だから淫魔じゃないって!

ダンディ須賀尾

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第3話 誤解が解けたらロックオンされました

 バンッ!!

 重厚な鉄扉が、蝶番ちょうつがいごと吹き飛ぶほどの勢いで開かれた。

「メディオル先生! 何やってるんですか!!」

 飛び込んできたのは、褐色の肌に金色の装身具を身に着けた、精悍な顔つきの若い男だった。
 まとう魔力の質が高い。一目で分かる、上級魔族だ。

 彼は室内の惨状を見て絶句した。
 そこには、半裸で鎖に吊るされ、尻を突き出す格好で震える俺と、その背後から腰を落とし、今まさに侵入しようと密着していたメディオルの姿があったからだ。

「せ、先生……? 取り調べって、そこまでする必要ありました……? ていうか、先端入ってません?」
「……チッ」

 メディオルは盛大に舌打ちした。
 名残惜しそうに、俺の臀部に押し付けていた熱い塊を離し、ゆっくりと体を起こす。
 乱れた呼吸を整えるように一つ咳払いをし、はだけたローブの前を合わせた。
 だが、その股間の隆起は、テントのように布を持ち上げたまま収まっていない。

「……高度な精神干渉への、対抗措置を試みていたのです。油断しました」
「いや、完全に喰おうとしてましたよね!? 物理的に!」

 その男の後ろから、呆れたような声が響く。

「ちょっとぉ。あたしを差し置いて、そんなガリガリ男と盛り上がってるわけ?」

 豊満な胸元を大胆に晒した美女――本物の淫魔サキュバスだった。
 彼女は、涙目で内股になり、必死に足を閉じようとする俺と、まだ興奮冷めやらぬメディオルを見て、心底気持ち悪そうに顔をしかめた。

「趣味わるっ。特級魔術師ってのは変態なの? そいつで勃つとかありえないんだけど」
「……なんだ、その無駄な脂肪の塊は」

 メディオルが不機嫌そうにその女を睨んだ。

「ムヒード君。なぜ部外者を連れてきたのです。私は今、この凶悪な淫魔との『契約』の最中なのですが」
「いいですか先生。たとえ相手が犯罪者だろうと、取り調べで致したらアウトなんですよ。ただの暴行です」

 ムヒードと呼ばれた褐色の男が、呆れ果てたように言った。

「それに、あなたが今まさに襲おうとしていたのは、淫魔ですらない。ただの一般市民……キールとかいう男です」

 俺は吊るされたまま、ガクッと力が抜けた。
 助かった。あと数秒遅ければ、俺の人生は終わっていた。
 だが、いまだに下半身は無防備に晒されたままだ。俺は羞恥で顔を覆いたくなった。

