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三十五話
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なぜそんなところに彼女がいるのかという訳がわからない疑問と、勝てるわけがないという二つの意味で。
☆☆☆☆
師匠と暮らしていたころ、私は彼女の家事をほぼすべてこなしていた。
「キアス、私は葡萄酒がいいー」
師匠は朝っぱらからお酒を飲みたがった。お酒は水ではない。
「駄目です。朝はお酒を飲だら駄目だって言いましたよね」
「私はいたって健康体だ。だから、問題ない」
師匠は瓶が大量に入った棚に向かい、手を伸ばす。
私は手に持っていたナイフを投げ、木製の棚に突き刺す。
「駄目って言っていますよね?」
私は精一杯に威圧する。建物がかたかたと揺れ、軽い地震のような現象が起こった。
「うう……、けちんぼ」
師匠は椅子に渋々座り、両手を握り合わせた。食材の命に祈りを捧げ、食事をとり始める。
「ありがたくいただきます」
私は村を助けてくれなかった神は嫌いなので食材を育ててくれた農家さんに感謝して朝食を得た。
「ふぅー。食った食った。じゃあ、私はちょっと出かけてくる」
師匠は家を出ると忽然と姿を消した。
私は洗い物を終えた後、自分の部屋に向かう。その途中で師匠の部屋の前に来た。
「家を出ていく前に師匠の部屋を一度掃除しないと」
私は家の中で一番汚い師匠の部屋に入った。私がいなかったときは汚部屋で、ゴキブリや鼠の宝庫だった。今は私が管理しているのである程度よくなったが、目をはなすとすぐに汚部屋に戻ってしまう。
部屋に落ちている汚いゴミは一掃し、本や衣類は自分の手で片付けていく。大量の本棚に魔導書を一冊ずつ戻していき、散らばっていた紙は麻紐でしっかりと纏めて机の上に置いた。衣類は洗濯し、外に干しておく。酒瓶は洗って日向で乾燥させた。
ある程度掃除が終わったころ、私は師匠のベッドに視線を送る。いつも、この瞬間だけは神に感謝していた。枕元に黒い魔導書のような分厚い本が置かれている。生唾を飲み、息を殺しながら分厚い本に手を伸ばす。泥棒のように本をさっと手に取り、表紙を見た。黒い革製の本の表紙に金の文字で『禁断の書』と書かれていた。
「なーにが『禁断の書』だ。師匠ばっかりずるい」
私は禁断の書を開く。本来は真っ新な状態だった紙の上に縦書きで文章が羅列されていた。数文読んで禁断の書を閉じ、ベッドに投げる。
「はわわわわっ。も、もう、読めない」
私は頭を抱え、胸の苦しみに耐える。生まれてこの方男子との接点はほぼなく、師匠の『禁断の書』によって私の男の人格象が形成されていた。
「ふぅ。とりあえず、出発の準備。禁断の書は一冊借りよう」
私は師匠が書いた『禁断の書』の中で一番見つけにくい一冊を手に取り、ローブの下に忍ばせる。
「えへへ、後でじっくり読んじゃおっと……」
私は掃除を終えた師匠の部屋を出て自分の部屋に向かう。禁断の書と出会ったのは約八年前。文字が読めなかったが師匠に何の本か訊いたら痰が絡んだような顔になり『き、禁断の書だ。絶対に見るなよ』と大声で言われた。
最初は『禁断の書』と言われ、禁断の力が手に入り一気に強くなれるのではないかと思い、文字を覚えてからすぐに読み始めた。
理解できなかった。
やはり『禁断の書』なのだと思い、解読に取り掛かった。もちろん、師匠に知られたら半殺しで済まない。細心の注意を払い、掃除の時に読み進めて行くと男性同士がイチャイチャし始めてあれよあれよという間に密接な関係になった。
訳がわからなかったが、そんな展開を読んだ私は心臓が妙に高鳴った。
私が覚えている男の印象はお父さんとか村にいたおじさん、お爺さんくらいしかない。それも、五歳のころの記憶なので、うっすらとしか覚えていなかった。
