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6、雨
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私達はその後、いくつもの猫のお悩みを解決していった。
食事にうるさい子、かみつき癖のある子、臆病で隠れて出てこない子、水を飲まない子……などなど。
「大変でしょうけど、この子は日によって食べるフードを変えてあげてください」
「子猫のうちから手でじゃらしてかみつき遊びをさせっると、癖になっちゃいますから」
「ひっこみじあんの子は、無理矢理引きずり出さないでそっとしておいて……」
「お水は給水器を使ってみたらどうかな。器を変えるだけでも飲む子はいます」
私はシェルターに通いつつ、美鈴君と一緒に町のあちこちを回った。
シェルターで実際の猫達と触れ合い、学んだこと。ボランティアのスタッフさんや叔母さんから教えてもらったこと。そういう知識を生かして、問題に取り組んだ。
猫を飼ってる人は、大体みんな猫が好きだ。でも、猫と人は違ったところがたくさんあるから、思いこみや勘違いで、猫にとっては困ってしまうようなことをしている人もいる。
そういうズレを正していけば、お互いが少しずつハッピーになれるんだ。
「見てみろよ、これ」
美鈴君がスマホを見せてくる。
そこには、「人間信頼度」という文字が表示されていて、メーターのようなものがあった。
「この町に住む猫の、人間に対する信頼度だ。前よりずっと、バロメーターの数値がいい。生活の満足度が上がったおかげで、人間を信頼する猫が増えたってことだな。これなら次の集会で、引っ越しに反対する猫がぐっと増えるはずだ」
悩みを訴えるアイコンの数も減ってきたし、私達の計画は順調に進んでいた。
今日はアイコンを頼りに、河川敷に来た私と美鈴君。
吹き出しの訴えは「疲れたよ」だったので、どこかに疲れた猫がいるはずなんだけど、いくらさがしても姿が見えない。
ちょっと心配だ。
「おーい、猫ちゃん、どこー?」
こんぶも鞄から出てきて、見知らぬ猫をさがしてくれる。
すると、「ふんっ」と誰かが鼻で笑うのが聞こえて、草むらをかきわけていた私は顔をあげた。
「お前らは、どうしてそうやって他人……他猫の生活に首をつっこもうとするんだ? 余計なお節介だとは思わんのか?」
偉そうに両手を腰にあてて立っているのは、黒豆君だ。
(まーた黒豆君だよ)
黒豆君はここのところ、私達の動きが気になるのか、行く先々で顔を見せる。猫の姿で出てきて、にゃおにゃお騒いで邪魔をしたり、美鈴君の足に噛みつこうとした。その度に、お供でついてきているこんぶが追い払ってくれるんだけど……。
「ここの猫が姿を見せない理由を教えてやろうか? あいつはな、人間の子供に追いかけ回されて、いじめられたんだ。それでほとほと人間が嫌になり、隠れてるってわけさ。ほうっておけ」
そんな事情があったんだ。
でも、それならなおさらほうっておけないかも。だって、「疲れたよ」って吹き出しには出てたんだもの。
「人間のせいで困ってしまった猫を、人間が助けようとしているなんておかしな話だ」
私は黒豆君を無視して、猫の捜索を続けた。
後ろからついてくる黒豆君が勝手に話し続けるのを聞いてみると、隠れている猫は怖くなってしまい、ろくに食べ物をさがしに出かけることすらできなくなってしまったんだって。
それで、衰弱しているんだ。
「助けなくちゃって、黒豆君は思わないの?」
「猫には猫の世界がある。世の中は厳しいんだ。力つきるならそれはそいつの運命だな」
「…………」
私は黒豆君の方を振り向いた。
「黒豆君は、人間が嫌いなの?」
「そうだ。猫と人間が一緒に暮らすなんて馬鹿げてるんだよ」
言いたいことを言ってしまうと、黒豆君は黒猫の姿に戻って、どこかへと走り去っていってしまう。
それから私と美鈴君は、手分けしてずいぶんさがしてみたけど、困っている猫のことは発見できなかった。
「日が暮れてきた。今日はこの辺にしておこう」
橋の下に餌をおいて、帰ることになった。
* * *
家に戻って、自分の学習机に向かい、私はほおづえをつきながらぼんやりと外をながめていた。
――すると。
「……雨だ」
ぽつりぽつりと、水滴が窓をたたく。そういえば朝の天気予報で、今日は季節はずれの冷えこみになるって言っていたっけ。
