鍋で狸とおんぼろ一軒 爺様の遺産は規格外

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第三十五話 鍋狸は親分肌 

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色々ツッコミどころはあった物の、鶴はとりあえず納得する事にした。
目の前で行われている物を、なかった事にはできやしないのだから、受け入れた方が気が楽である。
たとえどんなに

「薪の代金は? いくら最近のボイラーが雷池式でも、かなり消耗するんじゃないの?」

とか

「コインランドリーの機材をどうやって運んだの?」

とか思っても仕方がない。何て言ったって無茶を通してしまうのが、この化け狸なのだから。
鶴はいそいそと食洗器の中に入れられていく器たちを眺め、なんとなくお茶を二人分入れておくと、狸が嬉しそうに笑った。
天下一の美貌の顔で笑うのだ、それはそれは洒落にならない攻撃力を持っているし、貫通力だって持っている。
造作は天下一、世界一、こんないい男見た事ないと断言できる顔が、邪気なく笑うのだ。
この邪気のなさに、厭味とかやっかみとかが抜けてしまう。毒気のなさに、気が緩む。
もともと鍋で狸だった時は、遠慮なんて何もしなかったのだから、とても今更なのだが。

「ありがとうよ。誰かに入れてもらうお茶もうまいなあ」

「適当に入れたのに」

「適当だろうが何だろうが、入れてくれる心ってのが大事だって、修二郎が言ったぞ。さて、夜の八時まで風呂番してるから、鶴は休んでいろよ」

「うん……」

「明日だって休みなんだろう? 明日こそ、思いっきり遊びまわったらどうだ。それに靴だって新調したいだろう。靴を選ぶのは時間がかかる。女の靴は男よりも種類が豊富だから、悩み甲斐があるんだって聞いたぞ」

「誰から」

「それは決まってんだろ、修二郎だ」

「ブンブクの基準って何でも爺様なんだね」

「そうでもないぞ、おいらはちょいとばかり長生きだからな、色々な人間をたくさん見てきた」

ただ、とブンブクが続ける。

「一緒になって笑ったり遊んだりした奴は、修二郎だけだったって話さ。おいらはあいつに知恵比べで負けたんだ」

それはいつかの昔に、知恵比べで負けた事を、残念がるでもなく、悔しがるでもなく、ただただ、懐かしく楽しかった日々を思わせる口ぶりだった。

「……爺様と一緒で楽しかった? 何十年も」

「そりゃあもちろん、思いっきり楽しかったぜ、何だってやったんだ。あいつと一緒にたくさん楽しんで、うまいもの一杯食って、昼寝して。あいつといる時間は、悪くなかったぞ」

だから、爺様が物差しの基準なのか。鶴は狸がそれだけ楽しんだ事実と、爺様もそりゃあ楽しかっただろうな、と感じた。
こんな気持ちのいい相手と一緒だったのだ。爺様はさぞたのしい毎日だっただろう。ご飯もおいしいし。
どこをどう見ても傷のない、色男の見た目でブンブクは、番台の方に去って行った。残された鶴は、お茶を飲んだ後、靴をどこに見に行こうか、と考えながら、明日の予定を立てようとしていた。
候補をいくつか考えて、そこに行く道のりや、明日も行われている蚤の市を回避する経路を探していると、にわかに銭湯の方が騒がしくなった。
時間を見ると、もうすぐ八時で、銭湯は閉まってしまうはずである。
だが、わらわらと、泥に汚れたりなんだか濡れていたり、汗をかいた後なのか匂いがきつそうだったりという男たちが、銭湯にどんどん入っていく。その数、八人。
銭湯は閉まるんじゃなかったのか。怪訝な彼女はブンブクに詳細を聞こうと思い、立ち上がった。
勝手口に、いつの間にか置かれていた、おばさんくさいサンダルをはいた鶴が、銭湯に向おうとしていると、遠くの方から何人かの、ユニフォーム姿の学生が走って来る。
皆泥んこ塗れである。あれは外で活動する学生だな、と一目でわかる身なりだ。
彼等は走り込んできて、銭湯の暖簾を外そうとしている……おかしい、さっき入れた男たちは何だったんだ?……ブンブクに頼み込み始めた。

