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3 襲撃

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部屋の壁に、ぼんやりとランプの明かりが反射する。
この世界には魔法があり、このランプも光の魔法によって明かりを保っていた。
炎を使っていないので、使用者が動かさない限り光がゆらめくことはない。
少しだけ電気の明かりのようだと、現実世界に結び付けて安堵する。

そしてゆっくり瞼が落ちかけて……ハッと気付いて目を開ける。
心臓が激しく鳴っていた。


「どうしました?」


扉の近くから声が届く。


「何でも無いわ」

「そうですか?脈が早いし息も乱れたようですが」


息はともかく、なんで脈までこの距離でわかるんだろうか。
怖すぎる。


「何でも無いってば。寝るから黙ってて」

「黙ります」


その後、言いつけ通り夜が明けるまでアルは一言も発さなかった。
そして私は……少しずつ明るくなっていく部屋の中を、じっと眺めるだけだった。





「え、ていうかブラックすぎない?」

「ブラック?」


翌日、城の中を歩く私の少し後ろからついてくるアルの姿を見て、恐ろしいことに気づいた。
この子、全く寝ていない。


「アル、昨夜私の部屋で見張りしてたわよね?」

「そうですね」

「……いつ寝てるの?」


私の問いかけに、ああ、と声を上げてアルは笑う。


「イベリス姫が入浴中や着替えている時のように、僕がそばにいられない時間に休息を取っていますよ」

「それってどちらも一時間そこらじゃない!」


しかもベッドで横になっているわけでもなく、どこかに座って待機しているはずだ。
ショートスリーパーってやつなのか。
だけどその年でそれは可能なんだろうか。
成長期のはずなのに。
しかし、アルは呆れたように溜息をつく。


「自分の命を狙っている暗殺者の心配をしてるんですか?それともオトモダチだからだとでも?」

「十歳児相手にこの雇用条件を提示した側と受け入れた側の両者の神経を疑ってるのよ」


正気か。


「ああ、そういえば言っていませんでしたね。この長時間の勤務形態を提示したのは僕です。僕はたとえ眠りについていても殺気を感じれば起きる体質ですので。傭兵ギルドにはそういう人間は珍しくありませんから、トライン様も疑問を抱かなかったのでしょう。護衛には好都合だと評価されました」

「十歳の子供相手に……」


ここが現代日本なら一発アウトだ。
大人だってブラックでしょ、これ。


「それからもう一つ。こちらは一部の人間しか知らないことなので口外は控えてください。言ったところで誰も信じないとは思いますが」

「なに?」

「僕の実年齢は十八です。魔法で姿を変えています」

「魔法!?」


魔法でそんなことできるなんて初耳だ。
この世界の魔法はあまり融通が利かない。
火魔法は火をぶつけるだけだし水や風もそう。
回復魔法も蘇生はできないし。
道具を生み出したりバリアを作ったり身体強化したりなんていうことすらできないと聞けばその融通の利かなさが分かるだろうか。
つまり、容姿を変える魔法なんてこの世界においてはあり得ないもののはず。
しかし私の驚愕を当然のように受け止め、アルは頷いた。


「ええ。師匠は若返りの魔法と呼んでいましたね。正確には記憶の魔法というもので、自分の姿を魔法に記憶させた後、再現の魔法でその記憶を再現するという二つの魔法の複合です。とはいえ記憶の魔法は一度きりしか使えないため、最初に記憶した年齢の姿にしかなれないのですが」


好きな年齢に変われるわけじゃないのか……
でもその若返り魔法、使えるようになりたい人いっぱいいると思う。
私もできれば使ってみたい。
イベリスは特に今の姿を記憶しておくべきだ。


「僕が記憶の魔法を発動したのは十二の頃なので、正確には今の体は十二歳なんですが……幼いころ食事をあまり取れなかった影響か、人より成長が遅かったようで。なんにせよ、この容姿の方が警戒されにくいので有効活用しています」