「真犯人はこっちのメリナという女です。隣町で現行犯逮捕しました。そっちの男は、たまたま魔物の精気が付着してただけの誤認逮捕でしょう」
「……は?」

 メディオルの動きが止まる。
 その視線が、グラマラスで柔らかなメリナと、恐怖で縮こまり骨ばった俺の間を往復した。

「誤認、逮捕……?」
「そうです。ですから離れてください」
「……」

 メディオルは、信じられないものを見るような目で俺を凝視した。
 腰に回されていた手は離れたが、まだ至近距離だ。

「……では、魔法で擬態していないと?」
「使ってねぇよ! 最初からそう言ってるだろ!」

「この、あざとい体型も? 私の理性を焼き切った、この清廉な香りも?」
「全部お前の勘違いだ! 俺はただの、目つきが悪いカマキリだ! 早く降ろせ!」

 俺は必死に訴え、鎖で吊るされた手首をガチャガチャと鳴らした。
 これで解放される。そう思った。

 だが。

「……化けて、いない?」

 メディオルは懐から杖を取り出すと、無言で俺に向けた。

 《幻術反応、なし》
 《変身魔法の痕跡、なし》
 《骨格、筋肉組織……すべて天然》

 空中に浮かんだ解析結果を見て、メディオルがガタリと後ずさった。
 その顔色は蒼白――いや、違う。
 頬が微かに紅潮し、眼鏡の奥の瞳が、狂気的な輝きを放ち始めた。

「嘘でしょう……?」

 メディオルが口元を覆った。

「この美しい造形が、作り物ではなく『天然』だというのか!?」
「ひっ……!」
「私の勘違いだったと……。擬態も魅了も、最初から無かった……」

 メディオルはぶつぶつと呟きながら、再び俺の方へ詰め寄ってきた。
 さっきまでの「獲物を狙う目」ではない。
 もっとタチの悪い、「値踏みする目」だ。

 彼は吊るされている俺の足元に跪き、まるで神像を見上げる信者のように、うっとりと俺を見上げた。

「では、あの反応も……? 胸を撫でた時の震えも、腹部をなぞった時の痙攣も……すべて演技ではなかったと?」

 メディオルの瞳が、怪しい光を帯びる。
 彼は跪いたまま、どさくさに紛れて俺の腹から胸へと、長く伸びた指を滑らせた。

「ぃあ゛っ、う……ッ!?」

 ただ撫でられただけなのに、俺の腹筋がビクリと収縮し、体が大きく跳ねた。
 吊るされた鎖がガチャリと鳴る。

「……ほう」

 それを見たメディオルが、恍惚とした表情で唇を舐めた。

「神経索の集まる急所を刺激され、脳で処理する前に体が勝手に跳ねてるのですね……。つまり、あなたのこの体は、生まれながらにして全身が『弱点』だらけだというのですか?」

「さ、触るな……ッ!」
「ああ、なんてことだ。これは運命としか言いようがない」

「あの、先生?」

 一人で盛り上がるメディオルの背中に、ムヒードが冷ややかな声を浴びせた。

「運命とか言ってますけど、それただの手順ミスですよね? なんで捕獲した直後にスキャンしなかったんですか。基本中の基本でしょう」
「……愚問ですね」

 メディオルは俺の太腿を愛おしげに撫でながら、悪びれもせず答えた。

「私の開発した探知機は優秀です。誤作動など今まで一度もありませんでした。……それに」
「それに?」
「下手に解析魔法をかけて、もしこの美しい姿が何の変哲もない人型に戻ってしまったら……私のモチベーションが下がるではありませんか。せめて尋問プレイの間だけは、この夢のような造形を楽しみたいと思うのが人情でしょう?」
「うわぁ……。職権乱用もいいとこですよ。性欲が理性を上回ってるじゃないですか」

 ムヒードが心底引いた顔をした。
 俺も同感だ。こいつ、探知機を過信してたフリして、ただ自分の好みのタイプだったからスキャンを後回しにしただけだ! ……好みのタイプがどうかしているが。

「ふざけんな! あんた『治安維持局』の特別顧問つってたろ!?」

 俺は吊るされたまま、顔を真っ赤にして叫んだ。

「一般市民を襲って、真っ先に治安を崩壊させてんのはあんたじゃねぇか!」
「待ってください……」
「おいっ!」

 俺の正論など聞こえていないかのように、メディオルの目の色が変わった。
 彼は俺の剥き出しの太腿を見つめたまま、高速でブツブツと独り言を始めた。

「誤認逮捕となれば、彼は無罪放免だ。……だが、それでは困る。逃げられてしまう」
「え?」
「公的な拘束が無理なら、私的な契約に持ち込むしかない。……一般市民への暴行の示談金として、私の屋敷での『療養』を提案するのはどうだ? いや、金に困っているなら、専属の『家政夫』として雇い入れる形式のほうが、長期間縛り付けられるか……?」
「お、おい……?」

 俺の背筋に冷たいものが走る。
 こいつ、謝るどころか、どうやって俺を合法的に持ち帰るかを計算してやがる!

