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材料たちはそして小鍋に入れられて、少量の水が加わり、蓋が締められる。
「水で煮ないの」
「まずは蒸す。その方が味が出る」
「へえ……」
「お腹に優しくなるためには、くったくたに煮た方がいいでしょ。それにはこっちのほうがおいしいと思う」
そしてほどなく蒸された野菜たちを、大匙で一口食べて味見をした晴美が、水と塩、それから顆粒だしを投入した。
さらにはケチャップを豪快に入れたので、依里はさすがに問いかけた。
「顆粒だし、カツオなんだけど」
「トマトの味噌汁ってあるでしょ、だからかつおだしでもそこまでまずくならない。美味しいよ」
「へえ……」
依里はあまり食べた事のないものになりそうだな、と思いつつ、家具の中で唯一梱包されていないテーブルと椅子に腰かけ、晴美の手際の良い調理を見ていた。
沸騰してから味を見た幼馴染が、それをお椀によそってテーブルに置く。
「……意外といい匂い」
「美味しいから。それにくったくたに煮たから、食べやすくなってるよ」
そう言った晴美が先に、自分の分のお椀に口をつける。
それを見てから、依里は自分のお椀に口をつけた。
「ちょっと和風のトマトスープ?」
「美味しいでしょう」
「なんか騙されたと思ったのに、意外といける」
みじん切りのキャベツも大根も、柔らかく柔らかく煮えていて、肩の力が抜ける味だ。思ったよりもケチャップの味が強く出過ぎていないので、飲みやすい。
魚肉ソーセージがここでいい味を出し、肉っけとして機能しているから、物足りなさが薄かった。
「冷凍ご飯も朝全部使いきっちゃったからね、パン、今食べても大丈夫だよ」
「いや、これだけで大丈夫」
「ふうん」
言いつつ晴美は袋のパンをいくつか食べ始める。お腹が空いていたのはこの男の方だったらしい。
「明日はちゃんといろいろ手伝うからね」
「荷物がスーツケース一つだけの男に、言われても」
「だって修行行きやすいんだもの」
この幼馴染が、世界各国に修行に行っていた事は、彼女も知っている。学生時代に噂になった事があったからである。
いつでもスーツケース一つで、どこにだって行けるというのは、晴美の強みだったに違いない。
お気に入りの物はいつでも近くにある、というのはどこに行ったって、心を柔らかくしたに違いない。
「通常使用の布団が寝袋だもんな」
少しふざけた依里に、それは大真面目な顔で、晴美が答える。
「だから実家でお布団に入ると、幸せ指数が跳ね上がる」
あんまりにも真顔で言われて、依里はつい笑い出した。
大騒ぎの隣人は、今日もどたばたと騒音を響かせているが、今日はそこまで苛々とした気持ちにならなかった。
料理人という物は、朝から仕込みの作業があるから、朝が早い人種なのだろうか。
依里は朝方の五時頃に、ごそごそという物音で目を覚ました。
「……」
いったい何なんだ、晴美、お前は何をやりたいんだ。
そんな事を思いつつ薄目を開けると、幼馴染は愛用の寝袋からはい出していて、スマホのチェックをしていた。チェックしてそれからどうするのだ、と思わないでもないが、薄暗い部屋でスマホの画面の光が明るい。
大体何かをチェックし終えたらしい晴美は、そのまま寝袋に逆戻り……しなかった。
昨日はそんな時間に起きなかったじゃないか、と思ったわけだが、こいつは遠足の前日に超早起きするやつだったな……と依里は昔の事を思い出した。
たしか、楽しみ過ぎてやっぱり五時起きだか四時起きだかをして、遠足のバスの中で、目的地まで爆睡してたっけな……という些細な思い出が記憶の中から引っ張り出される。
そんなに引っ越すのが楽しみなのだろうか。
よく分からなかった。
だが自分は眠い。いくら苛々しなかったとはいえ、明け方三時までぎゃあぎゃあと隣人に騒がれていたのだ。もう少しだけ眠りたい。
目覚まし時計は7時にセットしてある、それまで寝よう……と思い、依里は布団にくるまり直した。
晴美が何をするのか、そこでもう興味はなくなっていた。
ヨガでも何でもやってくれ、ただし音を立てないでくれ、という事くらいしか、思わなかった。
目覚ましのアラーム音で目を覚ます。よく寝た、と思いながらもまだ眠たい。二度寝はたっぷり眠りたい依里であるが、今日は引っ越しだからこの時間に起きなくてはならないのだ。
引っ越すからである。割合早い時間に引っ越し業者に来てもらう事になっているため、あまり寝坊助ではいられない。
アラームのがなり立てる音を、手探りで止めてしばし沈黙。それから身を起こし伸びをして、顔を覆って欠伸をする。大体起きる時なんてこんなものである。
それから布団からはい出し、立ち上がって顔を洗うために風呂場に行くと、幼馴染はキッチンに置かれている椅子に座って、何かをスマホでチェックしていた。
「おはようヨリちゃん、おれねえ、楽しみ過ぎて早起きしすぎちゃった」
「だろうな」
「今日は日曜日だから買い出しにちょうどいいねえ」
「はあ」
楽しそうな声である。朝っぱらから不機嫌な声を出されるよりはずっといい。そんな事を思いながら、彼女が顔を洗い終えてキッチンに戻ると、彼女のマグカップの上に、小さな皿が乗せられていた。何なんだ。
「紅茶淹れておいたよ」
「……ああ」
晴美が笑顔でそんな事を言うから、依里は一瞬反応に遅れた。紅茶を淹れておいたってなんだそれは。
「イギリスで修行してた時に、ジェントルマンに習ったんだけど、朝男は、女の人に目覚めの紅茶を淹れなくちゃいけないんだって」