「お兄さんお風呂入れて!」

「兄ちゃん入れて!!」

「こんな泥まみれで帰ったら、かーちゃんに家に上げてもらえないんだよ!」

「おれこの前、川で水浴びしてから入って来いって言われちゃったんだよ!」

「川で水浴びすんの寒いんだよ!」

「入れてちょうだい!!」

彼等の言葉から判断して、どうやら外で活動する部活の生徒たちは、汚れがひどすぎて、家の人に怒られまくっているらしい。
そして泥を落してから帰ってこいと言われてしまった様子だ。

「しっかし、このあたりの学生だろう、よくここが分かったなあ」

ブンブクが感心したように言う。すると一人が頭上を指さして言った。

「あの赤ちょうちんと、温泉のマークが見えたから!」

ブンブクが上を見上げる。上には当然、看板がある。レトロというにもなんだかセンスのない、狸印の銭湯の看板だ。

「そうかそうか、じゃあ、今中で入ってる奴らと一緒に入ってこい。しまい湯だ」

「ありがとうございます!!!」

「その代わり、風呂掃除しろよ。きれいにな。今中に入ってるやつらに聞けば、掃除の仕方を教えてくれるだろう。あと……」

ブンブクの視線が、泥まみれの彼等のユニフォームに向けられる。

「お前らのその泥んこの服、そこの籠に全部突っ込め。どうせ風呂掃除に時間がかかるんだ、洗っておいてやるよ」

「そんな事してもらえんの!?」

「だってかーちゃん怖いだろ」

「怖い! でもお金俺たち持ってなくて」

「しまい湯で風呂掃除ぴっかぴかにしてくれんだろ?」

「はい!!」

ブンブクの笑顔に、彼等がぱっと明るい顔になって、どんどん頭を下げてお礼を言いながら、銭湯の中に入って行った。
しばらく様子を見たブンブクが、手際よく、彼等が脱いで籠に入れた衣装を、コインランドリーに持っていく。
ここで鶴は我に返って、問いかけた。

「そんなサービスしていいの?」

「だって可哀想だろ、かーちゃんに川で洗って来いなんて言われるの。今の時期に水浴びなんて人間には毒だ」

コインランドリーに一気に服を投入し、洗剤を入れてスイッチを押すブンブク。

「でも……」

「それに風呂掃除してもらうんだ、だいたいそれで釣り合いとれるだろ」

やっぱり経営には向いていないんだな、ブンブクは。
鶴は失礼かもしれないが、そんな事を思った。ブンブクは、人情家過ぎる気がしたのだ。
だが……

「ぎりぎりの時間に入って行った人たちって何? 彼等も特別待遇なの?」

「あれ子分」

あっけらかんとした声でブンブクが言い切ったものだから、鶴は聞き逃しそうになった。
だがどう考えても、聞き流していい言葉じゃなかった。

「子分?」

「人間の世界に出稼ぎしに来てる子分だ。あいつらだって、汚れたまま山に帰るのは嫌だろうから、しまい湯使わせるんだよ」

「……ブンブクって、子分いるんだ……」

「子分も舎弟もいるぜ、いーっぱいな」

けらけらと笑ったブンブクは、不意に男湯の方を覗く。

「どうした?」

鶴が見えない方から声がする。

「親分! 石鹸が足りません!」

「ちょっと待て、出してやるから」

「うっす!」

ブンブクは番台の引き出しの中から、石鹸の箱を一つ掴み、無造作に男湯の中に放り込んだ。

「ちゃんと受け取れよ」

「はい! ありがとうございます!」

コインランドリーに入れていた洗濯物が、乾燥機によって綺麗に乾いたころには、銭湯の中はシミも曇りも一つもない、それは綺麗な状態にまで清められていた。
そしてユニフォームを洗ってもらった学生たちが、何度も何度も頭を下げながら、家路に向い……

「ごちそうになります!」

「まさか家でご飯まで食べさせるとは」

鍋狸の八匹の子分らしい奴らは、家の前に大きな座卓を出して、そこでブンブクの作った食事を大賑わいで食べるという事になっていた。
だからいっぱい野菜炒めも味噌汁も、魚も焼いてあったのか。ブンブクの手際の良さに感心するものの、こんなに毎回毎回食事をしに来られても……とちょっと訳が分からなくなった鶴だった。

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