「はあ……」


なんか情報量が多い。
この容姿で十八歳。
そしてなんかヘビーな過去挟まれた。
でも一番すごいのは若返りの魔法だ。


「その魔法、自分で開発したの?」

「いえ、師匠から教えてもらいました。これも秘密にしてくださいね。誰も信じないと思いますが。使えるのは師匠と僕くらいですし」

「何それ凄い。秘伝の技じゃない」

「イベリス姫はずいぶん素直に褒めてくれますね」


アルは肩透かしをくらったように苦笑した。


「あれ?ってことは……実は十八歳って分かってたら、トラインも雇わなかったんじゃ」

「そうでしょうね」

「じゃあ今から訴え出てちゃんと調べてもらえば、アルは解雇?」

「さっきも言ったように誰も信じないと思いますが、万が一そうなったとして。僕は貴女の首を刈り取ってから逃げますよ」

「……」


そうだった。


「まぁ、本当の年齢という意味で言えばもっと上なんですけどね」

「え?」


どういうこと?
ぽかんとする私の顔を見て、アルは笑う。


「ところでイベリス姫、今はどこに向かってるんです?」


突っ込む間もなく話題が変わってしまった。
溜息をついて首を振る。


「別に、ただの運動よ」


それは半分本当だ。
大人しく内気だったイベリスはあまり部屋の外に出ないお姫様だった。
食事やお肌の手入れこそちゃんとされていて綺麗な体だけれど、ちょっと筋肉や体力が足りない。
こんなことではいざという時に動けないだろう。
体力強化も兼ねてのお散歩である。

だけど一番の目的は探索だ。
どうして私がこんな状況になってしまったのか、何でもいいから手がかりを探している。
どうもこの姿になった前後数日の記憶が曖昧で、どうしてこんな事態になったのかよく分からない。
確かにこの世界の魔法は融通が利かないけど、元の世界よりは不思議なことが起こり得る世界。
アルの魔法の例もあるし、人の魂を入れ替える魔法が実はあってもおかしくないと思う。
イベリスがそれを使ったのではというのが、私の今のところの予想第一位だった。


「運動、ですか。へぇ?」


アルが意味深な笑みを浮かべる。


「何よ」

「いえ、別に」


煮え切らないアルの言葉を聞きながら、自分の宮を出て隣の塔へ続く渡り廊下へ差し掛かる。
その瞬間、不意に後ろへと手を引かれた。


「え?」


傾く視界の中、私のすぐ真上を小さな影が通り過ぎていく。
筋肉の無い体は堪えることもできずに、そのまま真後ろへしりもちをついた。


「いっ!?」

「そのまま寝ていてください」


アルの言葉の意味を理解するより先に、小さな体が少し離れた茂みへと駆けていく姿を見て異常事態を悟る。
体を後ろ手に支えている腕が震えた。
おそるおそる、さきほど通り過ぎた影を追って左を見やると、傍にあった木に矢が突き立っていた。
おそらく。
おそらくだが、アルが手を引いてくれなければ、この矢が当たっていたのは私の頭なのではないだろうか。
恐怖に乱れる私の呼吸が落ち着く間もなく、アルの声が戻ってくる。


「終わりましたよ」


ずるずると、何かを引きずる音と共に。


「ひっ……」


アルの小さな手に引きずられてきたその何かは、アルの体よりも大きい大人の男性だ。
……男の首は、あらぬ方向へと曲がっている。
これは、どう考えても……
最後の砦だった腕の力も抜け、その場に倒れこんだ。
全身の血の気が引くとはこのことなのだと思い知る。
自分の命が狙われたのかもという漠然とした不安より、目の前の光景の方がショックだった。


「……ああ、お姫様にはこれでも刺激が強すぎましたか。困りましたね。立てます?」


ただただ、数分前と変わらないアルの淡々とした声だけがその場に浮いていた。







「よく王女殿下をお守りしました。後程、国王陛下からもお褒めの言葉を授けたいとのことです」

「大変名誉なことですが、イベリス第二王女殿下の警護に集中したいと思います。先ほどの襲撃のショックで怯えておいでですし、また襲撃がいつあるとも知れません。お傍から離れない方がいいかと」

「良い心がけです。貴方の忠義を国王陛下にお伝えしておきましょう」


寝室の外で話しているらしいトラインとアルの声がぼんやりと耳に届く。
ベッドの上で横たわったままの私の視界には、ベッドの天蓋だけが映っていた。
マーヤが温めたタオルでそっと額を拭いてくれる感触が少し気持ちいい。