屈強な男と綺麗な印象の男がイチャイチャしている場面を想像するだけで胸が熱くなってしまった。娯楽が鍛錬の量に比例していなかったのも影響しているのかもしれない。
おじさんとカッコいい男性、男児と太ったおじさん、カッコイイ男性とカッコいい男性など色々な登場人物が出て来て、手に汗握る展開から泣きそうになる場面まで書かれており、読むのが楽しかった。本当に唯一の娯楽だった。『禁断の書』を全て読み切るまで死ねないと思い、師匠の訓練に生き残れた時は数知れず。
そんな私の命綱だった『禁断の書』を書いているのが師匠だと考えると訳がわからなくなる。まあ、そんな師匠に育てられた私も『禁断の書』の話が大好きになってしまい、今では……。
「私もこんな話が書けるようになりたい」
私は師匠の『禁断の書』に感化され、趣味を共有できるようになれたらと思って、同じような話を書き始めた。
☆☆☆☆
私が絶句していると、王座に座っていた者は上段から私を見下ろしてくる。
その目つきは、魔王といわれても納得できるほど鋭い。加えて彼女から発せられる威圧感は、今まで感じた覚えがないほど強烈で、熱風を眼前から受けているようだ。
立っているだけで体力がすり減っていく。冷や汗が止まらず、腰が抜けそうになっていた。もう、失禁していないだけ褒めてほしいくらい気張っている。
今、立っていられるのは魔王の奥にコルトがいるから。ただ、未だに魔王の意図が読めない。
「遅かったな、キアス。待ちくたびれたぞ」
「し、師匠。な、何のつもりですか。いったい、どういう意図があってこんなことを」
「私は言ったはずだ。お前は神から与えられた才能がある。その才能を生かせるよう育てた。その力で人々を助けろと。だが、今まで何してきた」
「二年間、毎日働いていましたよ。最近は、学園に通っていますけど」
「学園に入らなければならないほど、お前はひ弱になったのか? 今のお前が学園で学ぶことなど何一つないだろう。そんな無駄な時間を過ごした結果、どうなったと思う。知らないよな、学園に居たんだから。多くの魔物が増え、各地の街や村で魔物の被害が相次いでいる」
師匠は指先の速度を速め、肘起きを破壊しそうなくらい力強く叩いていた。見るからにイラついている。
「一人で全ての依頼をこなすなんて無理です。私は一人の女の子なんですよ」
「何度も言わせるな。お前は私を凌ぐ才能を持っている。真面に働いていれば、全ての仕事を問題なくこなせていたはずだ。冒険者ギルドや学園に居たならわかるだろ、お前の強さが。強さを持つお前が誰よりも働かずにどうする。多くの者がお前が働かなかったから死ぬんだぞ」
師匠は私の身に余るほどの責任を押し付けてくる。
確かに私は他の者より強い。だからって全ての依頼をこなせるわけがなかった。そりゃあ、仕事だけに集中すればこなせるかもしれない。でも、趣味や休みを潰してまで働くなど、私にはできない。
「師匠、そろそろ教えてくださいよ。国を巻き込んでまでやりたかったことは何ですか。まさか、私に説教するためだけに、多くの人達を危険にさらしたわけじゃありませんよね……」
「キアスが仕事をさぼれば、どれだけ多くの者が苦しむのか現実で見せてやっただけだ。言葉で言われるよりわかりやすかっただろう。お前が働かないだけで国は簡単に滅びる。まあ、あんな無能ばかりがいる国、滅んだところで私に関係ないが」
「じゃあ、コルトを攫ったのは何でですか。彼は何の関係もありませんよ」
「キアスに男など必要ないだろう。こいつと遊んでいる時間があるなら働け。働かないお前に価値などない。才能を無駄遣いするな」
「……才能才能って、そんなに言うなら師匠が身を粉にして働いたらどうですか。こんなところで時間を使っている方がもったいないでしょ。師匠が働けばそれだけ、多くの人が救えますよね」
