるような手つきで、指先が這う。

「一般的な淫魔は柔らかな肉と甘い香りで人間を油断させる。……ですが、あなたは違う」

 メディオルが一歩、さらに距離を詰めてきた。
 革靴が、俺の足の間に割り込む。
 太腿が押し広げられ、逃げ場が完全に消える。

「贅肉を極限まで削ぎ落とし、骨格という『機能美』を晒したこのフォルム……『隅々まで味わい尽くしてくれ』という誘惑なのでしょう?」
「は? 何言って……」
「とぼけないでください」

 メディオルの手が、下へと滑る。
 胸板の薄い皮膚を撫で、浮き出た肋骨ろっこつの一本ずつ数えるように這う。

「ちょ……、くすぐったいって!」
「この肋骨の浮き方……皮膚一枚の下に硬質な外骨格の気配を感じる。無防備で……中身を暴きたくなる造形だ」

 耳元に熱い吐息。
 ハァ、ハァと荒くなった息遣い。
 アイスブルーの瞳が、熱っぽく濁り始めている。
 冷徹だった「尋問官」の仮面が、剥がれ落ちようとしていた。

「人間とは異なる、わずかにズレた関節……ゾクゾクします。あえて『鎌』の気配を残したこの造形……私を誘うための計算された擬態ですか?」
「いや、計算も何も、これは種族的な特徴で……」
「あくまでシラを切りますか。……いいでしょう」

 パチン。

 メディオルが軽く指を鳴らした。

 ガシャン!

 金属音が響き、俺の手首を拘束していた鎖が、天井に向かって巻き上げられた。

「うわっ!?」

 腕を引かれ、俺は強制的に椅子から立たされる。
 つま先立ちになるギリギリの高さで鎖が止まった。
 完全に無防備な立ち姿だ。

 その隙に、メディオルが俺の背後に回り込んだ。
 視界から姿が消えた恐怖に、俺の体が強張る。
 直後、背中に男の体温が覆いかぶさってきた。

「ならば、私が直接確かめてあげます。この完璧な外殻の、どこに継ぎ目があるのかをね」
感想 0

あなたにおすすめの小説

親に虐げられてきたβが、Ωと偽ってαと婚約してしまった話

さるやま
BL
◆瑞希(受け)語り
□アキ(攻め)語り

攻め→→→→←←受け

眞鍋秋人(攻め)
優秀なα。真鍋家の次期当主。本質は狡くて狡猾だが、それを上手く隠して好青年を演じている。瑞希にはアキさんと呼ばれている。

高宮瑞希(受け)
Ωと偽っている平凡なβ。幼少期の経験からか自己肯定感が低く、自分に自信がない。自己犠牲的。

有栖蕾
花の精のように美しいと名高い美少年のΩ。アキさんの元婚約者(と言っても、正式な婚約関係になく、幼少期の口約束程度)であり、アキさんのことをまだ好いている。瑞希のことを秋人の婚約者として紹介され、許せない相手になった。

伝説の勇者が俺の寝室に不法侵入してきました〜王様の前で『報奨より幼馴染をください』って正気ですか!?〜

たら昆布
BL
勇者になった青年とその幼馴染だった薬師の話

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

ネガティブなΩがスパダリαから逃げる

ミカン
BL
オメガバース

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科 空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する 高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体 それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった 至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する 意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク” 消える教師 山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー

忘れた名前の庭で

千葉琴音
BL
【凍てついた記憶を溶かすのは、不器用な守護者の体温】 「俺のことはルーカスでいい」 目覚めると、僕は自分の名前すら忘れていた。 唯一の肉親である兄・テオドールの死と同時に失われた記憶。無愛想な兄の友人ルーカスと共にゆっくりと兄の足跡を辿っていく。 厳格で甘いものが嫌いだった亡き兄・テオドール。彼が密かに弟のために植物図鑑を読み、内緒で菓子を買い与えていたという、口にされることのなかった真実。 ルーカスの語る「かつての自分」と、今の自分が少しずつ重なっていく中、アルノは因縁の魔獣の住む森へと足を踏み入れる。そこで彼が思い出したのは、独りで耐える術ではなく、誰かに抱きしめられて「息をする」方法だった。 孤独な少年と、彼を見守り続けた騎士。二人が雪解けの庭で見つける、新しい絆の物語。