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一章 私はミコ様

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 次に浮上した意識は、浮上というほどには浮いてなくて、どんよりと身体の重さを感じる目覚めだった。
「……」
 声が出ない。
 まぶたも重い。
 手足も重くて動かない。
 けれど今度の目覚めには、匂いがある。
 色んな匂いが入り混じっているようだ。洞窟の、土と汚物にまみれていた、鼻をつく嫌な臭いではない。草と木の匂いがある。草原の空気でなく、敷いて言うなら田舎のお婆ちゃん家に行った時みたいな。畳の匂いかな。
 でも私が横たわっている下にあるのは、畳じゃない気がする。手に当たっている感触は畳よりも、もっとグサグサしている、草っぽいものだ。なんかちょっとチクチクする……?

「お目覚めですか」

 質問形でなく確信の言い方が、頭上から降ってきた。
 空では下から響いてきた声だ。しかも今度はちゃんと、声が耳に入ってきた。生の声だ。けど空で聴いたのと同じ、低くて落ち着きがあって私への慈愛を感じる、暖かい声だ。
 ってことは、この身体も生身なのだろう。多分。
 やっと目に力が入って、まぶたが薄っすら開いた。
 開いてもなお薄暗い。が、あの洞窟ではないと分かる。空気が柔らかい。近くに、わずかだが炎が見える。炎の熱と揺らぎが、空気を温めている。
 身体が重くて動かないのは、リラックスしてるからでもあるようだ。洞窟で縛られていた日々は身体を硬直させ、緊張させていたらしい。拘束から解かれて温かい部屋に横たわってる今、全身から力が抜けているのが分かる。
 声の主が、すぐ側にいるからか?

 炎を挟んだ向こう側に座って、私を見つめている。
 変な髪型と雑な服。布に穴を空けただけみたいな。でも布に模様が付いてるし、腰を縛っている紐も、何か立派そうだ。胡座を掻いてるし炎が邪魔してるので、よく見えないけど。
 足は裸足だけど、ちゃんとズボンも履いてる。
「カラナ」
 私がまじまじと見つめていたせいか、彼が髭の下から小さく呟いた。ミコ以外の名前だ。それが、この子の本名?
 まぁ、そうだろうな……とは思ってたけど、やっぱり私は高校生の元の私ではないほうだ。
 死にかけたのに、昇天しかけてたのに? 戻ったのは、こっちの世界。この人に「帰りましょう」と連れられたせいかも知れない。とはいえ、あのまま昇天して本当に現実世界に戻れたかは疑問だけど。

 もう、戻れないのだろうか。

「ミコ様」

 今度ははっきりと呼ばれて、焚き火の向こうから、男の人が近寄ってきた。でも近寄られても私、緊張してない。
 この身体の主は、この人を受け入れてるようだ。信頼できる人なのだろう。
 私が聞いた唯一の名前が、この人だろうか。
 タバナ。
 口を動かしてみたが、声は出ない。喉がカラカラだ。喋ろうとしたせいか、弱く咳が出た。
「大丈夫ですか」
 頭の下に、彼の手が差し込まれた。わずかだが身体が起き上がった、それだけで楽になった。人間、寝たきりってのは身体に悪いんだな。
 息を吸い込むと、それだけで咳が出る。喉がカラカラだ。そりゃそうだ、4日も水すら飲まなかったんだから。死んでないのが不思議なぐらいじゃないだろうか。
 どうにか、みず、と口を動かした。
 察した彼が私を左手で支えたまま、右手に器をたずさえた。私の口にあてがってくれる。
 が、飲めない。
 飲む力がない。
 一口が多い。
 むせて、口の端から水がこぼれた。
 顎から喉を伝う水の感触が、こそばゆい。ゾクゾクするほどではないが、わずかに背筋を震えさせた。私の身悶えを感じたのか、彼が私を支えなおした。

「失礼します」
 彼の声が低く、早口になった。

 すると。

 彼は器を自分の口にあてがうや水をふくみ……私を、抱き寄せたのだ。
 驚いて半開きになった私の唇に、それが重なる。押し入るように、差し込まれるように重なってきた彼の唇は、思いのほか柔らかい。そして少し、髭がチクチクする。なぜか、どこか懐かしいような気持ちにさせられてた。
 いやいや、ファーストキスなのに。
 でも、この身体の主は、違うのかも知れない。
 唇の重ね方を知っているような落ち着きを感じる。
 私は目を閉じた。
 ゆっくりと、少しずつ舌に乗せられる温かい水に意識を集中する。今度は咳込まないように。飲み込むというよりは、しみ込むような量で無理なく嚥下えんげできた。
 私の飲み込むタイミングに合わせて、また水が差し込まれる。ぬるくて柔らかな、甘い水だ。彼の口中を経たから? 元々の水が甘いのか? 分からない。
 スッと一筋、首筋を撫でられた気がした。
 また水が流れただけかも知れないが。

 離れた唇に、やけに寂しさを覚えた。

「落ち着かれましたか」

 問われて頷いたものの、まだ足りない。
 喉は潤った。声が出るはずである。
 私は喉に、力を込めた。

「もう……ひとくち」
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