私を助けてくれた時のように、師匠が働けばそれだけ多くの者が助かる。
なのに師匠は魔族領で元魔王城に居座っていた。もし、ザウエルとカプリエルが言っていた魔王が師匠なら、彼女は二年前から定期的に魔族領に足を運んでいたのだろう。強い者が働かなければならないなら、師匠が誰よりも働くべきだ。
「嫌だ、働きたくない」
師匠から返ってきた言葉に私は言葉を失う。八年も一緒にいれば、何となくわかっていたが、彼女はずぼらだ。
「私は十分働いた。もう、ずっと働いてきた。人生で一度しかない青春を捨て、恋愛を捨て、趣味を捨て、何もかも捨てて仕事してきた。強い奴は頼られる。仕事できる奴はこき使われる。それで残ったのは、何だ。金だけだ」
師匠の話を聞くと、春頃の私を思い出す。師匠も私と同じ気持ちになっていたようだ。
「老けていく自分と預金通帳だけを眺める日々ほど空しいもんはない。だが、弱い者は身を守れない。誰かが自分を捨て働き続けるしかないんだ。たった二年しか働いていない癖に泣き言を言うな」
師匠は王座の肘起きを掴み、握りつぶした。辺りの空気が震えだし、ステンドグラスに亀裂が入る。
「師匠は変わるのが怖かっただけですよね。学生生活を謳歌している私を知って嫉妬したんですか」
「なんだ、二年間で言うようになったじゃないか……」
「他人のために強くなろうとする者、憧れのために頑張ろうとする者、責任を果たすために努力する者、その他、多くの者を見てきました。私は彼らのような信念や責任感を一つも持っていませんでした。だから、二年で音を上げてしまったんです」
「信念? 責任感? そんなもの、何の役にもたたない。出来る仕事をやり続ければいい。キアスは私の代わりに身を粉にして働いていればいいんだ。それだけで多くの者が救われる」
「私は自分を犠牲にしてまで働きたくありません。でも、私が出来る仕事はこなすつもりです。師匠、今からでも変わろうと思えば変われます。国に謝罪してください」
「嫌だ。私は私が生きたいように生きる。もう二度と仕事などするものか。仕事を押し付けてくる奴らが悪い。私の人生を奪った奴らなど消えてしまえばいい。キアスが仕事しないというのなら、あんな国、潰してしまったほうがマシだ」
「鍛えてくれたことは感謝してますけど、自分で助けた魔人の忠誠心を利用して国に迷惑をかけるなんて見損ないました。それに、私の大切な人が守ろうとしている国を危険にさらそうとする師匠を見過ごすわけにはいきません」
私は拳を構え、腹に力を込める。師匠と殴り合って勝てる気はしないが、一発殴ってやらないと気が済まない。
「私とやろうっていうのか。良いだろう、受けてやる。だが……、手加減は一切無しだ。簡単に死んでくれるなよ」
師匠は自分が座っていた王座から立ち上がり、羽織っていた白い外套を脱ぎ捨てる。仕事していないとは思えないほどの肉体美が曝された。年齢不詳だが、まだ全然若く見えるくらい肌艶がいい。
王座を片手で握りしめ、木製の椅子でも投げつけてくる感覚で軽々と放ってくる。推定三〇〇〇キログラムはありそうな王座なのに。
私は回避せず、拳で王座を破壊。無暗に動く方が隙を作ってしまう。ただ、王座を破壊した真正面から師匠の蹴りが飛んできた。扉が開いた瞬間に巨大な虎が目の前から現れて襲われるより死を覚悟する。
頭を傾けて師匠の蹴りを間一髪回避した。ただ、勢いのある回し蹴りが流れるように繰り出される。
師匠の化け物のような体幹によって生み出された蹴りを左腕で受け止めるつもりだったが、勢いが強すぎて堪える時間すら貰えず軽々と蹴り飛ばされた。
私の細腕は師匠からすれば小枝も同然。当たり前のように砕け散っており、グシャグシャ。くそ痛い。
壁に衝突する前に空中で体勢を立て直し、靴裏で壁に踏ん張り、衝突を防止。その後、回復魔法で腕を治療しながら師匠の死角を取るため王の間を脱兎のごとく走り周り、後頭部目掛けて突っ込む。