「イベリス姫。大丈夫ですか?」


話が終わったのか、気付けばアルがドアの傍に立っていた。


「……ええ」

「アルベルト。腕が立つのは本当なんだね。王女様をよく守ってくれたよ。まさか本当にこんなことが起きるなんて」

「僕はそのために参りましたから」


マーヤが声をかけると、アルはまた少年らしい笑みでもってこたえて見せる。


「しかし、こんなことがあってもイベリス姫の警護は見直されないのですか?」


アルの指摘に、マーヤが顔色を悪くした。


「……王女様、少し席を外します」


アルを連れて寝室を出ていく背中を見送る。
一人にされるのは不安だ。
だけど、おそらくすぐに戻ってくるだろう。
私の警護が薄い理由を話すだけならば。

イベリスについている侍女や護衛の数は少ない。
これは私も入れ替わった直後から感じていたことだ。
侍女はマーヤのみ、兵士はタイラントを含めて二人が交代でついているだけ。
アルが来てからは、部屋の外を出歩く時の護衛は彼一人だ。
妹カトレアの侍女は十数人かつ、二十一人で構成される近衛隊を一つ割り当てられていることを思えば少なすぎる。
ましてやイベリスは暗殺未遂が何度か起きているというのに。

侍女は一年前から少しずつ辞めて行ってしまった。
おそらく妹の策略だ。
ほとんど社交もしないイベリスの世話はマーヤ一人でもそれなりに回るからいいんだけど、『そろそろ年かねぇ』なんて肩を押さえて呟くことがあるマーヤには申し訳ない。
マッサージとかしてあげたくても、絶対断られるしなぁ。

近衛に関しては、私にも少し疑問がある。
というのも、イベリスの記憶では近衛隊がちゃんとついていたからだ。
入れ替わる前後の記憶が無い間に何かが起きたんだろうと思うけど、聞きづらくて聞けていなかった。
下手なことを言えば入れ替わりがばれてしまう。
正直に今の状況を説明したところで、気が触れたと思われるか、王女に成りすましたとかで罰せられる可能性の方が高いだろう。
まあ、元に戻るための手掛かりを探すには、護衛が少ない方が出歩きやすくて好都合なんだけど。

ひょっとしたら近衛隊が居ないのは、イベリスが嫌がったのかもしれない。
王女といえば少し城の中を歩くだけでも、五人以上の騎士や兵士が後ろをついて歩くのが普通。
だけどイベリスはあまり部屋から出なかったので、一部隊がほぼ遊んでいる状態だ。
『騎士の無駄遣い』という陰口を、イベリスは一度耳にしている。
陰口なんて聞いてしまえば、内気なイベリスはますます閉じこもる。
そんなジレンマに耐えられなくて、他の誰かと入れ替わることを願い、魔法を使った。
そう考えるとしっくりくる。


「だけど、私もごめんなのよ。イベリス」


常に誰かが傍に居る生活は、ただの女子高生だった私にとってはなおさらストレスだ。
命を狙われることもこんなに続いていては気が休まらない。
アルだって、一か月以内に私を殺そうとするだろう。
あの襲撃者にそうしたように、何の感慨も無く淡々と。
それまでに元の体に戻らなくては。
元に戻るイベリスには悪いけれど、もともとそうなる運命だったのは彼女自身。
私は押し付けられた側だ。
じくじく痛む胸に、そう言い聞かせる。


「イベリス姫」


いつの間にか、またアルの姿が扉の傍にあった。
彼は職務に忠実で、私のベッドには決して近づかない。
私のベッドに上がる気が無いと見せつけるかのように。
見た目十歳の少年なんだから当たり前なんだけど、中身は十八歳だしなぁ。


「顔色が悪いですね。血を見れば怖がるだろうと思って出血しないようにしたんですが、それでもダメでしたか」

「……思い出させないで」

「それは失礼を」


しかしそう言いながら、なぜだかアルは機嫌が良さそうだ。
いつもの笑みが、少しだけ楽しそうに見える。


「……私が怖がっているのが、嬉しいの?」

「え?ああ、いえいえ。そんな嫌な顔をしないでください。貴女にとってもいいことですよ」

「いいこと?」

「少し貴女に興味がわきました」


私はたぶん変な顔をしているだろう。
何から突っ込んでいいのかわからない。
言葉を失う私に、アルは微笑んだ。


「イベリス姫……僕にはね、前世の記憶があるんですよ」
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