(あの子……どうしてるかな)
いてもたってもいられなくなり、私は鞄にものをつめこむと、お母さんに「出かけてくる!」と声をかけて家を飛び出した。
傘をさし、ひたすらに河川敷を目指して走る。雨足はどんどん強くなり、灰色の雲が空をおおいつくしていた。
(きっと、まだあそこにいるんだ。一人ぼっちで、寒くてふるえているかもしれない)
こんな天気ということもあって、河川敷には人の姿はなかった。
雨をよけるために、物陰に猫は隠れるんじゃないかと思って、橋の下へ行ってみる。餌は手つかずでそのままあった。
「……猫ちゃーん、どこー?」
草をかきわけ、私は歩く。ズボンやパーカーが濡れてしまったけど、そんなことに構ってはいられない。
はっと目を動かすと……。
いた。
怯えているせいか、瞳孔を開いて目を真っ黒にさせた、キジトラの猫が一匹。
私の方を見ている。全身で警戒していて、すぐにでも走り出してしまいそうだ。
「あっ……待って、逃げないで。お腹空いてるでしょう? にゃーる、食べない?」
用意していたおやつを出して、ぬれそぼった猫の方へとにじりよる。
シャーッ。
猫は「これ以上寄るな」とでも言うように、威嚇してきた。
傘をさしたままじゃ、やりにくい。私は傘を横に置いた。
「ねえ、君。もしよかったら、HOKAHOKAに来ない? 君が幸せに暮らせるようなおうちを、私達が見つけるよ」
猫は痩せこけていて、見るからに健康状態が良くない。野良としてうまくやっていけてないんだ。このままここにいると、この子にとってもよくない。
「おいで……」
そうっと近づくと、猫は「ウワーッ」とうなり声をげて、私の方に飛びかかり、猫パンチをくらわせてきた。
「痛っ!」
じわーっと、手の甲に血がにじむ。
美鈴君みたいに、猫と心を通わせることができれば、もっとスムーズに交流ができるのかな。
そんなことを考えていると、悲しくなってきて、涙が出そうになった。
くるんであげるためのタオルを取り出す。
「人間にいじめられたんだね。でも、大丈夫。みんながみんな、そんな人じゃないからね……」
どうしたらわかってもらえるのかな。
涙をこらえていた私は、鼻がムズムズするのを我慢できなくなっていた。
「ハックショイ!」
特大のくしゃみ!
すると猫は、驚いてパニックになってしまった。
なんと、川へと向かって走り出してしまう。
「待って!」
私も大慌てで追いかける。
猫は川になんて入らないけど、あのパニックの様子なら、落ちてしまってもおかしくない。
私はおおいかぶさるようにして猫をタオルでくるむ。
だけど、その勢いのまま、今度は私が川に――。
「叶井!」
ぐいっと、誰かが私をつかんで引き寄せる。
危ないところで、私は川へドボンをまぬがれたのだった。
息を切らして見上げると、そこには耳としっぽを生やした少年がいる。
「あんまり……一人で無茶するなよな」
「美鈴君……」
美鈴君はため息をついている。
あの猫は、と見てみると、こんぶとおかかがタオルにくるまった猫を、両側からひっしと抱きしめていた。おかげで少し落ち着いたみたい。
美鈴君ちの猫は、化け猫のもとで飼われている影響か、普通の猫よりちょっと人間っぽい動きをする。
「この子、HOKAHOKAで引き取ってもいいかな? 叔母さんに聞いてみたいんだけど……。まずは病院で診てもらわないとだよね」
野良猫は他の猫にうつる病気を持っている場合もあるから、検査してもらわないといけないんだ。
「お前の叔母さん、車で来てくれそうか? 連絡先は知ってる?」
「うん」
「じゃあ、これで連絡しろよ。迎えに来てもらおう」
美鈴君にスマホを借りて、叔母さんに電話で事情を説明した。
猫はすっかりおとなしくなって、こんぶやおかかに付きそわれ、私や美鈴君と一緒に、雨があたらない橋の下に向かった。
「お前がケガしたら、どうするんだよ。あんまり無鉄砲なことするなよな。こういう時は、ちゃんと大人を頼るものだぞ。大人か……俺だな」
「美鈴君は子供じゃん」
「普通の人間と違うんだ。そこら辺の子供と一緒にするなよ」
まあ、美鈴君は頭が良いし、運動神経も良いし、判断力もあるし、私よりはちゃんとしてるかもね。
叔母さんにも電話口で怒られちゃって、みんなに心配かけたかも。悪いことしちゃったかな。反省しなくちゃ。
「でも、猫が無事で本当によかった」
にっこりする私を、美鈴君が見つめる。