「はあ」
「水で煮ないの」
「まずは蒸す。その方が味が出る」
「へえ……」
「お腹に優しくなるためには、くったくたに煮た方がいいでしょ。それにはこっちのほうがおいしいと思う」
そしてほどなく蒸された野菜たちを、大匙で一口食べて味見をした晴美が、水と塩、それから顆粒だしを投入した。
さらにはケチャップを豪快に入れたので、依里はさすがに問いかけた。
「顆粒だし、カツオなんだけど」
「トマトの味噌汁ってあるでしょ、だからかつおだしでもそこまでまずくならない。美味しいよ」
「へえ……」
依里はあまり食べた事のないものになりそうだな、と思いつつ、家具の中で唯一梱包されていないテーブルと椅子に腰かけ、晴美の手際の良い調理を見ていた。
沸騰してから味を見た幼馴染が、それをお椀によそってテーブルに置く。
「……意外といい匂い」
「美味しいから。それにくったくたに煮たから、食べやすくなってるよ」
そう言った晴美が先に、自分の分のお椀に口をつける。
それを見てから、依里は自分のお椀に口をつけた。
「ちょっと和風のトマトスープ?」
「美味しいでしょう」
「なんか騙されたと思ったのに、意外といける」
みじん切りのキャベツも大根も、柔らかく柔らかく煮えていて、肩の力が抜ける味だ。思ったよりもケチャップの味が強く出過ぎていないので、飲みやすい。
魚肉ソーセージがここでいい味を出し、肉っけとして機能しているから、物足りなさが薄かった。
「冷凍ご飯も朝全部使いきっちゃったからね、パン、今食べても大丈夫だよ」
「いや、これだけで大丈夫」
「ふうん」
言いつつ晴美は袋のパンをいくつか食べ始める。お腹が空いていたのはこの男の方だったらしい。
「明日はちゃんといろいろ手伝うからね」
「荷物がスーツケース一つだけの男に、言われても」
「だって修行行きやすいんだもの」
この幼馴染が、世界各国に修行に行っていた事は、彼女も知っている。学生時代に噂になった事があったからである。
いつでもスーツケース一つで、どこにだって行けるというのは、晴美の強みだったに違いない。
お気に入りの物はいつでも近くにある、というのはどこに行ったって、心を柔らかくしたに違いない。
「通常使用の布団が寝袋だもんな」
少しふざけた依里に、それは大真面目な顔で、晴美が答える。
「だから実家でお布団に入ると、幸せ指数が跳ね上がる」
あんまりにも真顔で言われて、依里はつい笑い出した。
大騒ぎの隣人は、今日もどたばたと騒音を響かせているが、今日はそこまで苛々とした気持ちにならなかった。
料理人という物は、朝から仕込みの作業があるから、朝が早い人種なのだろうか。
依里は朝方の五時頃に、ごそごそという物音で目を覚ました。
「……」
いったい何なんだ、晴美、お前は何をやりたいんだ。
そんな事を思いつつ薄目を開けると、幼馴染は愛用の寝袋からはい出していて、スマホのチェックをしていた。チェックしてそれからどうするのだ、と思わないでもないが、薄暗い部屋でスマホの画面の光が明るい。
大体何かをチェックし終えたらしい晴美は、そのまま寝袋に逆戻り……しなかった。
昨日はそんな時間に起きなかったじゃないか、と思ったわけだが、こいつは遠足の前日に超早起きするやつだったな……と依里は昔の事を思い出した。
たしか、楽しみ過ぎてやっぱり五時起きだか四時起きだかをして、遠足のバスの中で、目的地まで爆睡してたっけな……という些細な思い出が記憶の中から引っ張り出される。
そんなに引っ越すのが楽しみなのだろうか。
よく分からなかった。
だが自分は眠い。いくら苛々しなかったとはいえ、明け方三時までぎゃあぎゃあと隣人に騒がれていたのだ。もう少しだけ眠りたい。
目覚まし時計は7時にセットしてある、それまで寝よう……と思い、依里は布団にくるまり直した。
晴美が何をするのか、そこでもう興味はなくなっていた。
ヨガでも何でもやってくれ、ただし音を立てないでくれ、という事くらいしか、思わなかった。
目覚ましのアラーム音で目を覚ます。よく寝た、と思いながらもまだ眠たい。二度寝はたっぷり眠りたい依里であるが、今日は引っ越しだからこの時間に起きなくてはならないのだ。
引っ越すからである。割合早い時間に引っ越し業者に来てもらう事になっているため、あまり寝坊助ではいられない。
アラームのがなり立てる音を、手探りで止めてしばし沈黙。それから身を起こし伸びをして、顔を覆って欠伸をする。大体起きる時なんてこんなものである。
それから布団からはい出し、立ち上がって顔を洗うために風呂場に行くと、幼馴染はキッチンに置かれている椅子に座って、何かをスマホでチェックしていた。
「おはようヨリちゃん、おれねえ、楽しみ過ぎて早起きしすぎちゃった」
「だろうな」
「今日は日曜日だから買い出しにちょうどいいねえ」
「はあ」
楽しそうな声である。朝っぱらから不機嫌な声を出されるよりはずっといい。そんな事を思いながら、彼女が顔を洗い終えてキッチンに戻ると、彼女のマグカップの上に、小さな皿が乗せられていた。何なんだ。
「紅茶淹れておいたよ」
「……ああ」
晴美が笑顔でそんな事を言うから、依里は一瞬反応に遅れた。紅茶を淹れておいたってなんだそれは。
「イギリスで修行してた時に、ジェントルマンに習ったんだけど、朝男は、女の人に目覚めの紅茶を淹れなくちゃいけないんだって」
「はあ」
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