「おっらあ」
右拳を師匠の後頭部に放つも、背後に目が付いているのかと疑うほど完璧に回避され、顎下に師匠の拳が迫りくる。もう、ギロチンが迫ってくるようなものだ。
「『無反動砲』」
私は拳の先に魔法陣を展開、瞬時に発動。その影響で私の体は空中に静止。頭をもたげるように師匠の拳を回避。
師匠の腕が伸び切ると天井の壁画に亀裂が入るほどの空気圧が目の前を通過。拳を受けていたら頭が弾け飛んでいてもおかしくなかった。
回避したのもつかの間、師匠が振り向くと同時に右拳が頬を撃ち抜き、凄まじい衝撃と床に何度も体を打ち付ける痛みが全身に走る。歯が折れたら嫌なので、顔を狙わないでほしい。
そんなことを考えても、師匠は私を殺す気満々。無傷で勝つのはほぼ不可能だろう。
「どうした、その程度で私に勝てるとでも思っていたのか?」
「ほんと、魔王みたいな強さですよね……」
私は二年以上仕事してきたが、師匠以上に強い相手と戦った覚えがない。仕事していたとはいえ、自分よりも強くない相手と戦っていただけ。
おそらく私の強さは二年前と大差なかった。その私が師匠とどう戦えばいいのだろうか。
何もいい案が浮かばない。このまま、コルトと共に逃げようとしても師匠をまける想像ができない。転移魔法を使おうとしても解除されるのが落ちだ。
師匠の体術は超一流、魔法も天才的、体力お化けで、鋼の肉体を持っている。人間というより本当に魔王の方が近いんじゃなかろうか。虎を思わせる肉体美から繰り出される拳の一撃は巨岩を砕き、目にもとまらぬ速さで動き回り、洞察力もずば抜けている。意表をつける節穴が見当たらない。
私はここに来るまでに大量の魔力を使っていた。ただでさえ、力の差があるのに万全の状態の師匠と戦わなければならないなんて、国を相手にするよりも無理な気がする。
☆☆☆☆
師匠と暮らしていたころ、私は彼女の家事をほぼすべてこなしていた。
「キアス、私は葡萄酒がいいー」
師匠は朝っぱらからお酒を飲みたがった。お酒は水ではない。
「駄目です。朝はお酒を飲だら駄目だって言いましたよね」
「私はいたって健康体だ。だから、問題ない」
師匠は瓶が大量に入った棚に向かい、手を伸ばす。
私は手に持っていたナイフを投げ、木製の棚に突き刺す。
「駄目って言っていますよね?」
私は精一杯に威圧する。建物がかたかたと揺れ、軽い地震のような現象が起こった。
「うう……、けちんぼ」
師匠は椅子に渋々座り、両手を握り合わせた。食材の命に祈りを捧げ、食事をとり始める。
「ありがたくいただきます」
私は村を助けてくれなかった神は嫌いなので食材を育ててくれた農家さんに感謝して朝食を得た。
「ふぅー。食った食った。じゃあ、私はちょっと出かけてくる」
師匠は家を出ると忽然と姿を消した。
私は洗い物を終えた後、自分の部屋に向かう。その途中で師匠の部屋の前に来た。
「家を出ていく前に師匠の部屋を一度掃除しないと」
私は家の中で一番汚い師匠の部屋に入った。私がいなかったときは汚部屋で、ゴキブリや鼠の宝庫だった。今は私が管理しているのである程度よくなったが、目をはなすとすぐに汚部屋に戻ってしまう。
部屋に落ちている汚いゴミは一掃し、本や衣類は自分の手で片付けていく。大量の本棚に魔導書を一冊ずつ戻していき、散らばっていた紙は麻紐でしっかりと纏めて机の上に置いた。衣類は洗濯し、外に干しておく。酒瓶は洗って日向で乾燥させた。
ある程度掃除が終わったころ、私は師匠のベッドに視線を送る。いつも、この瞬間だけは神に感謝していた。枕元に黒い魔導書のような分厚い本が置かれている。生唾を飲み、息を殺しながら分厚い本に手を伸ばす。泥棒のように本をさっと手に取り、表紙を見た。黒い革製の本の表紙に金の文字で『禁断の書』と書かれていた。
