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小児愛玩
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こう呼んでいいものかどうかは分からないが、ジャニー喜多川の性加害のようなものは昔からあったことは確かである。欧米ではかなり前から問題になっているが、言い換えれば珍しくなかったということでもある。
特に、男児に対しては女児に比べて軽く扱われてきたというのが実態であろう。ドラマや映画などでも男児が裸で出演することは珍しくもなんともなく、局部も隠すことなく映像化されていた。女児の裸は皆無だったわけではないけど、股間まで映されることは少なかった。但し成人と違って胸はそのままのことがほとんどだった。
今では違うと思うが、1970年代が私が小学生だったのだが、東京近郊ではあるものの通学路がハイキングコース担っているほどの田舎(農村に近い)だった。子供の脚では通学に片道50分くらいも掛かるほど遠かった。今ではその地域の学区はほぼ三分割されている。
変質者も頻繁に出現しており、当時30代だった私の母も出くわしたことがあって、青い顔をして帰ってきたことがあったくらいである。そのためか、学校から防犯ブザーを配られていたのだが女子に限定されていた。母は個人的に防犯ブザーを持ち歩くようになっていた。妹は学校から配られた防犯ブザーを持ち歩いていたが、男子で持ち歩くものは(おそらく)皆無だった。
今にして思えばジャニー喜多川のような嗜好の人物も当時からいたわけだから男児を除外するのはおかしいのだが、市や学校の職員に同性愛など想定する物はほとんどいなかったのだろう。
特に、男児に対しては女児に比べて軽く扱われてきたというのが実態であろう。ドラマや映画などでも男児が裸で出演することは珍しくもなんともなく、局部も隠すことなく映像化されていた。女児の裸は皆無だったわけではないけど、股間まで映されることは少なかった。但し成人と違って胸はそのままのことがほとんどだった。
今では違うと思うが、1970年代が私が小学生だったのだが、東京近郊ではあるものの通学路がハイキングコース担っているほどの田舎(農村に近い)だった。子供の脚では通学に片道50分くらいも掛かるほど遠かった。今ではその地域の学区はほぼ三分割されている。
変質者も頻繁に出現しており、当時30代だった私の母も出くわしたことがあって、青い顔をして帰ってきたことがあったくらいである。そのためか、学校から防犯ブザーを配られていたのだが女子に限定されていた。母は個人的に防犯ブザーを持ち歩くようになっていた。妹は学校から配られた防犯ブザーを持ち歩いていたが、男子で持ち歩くものは(おそらく)皆無だった。
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