成長記録

zebra

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誕生日

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 母性と違って父性は自然に生じるものではないというけど、生まれる前から写真を撮り続けているから、やはりひとしお。

 寝ている姿、お風呂に入れている姿、泣いてる姿、・・・・・・・次々撮った。

 そして迎えた1歳の誕生日。

 もちろんまだ片言しか喋れない。離乳食しか食べられない。でも、歩けるようになったし、同じ赤ん坊でも生まれた時とは全然違う。

 たった一年でこれだけ変わるんだ。私なんかこの一年でどれだけ変わったろう。

 生まれた時の写真を妻と見て見る。

 妻に急かされて、生まれた時の写真を撮った。勿論、誰もがそうであるように何も身につけない、裸の姿。いや、本当は誰もがその姿で、衣類というもので隠しているだけ。

 妻が言った。

 「ねえ、初めて迎えた誕生日の記念に、また同じ写真を撮らない?後で見直す時いい記念になるよ」

 私もそう思っていた。生まれた時の裸の写真がある人は多いけど、生後1年を迎えた時は大抵服を着た写真。成長記録なら、同じように撮った方が自然。

 服を脱がしてみる。娘は解放されたように喜んではしゃぎまわっている。この子はまだ、裸になることが恥ずかしいとか、そんな常識は一切持っていないのがあらためて分かる。

 エンゼルというのは本来男の子らしいけど、私たちにとってはこの子こそ本当のエンゼルそのもの。

 これから生きていくうちに、「裸でいることは恥ずかしい」「股間や胸やお尻を見られることはもっと恥ずかしい」そういったことが刷り込まれていくだろう。

 いい写真が撮れそう。生まれた時は自分で動けないから、ごく当たり前の写真で、どの赤ちゃんも似たり寄ったりのはず。
 
 自由にさせて、いろいろな角度から撮った。妻と顔を合わせて笑った。やってよかった。



 1年が経過し、娘は2歳になった。

 ケーキにろうそくを立ててお祝いし、記念写真を撮るとき、妻と顔を合わせた。

 生まれた時も1歳の誕生日の写真も裸だったのに、2歳になってから服を着ている写真に変わるというのはいかにも不自然。このまま裸の写真を撮っていった方が、成長記録としてふさわしいのでは?

 「おいで、写真撮るよ」

 妻はお風呂に入れる時のように娘を呼んで服を脱がせる。生まれたままの姿になった娘は、天使の様でまたそれでかわいい。もはやそれは私たち家族にとって「恒例行事」になっていたのだった。
 

 娘は、3歳になった。ケーキを食べる前に、家族で生まれた時からの写真を眺める。勿論、「生まれた時」、「1歳の誕生日を迎えた時」、「2歳の誕生日を迎えた時」も。

 食べ終わってから、娘に声をかける。

 「写真、撮るよ」

 妻が服を脱がせようとすると、

 「自分でできる」

 娘は服を脱ぎ始めた。パンツも脱いですっぽんぽんになると、にっこり笑って私の構える前に立った。股間に手をかざすなどという無粋なポーズは取らない。そんなことをすることすら知らない純真無垢な娘がいとおしい。 
 誕生日の写真は全て裸で写っているのを見てきた娘にとっても「誕生日の写真」というのは「裸になって撮る写真」を意味しているようだ。


 よその子のお誕生日会から帰ってきた娘が言った。

 「パパ、おかしいんだよ。その子ね、ケーキ食べ終わって写真撮るとき、服着たままなんだよ。「なんで裸にならないの?」って聞いたら、びっくりした顔してるんだよ」

 娘に説明するのに苦労した。
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