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七章 おやすみミコ様
エピローグ 前編
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10年。正確には、10年と2ヶ月。桜が咲こうとしている頃だった。退院してもリハビリは続き、人間らしい人間に戻るには、さらに一年かかった。
とはいえ頭脳は女子高生のままだ。眠っていた10年の記憶もない。
お母さんが睡眠学習などと言い、私の耳もとで英語を聴かせたり方程式を朗読したりしてたそうだけど、寝てたというより仮死状態だったんだから、もちろん覚えている訳がない。
呼吸器が外れても、私は水さえ嚥下できず、ずいぶん点滴のお世話になった。点滴で充分ご飯が摂れてるから大丈夫だよと言われたが、味気ないことこの上ない。
目覚めてから初めて口に出来たのは、お母さんが食べようとしていた、あんぱんだった。
「少しだけ食べてみる?」
と、指に乗せてくれた、一欠片の餡こ。
これが食べられて、美味しいと感じられて。看護師さんには叱られたけど、そこから私は、めきめき回復した。水が飲めて、お粥が食べられて、お味噌汁が飲めて、お魚が食べられるようになった。
トイレも行けるようになり、念願となっていたシャンプーもしてもらえて、ついに自分でシャワーも出来て、やっと身体が軽くなった気がした。生まれ直したような日々だった。
高校中退という不名誉な人生になってしまった私の行く末は、なかなかに困難で。事情を話してもマトモな職に就ける訳もなく、だが社会生活にも慣れなきゃいけないので、ひとまず簡単なバイトから始めることになった。
簡単なとはいえ、11年のブランクだ。何かと微妙に進化している。
携帯電話はスマホとかいう薄い板になってるし、みんなバリバリにパソコン使ってるし。
レジ打ち程度なら……と思ってスーパーに面接に行くも、現金じゃない決済の方法やら、商品のバーコード管理やら、見たこともない機能がいっぱいだった。覚えることが満載だ。
なのに物覚えが悪くなってる感覚があって、余計にもどかしい。いや高校の頃に勉強できてたかっていうと、そんなことなかったけど。
10年前の自分の怠惰に苦しめられるとは、思わなかったわー。もっとしっかり頭使っておけば良かった。
だが、失われた青春を嘆いても仕方がない。生まれ直したことだし、私は帰宅すると両親と沢山、話をした。土日には家族で外出もした。体力作りにも励んだ。
ずっと呼びたかった「お母さん」呼びは、意外にもすんなりと言葉にできた。あまりにも自然すぎて、継母も自分が初めてそう呼ばれたことに気付かないほどだった。
気付いたお母さんと、それに気付かれて恥ずかしくなった私とで、顔を合わせて笑ったりもした。
お母さんが作ってくれるご飯が全部美味しくて、ありがたくて、めっちゃ噛み締めてしまう。あまりにも美味しい美味しいと褒めすぎて、お父さんが爆笑し、お母さんが真っ赤になって「いい加減もういいから」と、ふくれたりもした。
「だって本当に美味しいんだもん」
「あんた目覚めてから、ちょっと性格変わったわね?」
などと言われたが、自分じゃよく分からない。
「正直もっと落ち込んで、家に引き籠もったりしないかしら、と心配だったの。でも杞憂だったわ、良かった」
お母さんが、そんなことを言った。言われてみれば、10年も植物人間だった割には、ポジティブかも知れない。
確かに以前の私なら、こんな訳の分からない状態に嘆いて、バイトも嫌になって投げ出して、部屋に籠もりたかったかも。でも、せっかく元気になれたんだから、引き籠もってちゃ勿体ないのだ。
部屋はまだ高校仕様で、学習机も現在で、教科書も揃っている。今からでもJKやり直せるんじゃないの? って思っちゃうけど、もう17歳じゃない。
立ててある教科書類の中、日本年表が目についた。覚えるの苦手だった。いい国作ろう、鎌倉幕府。でも鎌倉幕府が1192年ではなかった、なんていう話も出てたな。史実もあてにならない。
パラパラと開けてみたら、はじめのほうに、邪馬台国の記述がある。国宝になった金印の写真が載っている。
「……!」
卑弥呼。邪馬台国を治めた女王は、シャーマンでもあった、などという記事、授業では10分ほどで聞き終わった部分だ。それ以上に触れる記述もなく、それ以降に授業に現れることもなかった。
年表には、もう少し詳しく書いてある。
「卑弥呼は鬼道に仕え、よく大衆を惑わし、その姿を見せなかった。生涯夫をもたず、政治は弟の補佐によって行なわれた」
夫、持たなかったんだ?
姿を見せなかったんだ?
……弟が、いたんだ?