「なーにが『禁断の書』だ。師匠ばっかりずるい」
私は禁断の書を開く。本来は真っ新な状態だった紙の上に縦書きで文章が羅列されていた。数文読んで禁断の書を閉じ、ベッドに投げる。
「はわわわわっ。も、もう、読めない」
私は頭を抱え、胸の苦しみに耐える。生まれてこの方男子との接点はほぼなく、師匠の『禁断の書』によって私の男の人格象が形成されていた。
「ふぅ。とりあえず、出発の準備。禁断の書は一冊借りよう」
私は師匠が書いた『禁断の書』の中で一番見つけにくい一冊を手に取り、ローブの下に忍ばせる。
「えへへ、後でじっくり読んじゃおっと……」
私は掃除を終えた師匠の部屋を出て自分の部屋に向かう。禁断の書と出会ったのは約八年前。文字が読めなかったが師匠に何の本か訊いたら痰が絡んだような顔になり『き、禁断の書だ。絶対に見るなよ』と大声で言われた。
最初は『禁断の書』と言われ、禁断の力が手に入り一気に強くなれるのではないかと思い、文字を覚えてからすぐに読み始めた。
理解できなかった。
やはり『禁断の書』なのだと思い、解読に取り掛かった。もちろん、師匠に知られたら半殺しで済まない。細心の注意を払い、掃除の時に読み進めて行くと男性同士がイチャイチャし始めてあれよあれよという間に密接な関係になった。
訳がわからなかったが、そんな展開を読んだ私は心臓が妙に高鳴った。
私が覚えている男の印象はお父さんとか村にいたおじさん、お爺さんくらいしかない。それも、五歳のころの記憶なので、うっすらとしか覚えていなかった。
屈強な男と綺麗な印象の男がイチャイチャしている場面を想像するだけで胸が熱くなってしまった。娯楽が鍛錬の量に比例していなかったのも影響しているのかもしれない。
おじさんとカッコいい男性、男児と太ったおじさん、カッコイイ男性とカッコいい男性など色々な登場人物が出て来て、手に汗握る展開から泣きそうになる場面まで書かれており、読むのが楽しかった。本当に唯一の娯楽だった。『禁断の書』を全て読み切るまで死ねないと思い、師匠の訓練に生き残れた時は数知れず。
そんな私の命綱だった『禁断の書』を書いているのが師匠だと考えると訳がわからなくなる。まあ、そんな師匠に育てられた私も『禁断の書』の話が大好きになってしまい、今では……。
「私もこんな話が書けるようになりたい」
私は師匠の『禁断の書』に感化され、趣味を共有できるようになれたらと思って、同じような話を書き始めた。
☆☆☆☆
私が絶句していると、王座に座っていた者は上段から私を見下ろしてくる。
その目つきは、魔王といわれても納得できるほど鋭い。加えて彼女から発せられる威圧感は、今まで感じた覚えがないほど強烈で、熱風を眼前から受けているようだ。
立っているだけで体力がすり減っていく。冷や汗が止まらず、腰が抜けそうになっていた。もう、失禁していないだけ褒めてほしいくらい気張っている。
今、立っていられるのは魔王の奥にコルトがいるから。ただ、未だに魔王の意図が読めない。
「遅かったな、キアス。待ちくたびれたぞ」
「し、師匠。な、何のつもりですか。いったい、どういう意図があってこんなことを」
「私は言ったはずだ。お前は神から与えられた才能がある。その才能を生かせるよう育てた。その力で人々を助けろと。だが、今まで何してきた」
「二年間、毎日働いていましたよ。最近は、学園に通っていますけど」
「学園に入らなければならないほど、お前はひ弱になったのか? 今のお前が学園で学ぶことなど何一つないだろう。そんな無駄な時間を過ごした結果、どうなったと思う。知らないよな、学園に居たんだから。多くの魔物が増え、各地の街や村で魔物の被害が相次いでいる」
師匠は指先の速度を速め、肘起きを破壊しそうなくらい力強く叩いていた。見るからにイラついている。
「一人で全ての依頼をこなすなんて無理です。私は一人の女の子なんですよ」