「地下の錬金術工房なら防音は完璧だ。あそこなら、彼がどれだけ泣き叫んでも外には漏れない。……それに、湿度の管理もできる。彼のような昆虫種には最適な環境を用意してあげられるはずだ」
「環境配慮が怖い! 監禁する気満々じゃねぇか!」
「よし、決まりだ」

 メディオルがバッと顔を上げた。
 満面の、清々しいほどの笑顔だ。

「ムヒード君、彼は私が責任を持って送ります。……自宅へ」
「それお前の自宅だろ!」
「いい加減にしてください、先生」

 ムヒードが、これ以上付き合いきれないとばかりに指を鳴らした。

 パチンッ!

 その瞬間、俺の手首を縛り上げていた鎖が光の粒子となって霧散した。

「うわっ!?」

 支えを失った俺の体が、重力に従って落下する。
 その真下には、両手を広げて待ち構えるメディオルの姿があった。

「おっと、危ない!」

 危ないのはお前だ!
 俺は空中で体をひねり、身軽にメディオルの腕をすり抜けた。
 トンッ、と音もなく床に着地し、バク転で部屋の隅まで距離を取る。
 手錠はついたままだが、これでとりあえず貞操は守られた。

「……ほう」

 メディオルが、空っぽになった自分の腕と、部屋の隅で威嚇する俺を交互に見つめた。
 俺は震える手で、ずり落ちかけたズボンを必死に押さえた。ボタンが飛んでしまっているので、手で掴んでいないと脱げてしまう。

「今の身のこなし……。関節の可動域が人間とは違う。素晴らしい反射速度だ」
「近寄るな変態!」

 だが、メディオルは俺の罵倒など聞いていない。

「あのしなやかな肢体が、夜のベッドの上であれほど激しく跳ね回るとしたら……。ああ、想像しただけで理性が消し飛びそうだ」
「もういいだろ!? 俺帰るからな! ……ムヒードさん、あんたも早くこれ解いてくれ……ませんか!」

 俺は部屋の隅から、ムヒードに向かって叫んだ。
 相手は上級魔族だ。本来なら目を合わせるのも怖いが、今は背に腹は代えられない。

「あー、はいはい。分かりましたよ」

 ムヒードは面倒くさそうに杖を振った。
 メディオルが何に興奮しているのか全く理解できないといった様子で、冷ややかな視線を俺に向けてくる。

「……はぁ。先生の尻拭いはこりごりだ。今回はこちらの不手際でした。すぐに解錠しますので、さっさと出ていってください」

 ガチャン、と音がして手錠が外れる。
 事務的で冷たい対応だが、今はそれが逆にありがたい。
 俺はボタンの弾け飛んだシャツを胸元で押さえ、脱兎のごとく出口へと走る。

「二度とこんなとこ来るか! バーカ!」

 捨て台詞を吐いて、メリナとムヒードの横をすり抜け、廊下へ転がり出た。

 その時。
 背後から、鼓膜にへばりつくような声がした。

「……逃しませんよ、キール」

 振り返ってはいけない。
 そう本能が警鐘を鳴らしているのに、俺はつい振り返ってしまった。

 そこには、メディオルが立っていた。
 整った顔に、獲物を追い詰める策を思いついた策士の笑みを浮かべて。

「法的手段がダメなら、別の手を使えばいいだけのこと。……あなたは、必ず私の『生涯の伴侶コレクション』として、屋敷の最深部にお迎えしますから」
「ヒッ……!!」

 俺は短い悲鳴を上げて、全速力で走り出した。
 心臓が早鐘を打っている。

 ただの不運な事故だと思いたかった。
 誤解が解ければそれで終わりだと。

 けれど、俺の予感が告げている。
 あの変態眼鏡は、手段を選ばず俺を狩りに来る、と。

「……なんて日だ!」

 誰もいない深夜の廊下を走りながら、俺は涙目で叫んだ。
 平和主義の俺の日常が、音を立てて崩れ去っていく音がした。
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