「お前って、猫が好きなんだな」
「うん、大好き」
「お前を今回の計画のパートナーに選んだのは、理由があるんだ。俺一人でやってもよかったんだけど、猫は俺が半分猫だって本能でわかってしまうんだ。俺がいくら力をつくしても、こいつは猫だしなって思われる」
だから人間の協力者が必要だったんだって。
自分達、猫のために必死で動いている人間がいるとわかれば、猫達も人間のことを見直すんじゃないかって美鈴君は思ったんだ。
「お前は本当に猫が好きみたいだし、猫の気持ちを考えようと頑張ってる。お前を選んでよかったよ」
「……う、うん」
急にほめられると、照れくさいよ。私は返事をして、うつむいた。
待っていると叔母さんの車がやってくる。
美鈴君は保護予定の猫を、いつも猫が入っている鞄に、くるんだ布ごと入れた。こんぶとおかかには、先に家に戻っているように伝える。
美鈴君が手をつかみ、私を叔母さんの車のところまで引っ張っていった。
「もう、真梨佳ったら濡れちゃってるじゃない。さ、二人とも車に乗って。動物病院に寄って、猫ちゃんを診てもらうから。それから検査結果を聞いて、二人ともうちに送っていく。それでいいわね?」
すぐに送っていくと言わないのは、私達が猫のことを心配していると叔母さんも知っているからだ。
私達は車に乗りこんで、出発した。
病院は近所だから、すぐに到着する。叔母さんは「二人は車で待っていなさい」と猫を連れて出て行った。
私と美鈴君は二人きりで、静かな車内で座っていた。
……で。
さっきから気になってることが一つあるんだけど、どうして美鈴君……私の手を握りっぱなしなの?
河川敷から車に向かう時に引っ張ってってもらったんだけど、それからそのまま、この状態なんだよね。
「あのー、美鈴君。その、手……」
「嫌か?」
「嫌ではないけど……どうしてかなって」
「手が冷えてるから、あたためようかと思って」
「はあ……ありがとう」
確かに、美鈴君の手はあったかい。そういえば、猫って体温が人間よりは高いんだけど、美鈴君はどうなのかなぁ。
「傷、痛くないか?」
握られてるのとは反対の方の手のことだ。さっき、猫に引っかかれたところ。美鈴君が貸してくれたハンカチを巻いていて、もう血は止まっていた。
「平気だよ。うちに帰ったらちゃんと消毒するし」
「俺がこんなことに巻きこんだせいかな」
もしかして美鈴君、ちょっと落ちこみ気味? いつもどことなく態度の大きい美鈴君でも、こんなしょげた顔を見せるなんて、意外かも。
「やだなー、私が勝手にしたことだし、猫に引っかかれるなんて日常茶飯事だよ!」
甘噛みのひどい子には手を噛まれてミミズばれになるし、たくさんの猫のお世話をしていれば、小さな傷ができてしまうのは珍しいことじゃないんだ。
美鈴君の手から、じんわりとした温もりが伝わってくる。
私はじいっと、美鈴君の頭のところに視線を集中させた。
「あっ、見えた!」
ぴこぴこ、美鈴君の猫耳が動く。一度見えたけど、移動してる間に消えちゃっていたんだよね。美鈴君の猫耳は普段から見えるわけじゃないけど、こうやって集中すると見えるようになってきた。
「美鈴君の猫耳、すごーく可愛いね。見てるだけで癒されるよ!」
私はつながれた手を持ち上げて、美鈴君の手を観察した。うんうん、爪は猫みたいにとがってはいないんだな。普通の、小学生の爪だ。
「美鈴君と手をつないでると、安心するな」
「え?」
美鈴君が目を見開く。
「美鈴君が半分猫だからかな! 猫のおてても、ぎゅっとすると幸せな気持ちになるもん。やっぱり猫の癒しパワーってすごいね。効くね!」
けれど、美鈴君は私の言葉に何か不満があったのか、むすっとくちびるをゆがめる。
「猫だからかよ。俺は結構、お前のこと、前から……」
「え? なに?」
「なんでもない」
変な美鈴君。
私は美鈴君と手をつないだまま、車の窓ガラスを流れる雨粒をながめていた。
一つ、二つ。もうそろそろ、雨はあがりそうだ。
「真梨佳、美鈴君。あの猫ちゃんの血液検査の結果が出たよ。どこも悪くないみたい」
叔母さんが戻ってきて、そう教えてくれる。
このまま、猫はHOKAHOKAに連れて行くことに決まった。
美鈴君がそっとスマホを確認すると、「疲れたよ」のアイコンは消えていた。
応援ありがとうございます!
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