「何度も言わせるな。お前は私を凌ぐ才能を持っている。真面に働いていれば、全ての仕事を問題なくこなせていたはずだ。冒険者ギルドや学園に居たならわかるだろ、お前の強さが。強さを持つお前が誰よりも働かずにどうする。多くの者がお前が働かなかったから死ぬんだぞ」
師匠は私の身に余るほどの責任を押し付けてくる。
確かに私は他の者より強い。だからって全ての依頼をこなせるわけがなかった。そりゃあ、仕事だけに集中すればこなせるかもしれない。でも、趣味や休みを潰してまで働くなど、私にはできない。
「師匠、そろそろ教えてくださいよ。国を巻き込んでまでやりたかったことは何ですか。まさか、私に説教するためだけに、多くの人達を危険にさらしたわけじゃありませんよね……」
「キアスが仕事をさぼれば、どれだけ多くの者が苦しむのか現実で見せてやっただけだ。言葉で言われるよりわかりやすかっただろう。お前が働かないだけで国は簡単に滅びる。まあ、あんな無能ばかりがいる国、滅んだところで私に関係ないが」
「じゃあ、コルトを攫ったのは何でですか。彼は何の関係もありませんよ」
「キアスに男など必要ないだろう。こいつと遊んでいる時間があるなら働け。働かないお前に価値などない。才能を無駄遣いするな」
「……才能才能って、そんなに言うなら師匠が身を粉にして働いたらどうですか。こんなところで時間を使っている方がもったいないでしょ。師匠が働けばそれだけ、多くの人が救えますよね」
私を助けてくれた時のように、師匠が働けばそれだけ多くの者が助かる。
なのに師匠は魔族領で元魔王城に居座っていた。もし、ザウエルとカプリエルが言っていた魔王が師匠なら、彼女は二年前から定期的に魔族領に足を運んでいたのだろう。強い者が働かなければならないなら、師匠が誰よりも働くべきだ。
「嫌だ、働きたくない」
師匠から返ってきた言葉に私は言葉を失う。八年も一緒にいれば、何となくわかっていたが、彼女はずぼらだ。
「私は十分働いた。もう、ずっと働いてきた。人生で一度しかない青春を捨て、恋愛を捨て、趣味を捨て、何もかも捨てて仕事してきた。強い奴は頼られる。仕事できる奴はこき使われる。それで残ったのは、何だ。金だけだ」
師匠の話を聞くと、春頃の私を思い出す。師匠も私と同じ気持ちになっていたようだ。
「老けていく自分と預金通帳だけを眺める日々ほど空しいもんはない。だが、弱い者は身を守れない。誰かが自分を捨て働き続けるしかないんだ。たった二年しか働いていない癖に泣き言を言うな」
師匠は王座の肘起きを掴み、握りつぶした。辺りの空気が震えだし、ステンドグラスに亀裂が入る。
「師匠は変わるのが怖かっただけですよね。学生生活を謳歌している私を知って嫉妬したんですか」
「なんだ、二年間で言うようになったじゃないか……」
「他人のために強くなろうとする者、憧れのために頑張ろうとする者、責任を果たすために努力する者、その他、多くの者を見てきました。私は彼らのような信念や責任感を一つも持っていませんでした。だから、二年で音を上げてしまったんです」
「信念? 責任感? そんなもの、何の役にもたたない。出来る仕事をやり続ければいい。キアスは私の代わりに身を粉にして働いていればいいんだ。それだけで多くの者が救われる」
「私は自分を犠牲にしてまで働きたくありません。でも、私が出来る仕事はこなすつもりです。師匠、今からでも変わろうと思えば変われます。国に謝罪してください」
「嫌だ。私は私が生きたいように生きる。もう二度と仕事などするものか。仕事を押し付けてくる奴らが悪い。私の人生を奪った奴らなど消えてしまえばいい。キアスが仕事しないというのなら、あんな国、潰してしまったほうがマシだ」