という、その文章を読んだ途端、胸が締め付けられ、嗚咽が漏れた。涙が溢れてきた。
ちょっと待って、何なの私、どうしたの。訳が分からない。
嬉しいんだか悲しいんだか、まったく自分の感情が分からなかった。
「ちょっと下に来て」
そんな、ある日。
リビングに呼ばれた私は、あらたまった両親から衝撃の事実を聞かされた。
「あなたには、兄がいるの」
とはいえ頭脳は女子高生のままだ。眠っていた10年の記憶もない。
お母さんが睡眠学習などと言い、私の耳もとで英語を聴かせたり方程式を朗読したりしてたそうだけど、寝てたというより仮死状態だったんだから、もちろん覚えている訳がない。
呼吸器が外れても、私は水さえ嚥下できず、ずいぶん点滴のお世話になった。点滴で充分ご飯が摂れてるから大丈夫だよと言われたが、味気ないことこの上ない。
目覚めてから初めて口に出来たのは、お母さんが食べようとしていた、あんぱんだった。
「少しだけ食べてみる?」
と、指に乗せてくれた、一欠片の餡こ。
これが食べられて、美味しいと感じられて。看護師さんには叱られたけど、そこから私は、めきめき回復した。水が飲めて、お粥が食べられて、お味噌汁が飲めて、お魚が食べられるようになった。
トイレも行けるようになり、念願となっていたシャンプーもしてもらえて、ついに自分でシャワーも出来て、やっと身体が軽くなった気がした。生まれ直したような日々だった。
高校中退という不名誉な人生になってしまった私の行く末は、なかなかに困難で。事情を話してもマトモな職に就ける訳もなく、だが社会生活にも慣れなきゃいけないので、ひとまず簡単なバイトから始めることになった。
簡単なとはいえ、11年のブランクだ。何かと微妙に進化している。
携帯電話はスマホとかいう薄い板になってるし、みんなバリバリにパソコン使ってるし。
レジ打ち程度なら……と思ってスーパーに面接に行くも、現金じゃない決済の方法やら、商品のバーコード管理やら、見たこともない機能がいっぱいだった。覚えることが満載だ。
なのに物覚えが悪くなってる感覚があって、余計にもどかしい。いや高校の頃に勉強できてたかっていうと、そんなことなかったけど。
10年前の自分の怠惰に苦しめられるとは、思わなかったわー。もっとしっかり頭使っておけば良かった。
だが、失われた青春を嘆いても仕方がない。生まれ直したことだし、私は帰宅すると両親と沢山、話をした。土日には家族で外出もした。体力作りにも励んだ。
ずっと呼びたかった「お母さん」呼びは、意外にもすんなりと言葉にできた。あまりにも自然すぎて、継母も自分が初めてそう呼ばれたことに気付かないほどだった。
気付いたお母さんと、それに気付かれて恥ずかしくなった私とで、顔を合わせて笑ったりもした。
お母さんが作ってくれるご飯が全部美味しくて、ありがたくて、めっちゃ噛み締めてしまう。あまりにも美味しい美味しいと褒めすぎて、お父さんが爆笑し、お母さんが真っ赤になって「いい加減もういいから」と、ふくれたりもした。
「だって本当に美味しいんだもん」
「あんた目覚めてから、ちょっと性格変わったわね?」
などと言われたが、自分じゃよく分からない。
「正直もっと落ち込んで、家に引き籠もったりしないかしら、と心配だったの。でも杞憂だったわ、良かった」
お母さんが、そんなことを言った。言われてみれば、10年も植物人間だった割には、ポジティブかも知れない。
確かに以前の私なら、こんな訳の分からない状態に嘆いて、バイトも嫌になって投げ出して、部屋に籠もりたかったかも。でも、せっかく元気になれたんだから、引き籠もってちゃ勿体ないのだ。
部屋はまだ高校仕様で、学習机も現在で、教科書も揃っている。今からでもJKやり直せるんじゃないの? って思っちゃうけど、もう17歳じゃない。
立ててある教科書類の中、日本年表が目についた。覚えるの苦手だった。いい国作ろう、鎌倉幕府。でも鎌倉幕府が1192年ではなかった、なんていう話も出てたな。史実もあてにならない。
パラパラと開けてみたら、はじめのほうに、邪馬台国の記述がある。国宝になった金印の写真が載っている。
「……!」
卑弥呼。邪馬台国を治めた女王は、シャーマンでもあった、などという記事、授業では10分ほどで聞き終わった部分だ。それ以上に触れる記述もなく、それ以降に授業に現れることもなかった。
年表には、もう少し詳しく書いてある。
「卑弥呼は鬼道に仕え、よく大衆を惑わし、その姿を見せなかった。生涯夫をもたず、政治は弟の補佐によって行なわれた」
夫、持たなかったんだ?
姿を見せなかったんだ?
……弟が、いたんだ?
という、その文章を読んだ途端、胸が締め付けられ、嗚咽が漏れた。涙が溢れてきた。
ちょっと待って、何なの私、どうしたの。訳が分からない。
嬉しいんだか悲しいんだか、まったく自分の感情が分からなかった。
「ちょっと下に来て」
そんな、ある日。
リビングに呼ばれた私は、あらたまった両親から衝撃の事実を聞かされた。
「あなたには、兄がいるの」
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