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本編第五話 雨の中の親子

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外は運が良いのか悪いのか、雨が降っている。嵐ではない事が幸運だという事かもしれない。
この季節は、突然の嵐なども起きるのだ。
そう考えればやはり、嵐でなくてただの雨、というのは、いい事なのだろう。
白の森の中で、狩人をして、野営をしている夫のためにも、嵐でなくて本当に良かった。
そんな事を思うヒルメとは違い、雨が降ると外には出られないタマヨリは、唇を尖らせている。

「あーあ、雨だ」

「学校が今日はお休みでよかったでしょう?」

雨が降ると学校に行くのが負担になる子供や、雨の日は雨の日にしか行えない仕事がある家の子供などが割といるため、雨が降ったら強制的に、学校がお休みなのがこの地域である。
傘を使えなどといわれても、傘を持っている人間の方が少ないのが、このあたりの住人なのだ。
何故少ないのかといえば、それを作る技術を持っている人間がいないからである。
この周辺で傘を売っているのは、一番近い町である。町と村の違いは、石畳で出来た道を持っているかどうかとも言えた。
石畳に覆われた場所は、町と堂々と言えるのだ。
そして、町の人間の方がお金を持っているため、傘がよく売れる。
そう言った事情もあって、この村に傘を張る人間はいない。
この村では、傘は万時屋ともいわれる何でも屋が、荷馬車いっぱいに積んでくる雑多な物の中から、購入するものであった。

「それに、雨が降ったら川が広まるわ。学校に行く道の途中の川は、雨が降るとすぐに広がるんだもの。母様は恐ろしくて、あなたを外に行かせられないわ」

子供が親の目をかいくぐり、大きくなった川を見に行き、そのまま見つからなかった、というのはたまに聞く話である。
村の住人達もそれは警戒している。そして子供たちには、よくよく言い聞かせているため、雨が降ったら子供たちは、川に近付かない。
ヒルメは縫物をしながら、雨粒を数えだした我が子を見る。
今日は機織りはしないのだ。雨が降ると糸が膨れてしまうため、布の織り目が荒くなる。
目の粗い布地は、あまりいい値段のものと交換ができない。
それに、膨れた糸は、あちこちに引っかかり、なめらかに織れないのだ。
それゆえ彼女は、雨の日にしか行わない事もする。

「タマヨリ、母様の傍にいらっしゃいな。学校では習わない、色々な事を教えてあげるわ」

「やった!」

子供はすぐさま駆け寄ってきて、彼女の隣の、父のお手製の椅子に腰かけた。

「母様のお話って、村とか学校のお話と全然違うんだもの。とっても面白い。でもどうして村とかでは聞かないの?」

「母様が、それはそれは大きな町で育ったからよ。大きな町のあれこれと、村の常識は、ずいぶんと違うものなの。母様も最初はとてもびっくりしたわ」

タマヨリが不思議だという顔をして、彼女の顔を見上げる。

「母様はどうして、そんな大きな町から、白の森の外れまで来たの?」

「父様と来たのよ。父様と結婚するために、ここに来たの」

こてん、と子供の首が傾げられる。これだけでは腑に落ちなかったらしい。
無邪気な質問が、その口から飛び出す。

「父様と一緒がよかったの? 母様のかあさまや、とうさまは?」

「母様の身内や、近い親戚は、皆疱瘡にかかって死んでしまったの。疱瘡が怖いのは知っているでしょう?」

「うん」

子供ですら、その病の恐ろしさは知っている。致死率が異常に高いのだから。
そして大人たちが常ならぬほど過敏になる事は、子供にとって明確な恐ろしさになるのだ。

「タマヨリ、母様のお顔を見てごらん」

ヒルメは子供に顔を寄せた。彼女の顔には痘痕がある。

「母様のお顔には痘痕があるでしょう? これは疱瘡の痕なの。疱瘡が治る時、こういう痘痕を残す事もあるのよ」

そのため貴族の女性たちは、疱瘡をことごとく忌み嫌った。そして痘痕のある女性と言う物に対しても、拒否感を募らせたものだ。
貴族の女性たちの美の基準からして、そう言った物は著しく醜いものなのだから。
貴族の男性たちも、痘痕のある女性はあまり好まないのも事実だ。
たまごのように滑らかな肌こそ、美の象徴とさえ言われる。

「タマヨリが生まれる前は、もっと痘痕が目立つ顔だったの。色々大変な事もあったけれど、あなたと父様が一緒だから、もうなんでもない事だわ」

「じゃあ、父様とオレが、母様の家族なんだね!」

「そうよ、大切な大事な、家族よ、決まっているでしょう」

子供の頭をなでながら、ヒルメは一つずつ話していく。
町の色々な体験を話すのだ。危険な事も楽しい事も、少しずつ。
彼女は偽って教えたりはしなかった。タマヨリには、出生の秘密がある。これ以上、子供に隠し事をしたくはなかったのだ。
そして、きちんとした知識があれば、色々な危険を回避できる事も、この人生でよく分かっていた。
そのため、子供相手という事もあり、彼女の言葉は簡潔で、七つの子供もよくわかる。

「町っていつでもお祭り騒ぎなんだね」

「いつでもというわけじゃないけれど、このあたりと比べたら、そう思ってしまうかもしれないわね」

「母様はそこから来たんでしょう?」

「ええ、危ない町もたくさんあるし、お祭り騒ぎをしない町もあるわ」

「母様が暮らしていたのは町なのに、危なかったりしたの?」

母親が暮らしていたのだから、そんなに危険はないのではないか。
そう思う子供に、彼女は微笑んだ。

「母様も色々大変な事がたくさんあったわ。タマヨリが生まれるくらいの時……」

口が滑った。ヒルメは喋りだして後悔した。これを言うには、子供は幼すぎる。伝えてはいけない事だ。そんな物誰だってわかる。
彼女は嘘を言わない代わりに、言葉を包んだ。

「生きていて一番の苦労をしたわ」

「父様はいなかったの?」

「父様とはその頃に会ったのよ」

もっと成長していれば、言葉の含みなどに気付いただろう。
だが子供はまだ気付かない。
気付かないままでもかまわない。
いつかそれに気付いた時に、真実を求め、その真実を受け止められる器の男の子になっていれば、いいのだから。
その頃になればきっと、今よりも、ヒルメの心のどこかの、壊れて直らない場所も、ましになっているはずだから。
真実を知った後、この子に捨てられてしまっても、受け止めきれる。そんな気がしていた。
しかし考えていた子供は、無邪気に笑った。

「すごいね、母様が一番大変な時に、父様が、助けに駆けつけて来てくれたんでしょう?」

そういう考え方はなかった。ヒルメは少し目を見開いた。

「そうね、今思えば、父様は助けに来てくれたのだわ」

地獄の底ではいつくばっていた自分を、何もかもを無視して、拾い上げて助けてくれたのだ。
それが夫、ヒハヤの強さであり優しさだろう。

「父様ってやっぱり、すごいね!」

自分の父親はすごいのだ。誇らしげに胸を張った子供は、何よりもいとおしかった。
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