「鍛えてくれたことは感謝してますけど、自分で助けた魔人の忠誠心を利用して国に迷惑をかけるなんて見損ないました。それに、私の大切な人が守ろうとしている国を危険にさらそうとする師匠を見過ごすわけにはいきません」
私は拳を構え、腹に力を込める。師匠と殴り合って勝てる気はしないが、一発殴ってやらないと気が済まない。
「私とやろうっていうのか。良いだろう、受けてやる。だが……、手加減は一切無しだ。簡単に死んでくれるなよ」
師匠は自分が座っていた王座から立ち上がり、羽織っていた白い外套を脱ぎ捨てる。仕事していないとは思えないほどの肉体美が曝された。年齢不詳だが、まだ全然若く見えるくらい肌艶がいい。
王座を片手で握りしめ、木製の椅子でも投げつけてくる感覚で軽々と放ってくる。推定三〇〇〇キログラムはありそうな王座なのに。
私は回避せず、拳で王座を破壊。無暗に動く方が隙を作ってしまう。ただ、王座を破壊した真正面から師匠の蹴りが飛んできた。扉が開いた瞬間に巨大な虎が目の前から現れて襲われるより死を覚悟する。
頭を傾けて師匠の蹴りを間一髪回避した。ただ、勢いのある回し蹴りが流れるように繰り出される。
師匠の化け物のような体幹によって生み出された蹴りを左腕で受け止めるつもりだったが、勢いが強すぎて堪える時間すら貰えず軽々と蹴り飛ばされた。
私の細腕は師匠からすれば小枝も同然。当たり前のように砕け散っており、グシャグシャ。くそ痛い。
壁に衝突する前に空中で体勢を立て直し、靴裏で壁に踏ん張り、衝突を防止。その後、回復魔法で腕を治療しながら師匠の死角を取るため王の間を脱兎のごとく走り周り、後頭部目掛けて突っ込む。
「おっらあ」
右拳を師匠の後頭部に放つも、背後に目が付いているのかと疑うほど完璧に回避され、顎下に師匠の拳が迫りくる。もう、ギロチンが迫ってくるようなものだ。
「『無反動砲』」
私は拳の先に魔法陣を展開、瞬時に発動。その影響で私の体は空中に静止。頭をもたげるように師匠の拳を回避。
師匠の腕が伸び切ると天井の壁画に亀裂が入るほどの空気圧が目の前を通過。拳を受けていたら頭が弾け飛んでいてもおかしくなかった。
回避したのもつかの間、師匠が振り向くと同時に右拳が頬を撃ち抜き、凄まじい衝撃と床に何度も体を打ち付ける痛みが全身に走る。歯が折れたら嫌なので、顔を狙わないでほしい。
そんなことを考えても、師匠は私を殺す気満々。無傷で勝つのはほぼ不可能だろう。
「どうした、その程度で私に勝てるとでも思っていたのか?」
「ほんと、魔王みたいな強さですよね……」
私は二年以上仕事してきたが、師匠以上に強い相手と戦った覚えがない。仕事していたとはいえ、自分よりも強くない相手と戦っていただけ。
おそらく私の強さは二年前と大差なかった。その私が師匠とどう戦えばいいのだろうか。
何もいい案が浮かばない。このまま、コルトと共に逃げようとしても師匠をまける想像ができない。転移魔法を使おうとしても解除されるのが落ちだ。
師匠の体術は超一流、魔法も天才的、体力お化けで、鋼の肉体を持っている。人間というより本当に魔王の方が近いんじゃなかろうか。虎を思わせる肉体美から繰り出される拳の一撃は巨岩を砕き、目にもとまらぬ速さで動き回り、洞察力もずば抜けている。意表をつける節穴が見当たらない。
私はここに来るまでに大量の魔力を使っていた。ただでさえ、力の差があるのに万全の状態の師匠と戦わなければならないなんて、国を相手にするよりも無理な気がする。
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二千年という長い時間、エルクは『念動力』を鍛えまくる。
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エス
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